020 民衆に晒すべき箱の中身
「議論の結果、A級指名手配『深紅の炎』キャスヴァニア・ウルティメアド、及び今回の事件の主犯、E級犯罪者ティノ・クロイドはこの場で処刑とする!」
村長の判断を受け、観覧席から議論を見守っていた村人たちは声を上げた。
キャスヴァニアと冤罪の男ティノは茫然とした表情で固まり、クレイとケインは何も言わなかった。
議論の結果は決まったんだ。
もう、覆すことは出来ない。
なぜ、こんなことになったのか。
*
そろそろ村の緊急会議が始まる。
クレイとケインは広場に用意された席に着き、会議の開始を待った。
僕らが座っているのは特別席。今回この村を救った英雄にと用意された席だ。
僕らの隣には席一つ分を空けて今回生き残った村の有権者たちが座っている。
全員で三名座っていた。他にも二名居たらしいけれど、今回の事件で犠牲になったみたいだ。
穏やかな気性を持ち、村人たちからの絶対的信頼を集めている女性ユーリ、村一番の金持ちで近隣の町村との交流も担っている男性バックル、そして、クレイの父親面をしている男イアン。
村の有事の際は今までこの五名を集めて村の今後を決定していたらしい。
それにしてもなんというか、まあ順番に見て行こうか。
ユーリは一言で言うと芋っぽいおばさん。特徴はふくよかで常に微笑んでいるかのような顔。この人の心は意地悪そうだけど落ち着いていて、この先の会議でも特に目立った動きは無さそうだ。
問題は残りの二人。
バックルはいかにもなドケチって感じのおじさん。特徴は大きなゴツイ髭に常に寄っている眉間のしわ。心の中は常に次へ次へと急いていて、なんだか問題を起こしそうな雰囲気がある。
そして、イアン。
村の有権者たちの中にいる理由は魔王が封印されている子供の父親だから。
特に特別裕福ってわけでもなければ村人から愛されているわけでもなく、たったそれだけの理由でこの男はこの椅子に座り、偉そうにふんぞり返っている。
僕とクレイは二人してイアンを嫌な顔して睨んだ。
ふと、イアンと目線が合う。
するとイアンは立ち上がってクレイの元までやってきて、しゃがむと耳打ちをしてきた。
「頼む……!今まで私が悪かった!だから、私が本当の父親ではないことも、お前を邪険に扱ってきたことも絶対に会議で言わないでくれ!頼む……!」
イアンはそういうと手を合わせてクレイに頭を下げた。
保身に走ったんだ。
今までこの男は一緒に居ると自分まで村の爪はじきものにされるからと言って、クレイと共に住むのを拒んで村の外れの小屋に住まわせていた。
それどころか、この食べ盛りの子供に送ってくる食事は豆と芋だけ。更にはその量も怒りに任せて減らすという自分勝手っぷり。最近では食事すら送ってこなかった。下手をすれば餓死していたのに。
その男が今、保身のためにクレイに頭を下げている。下心も十分に透けて見えている。
クレイにもこの男が嘘をついているのは十分にわかっている。
さぁて、どうしようね?
クレイは今や村の英雄だ。鶴の一声でこの男のことなんてどうにでもなる。
罪になるとまでは行かなくても、間違いなく有権者としての地位は剥奪されるし、今度はこの男が村中からの非難の的になる。
この男は今、処刑台の上にいる。後はクレイの好きなタイミングでレバーを引けばいい。
『お好きにどうぞ』
僕はイアンを心底侮蔑しながらクレイに言った。
クレイは立ち上がるとイアンの袖を掴んで、会議開始まで待機をしている村長のもとまで歩いていく。
イアンは嫌がりながらも既に観覧席に集まり始めている村人の手前、派手な行動もできずにされるがままに連れていかれる。
いいぞ、そのまま告発しちゃえ。
「村長、少々お時間をよろしいですか?」
「なんじゃクレイ。もうじき会議が始まるというのに」
「裏で話したいことがあるのですが」
あれ?この場で言わないの?
クレイの頼みを聞いて、村長はクレイとイアンと共に人気のないところまで移動をする。
するとクレイはイアンの袖を離し、村長に向かって口を開いた。
「俺はこの男が父親じゃないことは知っています」
言った。言ったぞ。
だけど、それだけ?
「なんと!イアン、話したのか?」
「い、言っていません!コイツが勝手に調べ上げて!」
村長はイアンを叱るように責めたが、イアンの説明ではないと知ると不可思議と言いたげな表情になった。
「俺が言いたいのはそこではありません」
クレイは二人を止めるとまっすぐに村長を見つめたまま、ある頼みをした。
「俺はこの男の有権者としての権利を奪ってほしいんです。理由は、俺は散々この男に嫌がらせを受けて育ってきたからです」
おお、やっと言った!
