017 不本意な罪に罰はあるか 其の二
僕とクレイは村に着くと目を疑った。
村を飾っていた雪景色が、辺り一面赤に変わっている。
転がる村人たちの死体、中には兵士の死体もある。
そして、僕らが到着してもなお続く乱闘。相手が誰かもわからずに殺しあう人々。
それでも、殺しあうみんなの中にある感情は怒りや憎しみなんて感情じゃない。
恐怖だ。
「違う!殺すつもりはなかったんだ!」
「助けて!助けて!」
操り人形にされた人々の、恐怖に染まった悲鳴が辺り一面に響いている。
想定以上に、惨く、混沌としすぎている。
だけど予定通り、僕らは大元を見つけ出して叩く。
いくら目の前の人たちを救いたくっても、一人一人相手にしていたらキリがない。
クレイは周りの状況を無視して走り出した。
『わかってるね、クレイ』
『ああ、さっさと村の北に走って元凶の囚人を潰す』
クレイの胸には怒りが沸いていた。
純粋な、この事件の犯人への明確な、憎しみ。
だけど、殺意ではない。
クレイはこんな状況で、大勢の人たちが命を落としているにもかかわらず、犯人まで無力化しようとしている。
そう、命を奪うことなく。
まったく、どこまで甘えた思考なんだ。
『クレイ、犯人は手ごわいと思う。それに、犯人を無力化しても村人たちの乱闘は終わらない可能性がある』
クレイは僕の説明を黙って聞く。
だけど、小さな不安が胸の中に灯ったのがわかった。
だからクレイは返事をしない。
でも、僕は容赦なく現実を突きつける。
『犯人を説得しようだなんて思わないで。殺して』
クレイが僕の言葉を聞いた瞬間、下唇を噛みしめるのが分かった。
胸の中で不安が大きく膨らむ。
覚悟しなよ、クレイ。
こんな状況じゃ甘えてもいられないんだ。
ふと、脇の民家で村人二人が嫌がりながらも家に押しかけているのが見えた。
家の扉を力任せに道具で殴って、もうじき家の中に突入しそうな勢いだ。
人は通れそうにない小さな割れた窓から、中の様子がチラッと見えた。
――村長と子供たちだ!中で身を寄せ合っている!
『クレイ!あの家に村長と子供たちがいる!流石に見捨てられない!』
『元凶は?』
『確実に殺されちゃうってわかっている命の方が最優先!』
『わかった!』
クレイは軌道を修正すると村長たちが籠城している家の前に突っ込んだ。
そして、申し訳ないけれど村人二人の胴に向かって一撃ずつ食らわせた。
村人たちは余りの痛さに腹を抱えてうずくまる。
だけど、すぐに体を操作されて無理やり向かってくるはずだ。
「村長!外の村人を一旦退けました!今の内に皆を連れてもっと丈夫な扉の家へ!」
村長はクレイの言葉を聞くと、ゆっくりと扉を開けて顔を出す。
そしてクレイの姿を見止めると細い目を見開いてわなわなと震える。
「おお、クレイ!なんと、またお前はわしらを救ってくれるのか」
「時間はありません!早く!道は俺が開きます!」
クレイの必死な声に応え、村長は泣きじゃくる子供たちを中から呼び出した。
思ったよりも大勢の子供たちが、泣くのも我慢して中から出てくる。
クレイより大きい子から、その子が抱きかかえる一歳くらいの子まで年齢は幅広い。
だけど、見知った顔の子供が一人、この場にはいない。
それは、今この場で詮索している暇はない。
「ここから近くて扉が頑丈で、正面口の他に侵入できる経路もない建物はありますか?」
「村の中央、共有倉庫の中じゃ!扉は中から閂を使って閉めることができ、村が魔物に襲われた際の避難所にも使えるように作られておる。いざという時は中の避難経路を通って近隣村近くまで行くこともできる」
最高!村の中央ならばここからも近い!
