忍び寄る恐怖
美佐は自分の部屋の隅の壁にもたれて、両手で膝を抱え込んで丸まっていた。まるで何かから自分を必死に守るかのようにして──。
美佐の精神は、このときすでに限界を越えていた。
恐怖。恐怖。恐怖。牙。恐怖。不安。恐怖。牙。牙。恐怖。不安。恐怖。恐怖。恐怖。恐怖………………………………。
ただ、それらの負の感情のみがループ状になって、いつまでも途切れることなく頭の中をめぐっていた。
あたし、襲われるんじゃ──。
そんな思いが何度も何度も脳裏をよぎる。
そのとき、階下にある電話のベルが鳴り響いた。
「────!」
美佐はびくっと体を震わせた。だが、すぐに恐怖に強張っていた顔に、喜色の表情が浮かぶ。アリスからの折り返しの電話だと思ったのである。
階段を駆け下りていくと、玄関脇に置かれている電話の受話器を掴んだ。
「もしもし?」
送話口に向かって焦り気味の口調で問い掛けた。
「────」
だが美佐の期待を裏切るかのように、電話の向こうからはうんともすんとも返事がない。
「もしもし? アリスさんでしょ? アリスさんなんでしょ? 意地悪しないで、なんとか言ってよ!」
美佐の悲痛な問いかけにも、何も反応はない。そして──。
「…………」
唐突に通話が切れた。結局、相手は一言も発することがなかった。
不意に美佐のうなじから背中にかけて、形容しがたい不吉な寒気が走り抜けていった。
な、な、なんでもないわよ……。ただの……間違い電話に決まっている……。どこかのバカが掛け間違えただけよ……。きっとそうよ……。そうに違いないはず……。
美佐は震える手で受話器を戻した。しかし受話器から手を放した後も、その手の震えは止まらなかった。いや、手だけではない。美佐は体全体で震えていた。それはあたかも痙攣を引き起こしているかのような激しいものだった。
美佐は逃げるようにして部屋に戻った。ベッドに倒れこむと頭から布団をかぶる。ここからもう一歩も動きたくなかった。自分の殻に閉じ篭もって、頭から恐怖を排除したかった。
だが美佐に追い討ちをかける事態が起きた。五分もしないうちに、今度は玄関のチャイムが鳴り響いたのである。
来た! 『アイツ』だ! 『アイツ』が来たんだ!
美佐は瞬間的に悟った。さっきの無言電話は、美佐が家にいるかどうかを確かめるために、『アイツ』がかけてきたのだと察した。
大丈夫……大丈夫……家の中にいれば平気よ……。家の中で静かにしていれば、『アイツ』だって気付かないはずだから……。だから、お願い……。早く帰ってよ……。
美佐は布団の中でさらに体を小さく縮めると、『アイツ』がいなくなるようにと必死に祈り続けた。
玄関の鳴り続けていたチャイムが止まった。
やった! きっと『アイツ』は諦めたんだ! これでもう安全だわ。
美佐の胸中に喜びがこみ上げてきたが、しかし一瞬の内に恐怖へと変わった。
ガチャガチャ!
玄関のドアノブを乱暴に回す耳障りな音が、階下から聞こえてきたのである。
そんな……。まさか無理やり家の中に……入ってくるつもりなの……? 誰か……助けて……。お願いだから……。あたしを助けてよ……。
美佐の思いを嘲笑うかのように、ドアノブを回す音は続いた。そして、ついにその時が訪れた。
ガギュリッ!
ドアノブが無理やり壊される音が聞こえた。続いて、玄関の重いドアが開く音が聞こえてきた。これで家の防衛ラインは突破されてしまった。
恐怖の形をしたモノが美佐のいる部屋へと、一歩一歩着実に近付きつつあった。だが、恐怖に震えるだけの美佐には、もう逃げる気力すら残っていなかった。
恐怖が階段をあがってっくる。美佐の部屋の前までたどり着くと、難なく部屋のドアをこじ開けた。ゆっくりとベッドに近付く。そして──。
「きゃあああああああああああああああああーーーーーーーーーーっ!」
家の中に美佐の絶叫が響き渡った。