イアンも顔を真っ青にしている。
流石に村長の前では別居している以外の悪事は隠してきたんだろうね。どうやって隠してきたのかは知らないけれど。
村長はクレイの言葉を受け取るとよく頷いて申し訳なさそうに頭を下げた。
「薄々勘付いておったがの。イアンに任せてしまった手前、簡単には引き取ることができなかった。それに、わしもお主のことを知らず、恐れて距離を取ろうとしていた。もっと早くに手を打たなかったことを許してほしい」
村長は頭を上げるとイアンに向かってクレイの隣から退くように指示をした。
イアンは萎縮しながらクレイから離れる。
「クレイ、お主が望むなら権利の剥奪くらい造作もない。もっと、他に望みはあるか?わしもこやつも、今までお主を放置していた分、好きなことを叶えよう」
イアンは村長の言葉を聞くなり命乞いのように祈り始めた。
心の中は自分のことでいっぱい。どこまでも意地が汚い。
クレイはイアンを一瞥すると村長に向き合った。
「俺が望むのは先ほど言った権利の剥奪。この男が俺の育ての親であって実の父親ではないことの公表。そして、それ以外のことはなかったことにして、なるべくこの男が村人たちから嫌われないようにしてください」
クレイは、心の底からの頼みを村長に伝えた。
イアンはぽかんとしている。
「クレイ、剥奪、公表は置いておき、最後のは聞き間違えか。お主はこの男を恨んでおらんのか」
「大嫌いです」
慌てて聞き返す村長に、クレイはイアンへの嫌悪を吐き捨てる。
「だけど、俺はこの男を必要以上に苦しめる必要は無いと思っています。反省していないのはわかっていますが」
クレイに睨まれ、イアンはギクリと肩を震わせた。
「しかし、だからと言って追放だの悪事の公表だので脅し迫る気にはなれません。俺の望むことはこの男と何もない他人の関係になること。それだけです」
クレイはこの父親モドキの男を許してはいない。
だけど、それ以上にクレイの甘ちゃんな性格が出たようだ。
誰も必要以上に殺すとか傷つけるようなことはしたくない。
九年間自分を保身のためにいびってきた男ですらその対象だ。
もっとやってやればいいのに。僕だったらスカッとするまで相手の人体の再生と破壊を繰り返す。
村長はクレイの意思を受け取ると大きく頷いた。
「イアン、お主は会議に参加せずに村の片づけをしておれ。わしもそれで済まそう」
「は、はい。わかりました……」
イアンは村長の命令通り村の片づけへと向かう。
去り際にクレイと目が合った時、その瞳の奥に後悔の色が見えた。
『後悔するくらいなら最初からやるなって言われているのに、人は学ばないよね』
『魔王も学んでないけどな』
『ぼ、僕は前例がないから!魔人はこの世に僕一人だったから!』
クレイは僕の言い訳をする様子をにやけながら馬鹿にした。
クレイの心の中はすっきりしていた。
今のやり取りで満足したんだ。
仕返し脳の僕からすると全然足りないけれど、クレイがこれでいいって思うなら僕もそれに乗ろう。
「全く、お主は本当にカナトに似ておるのう。自分が傷つけられても、相手のことばかり心配する」
村長はクレイを心配しながらも笑った。
クジラさんそんな人だっけ。相手を自分のスキルでいじくりまわすマッドサイエンティストみたいなイメージが強い。
クジラさんの話を聞いたクレイは村長に向き合って微笑む。
「俺は本当の父さんが誇らしいです」
「……そうか、どうやってかは知らんが、知っておるのか」
村長は寂し気な笑顔を浮かべて微笑んだ。
遠い誰かを想っているようだ。
たぶん、その人夕方には帰ってくるよ。
「いかん、会議を始めんとじゃな。クレイ、お主は早く席に戻りなさい。わしもすぐに向かおう」
「はい、わかりました」
村長は開始時刻を過ぎているのに気が付くとクレイを急かした。
さて、寄り道をしたけれどここからが本番なんだ。
僕らはキャスヴァニアと利用された男性を救いたい。
特に利用された男性は完全に白だ。
絶対に助けなくちゃならない。
クレイは戻ってくると広場に集まった人々を眺める。
みんな、ざわめきながら緊急会議の開始を待っている。
「遅いぞクレイ。何してたんだ」
戻ってきたクレイにケインが座ったまま呼びかける。
クレイは席に着くと何でもないような顔をして村長に頼んだことを伝えた。
ケインはあまり気にしていないようで聞き流した。
それよりも、この後のキャスヴァニアと利用された男性についての話し合いに意識がいっている。
うん、頑張ろうね。僕らにかかっているも同然だから。
しばらくして村長が広場に戻ってきた。
そして、手にしたベルを派手に鳴らす。
「これより、村の緊急会議を開始する!それと同時に知らせがある。今回発言権を持って出席をする手筈であったクレイの父親、イアン・ドルトムントは欠席することとなった。理由は彼はクレイの本当の父親ではないからだ。今後も、発言権を持って村の代表になることは無くなるだろう」
クレイの父親が本当の父親ではないと知らされても村人たちに動揺の色はあまりなかった。
みんな知っていたんだね。
というか、あれ?そういえばクレイの苗字がドルトムントでイアンもドルトムント、クジラさんもドルトムント……。
『そういえばこんな時にだけど、クレイの苗字ってお母さんとお父さん、どっちの苗字なの?』
『母さんは元がボイジャーだったって聞いたことがある。だから父さんの苗字で合ってると思う。あの男が同じ苗字を名乗っていたのはなんでか知らない」
推測だけど、クレイの家の姓に合わせたのかな。
クレイの親として違和感がなくなるついでに魔王を倒した勇者と同じ姓を名乗れるし。
まあそれならいいか。
今度暇なときにクジラさんと村長から聞いてみよう。
村長はイアンに関する連絡を伝え終わると、村の被害状況について語り始めた。
「では、まず始めに死傷者の確認をする。今回の生存者百十八名の内、負傷者は百十二名であった。そして、死者の数は四十五名。村の兵士も指揮官が一人、駐在兵二人、常駐兵が三人殉職している。このことから今回の事件は極めて凄惨な事件であったことがわかるだろう。犠牲になった者たちの魂が、せめて安らかに眠れるようにこの場で祈りを捧げよう」
すると村人たちは静かに胸の前で手を組んで祈りを捧げ始めた。
みんなの後悔と強い悲しみがこの広場を包む。
望まなかったにしろ、自分たちの手で殺しあって、傷つけあって、実際に殺してしまった人もいるんだ。
この感情の波はどうしようもない。
クレイもケインも、心からの祈りを捧げる。
僕は信じている神なんていないけれど、犠牲者の人たちが信じていたものに祈ろう。
どうか、その人たちが安らかに眠れますように。
祈る時間が終わると、続けて村長は騒動で破壊された家の扉や道具、他治療が終わっていない怪我人などの状況を確認した。
今回被害にあった多くは人で、その人たちも治療は全部終わっているし、混乱に乗じた盗犯などはやる暇もなかったから確認はほんとに念のためって感じだった。
村長は被害状況の確認を終えると声を張る。