クレイは位置を教えてもらうと、すぐに周りの安全の確保に回った。
「俺に構わず突き進んでください!早く!」
「わかった!」
村長たちは大移動を開始する。
周りの村人たちは乱闘になっていていつ襲ってくるかわからない。
道じゃない場所も通るから、足に雪がまとわりついて遅れる子もいる。
すかさずクレイが周りに注意を向けつつも遅れている子の手を引いてカバーする。
「うっ、ありがと……」
「気にすんな。逃げ遅れたら困る」
その子供は前にクレイに石を投げた子供だった。
だけど、今は関係ない。思い出している暇さえ惜しい。
クレイにできることは一刻も早く共有倉庫にみんなを避難させること。
クレイだって、この子が前に自分をいじめていたことを気にしてはいないのに、僕が気にする必要はない。
その時、人の気配が真横から……!
あれ?消えた。
クレイも勘付いてそちらを警戒したけれど、一瞬だけ視界に赤い何かが通っただけで、そこには誰もいなかった。
『気のせいだ。アギラ、他の気配は?』
『うん、大丈夫。大丈夫だけど……』
なんか、村の人の気配が一か所に集められているような気がする。
嫌な予感で胸がざわつく。さっさと子供たちの避難を完了させよう。
『警戒してね。気配はしないけれど嫌な予感はするから』
その後は何の問題もなく、村長たちを共有倉庫まで避難させることに成功した。
……やっぱり、村が静かになってきている。
だけど、村人の死体が増えているわけではない。
むしろ、みんな生きているけれど村の北側の方に固められている気配がする。
儀式か。
この騒ぎに乗じて、この事件の犯人は儀式を完成させるつもりだ。
内容まではわからない。
だけど、これだけの人数ならばB級の悪魔の類なら呼び出せる。
そうなったらこの村だけじゃない、近隣の村にまで被害が出てしまう!
早く向かわないと!
『クレイ、犯人の居場所がわかったかも。これから僕の指示する場所に移動して』
クレイは小目標を達成すると次の目的地に移動しようとした。
それを後ろから村長が声をかける。
「すまない!急いでいるだろうが、犠牲になった子供たちを除いてアスレイナの姿だけを見ていないのじゃ!見つけたら安全な場所に避難させてほしい!」
アスレイナは行方不明だったのか。
最悪の事態も想定して、アスレイナ捜索は優先順位を落として行うことにする。
クレイもそれはわかっていた。
村長の頼みを無言で受け取ると、クレイはその場から走り去る。
『村の北側入口よりも西の方角。そこに大勢の人が集められている気配がする』
『なんでそんなところに』
『儀式だ。人の命を使って何か企んでいる』
クレイは歯を噛みしめると、怒りと共に村を駆けた。
「なんで!なんでみんな殺しちゃうの!みんな悪くないのに!悪い人になっちゃうの!」
その時、聞き覚えのある鈴が鳴るような泣き声が聞こえる。
聞こえた方角に視線をやると、遠くの方で号泣するアスレイナが見えた。
アスレイナは殺しあう大人たちを前にして泣いていた。
そして、無謀にも大人たちに向かって行き、殺し合いを止めようとする。
大人たちは意思に反して子供のアスレイナを蹴り飛ばすと、アスレイナは地面に投げ出される。
先ほどまでずっとこうやって大人たちを仲裁しようとしていたんだろう。
体には無数のあざができていて痛々しい。
大人は大人同士で殺しあうのに夢中。だから、アスレイナは今までトドメを刺されていなかったようだ。
だけど、今回は違う。
倒れたアスレイナに争っていた村人が、二人がかりで道具を向けた。
今から自分たちの体が無慈悲な行為を行うことに戦慄しながら村人たちは叫んだ。
「逃げてくれアスレイナ!」
「早くしないと殺しちゃう!」
アスレイナを見つけるなり向かっていたクレイだったけど、間に合わないと判断すると即座に手にしていた木刀を投げ、村人たちの手にしていた道具を弾き落とさせる。
そして、ようやく距離を詰めることができると力を加減して村人二人の胸に掌底打ちを突き出した。
力を加減したとはいえ、強い衝撃に思わず呼吸を乱してその場に倒れこむ村人。
「殺さないで!」
間髪入れずにアスレイナがクレイの後ろから抱き着いてきた。
アスレイナの涙がじわっと冷たく背中に滲む。
クレイも村人たちと殺しあっているのだと勘違いしたんだろう。
