北へ 3
青々と草木が生い茂っていた草原は見る影もない。
大地は真っ黒に焼け焦げ、不快な臭いが丘の上まで漂っていた。
鼻腔を通り抜ける焦げ臭い臭いが、この光景が幻でないことを如実に告げている。
戻ってきたレオンをフィーアが出迎え恭しく頭を下げた。
「お帰りなさいませ、レオン様」
「うむ」
ミハイルらもレオンに歩み寄り、説明を求めて次々と口を開いた。
「レオンさん、今のは魔法なんですか?」
「さっきのは何だ?空から光が降ってきたと思ったら、草原が焼け野原じゃねぇかよ!」
「その前に使っていた魔法もなに?何処で覚えたのよ?」
「レオンさんがいれば連れ去られた村人も助けられます」
レオンはどうしたものかと溜息を漏らし、重い口を開いた。
「お前たち、先ほどのことは忘れろ」
「忘れろ?レオンさん、どういう事ですか?」
「全てはゆたんぽのしたことにする。私は何もしていないという事だ」
「はぁ?何言ってんだ。お前がやったんだろ?」
「私にも事情がある。人から注目されては不味いのだ」
レオンの言葉にミハイルたちは互いの顔を見渡す。
誰もが無理だろうと肩を竦めた。サラマンダーを騎乗魔獣にした時点でレオンの名は知れ渡っている。
あの街でレオンの名を知らぬ冒険者は、もはや潜りといっても過言ではない。
ベティやウィズは今更何を言ってるんだと呆れ返っていた。
尤も、ウィズの興味はそんなことより魔法にある。見たこともない魔法に胸を躍らせていた。
「それより何処であんな魔法を覚えたのよ?」
「他の大陸だ。詳しい場所は言えない」
「場所を言えない?じゃあ私に魔法を教えてよ」
「無理だな。私は魔法は使えるが教えることは苦手だ。弟子を取るつもりはない」
「いいから教えてよ!ちゃんとお金は払うから!」
「金には困っていない。抑、なぜ私がお前のために時間を割かねばならぬのだ。まったく馬鹿馬鹿しい」
「ちょ!なんですって!私はこれでも天才魔術師って呼ばれてるのよ!その私に――」
「ウィズ、あっちで少し落ち着こう」
見かねたミハイルがウィズの手を引き宥めに入った。
話が途切れると、間髪入れずにシェリーが口を開く。
「レオンさん、連れ去られた村人を助けに行きましょう!」
「馬鹿な事を言うな。私は目立ちたくないと言ったはずだ」
「でも、あれだけの魔法が使えるなら――」
「抑、お前のせいで仲間は危険に晒されたのだぞ?もし私が戦わなければ、お前は仲間を巻き込んで死んでいた。私に何かを求める前に先ずは反省をしろ!」
「…………」
シェリーもそれは自覚していた。
仲間を危険に晒したことはシェリー自身が誰よりも分かっている。
今回生き延びたのは奇跡のようなもの。偶々レオンが凄い魔法を使えたからに過ぎない。本来であれば間違いなく全滅している。
それだけに返す言葉が見つからなかった。
表情に影を落とすシェリーを見て、ベティがニカッと笑いかける。
「まぁ、終わったことだ。気にすんな。みんな生きてんだからいいじゃねぇか」
ベティはシェリーの頭をぐしゃぐしゃ撫でまわし、最後は力強く抱きしめた。
「そんなに落ち込むな。誰にだって失敗はあるさ」
ベティの優しい言葉に、シェリーは涙が溢れそうになる。
その涙を堪え「うん」と、頷き返すと、シェリーはベティの胸の中で何時もの穏やかな表情に戻っていった。
落ち着くシェリーを見てベティがレオンに尋ねる。
シェリーの言葉ではないが、攫われた村人を放って置くわけにもいかない。
何らかの対策を講じる必要があるとベティも考えていた。
「レオン、攫われた村人はどうする?お前は放っておくのか?」
「私は何もしない。それはこの国が行うべきことだ」
「でもよ、お前なら直ぐに助けられんだろ?」
「だろうな。だが私は一介の冒険者に過ぎない。勝手に動いて他国に捕らえられた村人を奪い返してみろ。国王や貴族の面子は丸潰れだ。それに、村人を奪い返したことで、獣人たちが本格的に侵攻してくる恐れもある。そうなった場合、私は間違いなく責任を取らされるだろうな。もし全面戦争にでもなれば、被害は今回の比ではない。お前はそれでも助けに行けというのか?」
「だけどよ……」
ベティは納得が出来ないのか、不満そうな顔でレオンをじっと見つめる。
話を聞いていたミハイルもベティの気持ちは分からなくもなかった。助けられる力があるのに何もしないのは間違っているとも思う。
だが、レオンの言うことは最もである。全てはこの国が決めること。
一介の冒険者が勝手に動いてよい事案ではない。
ミハイルはベティとシェリーに向き合い、少し困った顔をしながら口を開いた。