「村はこの通り深刻な被害を受けたが、人々の怪我の治療は魔法使いアルステム・フルバック殿が引き受けてくださった。慈悲深い行動に感謝の拍手を」
広場は温かい拍手で満たされる。
よく見ると観覧席の中にアルの姿がある。真っ白白だからよく目立つね。
目立つけどちゃんと人としてうまく擬態出来ているようだ。
まあ、心配する要素が無いけれど。
「そして、続いてこの村の英雄の紹介を。村が混乱の渦中にある中、機転を働かせ人々を家に匿い、操られた人々から守り抜いた村の常駐兵、ケイン・カストラビ!皆、勇気ある行動に拍手を!」
ケインは紹介されて緊張気味に立ち上がる。
村人たちは割れんばかりの拍手をケインに送る。
みんなケインが立ち向かっていたのを見ていたんだ。
拍手の中、賞賛の声も聞こえてくる。
ケインは照れながら笑顔を浮かべて頭をかいた。
うん、立派な働きだったね。最高だったよ。
「続いて紹介を。今回、子供たちの避難誘導を率先して引き受け、更に村を襲った元凶を払い我々を救った少年、クレイ・ドルトムント!皆、その勇敢な行動に拍手を!」
クレイも紹介を受けて席を立つ。
村人たちは全員その場で固まった。
そして、しばらくしてバラバラに拍手をし始めた。
次第に拍手の音は大きくなっていき、大きな音となって広場を包み込んだ。
まだクレイは受け入れられていないのかな。
と思ったけれど、人々の表情には困惑、後悔、感謝が見えていた。
みんな、クレイに対して罪悪感を感じていて、素直になれないだけのようだ。
『クレイ』
『みんなが俺を素直に褒める気になれないのはわかってる。大丈夫だ』
クレイとケインはしばらくして席に座る。
大丈夫って言っているけれど、少し残念そうに見えた。
ようやく認められると思ったけれど、村人たちとの間にはまだ壁があるみたいだ。
でも、この壁もクレイを仲間外れにしていた事実を認めてくれれば崩れてくれる。
もうしばらくの辛抱だ。
村長はクレイとケインの紹介を終えると咳ばらいをし、静かにするように号令をかけた。
「続いて村内裁判に移る。では、罪人二人を連れてきてくれ」
村人たちがざわつく。
ついに始まるんだ。キャスヴァニアとあの男性の処遇を決める話し合いが。
村長に指示をされて、待機していた村人が拘束されている二人を連れてくる。
二人は立つ気力もないほどに弱り切っている。
村人たちからの怒りの暴行を受け続けたからだ。
「これは……どういうことじゃ」
二人のありさまを見て、村長は驚愕の声をあげる。
すると、クレイの隣を一席空けて座っていた男、バックルが大きな声で発言した。
「村長、こいつらは大罪人だ!一人はこの村の一家を襲ったA級犯罪者。もう一人は今回の事件の黒幕!話し合いの余地もない。さっさと王都に送っちまえ!」
バックルの一声に観覧席の村人たちが賛同の声を上げる。
村長は慌てて皆を鎮め、二人が傷だらけになっている理由を問いただす。
村人たちは次々に自分たちの正当性と共に二人へ罰として暴力を振るったことを告白した。
「なんという。お主らはこの事件の真相を理解していない!今からわしの説明することを心して聞け!」
村長は村人たちを咎めると、事件の始まりから終わりまでをわかりやすく説明し始めた。
しかし、村長がこの場に関する情報で知っているのはキャスヴァニアが何故か協力してくれたこと、男性が操られて村を襲ったことくらいで、事件の詳細全てを話せたわけじゃなかった。
「まどろっこしい!要らぬ話だ!操られていたにしろ、そいつが俺たちの村をめちゃくちゃにしたんだ!さっさと殺してしまえ!お前らもそう思うだろう?!」
村長の説明を聞いてもなお、バックルは意見を変えずに村人たちの共感を促す。
先ほどよりも賛同の声は減ったけれど、それでも村人たちは声を上げた。
「バックルさん、彼も被害者という考え方はできないのですか?」
「はん!何が被害者だ!俺たちの方がよっぽど被害を被っているというのに!」
ここにきてバックルの隣の女性、ユーリが口を挟む。
しかし、バックルは聞く耳を持たずに事件に利用された男性に唾を吐いた。
想像以上に嫌な奴だ。いらいらする。
だけど、僕以上に我慢できない男がいたみたいだ。
クレイの隣に座っていたケインが席を立ち、バックルに向かって行ってそのまま睨みつけた。
「おいおっさん!コイツは操られていたって言ってんだ!あんたもわかってんだろ!?」
「何がだ!」
「操られる側の気持ちだよ!」
ケインの魂の一喝でバックルはたじろぐ。
「いいか、あんたらも。さっきの騒ぎの中、みんな心の底から目の前の隣人を殺したいって思って殺しあってたのか?違うだろ!操られていて仕方なくだろ!そんなあんたらが、同じく操られていて仕方なくあんたら同士を争わせた男を、一方的に非難する権利はどこにあんだよ!」
ケインは畳みかけるように村人たち全員に問う。
村人たちはざわめき、顔を見合わせ、困惑している。
しかし、バックルはその場に立ち上がって反論の意思を見せた。
「だが、この男は罪人だ!元より犯罪者だ!そんな男を罰して何が悪い!」
村人たちの間から震える声で同感の意が聞こえる。
すると、今度はクレイがその場で立ち上がった。
「その男は罪を犯す前から操られていた。操っていた奴が言っていたんだ。だからこの人は犯罪者でもない。ただの一般人だ」
広場が静まり返る。
みんな残酷だと言わんばかりに固まっている。
思わずバックルも言葉を失う。
だけど、絞り出すように反論した。
「だ、だが、ならば我々の怒りはどこへ向ければいい!?なぁ!」
バックルは共感を求めた。
だけど、もうこの場で上がる声はない。
苦しい悪あがきだ。バックルは自分の発言の間違いを認めたくないだけみたいだ。
クレイは空のかなたを見つめて拳を握りしめた。
「俺たちを襲った奴はまだどこかにいる。そいつに向かって好きなだけ怒りを吐き捨てればいい。少なくとも、この人に向けるのはお門違いだ」
バックルは何か言いたげに口をもごもごと動かしていたけれど、しばらくして黙って席に座った。
腹立たしげに僕らを睨むけれど、これ以上何も言えないみたいだ。
一連の口論を見守っていた村長だったけれど、咳ばらいをしてケインに席に戻るように指示をした。
ケインは鼻を鳴らすと自分の席に戻って腕を組んだ。
クレイも落ち着いて席に座り、村長の裁判進行の言葉を待った。
「ああ、本題に入る前に一人の罪は無いも同然になってしまったが、話を続けよう。しかし、このまま罪人二人が消耗しきったままでは二人の意見は聞けないな。すまないがアルステム殿、この二人を治療しては貰えませぬか」
「はい、お任せを」
村長の頼みを聞き入れると、アルはその場で治癒魔法を二人に使用した。
緑色の優しい光がキャスヴァニアと男性を包み込み、全身の怪我を治していく。
二人は怪我が治るとようやく自分の力でその場に立ち、広場に向けて視線を滑らせた。
「では二人とも、声が出るようになったのなら自らの名を述べよ」
村長はキャスヴァニアと男性に向けて命令をする。
二人は体をびくつかせるとおずおずと前へ出た。
「きゃ、キャスヴァニア・ウルティメアド、です」
「ティノ・クロイド……」