「俺は大丈夫だ。殺さない」
クレイの優しい声に気付くと、アスレイナはクレイから離れる。
しかし、止めた相手がクレイだったとたった今理解したのか、アスレイナは怒りの表情を浮かべて声を荒げた。
「嘘だ!あなたは悪い人だもん!みんなを殺す気なんでしょ!」
アスレイナの中ではクレイは自分の親殺しの肩を持っている共犯者。
この村の中でクレイを嫌う気持ちは人一倍強い。
そして、クレイを疑う気持ちも人一倍強い。
だけど、説得している時間も惜しい今、申し訳ないけれどアスレイナには何も説明せずに安全な場所まで連れて行かないと。
『クレイ、アスレイナを』
「俺は、ここに来るまでに誰一人殺してはいない!」
クレイは僕の言葉を遮って強く宣言した。
真剣な瞳でアスレイナを睨みつけて、アスレイナはクレイの気迫に押されて口を結ぶ。
そんな時間は無いって言ってるのに。
「俺が殺したことがあるのは魔物と食料にした小動物、魚類だけだ!人は殺していない!お前の親を殺した女すら殺せなかった子供だ!だから今は信じろ!」
簡潔に説得するクレイ。
アスレイナは納得できるはずもなく、恐怖を忘れてクレイに言葉で噛みつく。
「あなたは人殺しを助けたでしょ!悪い人を許したでしょ!じゃああなたも悪い人なんだよ!」
「俺は悪くない!」
こんな非常事態に年相応に悪い悪くないの喧嘩を始めるクレイとアスレイナ。
全く、早く止めないと取り返しのつかないことになるっていうのに。
だけど、クレイの中でもアスレイナとの会話に決着がつけたかったみたいで、この場で引き下がる様子は全くない。
「人を殺すのは悪いことなんだよ!だから、殺さないとだめなの!!」
「じゃあ、今ここでこの人たちを、人を殺した村人を全員殺せっていうのかよ!!」
クレイの怒鳴り声にアスレイナはハッとした表情を浮かべる。
自分の意見にひびが入ったのが分かったんだ。
クレイは立て続けに自分の見解をアスレイナに押し付ける。
「この人たちは自分はやりたくないのに人を傷つけてしまっている。殺しあっている。だからと言って、この人たちを容赦なく殺していいのか?!恐怖と後悔の気持ちでいっぱいのこの人たちを!」
「違うもん、この人たちは……悪くないもん!だけど、あの人は悪い人だったもん!だから、殺さないと……」
アスレイナは幼い言葉で必死に自分を正当化する。
凄惨な事件で唯一生き残った被害者だ。
この怒りは当たり前で、アスレイナにはクレイの言っている言葉を全て否定する権利がある。
だけど、クレイはそれでも、自分の意見を曲げずに開き直った。
「じゃあ、もしアイツが何かに操られて人を殺してたらどうする?そうじゃなくても、他の事情で仕方なく人を殺さなければいけなかったと知ったら?知ったのがアイツを殺した後だったら?そうでなくても、例え相手がどんな奴でもいたずらに殺しちゃいけないんだ!」
クレイの意思は曲がらない。
僕とのくだらない喧嘩と違って、絶対に途中で議論を諦めない。
アスレイナに命の重みという物を絶対に認めさせたいようだ。
アスレイナは涙を溜めて首を横に振る。
「だって、だって……!じゃあ……証拠を見せてよ!あの人が悪くない証拠!」
「それを確かめるために、生きたまんま捕まえたんだ。本当に悪人なのか、そうじゃないのかを調べてもらうために」
クレイは本当はそうでなくても殺すことはしないと心に決めているのに、アスレイナが納得するように言葉を変えて言った。
アスレイナは言葉を失った。
自分の両親が殺された理由がわからなくなった。
悪い人に殺された、だからその人が全部悪い。それがわかっていたから後はひたすらその人を憎めばいい。
子供の思考なら普通はそれで十分だったのに、クレイは不相応で複雑な考えを押し付けてしまった。
誰かに殺された。その人は実は悪い人じゃないかもしれない。じゃあ、なんで両親は殺されたのか。自分が殺されかけた意味とはなんだったのか。
どうやら議論の時間は終わりのようだ。
こちらに猛スピードで向かってくる気配がある。
待て、この勢いは早すぎる!
クレイは慌てて向かってくる相手を視認した。
囚人服を着ているけれど、燃えるような赤髪、古傷だらけの体。
間違いない、キャスヴァニアだ!なんで手錠が壊れた状態で村をうろついているんだ!?
