街 1
そこかしこから威勢の良い声が聞こえてくる。
喧騒の中、レオンは門番に渡された通行証に視線を落としていた。
渡された羊皮紙には何やら書かれているが、見慣れぬ文字のため読むことができない。
説明を聞いた限りでは、この通行証は一度きりのもので、街を出る際に門番に渡す必要があるとのこと。
逆に言えば、この通行証を紛失した場合、容易に街から出られなくなる。
尤も、レオンは転移の魔法が使えるため、一度行った場所であれば何処でも行き来自由なのだが……。
レオンは通行証をまじまじと眺めては「う~ん」と、唸り声を上げる。
「予想はしていたが文字が分からないな。まぁ、言葉を理解できただけでも良しとするか。もし、言葉も通じなければ、身振り手振りで説明をする羽目になっていたからな」
「レオン様、解読の魔法で読めるのではないでしょうか?」
フィーアに言われてレオンも(あっ!そう言えば……)と、心の中で呟いていた。
本来であれば語学は一から学ばなければならない。しかし、幸いにもこの世界には魔法がある。文字を読むだけなら魔法で十分補うことが出来た。
実際に読めるようになるかは不明であるが、それでも試す価値は十分にある。
レオンは羊皮紙を片手に持ち魔法を試みた。
「[解読]」
再び羊皮紙に視線を落とすと、今まで読めなかった文字が読めるようになっていた。
書かれていた内容は日付と名前。そして、他国の人間であるという事だけ。実に簡単なことしか書かれていない。
フィーアも魔法を唱えたのだろう。羊皮紙を覗き込み、吐き捨てるように呟いた。
「こんな紙切れ一枚で街に入れるとは、なんと愚かな……」
「そう言うな。我々にとっては好都合ではないか」
「も、申し訳ございません。その通りでございます」
足を止め深々と頭を下げるフィーアに、レオンは眉間に皺を寄せる。
今のレオンとフィーアは夫婦という間柄。それが、こんなに畏まっていては疑われるのは明白である。
レオンは門番とのやり取りを思い出しげんなりする。本当に夫婦なのかと何度も問われ、おまけにフィーアが怒り出したりと散々であった。
結局、最後は支配の魔法で事なきを得たが、再詠唱時間もあるため、頻繁に揉め事を起こされては対応できなくなる。
「フィーア、この街にいる間は、私のことをレオンと呼び捨てにしろ」
「何を仰っているのですか?レオン様を呼び捨てになど、できるわけがございません」
「私たちは夫婦ということになっている。妻が夫を呼ぶのにレオン様はないだろ?」
「確かに私とレオン様は、ふ、ふふ、夫婦でございます。では――だだ、旦那様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
顔を真っ赤にしながら吃るフィーアに、レオンは「旦那様?」と疑問を呈していた。
(昔の日本ではそう呼んでいた時代もあったらしいが、それだと夫と言うよりは店の主に聞こえるな。夫婦って感じがしないんだが……)
「なぜ旦那様なんだ?普通にレオンと呼んだ方がよいのではないか?」
「呼び捨てなどとんでもございません。良き妻は夫のことを旦那様と呼ぶと聞き及んでおります。そして、見送りや出迎えは三つ指をついて行うのだと」
(えぇ……。それ、いつの時代の人?抑、誰から聞いたんだ?)