もはやティノと名乗った男性に向けての怒りはこの場にはなかった。
でも、キャスヴァニアには強い憎しみが向いている。
一部、救助されて心を許したのか恨んでいない人もいるみたいだけど、それでもベルモット家を襲った事実はみんなの中から簡単に消え去ることはない。
村長は二人の自己紹介を聞き終えると、大きな声で宣言する。
「では、これより罪人、キャスヴァニア・ウルティメアド、及びティノ・クロイドの今後の処遇について話し合うこととする!」
どうやら裁判と銘打っておきながら、発言権を持った人たちが自由に話し合って決めるようだ。
ティノに関してはもう心配はいらない。さっき決まっちゃったからね。
しばらくは暇だろうけど、我慢して待っててね。
問題はキャスヴァニア。
A級指名手配のキャスヴァニアについては無罪を主張するのが非常に難しい。
さて、どう出ようか。
「まずはあなたが今までに犯した罪を教えてください。それが無いと判断のしようがありません」
初めにユーリが落ち着いた声でキャスヴァニアに問いかけた。
キャスヴァニアはビクッと震えた後にしどろもどろに罪を告白し始めた。
「お、俺様の罪は主に、強盗殺人です……。お金を持っていそうな人を、襲って、殺して、金品を奪いました……」
「数は?」
「お、覚えていません。だけど、貴族の屋敷に忍び込んで、警備の人も含めて全員殺害したこともあります……通りすがりの冒険者のパーティも殺したことがあります……」
キャスヴァニアは馬鹿正直に自分の罪を告白する。
観覧席はキャスヴァニアの犯した無慈悲な犯罪にどよめく。
そして、自信のないキャスヴァニアの態度にイライラを募らせている。
「そうですか。では、今回の事件では何をしていたのか教えていただけますか?」
「あ、はい!そこのお兄さんに命令されて人を縛って家に運びました!」
キャスヴァニアは急に元気になってケインの方を見る。
ケインは笑顔を浮かべているキャスヴァニアに呆れながらため息をついた。
「そうですか。ではケインさん」
「あ、はい!」
ユーリに声をかけられ、つい姿勢を正して礼儀正しく返事をするケイン。
「なぜあなたはA級犯罪者であるキャスヴァニアと協力したのですか?」
ユーリは毅然とした態度でケインに問いかけた。
ケインは緊張気味に口を開く。
「自分が村人たちを傷つけまいと奔走していた所、この盗賊が『手錠を解け。そうすれば協力する』と言って自分のことを追い回してきたため、埒が明かずに手錠を破壊してしまいました。すると、盗賊は逃走する意思も見せずに素直に自分に従ってきたため、協力して村の人たちを救うことにしました」
「そうですか」
ケインの説明に対して穏やかな表情で聞き届けるユーリ。
なんだか順調に話し合いが進んでいる。
いい感じだ。このまま行こう。
「しかし、あなたがA級犯罪者の手錠を壊したことに間違いはありません。盗賊が暴れる可能性は考えなかったのですか?今以上に村に被害が出る恐れはなかったのですか?それとも、盗賊が自分に従う確証があったのですか?」
ユーリの鋭い質問攻めがケインを襲う。
やばい予感。
ケインは息を飲むとユーリから視線をそらし、考えながら返答する。
「……いえ、確証はありませんでした。むしろ危険だと判断していました。しかし、いつまでも纏わりつかれていて自分も判断力を欠いており、手錠を壊してしまいました」
「それでは、あなたは一歩間違えれば村に必要以上の危険を与えていた、ということになります。あなたは村の英雄でも何でもありません。ただの愚者です」
ユーリは優しい声色で、ケインを追い詰める。
ケインは何も言えない。苦しい表情で地面を見つめている。
この話し合いの場で厄介なのはバックルじゃなかった。
冷静な判断で正論をぶつけてくるユーリだ。
バックルは先の討論で言い任されて発言する気力を失っているから問題はない。
でも、ユーリは自分が間違っていると感じる考えにまっすぐな疑問をぶつけてくる。
そして、厄介な理由がもう一つ。
村人たちのケインへの怒りを感じる。
ユーリの言葉に同調して、ケインの軽率な行動に腹を立てている。
それもそうだ。ユーリは村人たちから多大な信頼を集めている。
ユーリの意見がよっぽどおかしくない限り、村人たちはユーリを支持して同調し、結束力を固めるだろう。
これからキャスヴァニアを救うために間違った方向へ議論を引っ張る気の僕らにとって、ユーリの存在は最悪だ。
『気を付けて、クレイ。軽率な発言は足を掬われてこちらが不利になる』
クレイも幼い頭でわかっていた。
今、ケインを討論の場に連れ戻そうと必死に考えているように見える。
だけど、下手に発言すればクレイまで発言権を失ってしまう。
この場は、見捨てるしかない。
「罪人キャスヴァニア。あなたは確かに常駐兵ケインと協力して村の混乱を鎮める手助けをしてくださりました。ですが、何故村を助けようと思ったのですか?」
ユーリは質問対象をキャスヴァニアに変えて問いかける。
キャスヴァニアは頭をひねる。
「なんでって、助けないと大変なことになるから?」
「聞いているのはこちらです。ふざけた態度はやめて真面目に答えてください」
「だ、だって人と人が殺し合うのはいけないことだから!俺様、確かに悪いことしてきたけれど、でも、殺すのはいけないことだから!」
キャスヴァニアは一生懸命に自分の考えを答える。
「お黙りなさい!あなたは嘘をついているように見えます!どうせ我々を助けたのも気まぐれ。その我々を馬鹿にした幼稚な喋り方を聞けばわかります!」
しかし、ユーリの目にはキャスヴァニアが真面目な態度に映っていない。
当然、キャスヴァニアの性格が六歳の子供同然になっているなんて知りもしないからだ。
ユーリの言葉に共感して村の人たちの怒りが盛り上がる。
「全くだ!馬鹿にしてるのか!」
「ベルモット夫妻も、そうやっておちょくって殺したのか!」
「恥を知れ人殺し!」
村人たちの罵声がキャスヴァニアを襲う。
キャスヴァニアはすっかり怯えきってその場にしゃがみこんでしまった。
続いてキャスヴァニアに向かって村人たちが石を投げ始める。
「ごめんなさい!ごめんなさいぃ!投げないで!投げないでぇ!」
キャスヴァニアは泣いて許しを請いながら震える。
村長が慌てて村人たちを鎮めようとするけれど、村人たちの怒りが収まる気配がない。
どうしよう。どうやって反論しよう。
キャスヴァニアの中身が六歳の子供だって教えるか。
でも、ユーリが「盗賊の言葉を信じるのか」と問いかけてくればおしまいだ。反論できない。
じゃあ噓の証言でキャスヴァニアは今までティノ同様操られていたって言うか。
だめだよね、危険すぎる。
矛盾を突かれてしまえばこちらの発言権を失い、下手をすれば無罪になったも同然のティノを再び冤罪の危機に晒すことになる。
一体、どうやって弁護すればいいんだろう。
どうやってキャスヴァニアを助ければいいんだろう。
「ユーリさん。質問をしてもいいですか?」
盛り上がり切った空気の中、クレイが口を開いた
大丈夫かな。何か秘策があるの?