やばい、クレイはアスレイナとの議論に夢中で木刀を拾い直すことを忘れていた。
アスレイナは解き放たれた猛獣を目にして恐怖で足がすくんでしまっている。
今は、撤退しないと!
『クレイ!アスレイナを連れて逃げるんだ!』
クレイは武器も無いのに咄嗟にアスレイナを庇うように前に立った。
キャスヴァニアはそのまままっすぐ、迫ってくる。
そしてクレイ、に襲い掛かろうとした村人を取り押さえた。
……あれ?今何が起きている?
倒れていた村人たちが回復してクレイに襲い掛かろうとしていて、それをキャスヴァニアが無理やり押さえつけている。
何が起きているのかは理解したけれど、起きていることがおかしくて事実を認められない。
「こーら!二人とも大人しく!」
キャスヴァニアはよく鍛え上げられた腕でクレイが退けた村人を両方まとめて抱き抱える。
そして、暴れる村人を宥めながら横目で僕らのことをちらりと確認した。
すると青ざめた表情でその場から勢いよく逃走した。
「ごめんなさいぃぃぃ!!!」
そのまま村の北北西の方角へ、僕らが目指している場所へ向かって走り出した。
まさか、キャスヴァニアが村人を次々と連れ去っていたのか?
なんで?キャスヴァニアは犯人じゃないんじゃないっけ?
あっそうか、キャスヴァニアを操って儀式の場所まで生贄を移動させているのか。
でも、それにしてはキャスヴァニアの心は他の人たちと違って困惑しているような様子はなかったような。少なくとも、自分の意思に反して体が動いているなんて様子はなかったような。
まさか、犯人に自由にするという条件と引き換えに懐柔された?
でも、前に会った時の性格からして、懐柔されるような奴だったかな……。
というか今、「ごめんなさい」って言ってなかった?
んん?わからない。
目的地が同じならあとでわかるか。
今はアスレイナを保護するのが最優先だ。
『クレイ、とにかく木刀拾って、アスレイナを安全な場所へ!』
『あ、ああ。わかった』
クレイは落ちていた木刀を片手で握りしめ、もう片手で突然のキャスヴァニアの登場に怯えきってしまったアスレイナの手を引く。
「アスレイナ、安全な場所に行くぞ」
「……うん」
アスレイナはクレイに手を引かれて一緒に走り始めた。
「共有倉庫に村長たちがいる。村長は正気だ。守ってくれる」
クレイは簡単に説明をしながらアスレイナの歩幅に合わせて走る。
アスレイナはしばらく口を結んでいたけれど、意を決して口を開いた。
「ありがとう、あの人が来た時、守ろうとしてくれて」
あの人、キャスヴァニアのことだね。
クレイは少しだけ振り向いてアスレイナの表情を確認した。
まだ納得しきっていない苦い顔をしていたけれど、心模様から今のクレイのことは信用しているのがわかった。
「気にするな。当然だろ。俺は、殺させないし殺さない。それだけだ」
クレイは前を向いて自分の信条を口にした。
アスレイナはクレイの言葉にようやく納得したのか、それ以降は黙っていた。
一方で信条を述べたクレイの心は暗かった。
殺させないと言っておきながら、救えなかった命がある。
駐在兵の人に不本意な殺しをさせてしまった。
それを今、思い出しているようだった。
『反省はまた後で、ね』
クレイは心の調子を無理やり整えると走り続け、共有倉庫に到着した。
近くに暴れる人が誰もいないことを確認すると、村長に外から声をかけてアスレイナの無事を報告する。
村長はその旨を受け取ると扉を開け、アスレイナを中に引き入れた。
「すいません、安全な場所がここしか思いつかず」
「よい。お主の活躍は立派じゃ。クレイ、お主はわしらの希望の光じゃ」
村長はクレイに優しく微笑みかける。
クレイは村長の感謝を受け取るとこの場から走り出した。
「どんな人でも、殺さないで」
去り際、鈴が鳴るような小さな声で、祈りの言葉が聞こえた。
クレイは、聞こえた言葉をしっかりと握りしめ、胸の奥深くに大事にしまった。
*
ようやく村の北側よりやや西の、大勢の村人の気配がある場所まで到着した。
ここにたどり着くまでに村人との衝突は一回だけあったけれど、その人もまたキャスヴァニアに誘拐されてしまった。
それ以外はもう人の姿は見ていない。みんな連れ攫われたのか。
僕らが気配の濃い場所まで移動すると、普通の家が見えてきた。
儀式をするには小さい、不釣り合いな家だ。
『儀式、するつもりなのか?あそこの家で』
『僕の推測ではね。でも、儀式するには小さすぎるからもっと違う理由かもしれない。とにかく気を付けて』
『あっ、誰かいる』
家の前には仁王立ちをしている兵士の姿が一人見える。
クレイは意を決すると、警戒しながらその兵士の傍に近寄っていく。
すると、兵士はクレイに気が付いて、声をかけてきた。
「おい、クレイ!大丈夫か?!怪我してねぇか!?」
「ケイン!」
家の前に居たのはケインだった!