「僕もベティやシェリーの気持ちは分かるよ。助けられる命なら助けてあげたい。でもレオンさんの言ってることは正しい。今後どう動くかは国が決めること、僕らが決めることじゃないよ」
「はぁ~、分かった。この件に関してはもう何も言わねぇよ。シェリーもそれでいいよな?」
シェリーはベティの胸の中で小さく頷いた。
ミハイルは二人の意思を確認すると、レオンに視線を移し深々と頭を下げた。
パーティーを纏めるリーダーとして、発言の責任は自分にもあると思っているのかもしれない。
「レオンさん、僕の仲間が無理なお願いをしてすみません。先ほどの言葉は忘れてください」
「構わんさ。それより、私の使った魔法のことは他言無用だ。先程も言ったが、全てはゆたんぽが暴れたことにする」
レオンの言葉を聞いてベティとウィズが溜息を漏らす。
焼け焦げた草原に獣人たちの骸の山、とても誤魔化しきれるものではない。
サラマンダーの戦う姿を見ていない二人は、無駄なことだと異を唱える。
「流石にそれは無理があるんじゃねぇか?」
「ベティの言う通りよ。どうすればサラマンダーで辺り一面焼け野原に出来るのよ」
「ん?何だミハイル、村での出来事を教えていないのか?」
「いえ、サラマンダーが炎で獣人を焼き殺したと言っても信じてもらえなくて……。村の周囲の焼け跡も、油でも撒いて火をつけたんだろうと――」
(ミハイルの言葉でも信じないとは……。人間不信か?脳筋と我が儘にも困ったもんだな……)
「まぁよい。何れにせよ、ゆたんぽは連れてこないと話にならないしな。フィーア、ゆたんぽの代わりにポーターの護衛を頼む。ゆたんぽにはこちらに来るように伝えろ」
「畏まりました」
レオンが立ち去るフィーアの背中を見送っていると、ミハイルが不思議そうに首を傾げた。
「レオンさん、ポーターと合流しないんですか?」
「いまポーターにこの光景を見せるのは不味い。ゆたんぽが暴れたことにするのだから、ゆたんぽと一緒にいるポーターを連れてきては、嘘が直ぐにバレてしまう」
「確かにそうですが、誤魔化せたとしても、僕たちが誰かに話したらどうするんです?」
「そう言われるとそうだな。ミハイルやシェリーは信用できるが、ベティとウィズは口が軽そうだ。取り敢えず呪いでも掛けるか……」
呪いという言葉を聞いて、みな一様にぎょっとする。
この世界にも呪いはあるが、それは体や心を蝕むもの。強力な呪いの中には命を脅かすものまである。
呪いという時点で間違いなく碌なものではない。
ミハイルはレオンの顔色を覗うようにおずおずと尋ねた。
「レオンさん、冗談……ですよね?」
「うむ。冗談だ」
ミハイルが胸を撫で下ろすのも束の間。
レオンは神妙な面持ちでミハイルたちを見渡した。
「呪いを使用しなのは、友人としてお前たちを信用しているからだ。そして、友人に裏切られるのは何よりも辛い。だから――もし私を裏切り、誰か一人でも今回のことを話そうものなら、連帯責任として四人全員殺す。分かっているとは思うが、どこに逃げても無駄だ。その気になれば、国ごとお前たちを抹殺することもできるのだからな」
また冗談だろうとミハイルは軽い感じで聞き返す。
「冗談ですよね?」
だが、ミハイルの問いにレオンは答えない。
ただ真っ直ぐに、真剣な眼差しでミハイルの瞳を見つめ、視線を外そうともしない。
そこからはレオンの強い意志が感じられる。
その異様な雰囲気に、ミハイルのみならず、他の三人も思わず息を飲み込んだ。
「わ、分かりました。僕らは何も言いません」
万が一があってはならない。
ミハイルは他の三人に視線を向けて念を押す。
「ベティ、シェリー、ウィズ、君たちもいいね。今回のことはサラマンダーがやったこと。レオンさんは何もしていない」
「でもよ。サラマンダーにそんなことが出来るのか?」
「そうよ、後で追求されたらどうするの?」
「それは、問題ないよ」
「ミハイルの言う通り問題はない。ちょうどゆたんぽも来たことだしな。お前たちにも見せてやる。サラマンダーの本当の姿をな」
レオンの視線の先では、サラマンダーが見る間に近づいて来ていた。
丘の上から見下ろしているため、その速度がよく分かる。腹が地面を擦るくらい足が短いのに、馬の速度を優に超えている。
一体どこからそんな速度が出るんだと疑問に思わずにはいられなかった。だが、今はそのことを論じている時ではない。
レオンは気持ちを切り替える。
サラマンダーはレオンの前で止まり、甘えるように頭を擦り寄せてきた。その頭を一頻り撫で回すと、レオンはサラマンダーに指示を出す。
「ゆたんぽ、お前の本来の姿を見せてやれ」
「きゅきゅう」