ユーリは毅然とした態度を崩さないままクレイに向き合って話を聞く姿勢を見せた。
「ユーリさんは、俺に陰口を言っていた中心人物ですよね?」
何言っているんだろう、こんなところで。
クレイは周りの空気が冷え込むのも関係なしに、堂々とした態度を貫いている。
「この場では関係ない発言は控えてもらえますか?今は盗賊について話し合っています」
ユーリは態度を変えずにクレイの質問をねじ捨てる。
「いや、関係ある。貴女は俺のやっていないことを平然とあるかのように話して、周りに言いふらす。そんな人だった」
クレイは怒りを込めた眼差しをユーリに向けながら、ユーリの悪事を大勢の前で晒す。
自分の大嫌いな育ての親ですら、村人たちの非難の的にならないように穏便に処理したのに。
クレイは一体どうしたんだろう。
確かにユーリはしょっちゅう目にしていた。
村に出てくるたびに真っ先に現れて、クレイの陰口を言い始めていた。
でも、それが一体この場でどう関わってくるっていうんだろう。
「私の今までの行動を怒っているのですね。いいでしょう。後ほどきちんと謝ります。しかし、この場では罪人、キャスヴァニアの話をしています。後にしてもらえませんか?」
ユーリは反省している様子も見せず、めちゃくちゃな話題を切り出したクレイを窘める。
でも、クレイは一歩も引かない。
「村人たちの気持ちを操って楽しいか?」
クレイは冷めた目でユーリを見つめた。
ユーリは口元を一瞬歪ませると呼吸を整えてすぐに穏やかな表情に戻した。
「先ほどから何が言いたいのかわかりません。ちゃんと話しなさい。話が途切れ途切れで、気持ち悪いですよ」
「ああそうか。わかった、ちゃんという」
クレイはため息をつくと決意を握り、拳を膝に乗せた。
「あんたは村人たちの望む答えを出すのが得意だ。それに、いつも穏やかな物腰でみんなに接している。だからあんははみんなに好かれやすい。それが嘘の態度でも」
「嘘?いいえ、私は普通に」
「話が途切れ途切れで気持ち悪いって言ったのはあんただ。俺に最後まで話をさせろ」
自分の発言に口を挟んだユーリを強い口調で止めるクレイ。
ユーリは穏やかな表情を歪ませ、口を閉じる。
「嘘の態度でも、みんな騙された。俺は遠くから見ててあんたには吐き気がしてた。いつしかあんたの言うことは全部正論になった。九割本当で一割嘘でも、みんなあんたが言うんだからそうに違いないって信じていた。あんたは、その信頼で好き勝手やってたよな。俺以外の奴も、そうやって陰で陥れて、陥れた相手に優しくしてまた信頼を勝ち取って」
村人たちの方が騒がしくなる。
何人か心当たりがあるみたいだ。
僕はユーリのことはよく知らない。だけど、クレイが嘘をついているようにも見えない。
じゃあ、クレイは昔から、ユーリのことはよく知っていたんだ。
「俺があんたの話をし出したのには理由がある。一つはこの場面でも自分の正論で村人たちからの同調を集めて気持ち良くなろうとしていること。一つはそのために村を救ったケインを陥れたこと。俺は特に二つ目が気に食わない。だから今、ここであんたの胸の内を晒した」
ケインは名前を呼ばれて、暗い気持ちを浮かべたままクレイを見つめる。
クレイはユーリが許せなかったんだ。
友達を、その他自分の気持ちを高ぶらせるために多くの人たちを利用したことを。
自分だけが対象になるのはよくっても、他の人が巻き込まれているならクレイは容赦なく鉄槌を下す。
クレイはそんな奴のようだ。
ユーリは自分の今までの行いを暴露され、穏やかに取り繕っていた心の中を黒い雲で覆いながら、クレイを睨みつける。
「みんなもおかしいとは思わないか。キャスヴァニアはともかく、ケインが村を救ったのは事実だ。ケインは確かに一歩間違えれば村を壊滅させていた判断を下した。だけど、結果も見てくれ。さっきまでみんなケインを褒めていたのに、ユーリの意見で真逆に責め始めるは変だと思わなかったのか」
観覧席からざわめきが聞こえる。
クレイの演説を聞き、ユーリに不信感を抱いた村人たちが困惑している。
ケインはそれでも自分を責めている表情で浮かばれる様子はなかった。
クレイはケインを見ると大きな声を上げる。
「ケイン、本当に確証はなかったのか?キャスヴァニアが言うことを聞くっていう確証は」
ケインは名前を呼ばれてギクッとした顔をする。
そして少し考えこむと控えめな声で語り始めた。
「……キャスヴァニアは様子がおかしかった。操られている村人たちに自分が襲われているにも関わらず、反撃を一切せずにその場で逃げ惑っていたんだ。拘束があって暴れられなかった訳じゃない。駐在兵に連れてこられる時も抵抗できる力があったし、俺を追いかけまわした時に足枷の重りをまるで草玉を転がすみてぇに引っ張ってた。だから、心のどこかで手錠を壊しても壊さなくても同じだと思ってたし、もしかしたら本当に言うことを聞くんじゃないかって考えもあった」
ケインは素直に自分の考えを述べる。
クレイは観覧席の人たちを眺めた。
みんな、ケインから事件時の詳細な考えを聞き出せて意見を変えている。
ユーリに議論をコントロールされて出てこなかった情報のせいで、印象が百八十度変わっている人もいるように見える。
「でも、軽率な行動だったことは確かです。彼はA級犯罪者を解き放ちました」
ユーリはむしゃくしゃした気分を抑えながらケインの行動を戒める。
クレイはユーリの言葉を聞くと大きく頷いた。
「でもそれは仮定だ。結果も見てくれ。ケインの行動は間違いなく多くの人たちを救った。ケイン、聞くけど、お前は今回の自分の行動をどう考えている?それで、村を救った結果についてどう思ってる?」
ケインはクレイの問いかけに対して少し悩んだ後、意を決してその場で立ち上がって頭を下げた。
