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さて、その娘の話である。娘は塩汲を、男は塩焼をする村人であった。全く小さな村である。人々は魚を捕って、塩を焼いて、蘆を刈って、蓆を編んで、諸々の雑事をこなして暮らしていた。時折托鉢行脚の乞食坊主が山を越えて来るような、潮風に浸されて麓に張り付き塩をまぶされた、陸奥の、ひっそり閑とした寒村である。事実そこで貉が初めて歌ったのである。
娘は貉が歌うという噂話が異様な広がりを見せるさまを訝しんだ。人を化かす貉のことであるから唄歌いするように見せることは、確かにあるかもしれない。娘には貉の機微などわからなかった。しかしそもそも夜更けに海岸で歌う貉というのは彼女自身が咄嗟についた嘘であって、なぜ同じものを他人が見聞きすることができるだろう?
もう一つ気がかりなことがあった。娘があのように嘘をついた次の日から、度々通っていた男が姿を消していた。朝になっても顔を見せない男を探しに家まで見に行っても、声がしない。中に入ると影も形もない。物をとられたわけでもなさそうである。とにかくあの男の身一つが消えてしまったのである。村や山道、海辺まで出向き彼を探したものの、ただ潮に濡れそぼった男の直垂が、いくつかの岩の一つの陰に、砂にまみれて、流れ着いているのみであった。皆男がいかなる用事か未明の内に浜か磯かに行き、大浪に呑まれて流されてしまったのだろうと噂しあった。
娘は、そのようなことがあるはずがない、と確信していた。逢瀬にと待ち合わせに決めていた場所は潮の音こそ届け満潮のときにも水飛沫が裾に降りかかることはなく、二人は絶えず響いてくる潮騒を背景に臥し語らいしたものだった。しかし男が自分を置いてどこか別のところに行くとも思えず、ではどこへ行ったのかということになると、やはり娘にもこれといった答えはない。
さりとてあまり消沈してもいられないのがこの娘で、父とは死に別れ、老いた母を養わねばならなかった。途絶した恋の切れ端を後生大事に抱えながらも、雑事に追われていると、憂鬱な気分も少しは晴れやかになるような気がして、しばらくは歌う貉の噂を小耳に挟みつつ右へ左へ塩汲を為して過ごしていた。
噂は飛ぶように広がって、寒村から遠く離れた町では往来で貉が人の形をとって唄を歌ったらしい、という伝聞さえもが聞こえてくるようになった。噂の一人歩きを横目に、娘は雪解けの始まった時節のある日、火口に用いる乾れ枝を求めて娘は一人山の裾野を歩いていた。すると繁みの彼方からひどく大きな獣の通り過ぎるときの枝をかき分け進み足許の枯葉や枯れ枝を踏む音が聞こえてきた。熊か? 娘は身構えた。獣は鬱蒼と続く繁みの、道の左側、かなり前の方から聞こえてくる。前を見据えたままじりじりと後ろに下がっていく。
突然前方の茂みが揺れて黒々とした獣が姿を現した。何であろう? 少なくとも熊や狼ではなかったので娘は緊張を解いて近付き、遠くから獣を観察した。やや細長い、丸々とした体の、狸に似た獣である。体躯の割に面長ふうで、短い脚でのそのそと近付いてくる。彼れこそ音に聞く貉ではないかと娘は考えた。娘は初めて貉を正面から見たのである。
すると、いかなる技であるのか、貉の人ならざる口から愛しいあの男の声であの時と同じ唄が聞こえてくるではないか。娘は小脇に抱えていた枝を取り落として腕を中空に迷わせ、口を覆い、目には涙を溜めて、艶のある黒々とした獣の瞳を見つめながら、そろそろと近寄って行った。
娘が貉の目前にまで迫ったとき、唄がやみ、音もなく貉が後ろの二本の脚で立ち上がった。ありうべからざる、五尺あまりの、まっすぐ伸びた身の丈の頂にある目で見つめられ、娘はただ引き寄せられ、ものも言わずして只立ちつくし、魂消え、その十指は貉の滑らかな毛でおおわれた頬にふれた。
その日を境に娘も村から姿を消した。歌う貉の語は街道に沿って広まり、遠く大土根の戦う大宰府にまで及んだということである。