第二話 裏切りに次ぐ裏切り
俺は湯気が立っているティカップに、魔術で氷を精製して中に落とす。
そうだ、今は真夏だ。日中は30度を超す、燃え盛るような炎天下だ。ドヤ顔をしていた自分が恥ずかしい。
「……可愛いですね」
「うるさい、間違えただけだ」
マリは氷で冷えたお茶を再び手に取ると、俺に向けて穏やかに微笑んで言った。俺は顔を赤くしながらそっぽを向く。
「それで、だ。なんで適当に嘘をついてまで抜け出してきたのかってことだが」
「はい、ガリウス様の顔を見て気持ち悪くなってしまったと」
あれ、そこまで言ったっけ? まぁアイツの顔はキモいけども。
「まぁ、それもそうなんだが、あの闘技場で戦っていた者が何かわかるか?」
「魔物ですか?」
「そう、それだ」
ガリウスのブサイクな顔の事は置いておいて、俺が問題にしているのはあの闘技場の魔物のことだ。
「あの魔物は、元々はなんの生き物だったと思う?」
「……?」
俺が問いかけると、やはりわからないようでマリは首を傾げる。
「あれは、人間だったんだ。元々は俺たちと同じヒト族だ」
「どういうことなんですか?」
「さっき、オリハルコンをお茶に変えて見せたろう? あの魔術の応用で、人を魔物に変えているようなんだ」
「大賢者様が作ったのですか」
「違う、ガリウスが勝手に作ったんだ。俺の理論をあんな下劣なことに使いやがって……! 転生術だとかフザケた名前で触れ回って、どういうつもりだ!」
しかも、闘技場で見世物にして金稼ぎまでしてやがる。罪人なら普通に処刑すればいいものを、こんなのは完全な遊びだ。俺はガリウスへの怒りを露わにする。
「……俺は、あの魔術を封印するつもりだ」
「封印なんて、どうやって」
マリがそう質問してくる。
「ああ、新魔術を開発していたっていうのは完全な嘘じゃないんだ。簡単に言えば、術式を破棄する術式ってところかな。それをガリウスが作ったあの転生術の原本に刻み込むんだ」
一番簡単にあれらの行為をやめさせる方法は、術を根本から使えなくしてしまうことだ。
魔術を行使するためには魔術書が必要なのだが、それらには必ず元になる本―――原典が存在する。原典を焼いたり破いたりするなどして壊してしまえば、その魔術は使えなくなってしまうのだ。
だが、原典をただ壊したところで、完全な解決になるわけではない。
原典が壊れたところで、新しく原典が作られてしまえば、また元のように魔術が使えるようになってしまう。それではいけない。俺は魔術を完全に使用不可能にしたいのだ。
「その術式を組み込むことによって、その魔術の術式が、術式の体を成さなくなる。だから魔術は発動出来なくなるというわけだ。おまけに、その原典が壊れたわけではないから、新しく原典を作ることは出来ない。その魔術は永遠に使えなくなる」
「もちろんその使用不可になった原典を破壊しようと考えるだろうことも想定済みだ。破壊不能術式も組み込んである」
壊してリセットを掛けようとするのならば、壊せなくしてしまえばいいのだ。我ながら完璧だな、うん。
「……」
「と、言うことなんだ。……って聞いてる?」
俺は自信満々で彼女に説明をしていたのだが、彼女からの反応がないことに気づく。
「マリ?」
「……」
「あ、あれ? 寝てる?」
「……zzz」
寝てらっしゃる……!