「俺は!今回の行動で馬鹿なことをしたと思っている!正直、やろうと思った時も牢にぶち込まれる覚悟はした!でも、それで人々を救えたことは誇りに思っている!俺を愚かだと思う人は存分に罵ってくれ!罰が必要だと思う奴は好きなだけぶん殴ってくれ!全部受け入れる!」
ケインの決意を目にして、村人たちはざわめく。
しかし少しの後、観覧席からは拍手が巻き起こった。
ケインの行動は許されたんだ。
ケインは優しい笑顔と共に拍手を送る人々に対して、「すまなかった」と一言伝えると席に座った。
一方でユーリの顔色は優れない。
そりゃ一方的に悪者にされて、自分が一度責め立てた人間を許されて、気分のいいものじゃないだろうね。
僕もクレイがここまでするとは思ってなかった。
イアンの時は隠れて告発するくらいに人目につくのを嫌がったのに。
『クレイ。イアンよりもユーリの方が嫌いなの?こんな場所で晒してまで悪事を暴いていたし』
『好き嫌い以前の問題だ。俺はユーリを許せない』
僕の問いの答えには、クレイの固い意志が見えた。
僕はそれ以上何も聞けなかった。
クレイは続けてキャスヴァニアに問いかける。
「キャスヴァニア。お前、俺が会った時とは人が変わったよな。なんでだ?」
地面に塞ぎこんで怯えていたキャスヴァニアは、クレイの問いかけを聞くとゆっくりと体を起こし、泣きながら答え始めた。
「え、えっと……俺様は、昨日の晩、駐在兵にメイスでめいっぱいぶん殴られました」
メイスで!?メイスってあの棒の先っちょにすっごい鉄の塊が付いているやつでしょ!?
よく生きてたね!どんな頭してんの!?
「それでね、痛いのと同時に昔の記憶を思い出したの。六歳くらいの時の。そしたら俺様が今までやってきた酷いこととか、悪いことが全部嫌になって、だからかな」
キャスヴァニアはめそめそしながらもたどたどしく、思い出した時のことを語った。
村人たちは困惑の表情でキャスヴァニアを見つめている。
「おい、ちょっと待ってくれ!じゃあ今のコイツは一体なんなんだ?」
今まで黙っていたバックルがキャスヴァニアを指さしながら久々に声を上げた。
キャスヴァニアはバックルに指を指され、咄嗟にその場で頭を守ってしゃがみ込む。
「六歳の子供と同じ精神状態になっていると俺は推測している。それと同時に、自らの犯してきた犯罪に対して激しい嫌悪感と罪悪感を持っていて、非常に深い反省もしていると見れる。俺は、今のキャスヴァニアは許すべきなんじゃないかと主張する」
クレイはついにキャスヴァニアの無罪を主張した。
すると、ユーリは反撃の機会を待っていたとばかりにその場に立ち上がり、勝ち誇った表情でクレイを見た。
「クレイ。貴方が言っていることはおかしいです。キャスヴァニアの精神年齢が六歳にまで落ちているという情報はキャスヴァニア自身の口から出た情報でしかありません。それに犯罪に対する意識も全て推測でしかありません。それを貴方はまるで全て事実のように誇張し、キャスヴァニアの無罪を主張しました。自分が愚かだとは思わなかったのですか?」
流石にユーリに不信感を持っていた村人たちからもキャスヴァニア無罪に対する疑問の声があがる。
「俺は無罪の主張はしていない。今はキャスヴァニアを許してもいいと言ったんだ」
「あら、言葉の意味を理解していないのかしら。どちらも同じでしょう?それとも本当におかしくなってしまったのかしら?」
クレイの主張にユーリは馬鹿にした態度でつけあがる。
クレイは苛立ちを抑えながら頭を抱える。
「キャスヴァニアのやったことは到底許されるべきじゃない。中身が六歳だろうと全部罪は償わせる必要がある。だけど、俺が今言っているのは今のキャスヴァニアを許すこと。つまり、反省して村の人たちを救う手助けをした分、キャスヴァニアに猶予期間を与えることを許可したいんだ」
その場に居る全員の表情から力が抜けた。
呆気にとられた。
ユーリもなんだそれはと言わんばかりに口をぽかんと開けたまま固まっている。
「強い反省が本当かどうかは定かじゃない。でも村の人たちを救ったのは事実だ。それを一方的に気まぐれだの戯れだの決めつけて、思考停止した状態で有罪判決に持っていこうとするその精神の方がおかしいと思う。反省しているかしていないかなんて不確定だ。だけど、村は救われた。じゃあ、その分猶予を与えてやったらどうなんだ?」
クレイは自論を展開する。
クレイの主張を聞いて村人たちの意見は二手に分かれ、観覧席の間でも議論が始まる。
キャスヴァニアに償いの猶予期間を与えるか、さっさと王都へ送りつけるべきか。
ユーリは反論を練ってしばらく唸っていたが、何か思いついたのかひねり出すように声を出す。
「だ、だったらキャスヴァニアの被害にあった人の意見も聞こうじゃないの!それが確実よ!村長、アスレイナを呼んでいただけませんか?」
「何を言う。アスレイナはキャスヴァニアに殺されかけたのだぞ。顔を見合わせるのも嫌なんじゃ。この場には出せぬわ!」
ユーリは最後の切り札を出そうとしたけれど、村長がそれを拒んだ。
よかった。この場にアスレイナが出てきたら勝ち目は無くなる。
このまま押し続ければ、キャスヴァニアがこの場での一旦の無罪を勝ち取ることは難しくない。
キャスヴァニアを救うことができる。
「どいてください!」
その時、観覧席から鈴の鳴るような声が聞こえた。
特徴的なあの声だ。
リンッと鳴るようなその声は、人の波をかき分けて、キャスヴァニアへと近づいていく。
そして、その姿を現した。
アスレイナだ。
名前を呼ばれて出てきてしまった。
「……アスレイナ・ベルモットです」
アスレイナは観覧席に体を向けると、固い表情で挨拶をした。
そして、そのまま振り向くとキャスヴァニアに向かって歩いて行った。