「それは誰かに教わったのか?」
「教わったと言うわけではございませんが、この世界に来る前、天空城で獅子王様が仰っているのを聞いたことがございます」
(獅子王さん!あんたそんなこと言ってるから、天照さんに愛想つかされるんだよ!二人が離婚した原因がなんとなく分かった気がする。天照さんも苦労したんだな。……はぁ、二人は今頃どうしているんだろ?他のみんなも無事だといいけど……)
レオンの記憶に嘗ての仲間たちが蘇る。
戦いの庭園のメンバーであり、実際の夫婦でもあった獅子王と天照が離婚した記憶はまだ新しい。あの時はギルド中で大騒ぎをしたな。と、嘗ての光景を懐かしむ。
しかし、それもほんの束の間。じっと見つめるフィーアの視線を受けて現実に立ち返った。
「うむ。やはり旦那様はないな。私の呼び方は今までと同じで構わない。無理強いしても良くないだろうからな」
(お芝居とは言え、獅子王さんの二の舞にならないとも限らない。フィーアには嫌われないようにしないとな)
「……畏まりました」
フィーアにとって、愛する主を旦那様と呼ぶのは一つの夢であった。
またとない機会を失い、フィーアは表情に影を落とす。
それでも、お芝居とは言え夫婦という関係は他の従者を一歩抜きん出ている。
常に一緒に行動できることから、これ以上ない滑り出しとも言えた。レオンの姿を見ているだけで自然と頬が綻んでくる。
レオンはそんなフィーアを横目で見ながら、(表情がころころ変わるなぁ)と、関心を寄せていた。
正直に言えば可愛いのである。
それもそのはず、ナンバーズの女性は元々自分の好みに合わせて創った従者。可愛いに決まっている。
レオンはそんなフィーアを気遣うように、人混みを避けながら、門番に聞いた場所を目指していた。
「大分歩きましたが、まだ着かないのでしょうか?」
「街全体が大きいからな。距離があるのは仕方ない」
「冒険者ギルドですか――この世界にもあるのですね」
「手っ取り早く情報を集めるなら、冒険者ギルドほど便利なものはない。尤も、私の知る冒険者ギルドと同じであればの話だがな」
教えられた方向にひたすら歩いていると、聞いていた建物が視界に飛び込んでくる。
頭ひとつ抜きん出たそれは決して新しいとは言えない。年季の入った木の柱は幾つもの傷を刻み長い年月を感じさせる。
それでも手入れが行き届いているのか、それとも部分的に立て直したのか、外観は全体的に見ると綺麗であった。
木の木目を生かした外壁が特徴的で、どこか暖かさを感じさせる造りになっている。
レオンは迷うことなく、その建物――冒険者ギルド――の扉を叩いた。
「カラン、カラン」と心地よい音が部屋中に響き渡る。
扉を開け、先ず最初に視界に入ったのは、正面の大きな掲示板。そこには、所狭しと依頼と思しき張り紙が張り出され、数人の男女が真剣に吟味を重ねていた。
視線を僅かに左に逸らすと、長いカウンターが部屋を分断するように置かれ、その奥には受付と思われる女性が数人座っている。
誰もが退屈そうに寛ぎ、中には頬杖をついている女性までいた。
昼時という時間帯も関係しているのだろう。冒険者ギルドの中は閑散としいて活気がない。
初めて見る客に受付の女性は好奇の視線を送り、依頼を選んでいた冒険者も横目で様子を覗っていた。
レオンはそれらの視線を撥ね退け、真っ直ぐにカウンターを目指す。
頬杖をついて欠伸をしている、少し態度の悪い受付嬢の前で立ち止まると、女性は面倒くさそうに顔を顰めた。
他が空いているだろうと言わんばかりに、隣の受付嬢を見やる。
それからチラリと視線を戻すが、それでもレオンが動かないことから、女性は観念したように挨拶をしてきた。
「いらっしゃいませ。今日はどのようなご要件でしょうか?」
少し気だるそうに挨拶をする女性に、レオンは僅かに笑みを浮かべた。
(やる気が感じられないなぁ。サラリーマン時代の俺と同じで、親近感すら感じるぞ……)
どのようなご要件も何も、見たこともない新顔が冒険者ギルドでやる事は限られている。