思わずクレイは駆け寄る。
よく見るとケインの体はボロボロで、相当無茶をしたということがわかる。
正直、ケインの生存は絶望的だと思っていた。
この村の兵士の中で、もっとも体も精神も強い指揮官ですら自分の体の自由が利かないのに、ケインが抗えるはずがないと思っていた。
だから、一切話題に出してこなかった。
そして、最悪の状態でも、生きている状態でも絶対に見つからないでほしいとすら祈っていた。
でもまさか生きて、しかも操られていない状態で会えるなんて!
「大丈夫か?」
「おい、大丈夫かって聞いてんのはこっちが先だぜクレイ。話聞け」
ケインは呆れながらいつもと変わらない様子で僕らに話しかける。
ケインの方がボロボロで大丈夫そうじゃないから聞いているんだよ。クレイは無傷だし。
でも、なんでケインが大勢の村人が捕まっている家の前に立っているんだろう?
「こんなところで何してるんだ。中に人がいるのはわかっているのか?」
「そりゃあわかってるも何も、ここに人集めてるのは俺らだぜ?暴れないように縛って家の中に閉じ込めてんだ!」
は?
ケインは誇らしげに語るけれど、どういうこと?
クレイも思わずぽかんとしている。
だって、ここに村人を集めているのは……。
「もう村人見つからないけどどうするー?」
来た。キャスヴァニアだ。
無邪気な笑顔を浮かべながら、こちらに手を振りながら、『深紅の炎』と恐れられた女が走ってくる。
「おう、お疲れ様!これで全員か」
「生きてる人は多分!一応他の人も全員確認したよ!って、ほぎゃあ!?」
ケインは何の違和感もなくキャスヴァニアとまるで同僚のように話している。
キャスヴァニアはそれに笑顔で答えながら話していたけれど、クレイの姿を目にするなり自分よりもやや大きいケインの陰に隠れてしまった。
一体、何が起きているの?
「どうしたってああ、そういやクレイがコイツ捕まえたんだっけな……」
「ごめんなさい、ごめんなさいぃぃ!!」
困ったように頭をかくケインの後ろでキャスヴァニアは小動物のように震えている。
明らかに様子がおかしいし、一体全体どうしてケインとキャスヴァニアが手を組んで村人たちを助けているのかがまだ理解できない。
『なあ、これ、儀式のためじゃなかったのか?』
『もう僕にもわかんないよ。ケインに直接話を聞いて』
クレイの疑問を僕はケインに丸投げした。
こういうのは本人の口から聞くのが一番だ。
頼むから僕らにわかるように一から全部話してほしい。
でないと僕らの頭はパンクしそうだ。
「なんでソイツと一緒に救助活動しているんだ」
「ああ、ちょっと俺にもわけがわかんねぇんだが、暴動が起きてな」
「暴動の原因はわかってる。その盗賊と何があったかが知りたい」
「マジかよ!原因わかってんのか!わかった、簡潔に話すから、次はクレイが原因について話してくれよ!」
クレイが話をスキップしてくれたおかげで、ケインはキャスヴァニアと何があったのかだけを話し始めた。
「それがよ、俺は暴れる奴らをなるべく傷つけないように止めようとしてたんだが、それをコイツが邪魔し始めて、『手伝うから手錠を壊せ』って言ってきてよ。不安だったんだがいつまでもしつこかったんで埒が明かねぇから手錠を壊しちまった。そしたらほんとに言うことを聞き始めてな。俺がこの家の見張り、コイツが暴れてる奴らの拘束、収容を担当して事態の収束を図った。って感じだな」
うん、なるほど。
キャスヴァニアがやけに正直な理由以外はわかった。
そして、ケインがここまで怪我だらけになっている理由もわかった。
みんなを守ってくれていたんだ。
剣の鞘も傷だらけっていうことは、剣も抜かずにひたすら攻撃を受け続けたんだね。
よくやってくれた、君は村の英雄だよ。
「何人くらいが助かった?」
「おっと、俺は数えてねぇな。キャスヴァニア、何人くらい運んだ?」
「えっお、俺様も数えてない……けど、大体百人くらいは確か!」