怯えてしゃがみ込んでいたキャスヴァニアと固い表情を浮かべたアスレイナが対面した。
まずい。
このままじゃ負ける。
アスレイナは絶対にキャスヴァニアを許さない。
辺りはシンと静まり返って、クレイもユーリも声を出すことは出来なかった。
被害者と加害者は見つめ合ったまま。
静寂の時間が過ぎる。
次の瞬間、キャスヴァニアが大粒の涙を流しながら、アスレイナに深く深く頭を下げ始めた。
「ごめ、んなさい。おれ、私は、あなたの家族を、奪い、ました」
涙声もたどたどしく、苦しそうに肩を上下させながら謝罪の言葉を紡ぐ。
「あなたのことも、傷つけ、ました。とても、とても痛そうに泣いていたのも、覚えています。あなたのお父さんと、お母さんが、一生懸命、あなたを守っていたことも、覚えています」
後悔の念を強く抱き、声を震わせ、地面に頭を擦り付け、懺悔する。
「おれ、私は、許されないことを、しました。ごめんなさい。でも、もうやりません。何でもします。だから、許してください……」
キャスヴァニアは母親に叱られた子供のようにアスレイナに許しを請う。
アスレイナはキャスヴァニアの低い頭を見下ろして、口をへの字に曲げていた。
幼い眉間にはしわが寄っていて、小さな手にはこれ以上にないほど力が込められていた。
アスレイナの口が開かれる。
「もう、痛いことしない?」
素朴な疑問だった。
怒りよりも憎しみよりも、何よりも先に出てきた言葉がそれだった。
キャスヴァニアは顔を上げると涙と鼻水でぐしょぐしょになった顔をアスレイナに向けた。
「うん」
キャスヴァニアは涙で前も見えないほどに泣いて返事をする。
「後悔してるの?」
「うん」
「私のパパとママ、許さないって言ってたよ」
「ごめんなさい」
「助けてって言ってたのに、なんで助けてくれなかったの」
「ごめん、なさい」
幼い声がキャスヴァニアを責め続ける。
次第にアスレイナの声にも震えがこもり始める。
アスレイナはしばらくキャスヴァニアを責め続けた後、大粒の涙を流して言い放った。
「私、あなたのことが大っ嫌い。だけど、悪い人じゃなくなったのはわかる。もうやらないんだよね。反省しているんだよね。じゃあ、約束して。パパとママを殺した分、良い人になってくれるって!」
幼いけれど、複雑で難解な答えだった。
悔しい気持ちも恨む気持ちも全て我慢して、目の前の罪人が反省することを祈って送り出すことを決意した。
本当は罰したいはずなのに。
「いいの?あなたが許さないと言えばこの女は死刑にでも何にでもできるのよ?」
幼い覚悟に、水を差す女がいた。
「この女はあなたの両親を殺したの。わかっている?それもすっごく酷くて惨い方法で。あなたも経験したでしょう?わかっているはずよね?」
女はアスレイナに近づくと、一度した決断を揺るがそうと悪魔のささやきを繰り返す。
そして、アスレイナの肩に優しく手を置いた。
「やめてよ!私はこの人を許さない!だからパパとママの分も絶対に良い人になってもらうんだから!」
ユーリの手を力強く振り払うと、アスレイナは力強く自分の覚悟を宣言した。
途端に辺り一面からブーイングの嵐が巻き起こった。
「どいて!その子が自分の意思で決断したのよ!」
「そうだ!そうやって今まで俺たちの心も操っていたのか!この卑怯者!」
「あんたもティノさんを操ってた奴と同じだよ!許せない!」
ユーリは観覧席に視線を向けると、足をわなわなと震わせ恐怖した。
そして、その恐怖を次第に怒りに変えて、その場で靴を脱ぐとクレイに向かって投げつけた。
クレイはその靴を手で受け止め、その辺に投げ捨てる。
「アンタのせいだよ!!このっ、化け物めぇ!!」
本性を現したユーリはクレイを罵倒しながらもう片方の靴も投げようと構える。
慌てた村長の指示で村人たちが出てきてユーリを取り押さえる。
「あたしのことを散々暴露しやがって!あたしの意見を全部台無しにしやがって!もう村人たちはあたしのことなんて信じやしない!今まで散々積み上げてきたもんを、あんたはまとめてぶち壊した!許さないよこのクソガキ!!」
クレイは冷めた目で村人たちに捕まるユーリを見つめる。
そして、望みの無い冷めた声で問いかけた。
「なあ、最後に聞くけど。あんた、マクスウェル・ジンを覚えているか?」
「知らないよ!関係ないことを抜かしてんじゃないわよ!」
怒りに身を任せて即答するユーリ。
村人たちはその名前を聞いて、全員がその場で動きを止めた。
クレイは泣きそうな顔になってユーリを睨んだ。
「あんたがあらぬ噂を流して村八分にして、絶望した結果自らを死に追い込んだ人だよ」
ユーリはようやくマクスウェルについて思い出したのか、顔面蒼白になって暴れるのをやめた。
「あんたはマクスウェルが俺と一回話をしたってだけで村の人たちに悪い噂を流し、マクスウェルをのけ者にした。俺は慣れていたけれど、マクスウェルは耐えきれずに噂が流れて一か月もしないうちに自死を選んだ」
クレイは村で過去にあった事件を語る。
初めて僕がクレイと感覚を共感できるようになった時、クレイが村で他の人に視線を向けないように俯いて歩いていたのには他にも意味があったんだ。
自分と他の人が友好的に接触して、ユーリのターゲットにならないように気を付けていたんだ。
「村の人たちは噂を信じていたから仕方ない。だけどあんたは違う。あんたの流した噂のせいで何の罪もないマクスウェルは死んだ。村の人たちは後悔をしていたけれど、あんたは欠けらも後悔をしなかった。そして、また今日も同じようにケインを追い詰めて、自分の信頼のための餌にしようとした」
クレイはユーリの罪の全てを見てきた。
それでこの会議でケインがマクスウェルと同じように食い物にされるのを黙って見ていられなかったんだ。