それは……
「依頼を頼みたい」
まぁ、普通は依頼を頼む客だろう。
受付嬢もそれを予期していたのか既に用紙を取り出していた。
「では、こちらに依頼者の名前と依頼内容、期限や報酬の金額も記入してください」
「すまないが、私たちは遠い異国から来たため文字が書けない。代わりに書いてくれないか?」
すると女性はあからさまに嫌な顔をする。
隣の受付嬢を見るが、「担当は貴方でしょ」と、首を横に振り取り合わない。
やむなくレオンへと視線を戻し、態と聞こえるように盛大に溜息を漏らしていた。
余程仕事をしたくないのだろう。これには流石のレオンも苦笑いを浮かべる。
それでも仕事はきちんとこなすようで、努めて丁寧に話しかけてきた。
「では、依頼者の名前をお伺いしてよろしいですか?」
「レオン・ガーデン」
「依頼内容を教えていただけますか?」
「近隣諸国の一般的な情報。それと、名の知れた強者の情報が欲しい」
それは、この国の人間であれば誰でも知っていること、金を出してまで求める情報ではない。
受付嬢も「はぁ?」と口を開け呆れるが、当のレオンは大真面目である。
(折角、金が手に入ったんだ。情報を買わない手はない。何よりこの手段が一番手っ取り早いからな)
「えっと、依頼内容はそれでよろしいのですか?」
「先ほども言ったが、私たちは遠い異国から来て間もない。何も分からないため情報が欲しい」
「なるほど……。では期限と報酬の金額はどうされますか?」
(報酬か……。冒険者ギルドに来るまでの間、道すがら買い物客を観察していたが、多くの客が銅貨で支払いをしていた。それを踏まえるなら銅貨はないな。報酬が少なければ依頼を受ける冒険者がいないかもしれない。例えいたとしても時間が掛かる恐れがある。報酬は多くしても時間は短縮したい)
「期限は明日まで。報酬は金貨1枚だ」
「金貨1枚?本当ですか?」
訝しげに尋ねる受付嬢に、レオンは「そうか、少ないのか」と、頷き返す。
「では金貨2枚にしよう」
目の前の女性は瞳を大きく見開き声を上げる。
「この依頼、私が受けるわ!エミー、後はよろしくね!わたし休憩時間に入るから!」
「えっ!?ちょっと、ニナずるいわよ!私だってその依頼受けたいのに!」
「何言ってるの?この人の担当を断ったエミーが悪いのよ。こういうのは早い者勝ちよ」
ニナと呼ばれた受付嬢は同僚の女性を一瞥すると、満面の笑みでレオンへと向き直った。
「こちらの依頼は、私が責任を持ってお受けいたします」
「まぁ、別に誰でも構わないが――受付が依頼を受けてもよいのか?」
「私たちも冒険者として登録をしております。問題はございません」
「そうか、ならばお願いしよう」
「はい。ここは人目がありますので、お部屋の方にご案内いたします」
ニナはそそくさとカウンターを出ると、奥の部屋へと二人を案内する。
レオンにとっても直ぐに情報を貰えるのは渡りに舟、断る理由は何処にもない。
報酬も所詮は他人から奪ったもの、どれだけ無くなろうと痛くもなかった。
奥の部屋に入ると、其処にあるのは簡素な机と椅子だけ、調度品の類は何もなく、人が数人入るのがやっとの空間であった。
少人数用の談話室であろうその場所は、防音になっているのか扉は重い。
促されるまま椅子に腰を落とすと、机を挟んだ反対側にニナが座り、レオンとフィーアを交互に見て口を開く。
「先ずは自己紹介をしましょう。私はニナ・エムス、よろしくお願いしますね」
「私はレオン・ガーデン。隣に座るのは妻のフィーア・ガーデンだ。よろしく頼む」
「こちらこそ、では何から教えましょうか?」
「先ず、この国や近隣諸国のことを教えて欲しい」
ニナはレオンの言葉に二つ返事で了承すると、ゆっくりと、そして丁寧に話し始めた。
これは報酬が高額であることから、彼女なりの配慮である。
「この国はアスタエル王国、この街は東にあるメチルの街です。この国は貴族制で――」
