監視する二人
アリスたちが移動を始めた同じ頃──。コウと櫻子の二人は、とある場所で別行動をとっていた。
二人に任されたのは優希の監視だった。今二人は道路沿いの塀の影に身を潜ませて、優希の住んでいるマンションの部屋を監視しているところであった。優希のマンションの情報はほのかから教えてもらった。生徒の個人情報に関わることだったが、そこはのどかが説得してくれた。
今夜の作戦では、優希が部屋を出るのを確認したところで、アリスに連絡することになっていた。今のところ、優希はまだ外出していない。道路に面した部屋の窓に掛けられたカーテン越しに、優希の人影がしっかり見えているのだ。
「さあ、これであの野郎の正体がいよいよ暴かれるってことだよな」
視線はしっかり窓に向けたままコウが興奮気味につぶやいた。ようやく自分の出番がやってきたと言わんばかりに張り切っている。
「さあ、ぐずぐずしてないで、さっさと部屋から出てきやがれ」
「ちょっと、コウ。もう少し静かに監視することが出来ないの?」
コウと同じように窓を見つめていた櫻子がすかさず忠告する。
「なんだよ、いいじゃんかよ。これから最高のショータイムが始まるんだぜ。これが興奮せずにいられるかって」
「だから、あんたはマッスルバカって言われんのよ! いい、アタシたちの役目はあいつの監視なのよ? あいつに気付かれないように、静かにしていなきゃならないでしょうが! それをあんたは月に向かって吠える狼みたいに興奮しちゃって。もしもあいつにこっちの監視がバレたらどうすんのよ!」
「心配するな。そのときはオレがあの野郎をとっ捕まえてやるからさ。それでいいだろう?」
「良くないわよ! アタシたちのやるべき任務は決まっているのよ! 勝手にチームワークを乱さないで!」
「あのな、物事には臨機応変に対処しなきゃならないときだってあるんだよ!」
二人の言い合いが次第にヒートアップしていく。
「小難しい言葉で言い訳をしなくとも、あんたがそれだけ張り切っている理由ぐらいは丸分かりなのよ! どうせ私憤でしょうが!」
「はあ? 私憤だって?」
「そうよ。あいつが学校で人気者になったからって、嫉妬しているだけでしょ?」
「けっ、誰があんな野郎に嫉妬なんかするかよ!」
「へえー、そうなの。それじゃ、その握り締めた拳は何なの?」
「こ、こ、これは……その……単なるポーズだよ……。それ以外の意味は何もねえよ……」
段々と言葉尻が弱くなっていくコウ。
「はあーあ……」
櫻子がこれ見よがしに大きなため息を付いた。
「あんたも像並みの知能があるんだったら、現実を認めたらどうなの。今の時代、あんたのような野性的な男よりも、あいつみたいな人当たりが良いスマートな男の方がもてるのよ。まあ、だからこそ、被害者も安心しちゃって、そこを襲われたんだろうけど……」
「ふんっ、なんとでも言えばいいさ。オレにはオレのファンがいるんだからな。あの野郎なんて目じゃねえよ!」
勇ましく自慢をするコウだったが、それが完全に裏目に出た。
「──ねえ、今なんて言ったの?」
櫻子がいやに低い声を出した。
「えっ?」
コウが櫻子の顔を見返して、途端に背筋をゾッと震わせた。鋭い爪を研いで、今にもコウに飛び掛かっていきそうな凶暴な猫のような顔をした櫻子。
「ひょっとしてあんたのファンって、脳味噌を根こそぎどっかに落っことした、頭空っぽのC組の久実じゃないわよね?」
櫻子が牙を剥かんばかりの顔をぐっとコウに近付けた。
「ははは……はは……。さ、さ、櫻子……な、な、なに……わ、わ、訳の分からないことを……い、い、言っちゃってるのかな……?」
反撃出来ずに、劣勢状態のコウである。
「へー、そうやって誤魔化すつもりなんだ? アタシはそれでもいいのよ。ちょうど昨日爪の手入れもしたばかりだしね」
櫻子が両手の爪をコウに見せ付けた。綺麗にケアされた櫻子の爪は、同時に、なんでもスパッと切ってしまいそうなカミソリの如き鋭さがあった。
「──あっ、そうだ。オレにはファンなんて、ひとりもいなかったんだ。あれ? 久実って誰のことだろう? まったく、全然、これっぽっちも記憶にないけどな……。ウチの学校にそんな名前の女子生徒なんていたんだ? 初耳だなあ……」
露骨過ぎるほど露骨にコウが芝居染みた言い訳を始めた。
「そう、久実のことは知らないんだ。それじゃ、いつも男に色目を使っている、万年発情娘のE組の風香はどうなの?」
「おいおい、櫻子。いくらなんでも、万年発情娘っていうのは言い過ぎだろう? もうちょっと柔らかい表現があるというか、もう少し優しい言い方というか──」
「へー、つまり、コウは風香のことを庇うんだ」
氷点下の声でぞわりと櫻子が言った。櫻子の右手の爪が暗闇で光った。
「あっ、いや……そういうつもりで言ったわけじゃなくて……その、つまり……」
コウの言い訳は最後まで続かなかった。コウ自身の悲鳴がとってかわったのである。
「うぎゃあああああああああーーーーーーーーーー!」
数秒後──コウの左頬に、ミミズ腫れのような赤い筋がきれいに三本浮かび上がった。恐るべし、櫻子の爪の威力──。
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あの二人はいったいあんなところで何を騒いでいるんだ?
優希は窓の隅から顔を覗かせて、塀の影に隠れているあの倶楽部の部員である二人の姿を見下ろしていた。
まあ、おそらくボクのことを見張っているんだろうけど、あれで隠れているつもりなのか?
二人が身を隠している場所は、優希の部屋からは丸見えだった。もっとも、それはあくまでも街灯の光が届いていればの話であって、今二人が隠れている塀の影は完全に暗闇で閉ざされていた。普通ならば、二人の姿を目で確認することは出来ないはずだった。だからこそ、あの二人もそこに隠れたのだろう。
しかし、優希は影に潜んでいる二人の姿をしっかりと肉眼で捉えていたのである。赤外線カメラや暗視装置などの機器の力に頼ることなくとも、優希の目は暗闇を見通すことが出来るのだった。その産まれ持った『血筋の力』によって──。
優希は二人のことを注意深く観察しつつ、この数日の間で集めたあの倶楽部に関する数々の情報を思い返していた。
曰く──毎日放課後、部室から怪しげな声が聞こえてくるとか。曰く──夜毎、部室で気味の悪い黒ミサを執り行っているとか。曰く──部室内に血で真っ赤に彩られたドクロが飾られているとか。
部員についての情報もいろいろと集まった。曰く──探偵と名乗っているが、実は生徒の弱みを探して、裏で恐喝染みたことをしているとか。曰く──六人と目が合った者は一週間以内に便秘になるとか。曰く──六人の部員は本当は『人間ではない』とか。
集めた情報から導き出された結論は──あの倶楽部の連中は邪魔であることは確かだが、その力は無害である。
優希はそう判断を下した。
怪物探偵倶楽部などという紛らわしい名称だったからここまで慎重に行動してきたが、そろそろこちらも本気で行動を起こしてもいい頃合いだな。とりあえず、あの二人の目を上手い具合に盗んで、外出するとしようか。
優希はカーテンを静かに閉めると、マンションの部屋を出ることにした。




