THE プロレス2
戦後、復興も間もない頃、日本国民を熱狂させた娯楽があったそうです。太平洋戦争に負け、敗北感と屈辱に苛まれていた国民は、電器店の白黒テレビの前に集まり、一人の男が巨大な外国人を空手チョップで薙ぎ倒す姿に、この国の未来を投影していたのだそうです。
やがてその男は国民的ヒーローとなり、男が日本に持ち込んだ格闘技はこう呼ばれました。「プロフェッショナル・レスリング」と。
その起源は一説によると第一次大戦終結も間もない頃のイギリス。かつてお家芸とまで呼ばれたレスリングは存亡の危機にあったといいます。
選手、コーチ、設備等々が戦争のために散逸してしまい、加えてオリンピックではソビエト、東欧諸国の台頭著しく、また、国内でも試合が地味、ルールがよく分からない等の理由で人気が下火に。若い選手の確保にも苦慮するほどだったそうです。
そこでお家芸の火を絶やすまいと、かつての選手たちが裾野を広げるため、一般向けにレスリング興行を立ち上げました。後のプロフェッショナル・レスリングの誕生です。しかしそこはスポーツマンが行う商売。一朝一夕に上手くいくわけもなく、興行成績は惨憺たるものだったとか。
しかし、そこに金の臭いを嗅ぎとった一人の興行師の目に止まります。一説にはアメリカ人であったとも言いますが、定かではありません。彼はレスリングから地味な部分を極力省き、分かりにくいルールも取っ払い、技やルールの説明もやめさせ、観客に分かりやすい勝敗と、受けのいいストーリーを用意。そしてサークルのリングは四角い、ロープに囲まれたリングへと変え、映画や都市伝説で囁かれた地下の賭け格闘技という、アングラなイメージを持ち込みます。そしてこれが大当たりしました。
第一次大戦で疲弊していた国民はたちまち熱狂。やがて観客の要望に応える形で寝技やタックルより、派手な投げ技や立ち技でのシューティングが主流となってゆきます。しかし、思わぬ事態が発生します。元々レスリング復興のために始めたプロレスリングだったのに、レスリングよりプロレスリングを目指す若者が続出。また、大当たりしたことにより、派閥闘争や金銭トラブルが起き始め、急成長したプロレスリング団体は急激にその勢いを失くしたのです。
しかし、例の興行師はこんな金のなる木を手放すはずもなく、今度はアメリカへと持ち込み、これまた大成功。アメリカプロレスリングの誕生です。そして太平洋戦争を経て、ある男の手により日本へと持ち込まれたのです。そう、その男こそ前述した空手チョップの男だったのです。
今回のお話は筆者が伝聞の伝聞に独自の解釈を加えたものであり、事実である保証は全くありません。プロレスの起源は諸説あり、これはというものが存在しないのも原因です。なので、ここでのお話はあくまで前振りのためのフィクションと割り切っていただきますよう、重ね重ね、お願い申し上げます。