それから様々な情報を教えてもらうが、結局のところレオンの一番知りたかった情報は何もない。
名の知れた強者の中に、プレイヤーがいるのでは?と、思っていたのだが、その尽くがプレイヤーではなかった。
何年も前から知られているという時点で、プレイヤーの可能性は皆無である。
プレイヤーであるならば、レオンと同時期にこの世界に来たはず。何年も前から知られているはずがないのだから……。
考え込むレオンに、ニナが心配そうに覗き込む。
尤も、心配なのは報酬を全額貰えるのか、その一点に尽きた。
情報不足であれば、知りうる情報を幾らでも話そうと身を乗り出していた。
「どうでしたか?」
「ん?あぁ、分かりやすい説明だった。感謝する」
「良かったです」
そう言うとニナは両手を広げて差し出した。その分かりやすい仕草にレオンも直ぐに気が付く。
マントの下に手を入れ、懐から取り出したかのように金貨を2枚手に出した。
その金貨を机の上に置くと、ニナは満面の笑みでそれを受け取った。
「これで依頼は終わりだな」
「はい。ありがとうございます」
立ち上がろうとするニナをレオンは手で静止した。
「はい?」と、不思議そうに首を傾げるニナに話しかける。
「その前に一つ訪ねたいことがある。他国の人間でも冒険者になれるのか?」
「勿論なれます」
「そうか、冒険者になれるのか……」
「もしかして冒険者になりたいのですか?」
「いや、知り合いがいるかもしれないと思ってな」
「知り合いですか?」
「あぁ、探しているのだが、何処にいるのか見当もつかない」
「それこそ――いえ、何でもないです……」
ニナは、それこそ依頼を出されたらよろしいのでは?と、言いかけてやめた。
何処に居るかも知れない人物を探すのは容易ではない。膨大な時間を要するため、引き受ける冒険者は皆無、依頼を出しても意味がないからだ。
レオンもまた依頼を出しても無駄だろうと思っていた。
外見は変装や魔法で幾らでも偽ることができる。それを踏まえるなら、自分で直接探すしかないと。
「ニナ、冒険者の登録リストを見せてもらえるか?」
「流石にそれは無理です。関係者以外は見ることができません」
(だよな……。まぁ、いいか。見たところで偽名を使っている恐れもある。名前をそのまま信じるのも危険だしな。俺なら看破の魔法も使える。やはりこの目で直接確認するしかないか)
「無理を言ったな。忘れてくれ」
「はい。また依頼がありましたら私までお願いします」
「うむ。その時はまた頼む」
レオンは鷹揚に頷くと椅子から立ち上がり、それに倣うようにフィーアも部屋を後にした。
ニナは冒険者ギルドから立ち去る二人を見送ると、所定の場所に腰を落とす。
その様子を同僚のエミーが恨めしそうに見つめていた。
無言の圧に耐えかねたニナが肩を竦める。
「なに?言いたいことがあるなら言いなさいよ?」
「いいわね。金貨2枚」
ジト目でそう告げるエミーに、ニナは「ふふん」と、得意げに金貨を2枚取り出した。
「さっき手伝っていれば、美味しい食事でも奢ってあげたんだけどなぁ~」
「ぐっ!悔しい。あの客が私の前に来ていれば……」
「そう落ち込まない。あの客また来るかもしれないじゃない」
「そ、そうよね」
エミーの声が高くなる。今度来た時は自分が美味しい思いをしようと妄想を膨らませた。
しかし、ニナに抜かりはない。依頼は自分のところへと声はかけている。次もあるなら間違いなくニナが担当になるだろう。
「ねぇニナ、あの羽振りの良かった人って独身?」
「エミーあの人のこと狙ってるの?残念だけど既婚者よ。一緒にいた人が奥さんみたい」
「結婚してるのか……。金持ちは女作るの早いわねぇ」
「でも、夫婦って感じがしないのよね。自分の夫のことをレオン様って呼んでたし」
「なにそれ?夫に敬称を付けて呼んでるの?」
「何でも屋敷に仕えていた使用人で、その時の癖で今でもレオン様って呼んでるみたい」
「屋敷に仕えていた使用人?やっぱり何処かの豪商かしら?金持ちの旦那を捕まえるなんて羨ましい」