「だから俺はあんたの罪をこの場で暴いた。多くの人の目につくことで、反省してもらう気だった。でも、あんたは自分が死に追いやった人の名前も覚えていないんだな。そして、今も自分が反省する気は微塵もない」
クレイは全てを見通す目でユーリを睨みつけた。
ユーリは蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなり、そのまま青白い顔で謝罪の言葉を繰り返した。
クレイに人の心が読めるなら、僕は更に細かく人の気持ちがわかる。
ユーリは謝っている。後悔している。
だけど、心の内はまだまだ真っ黒だ。
反省の色は全くない。むしろ、クレイに対する怒りで爆発しそうだ。
こんな人、放っておいたらまた同じことを繰り返すに決まっている。
流石に僕も許せない。
『クレイ、この人どうするの?』
「……村長。ユーリのことは村長たちにお任せします」
クレイの頼みを聞き入れると、村長は村の人たちに指示してユーリを広場から連れ出した。
ユーリは許されないと知るや否や、罵詈雑言を吐き散らしながら消えていった。
とても、醜悪な人物だった。
その場は騒然となっていたけれど、村長の号令でみんな次第に治まっていった。
そして、村長は話をまとめると議論の進行に戻る。
「では、ティノは無罪、キャスヴァニアは猶予期間を設けた有罪、ということに決定したな?」
村長は発言権を持つ僕らに問いかける。
と言ってもユーリはいなくなってしまったし、バックルはさっきのクレイの無双を見て何も意見する気が無くなってしまっている。
決定権があるのはクレイとケインだけになったようなものだ。
「異論はありません」
「同じく」
クレイとケインは異を唱えない。
キャスヴァニアは無罪にはならなかったけれど、与えられた猶予期間の中で村人たちに無害であることを証明できればそれでいい。
それでも許されなかったらその時はその時だ。
村長は二人の言葉を聞くと大きく頷き、口を開く。
「では二人の判決はこれにて決定!と、言いたいところじゃが」
村長は姿勢を崩すとその場でうろうろと動き回り始めた。
「しかしながらわしら村の判断だけで二人の処遇を決めることは出来ん。本来、罪人は例外なく全て王都へ輸送。王都にて裁判を行い罪と罰を決めることになっておる」
はえ?じゃあなんでこの場で話し合ったの?
今までの時間意味なかったじゃん。
ユーリの罪が暴かれただけじゃん。
すると、村長はいたずらに笑う。
「ということじゃが、わしらが怒り任せに二人を殺したことにしてしまうのはどうじゃろうか?なぁに、わしが王都にそう連絡しよう。死体も渡さんでよい。損傷がひどくて回収が面倒だからたい肥に混ぜたと伝えておく」
なるほどね。村長も悪い人だ。
僕らからも、村人たちからも異論は出なかった。
「では、というわけで議論の結果、A級指名手配『深紅の炎』キャスヴァニア・ウルティメアド、及び今回の事件の主犯、E級犯罪者ティノ・クロイドはこの場で処刑とする!」
村長の判断を受け、観覧席から議論を見守っていた村人たちは声を上げた。
キャスヴァニアとティノは茫然とした表情で固まり、クレイとケインは何も言わなかった。
議論の結果は決まったんだ。
もう、覆すことは出来ない。
「よし、ではティノの拘束は解いてやれ。処刑扱いとなった以上元の町へは戻れんが、この村も居心地は悪くないぞ。キャスヴァニア。お主はしばらくクレイの監視下で村の奉仕じゃ。心して励むように」
そういうと村長が指示を出してティノの拘束は解かれた。
ティノは村長と村人たちに感謝と謝罪の言葉を述べ、観覧席へと移動した。
キャスヴァニアは小さな手錠と片足に重りだけをつけた拘束に変えられ、クレイの隣に椅子無しで座らされた。
キャスヴァニアは地面に座ると、村人たちに深々と頭を下げる。
「おれ、私は、今までの罪を償うため、この村のために尽力を尽くすことを誓います」
村人たちの中ではまだキャスヴァニアに怒りを向けている人たちも多い。
少しずつ、少しずつ償っていこう。
その後は村の今後について話し合った。
村全体で隠し事が出来てしまった以上、跡片付けは自分たちでやることに決めた。
秘密を秘めた箱はみんなで閉じてこっそりしまっておく。
ユーリについては、村から追い出すわけにもいかないから反省するまで牢の中に入ることになった。出てこれるのはいつになることやら。
さて、一番の問題は村を襲った相手についてだ。
狙いが僕の力である以上、再び魔の手が伸びてくる可能性は十分ある。
まだ今回の騒動はクレイの中にある魔王が原因だとは村の人たちには話していない。
言っていたら今頃こんなに友好的じゃない。知ったらクレイを追い出そうとしているに決まってる。
クレイは話すか話さまいか迷っていたようだけど、僕が言わないように助言しておいた。
一旦、いつ再び村を狙うかわからない以上、警戒を怠らないという形で会議は終了した。
長かった緊急会議はようやく終わった。
気づけば夕方になっていた。そろそろクジラさんも帰ってくるだろう。
『クレイ、お疲れ様。見事だったね、議論無双』
僕は心の中でクレイを撫でて労った。
クレイは一瞬恥ずかしそうにしたけど、褒められたことがあまり嬉しい内容じゃなかったからか、すぐに冷めた表情になってしまった。
『俺は私情でユーリを罰した。これでよかったのか』
悲しそうな目でユーリが入れられているであろう牢の方角を眺めるクレイ。
『ユーリの罪はクレイだけが被害者だったわけじゃないよ。クレイはみんなを救うために立ち上がったんだから、自分のことを誇りなよ。それに人が人を懲らしめるから罰なんだ』
僕はそれらしいことを言って、クレイを励ましておいた。




