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作者: 揺井かごめ

【20XX/06/XX(木) 天気:雨】

 その男は濡れそぼった傘を腕に提げ、その矮躯には大き過ぎる鼠色のウインドブレーカーを着込んでいた。背には白い小振りのリュックを背負っている。

 彼は車両のドアが閉まる直前に駆け込んで来た。がらがらのシートには座らず、ドア付近に寄りかかる。息を落ち着けると、ポケットから何やら紙片の束を取り出し、指を忙しく動かして選別し始めた。引き抜いた切符を咥え、革財布に残りの札をねじ込む。そしてリュックを下ろし、中から取り出した巾着袋に財布を仕舞おうとして、取り落とす。

 チャリン、と金属片の音がした。

 小銭も入っているようだ。

 自分が何と言うこともなく彼に目を遣り続けたのは、単に日課の過程である。いつも通り注視を避け、なるべく相手に気付かれぬよう努めていた。しかし、今日は運が悪いらしい。財布を拾い上げる一瞬目が合ったかと思うと、立ち上がりさまに背を向けられてしまった。この日課は、観察対象からみれば、他人のただただ無遠慮な『視線』である。

 今後は一層気を付けなければならない。

(PC*ファイル『備忘録』より 抜粋)


【20XX/06/XX(木) 天気:雨】

 今日は一本早めの電車に乗りました。いつも乗る電車よりも、大分空いていました。車体は違っても内装が一緒だから、いつもと同じ位置の席に座りました。同じ見た目なのに違うって、なんか不思議な感じ。

 二駅過ぎて、雨足が強まってきた辺りで、一人の男の人が駆け込み乗車してきました。

 今日はこの人で練習しようと思います。

    * * *

 綺麗なロマンスグレーの髪を、雑になでつけたような髪型。少し痩せこけているけれど、整った顔立ちの男性だ。男の人にしては小さめで……一六〇センチ強、だろう。ドアの近くに立ってくれていたので測りやすかった。

 肩で息をしながら乗り込むと、男性は腕に下げた傘をドアに立てかけ、ポケットから紙幣の束を取り出した。束に混じっていたらしい切符を薄い唇に挟み、紙幣を雑に財布へ突っ込む。

 空いた手で背負ったリュックを漁っている最中、男性はポロリと財布を手落とした。少しばつの悪そうな顔をした男性は、素早く財布を拾って顔を隠した。

    * * *

 今日のは上手く書けた! と思います!笑

 ドアの近くに立っていたので、目測しやすくて助かりました。目測は得意なんです(ドヤァ)。

(スマホアプリ『ちょこっとブログ』個人ページより抜粋)


【20XX/06/XX(木) 天気:雨】

 今朝の通勤電車内で、面白いことがあったので記述しておく。

 私は普段通り、一両目の進行方向右隅に立って、車両全体をそれとなく眺めていた。

 車両内には、私を含めて五人の乗客がいた。シートに腰掛け勉強をする女子高生の二人組。大学生らしきチャラついた風貌の若い男性が一人。OL風のスーツの女性。通勤中の私。

 この車線は限界集落を始発駅としており、現時刻が早朝六時である事に重ねて駅のホームから遠い一両目だ。女子高生二人以外は偶々乗り合わせたのであろうが、平日はほぼ四、五人が利用する程度だ。ここまでは普段通りである。

 ここで予め記しておくと、この車両の常連である女子高生二人は、面白い遊びをしている。決まった駅で乗り込んできた乗客をじっと観察し、ノートの端にそれぞれ何か書いて見せ合うのだ。『何を書いているか』までは、流石に見えないので分からない。しかし、ノートを交換した後の上気した表情を見るにつけ、

「ああこりゃ、人の事を面白おかしくかき立てているのだろうな」

と邪推している。死角でも観察できるように鏡を持ち歩いている徹底っぷりだ。もはや遊びの域は超えているのかも知れない。

 ──否。

 確かにそれだけでも特筆すべき『遊び』だが、本題はまた少し違う話なのだ。

 今日は彼女らの『いつもの駅』で人が乗らず、遊びは行われないかと思われた。しかしその次の駅で、格好の『餌』が乗ってきた。

 その男はドアが閉まる寸前、雨の中を飛び乗るようにして乗車した。私が彼女らに目を遣ると、案の定手元に鏡がある。表情は変えず、目だけを生き生きと光らせて、男を見守る。

 そこで私は驚くことになる。


 今日は、彼女らだけでは無かったのだ。


 先ず、大学生風の青年が、ぱっと顔を上げて男を凝視した。OL風の女性も、顔は動かさず目だけを男に向けている。

 次の瞬間である。

 女子高生はノートに、青年は右手に持つスマホに、女性は膝にのせたPCに。

 一斉に書き込み始めたのである。

 時たま手元の媒体と男の間で視線をうろつかせ、いそいそと、こそこそと、しかし目を鷹のように光らせて。

 ギラついた視線の中に、ただ一人の男が居る。

 まるで何かの喜劇の様だった。そうで無ければホラーだ。この車両の中で、四人の別々な人間が、残るたった一人をねめつけるように観察している。そして四人は、私がそれを見ていることに気付かない。この喜劇──或いはホラーの観客は、私一人だけである。

 今日の日記の内容が決まった瞬間だった。

 この喜劇にタイトルを付けるなら、あの女子高生二人組はどんな表題を付けるのだろうか。

 私なんかはセンスが無いので、適当に一言、『雨』とでも付けてしまいそうだが。

(手帳『日記』より抜粋)




【電車内での会話】

「今日のユキの速描、めっちゃ上手く描けてね? 濡れてる質感とか、イイ感じに説得力あるよ」

「さんきゅー! ウチもそう思う。……アカネはいつも通りだね」

「うん。あのオバサマの服、毎日綺麗で飽きないんだよね〜。髪型も毎日凝ってるし、姿勢が良いから全身良く見えるし、描いてて楽しい。偶にこっち見てるけどファンサかな?」

「ファンサって何、ウケんだけど。気のせいじゃね?」

「……私が見てるの、バレてたりして」

「まっさか〜!」


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