キャスヴァニアはクレイにビクビクしながら数を思い出す。
百人か、子供たちは大体二十人くらい居たっけ。
ってことは合わせて生き残りは百二十人ほど。
『クレイ、この村の人口は覚えている?』
『約百六十人だ。俺が知らないうちに引っ越したり、他所から嫁いできたりの分は知らない』
ということは単純計算で四十名の犠牲者が出たということ。
村長やケインたちの活躍でだいぶ被害が抑えられたとはいえ、喜べない数値だ。
僕らはケインに中の様子を見せてもらう。
中には縛られた村人たちが隙間なく詰まっていた。
村人たちは怯えながらも自分たちが暴れなくて済むことに安堵している。
それでも、体は勝手に縄から抜けようと全身に力を込めている。かなりきつめに縛っているのか全然解き放たれる様子はない。
「しばらくは大丈夫そうだな」
「おう!じゃあ次はお前の話の番だな。さっさと話してくれ」
ケインは扉を閉めながら話を聞く姿勢を取る。
キャスヴァニアのことは相変わらずわからないし、今も謝罪の言葉と共に怯えながらケインの背中にひっついてるけど、害がないならとりあえず今は放っておくしかないかな。
「ケイン、暴動が起きる直前に怪しい光を見なかったか?特に馬車の中」
「あーーーっ!!」
クレイが冷静に話しているのに、ケインは突然叫び出した。
思わずクレイもびっくり。ついでに後ろに居たキャスヴァニアも飛び上がった。
ケインはこちらの調子は気にせず、自分のノリで喋り始める。
「見たぜ俺!馬車の中の光!指揮官が人を斬る直前に!キャスヴァニアも見たよな!?」
キャスヴァニアは急に話題を振られて体をびくっとさせておろおろしている。
「えぇ?お、俺様、多分その時馬車に背中向けてた……わかんない……」
「はぁ?お前見てないのかよ!見ておけよ!」
申し訳なさそうに俯くキャスヴァニアに指をさし叱りつけるケイン。
光を見ていなかったキャスヴァニア、光を見ていたケイン。
どちらもこの状況下で体は操られてはいない。
てっきり光を見た人たちは全員操られているのだと思ったけれど、ケインは何故か無事。
『ケインは何か特別なことをしたのかな?光を見たのに操られていない』
『さあ、実は馬鹿だからとか』
『前に訓令兵時代の筆記の試験は上位に食い込んでたって言ってたでしょ。クレイ、真面目に考えて』
クレイは真面目に考えてんだけど、とぼやく。
確かにケインは馬鹿っぽく見えるけどさ、本人の言うことも信じて聞いてあげようよ。
『なら、一つ気づいたことがある。ケインは他の人たちと違って怯えていないように見える。駐在兵ですら怖がっていたのに』
なるほど、感情か。
ケインは今、確かに村が悲惨な状態だったのに平常通り落ち着いている。
特に恐怖の感情。今のケインからは一切読み取ることができない。
ケインは意識的か無意識的か、自分から恐怖の感情を排除しきっているんだ。
怖がりだったケインにそれができた理由。
それは心乱の書の修行による心の感情のコントロールができるようになったからだ。
となるとこの騒動に使われた魔術は、負の感情を原動力に相手を操る、悲観傀儡の可能性が高い。
この魔術の使い手は特定の物体に魔術を組み込み、仕掛けたい相手の視界内で任意に術を発動する。
発動と同時に魔術が組み込まれた物体は赤黒い色で発光し、瞬時に消滅する。
そして、その光を認識した対象は、恐怖を初めとした悲観的な感情を浮かべると同時に体の自由が利かなくなり、操られる。
だから悲観傀儡発動の光を見ていないキャスヴァニア、見たけれど感情を落ち着かせているケインは暴れることなくこの場にいる。
まだ仮説だけれど、悲観傀儡ならば辻褄が合う。
他の操られていない人たちは純粋に光を見ていないだけなんだと思う。心の感情を自分で騙して落ち着かせるなんて芸当、普通の人にはできない。
『だからこの魔術を使った罪人が他に悲観傀儡の在庫を隠していない限り、もう使うことはないよ。だけど、魔術を使ったということは相手は魔術師。魔法使いの上位の存在だ。油断はできない』