彼女はすやすやと、静かな寝息をたてて目を閉じている。
またやってしまった。つい熱くなってベラべラ喋ってしまったようだ。俺はそっと彼女を起こしてみる。
彼女の顔を覗き込み、肩をゆすりながら耳元でささやく。
「マリさーん、起きてー」
「……はっ」
「お、おはよう……って!?」
彼女は目を覚ますと勢いよく起き上がった。綺麗なおでこが俺の鼻を強打する。
「……申し訳ございません!」
彼女は俺が鼻を抑えているのを見ると大いに慌てた。寝ぼけている姿が可愛らしかった。
「い、いや、いいんだよ。いつも俺の愚痴なんかに付き合ってくれて感謝してるからさ」
「ですが」
「まぁいいよ。ちょっと散歩にでも行こうか」
「……その前に顔を洗ってきても良いでしょうか」
頬を赤く染めてそう申し出てくるマリ。俺はもちろん了承した。
◇
マリが顔を洗って戻ってきたところで、ガリウスの研究室へと一緒に向かう。が、その途中で声を掛けてくる者がいた。
「あら、大賢者様。ごきげんよう」
「……フレア様。どうも、ご無沙汰しております」
立ち止まって声の方を向くと、第一王女のフレアが立っていた。
金髪金眼で整った顔立ちをしていて、きらびやかなドレスに見を包んでいる。彼女はここの王族だ。失礼があってはいけないので、丁寧に挨拶を返す。
「また無駄でへんてこな魔術でも研究していたのですか」
「……いえ」
この子はやたら俺への態度が冷たい。理由は分からないが嫌われているようだ。
「この間なんか、筋肉強化魔術だなんて、訳のわからない物を発表していたではありませんか」
なっ、あれはすごく合理的な魔術だぞ! 訳のわからない物じゃない! 彼女の言い草に、俺は軽くショックを受ける。
彼女は俺の顔を一瞥すると、嫌そうに顔を顰め、
「フン、あまり無意味なことに国庫の資金を浪費しないでほしい物ですが」
フレア王女はそう吐き捨てるように言うと、そっぽを向いて歩き去っていった。なんでこんなに嫌われてるのかなぁ。
俺との婚約話のせいだろうか。きっと彼女には思いを寄せている人でもいるのだろう。
「ま、まぁ行こうか」
「はい」
王宮内を再び移動し、中庭に出る。中庭には様々な植物が繁茂し、それぞれが綺麗な花を咲かせていた。ここまで見事な物は使用人の努力の賜物だろう。
「花が、きれいですね」
彼女がそれらのうち1つの鮮やかな藍色の花に近寄って、花びらに軽く触れながらそうつぶやく。
「ああ、そうだな」
俺はそんな彼女のきれいな横顔を見ながら肯定する。
「……まるで、マリみたいですごく可愛らしい」
俺は半ばうわの空で、そんな事を口にしてから、マリがこちらを向いているのに気がついた。
マリの顔は茹でだこのようになっていた。色白の肌が朱に染まっている。
「そ、そんなことはありませんっ」
彼女は顔を俯かせ、小さい声で否定してくる。俺はそういった謙虚なところも好ましいと思う。
「……可愛いね」
さっきの仕返し込みで、そう言葉を掛けてみる。するとマリの顔はさらに赤くなってしまった。うん、可愛い。
「先程からケイオス様は変ですよ! どうしたのですか」
「別にいつもどおりだけど? それよりさ、今度二人でどっか行かない?」
「また出張ですか? ……いつも二人ででかけているはずですが」
「違う違う。休息日にどこかに遊びに行こうって言ってるの。ほら、今度歌姫も帝国から来るらしいじゃないか」
「ケイオス様はフレア王女様と婚約するのでは? そういったことは……」
俺が何が言いたいのかを悟ったマリがそう危惧する。まぁ確かにそういう話はあるのだが、俺は断るつもりだ。王国なんぞに縛られたくはない。それに、あそこまで嫌われている相手とむりやり結婚なんてごめんだ。
「あれなら受けるつもりはないさ。大体まだ婚約してもいないんだからなんの問題もないだろ? だから、うまい飯でも食べに行こうぜ」
「……っ、すみません。その日は用事があるので、その誘いをお受けすることは出来ません」
一瞬目を輝かせたかと思えば、すぐに申し訳なさそうな顔になり、断られてしまった。非常に残念だが、そういうことならば仕方がない。
「まぁ、また今度誘うからさ、そんな顔しないで。俺は気にしてない、大丈夫だから」
どんどん暗い表情になっていく彼女を慌てて慰める。その後も王宮内をブラブラしたが、彼女の機嫌はなかなか治らなかった。
その夜のことだった。
「ケイオス様、起きてください。ガリウス様が至急、自分の研究室に来るようにと」