「う~ん。それにしては話し方が一々偉そうなのよね。商人と言うよりは貴族って感じかしら」
「金持ちの貴族か――この国の貴族は碌なのがいないからな……」
「でも、あの人は遠い異国の人だし、どうなんだろ?話してる分にはまともそうに思えたけど」
「どこの国の人?」
「教えてくれなかったわ。内密な旅だからって」
「ふ~ん……」
エミーはやる事もなく、だらんと体をカウンターに預ける。
部屋には受付嬢以外誰もいない。先程までいた冒険者も、既に依頼を受けて冒険者ギルドを後にしていた。
冒険者がいなくなり人目がなくなると、他の受付嬢も読書をしたり、裁縫をしたりと、思い思いに過ごしていた。
静まり返った部屋には、いつしか寝息が聞こえてくる。
エミーが隣に視線を移すと、ニナはカウンターに突っ伏し、気持ちよさそうに寝息を立てている。
ニナの頬を指先でつつくが起きる気配がまるでない。
(これだけ神経が図太ければ、将来大物になるわね……)
すやすやと寝息を立てる同僚を、エミーはいつまでも微笑ましく眺めていた。
冒険者ギルドを後にしたレオンとフィーアは賑やかな繁華街を歩いていた。
大通りは人で溢れ、道行く人々は店の軒先で足を止めては商品を吟味している。
所狭しと屋台も並び、香ばしい匂いや、甘い匂いが漂っていた。
「レオン様、これからどちらに?」
「この世界独自のアイテムが気になる。店に並んでいる商品を調べるぞ」
フィーアは無言で頷くと、レオンの後ろについて歩く。
二人は店先で足を止め、乱雑に置かれた商品に手を伸ばした。
どれもが初めて見るアイテムであるが、鑑定をすると、そのレベルの低さにレオンは顔を顰め、フィーアもゴミを見るように表情が無くなる。
見るからに碌なアイテムが置かれていないことから、堪らずレオンが心の内で愚痴を零す。
(この世界にはレベルの低いアイテムしかないのか?ガラクタばかりじゃないか……)
次々と商品を鑑定していくが、アイテムとしてのレベルは10以下――中にはレベル20前後のアイテムもあったが、法外な金額が書かれていた。
レベル20のアイテムに支払う金額ではない。
武器や防具はどれも低い数値で特殊効果は何もない。回復アイテムは僅かな効果で即効性に欠けていた。
こんな物を誰が買うんだと思わず毒を吐きたくなる。
だが、実際に買う客もちらほら見ているため、これがこの世界の一般的なアイテムなのかと納得する他なかった。
店の商品をある程度鑑定し終えると、フィーアがどうしたものかとレオンに尋ねる。
「レオン様、次の店に行かれますか?」
「いや、もう必要ない。これ以上は時間の無駄だ」
周囲の店を見てレオンは言い切る。
軒先には同じように武器や防具が並んでいたが、ここと似通ったものしか置かれておらず、他の店を覗いても結果は目に見えていた。
「これから如何いたしましょうか?」
「そうだな。そこら辺の屋台で何か買ってみるか、この世界の食べ物はどんな味がするのか興味がある。フィーアも食べてみないか?」
「いえ、私は結構でございます」
「そうか……」
(俺だけ食べるのは少し申し訳ない気もするが――まぁ、好き嫌いもあるだろうし、無理強いはできないか)
肉を焼く匂いに誘われ、レオンは一つの屋台に目星を付ける。
そこには、串に刺された肉を一心不乱に焼く店主の姿があった。絶妙なタイミングで肉を返す手捌きは名人芸と言えよう。
肉は美味しそうな油を滴らせながら焦げ目を作っていき、炭に落ちた油が煙と共に香り付けをしている。
その香りに吸い寄せられるように、道行く人が屋台に群がっていた。
早速レオンも注文を試みる。
「店主、この肉を一つくれないか?」
「銅貨1枚だよ!」
威勢の良い声が響き渡る。レオンが銅貨を渡すと、店主は慣れた手つきで素早く肉を差し出した。
表面がカリカリに焼けた肉は、油が滲み出て見るからに美味しそうである。
レオンは堪らず、歩きながら肉に齧りついた。