僕はクレイに一通り説明すると、クレイは了解の意を僕に伝える。
「なあ、ケイン。光った時に誰が光らせたかは見てはいないか?」
クレイは僕の説明から犯人の特定に移る。
ケインは頭を悩ませながら当時の様子を鮮明に思い出そうとしている。
「んー、確かな、馬車の一番奥に居た奴だった。顔が見えないくらいに伸びっぱなし黒髪で、胸のところで赤っぽく光ってたな。それ以外の特徴はわかんね」
ケインは覚えている限りの情報を教えてくれたけれど、困ったな。
時間が経ち過ぎた今、馬車の中での位置情報は役に立たない。犯人が逃走している可能性が高いからだ。
特徴も伸びた黒髪くらいしか手掛かりがない。それも魔術師なら見た目を瞬時に変えられるくらいの術は持っている可能性がある。有力な手掛かりにはならない。
僕は悩んだけれど、足を動かした方がいいと判断した。
『クレイ、馬車のところに行こう。犯人はもう逃げているかもしれないけれど、痕跡は残っているかもしれない』
「俺は馬車に行く。ケインたちはどうする?」
「はぁ!?お前はガキだろ!もう無茶すんな!俺が行く!」
ケインはクレイよりもよっぽど酷い怪我をしているにもかかわらず前に行こうとする。
「おい、お前が居ても足手まといだ」
クレイはきつい言葉でケインを止める。
これは別に心の底から思って出た言葉じゃない。ケインを心配して無理をさせないために出た言葉だ。
ケインはクレイの言葉にカチンとくると、振り向いてクレイを睨みつける。
「ガキは無茶すんな!俺は無茶する!いいな!」
そんな無茶苦茶な。
このままの状態のケインを行かせて万が一犯人と鉢合わせたら、勝てる見込みはまずないだろう。
「ケイン、お前の怪我は大怪我だ。ここに残れ。死ぬぞ」
「はぁ?死なねぇよ!大人しくガキは残ってろ!」
「俺は戦力と体力の総合を見て言っている。ケインはお荷物だ」
「うるせぇ!さっさとガキは家帰ってろ!」
二人とも一歩も引かない様子で言い争う。
あーもう、どうしよう。こうしている間にも犯人は村から離れて行っているかもしれないのに。
その時、キャスヴァニアがクレイと言い争うケインの周りをグルグルと回り始めたと思ったら、あっという間にケインを縄でグルグル巻きにして、村人たちを閉じ込めている家に放り込んでしまった。
「なっ、何しやがんだキャスヴァニアー!?お前、いきなり裏切りやがったな!!」
ケインは家の中でキャスヴァニアに怒号を浴びせる。
キャスヴァニアはやり切った顔で手を払うと扉を掴みながら言い放つ。
「言うことを聞かない暴れる負傷者がいたから、お前の言う通りに縛って運んだだけー」
いたずらっ子のような笑顔を浮かべてそのまま勢いよく扉を閉めるキャスヴァニア。
ケインは中でもギャーギャーとやかましく叫んでいる。
キャスヴァニアはクレイに向き直ると、笑顔を言い現わし難い表情に変える。
「……お前の方が正しいと思ったから」
しおらしい態度で視線をそらしながら、まるで悪いことをして叱られる寸前の子供のようにクレイの言葉を待つキャスヴァニア。
本当に何があったのって聞きたくなるくらいに人が違う。
でも、今はそんなことを言っている暇はない。
「ありがとう、キャスヴァニア。よかったらこの後も手伝ってくれ」
「え、う、うん!もちろん!」
クレイはキャスヴァニアの返事を聞くと、馬車がある方角に向かって走り出した。
キャスヴァニアも出遅れて走り始め、すぐにクレイの横に並んだ。
「どうして俺たちの、村の手助けをした」
クレイは走りながらキャスヴァニアの心の変化について聞く。
嘘でも本当でも、答えが聞ければ判断材料になる。
この先、A級指名手配だった盗賊と手を組むならば、相手の思考はある程度読めていた方がいい。
キャスヴァニアは下を向いて考えた後、クレイに目を合わせる。
「あのね、俺様、前世っていうのかな。記憶があって」
ん?