マリが、寝室で寝ていた俺を起こしに来た。何事か聞いたら、ガリウスが俺を呼んでいるらしい。こんな時間にいったいなんなんだ。
睡眠を妨害された俺は若干不機嫌になりつつもマリを伴って言われたとおり彼の研究室へと向かう。
扉の前まで来ると、軽くノックをする。中からガリウスの声が聞こえたので、開けて中に入った。
「お待ちしておりました。師匠」
ガリウスは非常ににこやかな表情で出迎えて来る。俺はその顔に少し苛ついたが、態度には出さない。
「こんな時間に呼び出すなんて、お前には常識がないのか」
「ええ、申し訳ありません」
俺がぶつくさと文句を彼にぶつけると、にこやかとした表情は崩さずに謝罪してくる。
「それで、こんな時間に何の用だ」
「……こういうことです」
俺が用件を聞くと、途端に笑みを消し真顔になったガリウスは、そう言って何か合図をした。
俺が彼の不可解な態度を訝しげに見ていると、後ろの自分達が入ってきた扉が勢いよく開く。それとともに大勢の人間が入ってきた。
「ガリウス、どういうことだ」
入ってきたのは兵士だ。兵士達は俺達を取り囲むように整列する。俺はこの訳のわからない状況に、ガリウスに説明を求める。
「……あなたには国家反逆罪の容疑が掛けられています」
「どういうことだ!」
冷たい表情のガリウスから、ありえない言葉が発せられた。俺は激昂し、ガリウスに詰め寄る。襟首を引っ掴んで問い詰めると、彼は冷笑を浮かべて答える。
「あなたがご自身の開発した魔術で、王国の転覆を狙っているという疑いが掛かっているんですよ」
「そんな物は作っていない、……ふざけるな!」
俺がガリウスを睨みながらそう叫ぶと、彼はその嫌らしい笑みをさらに深める。俺の手を振りほどくと、ゆっくりと喋り始めた。
「……魔術の封印術式。そんな物を開発していたらしいじゃないですか」
「何故それを知っている」
おかしい、マリ以外には話したことはないはずだ。ガリウスは俺の問いを無視すると、続けた。
「そんな物を使って国中の魔術を封じてしまえば、国内は大混乱でしょうな。はてさてそのような物騒な物を作って、何をしようとしていたのやら」
「ガリウス、答えろ!」
「うるさいぞクソガキが! 今ここで貴様の発言権など存在しない!」
ガリウスの態度が豹変した。目を大きく見開き、声を震わせながら怒鳴り散らす。
「まだ酒も飲めないような年のガキに媚びへつらうことがどんなに苦痛だったことか! だがそれも今日で終わりだ、ケイオス、お前の時代は終わったのだ!」
そういうことかよ。邪魔な俺をただ消したいがために、嵌めたわけか。
嫉妬。ただそれだけの感情で、ここまでのことをやったわけだ。愚か者が。
「これからはワタシが、賢者として! 真に賢き者として皆から称えられるのだ! 分不相応にも幼稚な愚者が頂点に居座っているという過ちは、今ここで正されるのだ!」
やっぱりこいつはクズだ。だが俺もこんな所でやられるほどバカじゃない。仮にも賢者を名乗っているのだ、俺にも考えがある。
「ガリウス、お前の好きにはさせない」
そう言って物質変換術を使い、剣を生成する。兵士がそれに反応し、次々に剣を抜き去るとジリジリと距離を詰めてくる。
「俺に何人の兵士がたかった所で無駄だ」
軽く剣を横に凪ぐ。それだけで、俺の周りにいた兵士は吹き飛んで地に倒れこむ。風の魔術を剣に乗せたのだ。
ガリウスだけは、結界術を使って防いだようで、何事もなかったかのように立っている。彼は余裕の笑みを浮かべていた。
「結界術か。だがそれを作ったのも俺だぞ? 弱点も当然理解している」
即座に脆い部分に剣を突き入れ、破壊して見せる。そしてそのまま切っ先を彼の首元に突きつけた。
「残念だったな、お前の思い通りにはならないようだ」
俺はそう、言葉を掛けた。しかし、彼の歪んだ笑みは崩れない。
「……何故笑っている」
負傷に思った俺はガリウスに問う。
「そうですね、あまりに思い通りに事が運んでいるので可笑しくて」
思い通り……?
彼の不可解な言動に眉をひそめていると。
「マリ、やれ」
ガリウスがそう指示を出した。
「マリ……うっ!?」
俺がそれを聞いて、後ろにいるはずのマリの方を向こうとすると、後ろから口を押さえられ、何かを嗅がされる。
「ケイオス様、ごめんなさい」
床に倒れ込み、薄れゆく意識の中最後に見えたのは、ガリウスの勝ち誇ったような顔と昼に見た時と同じ、マリの哀しそうな表情だった。
……ちくしょう。