しかし、その表情は咀嚼する度に険しくなる。噛めば噛むほど肉の臭みが口の中に広がり、吐き気を覚えて思わず口を手で覆った。
(不味い……。なんだこの獣臭さは。香辛料や味付け、焼き加減は最高なのに、それを素材の肉が全部台無しにしている)
他の客の様子を覗うと、みな一様に美味しそうに頬張り、誰一人嫌な顔をしていない。
その驚愕の事実にレオンは肩を落とす。
(この世界では肉の臭みは当たり前なのか……。店主には悪いがこの肉は食べられない)
レオンは肉を捨てる場所がないか辺りを見渡すと、フィーアが物欲しそうにこちらを見ているのに気付いた。
手元の串肉をジッと見つめて視線を外そうとしない。
「フィーアも食べたいのか?美味しくないが――そんなに食べたいならもう一つ買ってこようか?」
「い、いえ、レオン様はその肉をどうなさるのかと思いまして」
「私はもう食べないから捨てるつもりでいる。だが、ゴミ箱らしき物が見当たらなくてな」
「では、私にいただけないでしょうか?」
「食べたいなら新しく買ってやるぞ?」
「そうではございません、それをいただきたいのです」
「ん?まぁ、捨てるのも勿体無いか。これで良いのであればお前にやろう。それと、愚者の指輪は外す必要はない。あれは飲食不要になるアイテムだが、食事ができなくなるわけではないからな」
「畏まりました。それではいただきます」
フィーアは串肉を受け取り、レオンが齧り付いた場所を真剣な眼差しで見つめる。
喉をゴクリと鳴らして同じ場所に齧り付き――フィーアの唇は空をきった。
串肉はレオンが齧り付いた肉だけが、串ごと切り落とされなくなっている。
僅かに視線を逸らすと、口をもごもごと動かすヒュンフがレオンの影に溶け込んでいた。
こうなると犯人は一人しかしない。
「レオン様!ヒュンフが、ヒュンフがレオン様のお肉を横取りいたしました。許しがたい行為です!」
(えっ?肉がなんだって?)
切実に訴えるフィーアに、レオンが串肉を確認する。
確かに上の肉が一つ無くなってはいるが、その下にはまだ肉の塊が幾つも刺さっていた。
「肉の一つくらいよいではないか。他にも肉が刺さっているだろう、もっと食べたければ新しいのを買ってやる。そんなに落ち込むな」
「そういうことではないのです……」
フィーアはそう呟くと、大事な部分がなくなった串肉を悲しげに見つめ、残りの肉に僅かに齧り付いた。
その口からボソリと言葉が漏れる。
「美味しくない……」
「だからそう言っただろ?無理に食べることはない」
それでもフィーアは首を横に振り、黙々と食べ続ける。
自ら欲したことによる使命感であろうか。鬼気迫る表情に、何処か執念のようなものさえ感じられる。
レオンはフィーアを止めることもできず、ただ静かに見守ることしかできなかった。
空はいつしか茜色に染まり、街には長い影が伸びる。
レオンは沈みかける夕日を眺めながら、大通りをゆっくりと歩いていた。
日が暮れてからは商売をしないのだろう。通りに面した店では早くも店仕舞いの準備をしている。
家路を急ぐ住民たちは、足早に路地裏へ消えていき、人影は見る間に疎らになっていく。
それを見越したかのように空の色も変わり、街は黒一色に染まっていった。
通りに設置された魔道具が仄かな光を放つが、その微々たる光では全てを照らすことはできない。
所々が闇に閉ざされた夜道を、レオンは新鮮な気分で堪能していた。
冷たくなった空気が肌に心地よく、空には漆黒の闇を彩るように、満点の星が輝いている。
都会では見ることのできない光景に、レオンは足を止めて夜空を見上げた。
(星を見なくなったのはいつからだろう……。中学、高校?少なくとも就職をしてからは、空を見上げることなんてなかった気がする)
「暗い夜道も悪くないな」
「ですが、これで街の治安を守れると思っているのでしょうか?」
レオンは路地裏に目を凝らし肩を竦めた。
そこは明かり一つなく、全てが闇に飲み込まれている。
「それは無理だろう。路地裏には明かり一つ無い。衛兵が巡回しているようだが、この街の全てを見て回るには人数が少ない様に見える」
