事件現場へ急行!
アリスを含めた六人の怪物探偵倶楽部の部員は、鈴原美佐の家にジャスト10分で自転車を走らせてやってきた。毎朝の自転車通学による成果と、圧倒的なまでの『常人離れした脚力』でもって、そのベストタイムを叩き出したのだった。
しかし、それでも間に合わなかった。鈴原家の玄関のドアは、家の中の様子が見えるぐらい大きく開きっぱなしの状態だったのだ。
「いくぞ!」
一瞬の躊躇もなく一番の行動派のコウが玄関から家の中へと飛び込んでいった。
「あたしたちもいくわよ!」
アリスがコウに続いて家の中に入っていく。他の四人も後から続いた。
「おーい! 誰かいないのか?」
コウが大声をあげながら、一階の部屋のドアを片っ端から開けて中を見ていく。
「こっちには誰もいないぞ!」
「こっちにもいなかったわ」
他の部屋を見て回っていたアリスは一階の廊下でコウと確認しあうと、当然のように二階に続く階段を見つめた。一階にいないのであれば、残る探し場所は二階しかない。
「上みたいだな」
コウが二階を睨みつけるように見上げた瞬間──。
「きゃああああああああああああああああああーーーーーーーーーっ!」
家中に轟くほどの悲鳴が二階から降ってきた。
「美佐さん!」
真っ先にアリスが動いた。美佐の悲鳴を聞いた瞬間には、もう階段を一段上がっていた。
アリスが走る。コウが走る。残りの部員も走る。後方でゴンという非常に痛そうな打撃音がしたが、急いでいるアリスの耳には届かなかった。
先頭をいくアリスが二階の廊下に足を踏み入れるのと同時に、ガラスが砕け散る鋭い音が家の中に響き渡った。
「廊下の右側の奥から聞こえたわ!」
のどかがこの状況下で的確に音の発生地点を聞き分けて、冷静にアリスに伝える。
「了解したわ!」
アリスは疾風のごとく二階の廊下を走り、美佐の部屋らしいドアの前まで行くと、恐れる様子など微塵も見せることなく、勢いよくドアを開け放った。
「────!」
アリスの目が床の上に倒れている少女の姿をとらえた。年齢は十代後半。髪は茶色がかっている。アリスに電話をしてきた美佐で間違いないだろう。
「鈴原さん、大丈夫? しっかりして!」
アリスは美佐の横に膝を付いた。
「私に見せて!」
すぐにのどかがアリスと場所を代わり、美佐の顔色を真剣に見つめる。その目は患者を診る医師のそれと同じである。のどかは医者の娘というだけではなく、実際にかなりの医学的知識を有しているのだ。
ヒリヒリとした緊迫した空気が部屋を包む。
のどかは最初に美佐の喉元をしっかりと確認してから、続けて、閉じている美佐の目蓋を優しく手で上げて、瞳の状態を調べた。それが済むと、今度は美佐の右手を静かに取り、脈拍を確かめる。簡単な状態確認を手早く済ませると、皆の方に顔を向けた。
「──呼吸も脈拍も安定しているわ。喉も噛まれていないようね」
「それじゃ、美佐さんは大丈夫な──」
アリスが言葉を挟もうとしたところ、のどかが手で制した。
「確かに傷はないけど、彼女、どうやら催眠術を掛けられているみたいだわ」
「えっ? 催眠術って……。それってどういうことなの?」
「おそらく、『何者か』が美佐さんを襲っている最中に、ちょうどおれたちがこの家に到着したんだろうな。それで『何者か』は吸血する暇もなく、慌てて窓ガラスを割って逃げたんじゃないかな。そのときに目撃者の口封じをするために、美佐さんに催眠術を掛けたっていうところだろうな」
京也が床に倒れている美佐とガラスが割れた窓に順番に視線を振り向けた。
「私も京也の推理で正しいと思うわ」
のどかも自分なりに考えていたのか、京也の言葉に同意するように頷いた。
「でもなんで、いきなり催眠術が出てくるんだよ?」
コウが疑問を呈した。
「あのね、吸血鬼といったら催眠術は付き物でしょうが! 吸血鬼は美女を誘惑するときに催眠術を使うのよ。そんなことも知らないの!」
さっそく櫻子がコウに噛み付いている。
「吸血鬼って、そんな便利な飛び道具を持っているのか。それじゃ、オレも今度催眠術を習おうかな」
「へえー、催眠術を習って、何に使う気なの?」