「六歳だったかな。友達が遊んで倒した本棚の下敷きになって死んだのを、昨日思い出した」
転生者だーっ!?
いや、そんなぽいぽいと異世界に転生してきていいもんなの?
というか、享年六歳ってかわいそうすぎる!
しかも、僕と同じで思い出すタイミングがいろいろとやってしまった後!
なんでみんな業を背負ってから思い出すの!なんで前世で罪がないのに罪を背負わされるの!
クジラさん、逆に貴方はなんで罪を背負ってないんだ!あ、それで代わりに呪いのバーゲンセールか!
だからどうして転生者に厳しいんだこの世界は!!
辛い、けれど今は関係ない!キャスヴァニアが丸くなった理由がわかったから良し!
むしろ転生者なら納得の理由だよ。要するに僕と同じ!
クレイは訳が分からないって顔をしているけれど、今はスルー!
『よくわからないけれどキャスヴァニアは無害っぽいね。先に急ごう』
『あ、ああ』
クレイは納得がいかないままキャスヴァニアと共に走り続けた。
そして、ついに馬車の前にたどり着く。
馬車の前は一番最初に事件が起きた場所というだけあって、凄惨な光景になっている。
だけど、僕らはそれ以上に目を向けるべき場所に目を向けることになった。
馬車だ。
馬車の前には見慣れない重装備の兵士が二人倒れていて、お互いに武器を向けあったままの姿勢で絶命している。
おそらく悲観傀儡の魔術の対処法もわからずに殺しあったんだ。
力の差が互角だったせいか、相当苦しい戦いになったのがわかる。
馬車の中も、囚人たちが首を絞め合って死んでいる。
いくら罪人とはいえ酷い最期だ。
ただ、僕らを待っていたのは死体の山だけではなかった。
「ごきげんよう、魔王様」
つやめかしい声が聞こえた瞬間、クレイの全身の毛が逆立ったのが感じられた。
強いプレッシャーだ。クレイは声の聞こえる方へと体を回す。
そこに居たのは手錠も足枷も外れた囚人服の男。黒く長い前髪で顔を隠し、後ろ髪は肩まで伸びている。
クレイと同じくらいの背のその男は、両手を広げてクレイに深くお辞儀をしていた。
この男はクレイの中に僕がいるのを知っている。
そして、僕を敬う姿勢を見せた。
間違いない、人類の敵だ。
「お前がこの村をめちゃくちゃにした張本人か」
クレイは木刀を手にして男に向けた。
男は頭を上げると愉快そうに笑う。
「素晴らしい器だ。てっきりこの騒ぎで死ぬかと思ったが生きている。しかも無傷で。こんな人間の子供が」
男はクレイを品定めをするかのように前髪越しに見つめてくる。
不気味だ。
キャスヴァニアも思わず萎縮している。
クレイは自分の問いに答えない男に対して苛立ちを隠し切れない。
「この事件の犯人かって聞いている」
「ああ、そうだとも。この騒ぎでお前を殺し、魔王様の封印を解き放つつもりでいたが、思ったよりも素晴らしい才能を持っているようだ」
クレイの中で怒りが膨らみ、木刀を握る力が増す。
「俺の中にいる魔王を復活させる。それだけのためにこの村を襲ったのか」
「いや?いやいや、そんな野暮な理由ではない」
男は自分の頭に指を立てるとくるくると自分の髪をいじる。
そして、しばらくしていじるのをやめると前髪をかき上げて、光が全く映らない闇そのものの瞳で僕らを見据えながらこう言った。
「僕は、魔王様の力を頂戴するためにここへ来た」