レオンの知る現代においても犯罪は無くならない。
夜道は街灯に照らされ、至るところに監視カメラが備え付けられても尚、当たり前のように犯罪は起こっている。
それを考慮するなら、この街では犯罪が横行していてもおかしくないと思えた。
レオンの言葉を聞いたフィーアは苦言を呈す。
「このような街にいつまでも滞在するのは危険かと。レオン様を狙う人間がいるやもしれません」
「別によいではないか?身包み剥いで抹殺すればよい。蘇生実験の検体として回収するのも悪くない。犯罪を犯すような人間なら、さぞ恨みを買っているだろう。消えてもさほど不思議ではないからな。恐らく大きな騒ぎになることもないだろ」
「ですが、もし万が一にもお怪我をされては一大事です」
「対策はしてある。私が怪我をすることはない」
「それなら良いのですが……」
フィーアとてレオンの強大な力は認識している。
この世界の人間に襲われたところで無傷であろうことも。
それでも、大切な主が襲われているところを、誰が見たいと思うだろうか。
その真意を悟ってもらえず、フィーアは深い溜息を漏らした。
夜の大通りを歩いていると、二頭立ての豪奢な馬車がゆっくりと近づいてきた。
御者は手綱を握りながら器用にランタンを持ち、何かを物色するように周囲を見渡している。
その様子は人を探しているようにも見えるが、何処か不審な感じがした。
違和感を覚えつつ、そのまま馬車をやり過ごそうと歩いていると、馬車はレオンの横で止まり、御者の男が口を開く。
「見ない顔ですね。旅の人ですか?」
レオンは不意に話しかけられ戸惑うも、何も答えないのは失礼に当たる。
馬車は外観から恐らく貴族のもの。無視をして騒ぎになりでもしたら目も当てられない。
「あぁ、各国を旅して回っている」
「そうですか、羨ましいですね。夜は危険ですので気をつけてください」
「そうか、気遣い感謝する」
「では、良い旅を」
御者は笑顔でそう告げると馬を走らせた。
馬車の小窓に掛かるカーテンが揺れ動き、微かに視線を感じたが、それは一瞬のこと。
その時は気にも止めなかった。
レオンらと別れた馬車では、30代と思しき男が甲高い笑い声を上げていた。
御者席に繋がる小窓を開け、嬉しそうに御者に話しかける。
「ビストール、今度の女も中々綺麗ではないか?今ある玩具はもう壊れかけているし、交換するには丁度良いだろ」
「シリウス様、もうお止めになりませんか……。お父上がご存命であれば、きっと悲しまれております」
「黙れ!貴様は誰のお陰で今の生活ができると思っている!大恩ある我が公爵家に逆らうと言うのか!」
「それは……」
「ふん!いつも通り男は殺して女は攫ってこい!」
「……畏まりました」
ビストールは頷くことしかできない。孤児だった自分を助けてくれた恩を返すためにも。
それが間違っていると分かっていても、ビストールにはどうすることもできなかった……
屋敷に戻ったシリウスは、久し振りに玩具を寝室に呼び寄せた。
それは若いメイドの少女。僅かな明かりが灯された寝室で、少女はシリウスの人形となる。
逆らうことも泣き叫ぶことも許されない。ただ感情の持たぬ人形として扱われる。
「脱げ。お前の醜い体を晒して見せろ」
少女は言われるがままメイド服を脱ぎ去る。
顕になったのは白い肌ではない。至るところにアザがある赤黒い肌。
酷い暴行を受けたであろうその肌は、所々が醜く腫れあがり、鞭で叩かれたようなミミズ腫れが全身を覆っている。
シリウスは少女の全身を舐め回すように見ると、
「いつも通りだ。上手くやれなかったら――分かるな?」
その言葉に少女の体が小刻みに震えた。
少しでも不快にさせたら、待っているのは拷問という名の遊び。
少女は震える唇で言葉を紡ぐ。
「ご奉仕させていただきます」
ベッドに横になるシリウスに覆い被さり、その後は一心不乱に体を動かした。
喜んでもらうため、自らの命が少しでも永らえるために……