「えっ? あっ、その……まあ、いざというときの為に……だから、その……」
途端にコウが口ごもる。
「──まさか、ナンパなんかに使うつもりじゃないわよね?」
櫻子が声のトーンを二段落として、ぞわりとする氷の声音でコウを問い詰める。
「いや、そんなことあるはずないだろう……。ちょっとだけ催眠術に興味を持っただけだからさ……。おい、その今にも噛み付きそうな顔でオレのことを睨むのはやめてくれよ……」
例によって、いつもの二人による不毛な言い合いが始めるかと思われたが──。
「まあ催眠術については、『一番よく知っている人間がおれたちの身近にいる』んだから、本人に直接聞くのが良いと思うぜ」
京也が二人の不穏な空気を払うように絶妙なタイミングで言葉を挟んだ。こういうさりげない気配りを、さらっと出来るのが京也なのである。
「──とは言ったものの、肝心の本人の姿が見えないな……。どこに行ったんだ?」
京也が誰かを捜すようにキョロキョロと左右に視線を飛ばす。
「イタタタタ……」
まるで痛そうに聞こえない軽い調子の声とともに、さきが後頭部を手で押さえながら部屋の中に入ってきた。
「ちょっと、さき! どうしたっていうの? ひょっとして犯人とかち合ってケガでもしたんじゃ──」
アリスはいつになく心配な声をあげた。
「いやー、二階にあがるときに急いでいたから、つい足を滑らせちゃってさ。それでものの見事に転んで、後頭部をモロに床にゴンッてぶつけちゃって。そうしたら痛いのなんのって──」
残念ながら、さきの言葉は最後まで続かなかった。アリスの『悪魔』のようなひと睨みで、まるでメデューサに睨まれたが如く、さきは硬直してしまったのである。
「まったく、心配したあたしがバカだったわ! あたしの心配分を返してほしいくらいよ!」
アリスはぷいっと顔を横に向いた。
「──なあ、京也。ぼく、なんか悪いことを言ったかな?」
さきが隣に立つ京也に小声で訊いている。
「気にするなよ。まあ、いつものことだからさ」
京也が当たり障りのない言い方でさきを慰める。
「ちょっと、そこ! うっさいわよ! 大事な話をしているんだから黙ってて!」
二人の会話を『地獄耳』で聞いていたアリスは、まだ収まらない怒りを二人にぶつけた。まことに部員思いの部長である。
「──それでのどか、美佐さんが掛けられた催眠術って、どれくらいのレベルのものなの?」
さきの闖入によって止まっていた会話をアリスは再開した。
「ざっと見た限りだけど、かなり心の深い部分にまで催眠効果が達しているわ。仮に今の美佐さんの症状が催眠術によるものだとしたら、これほど高度な催眠術は普通の人間にはまず使えないと思う」
冷静にのどかが分析結果を告げる。
「ということは、美佐さんを襲った犯人が人間である確率は──」
「限りなく低いと言っていいわね」
それでも慎重に言葉を選ぶようにしてのどかは言った。
「これで一連の事件の犯人の正体が限られてきたわね。愉快犯でもなければ、単なる吸血鬼マニアの犯行でもない。──間違いなく、本物の吸血鬼による仕業とみていいわね」
アリスの重い声に反論する部員はもういなかった。ここにきて六人は一様に、今回の事件がただならぬものだと理解したのだった。
重苦しい空気に包まれる部屋。
「すみません。何かあったんですか?」
そのとき、暗いムードを打ち破るような、快活な声が階下から聞こえてきた。
アリスはとっさにのどかに意見を求めるように目を向けた。
「応対するしかないわね。下手にここから逃げて疑われたりするのは避けた方が無難よ」
倶楽部の頭脳役であるのどがすぐに対応策を述べる。
「そうね。ここはそうするしかないわね」
アリスはその場でのどかの案を即採用した。
結局、六人は揃って階段を降りて、玄関に向かうことにした。そして、そこでそろって驚くことになった。
玄関口には、モデル顔負けの美貌をした金髪の高校生らしき少年が立っていたのである。その美貌の程は、文字通り『人間離れ』しているといっても過言ではなかった。
「──なんだか、また何かが起こりそうな予感がするなあ……」
一番後ろから金髪の少年の姿をぼーと眺めていたさきが独り言のようにつぶやいた。