突如サラマンダーの体を炎が覆う。
その光景にベティとウィズが目を丸くするのを見て、レオンはサラマンダーに次の指示を出した。
「ゆたんぽ、今度はあそこに見える草原で炎魔人の吐息を使え」
「きゅう」
大地を焼きながら移動をするサラマンダーに、ベティとウィズは唖然とする。
そして、サラマンダーが炎魔人の吐息を使うと、瞳を見開き驚きの声を上げた。
「あれがサラマンダー?嘘だろ?なんだよあれ、いま一瞬にして炎が広がったぞ!」
「ちょっと冗談でしょ?あんなの誰も近づけないわよ!炎の広がり方が異常すぎるわ!」
「嘘でも冗談でもないですよ。レオンさんの話によると、サラマンダーとは炎を操る魔物らしいです」
「…………」
「…………」
二人とも言葉がでない。
唯々サラマンダーの想定外の強さに驚くばかりである。 確かにあれならこの惨状を作り出してもおかしくはなかった。
戻ってくるサラマンダーを見て二人は思わず後退る。もう既に炎を身に纏ってはいなかったが、恐怖からか自然と体が動いていた。
遠ざかる二人に、レオンはどうだと言わんばかりに胸を張る。
「これで私が問題ないと言った意味が分かっただろ?」
「あ、ああ、そうだな」
「ええ、分かったわ……」
「うむ。分かればよいのだ。今回の件は全てサラマンダーがしたこと。よいな?」
二人は顔を引き攣らせながら、何度も首を縦に振る。
それを見たレオンは、これで大丈夫だろうと、ほっと胸を撫で下ろした。
(情報漏洩を防ぐような、都合のいい呪いなんてないしな。まぁ、これだけ脅しておけば、誰も余計なことは言わないだろ。サラマンダーが蹂躙する時間を考えると、あまり早くポーターを呼びに行っては怪しまれる。少し時間を置いてからポーターと合流するか……)
それからはやる事もなくなり、暫く時間を潰して過ごした。
念のためサラマンダーには、焼け焦げた草原を走り回らせ、広範囲に足跡を残させている。
余程のことがない限り、これで誤魔化しきれるはず。
レオンはそう考え安堵の溜息を漏らしていた。
程なくしてレオンらはポーターと合流する。
その頃にはベルカナンの霧も徐々に晴れ、ポーターやベルカナンの兵士たちが、目の前の惨状に口をあんぐりと開けたのは言うまでもない。
そして今は駆けつけた兵士に事情を説明している真っ最中であった。
サラマンダーが炎を纏いスキルを使うと、兵士やポーターは驚きの表情を見せる。
「な、なるほど。このサラマンダーが獣人たちを……」
「はい。ここに来る途中で街道沿いの村にも立ち寄りましたが、既に襲われた村が幾つもありました。襲っていた獣人たちは殺しましたが、他にも村を襲う別働隊がいるかもしれません。街道から離れた村を中心に討伐隊を出してください」
「分かりました。直ぐに隊長に知らせます」
話を聞いていた他の兵士が頷き、ベルカナンの街へと馬を走らせ消えていった。
ミハイルはそれを見届け、レオンに視線を向ける。
「レオンさん、陽も傾き始めています。今日はベルカナンに泊まり明日帰りませんか?」
「そうだな。個人的には魔導砲に興味がある。是非、見たいものだ」
レオンは兵士に視線を向けると、兵士の男は困ったように顔を掻いた。
魔導砲は防衛の要。本来であれば限られた者にしか触れることができない。だが、この街を獣人から守ってくれた恩もある。無下に断ることもできなかった。
兵士は仕方ないとばかりに口を開いた。
「どうなるか分かりませんが、その願いは隊長に伝えておきます」
「よろしく頼む」
「では街の入口まで同行しましょう」
レオンが頷き返すと、一行は兵士の案内でベルカナンの街へと向かった。
街に近づくにつれ城壁の高さが鮮明になる。入口で見上げた城壁の高さは、レオンの屋敷があるメチルの街の倍はあった。
流石に城塞都市と言われるだけのことはあり、出入り口の門扉も分厚い金属で出来ている。
門を閉めてしまえば空でも飛ばない限り侵入は不可能。
更には城壁の至るところに魔導砲を備えていることから、例え空を飛べても容易に近づくこともできない。
レオンは城壁を見上げ、その鉄壁ぶりに感心していた。
(これが城塞都市か……。流石は国境を守る街、門を閉じてしまえば侵入は困難だな。獣人が包囲に止めていたのも頷ける。あんな魔物に落とせるわけがない)
「では私はこれで。魔導砲の件は追って連絡します」
「私たちが泊まる宿を聞かなくてもよいのか?」
「この街には大きな宿が一軒あるだけです。問題ありません」
「そうか、では隊長によろしくな」
兵士は頷き返し馬を走らせる。遠ざかる兵士を見送り、レオンはミハイルに視線を移した。
「ミハイル、宿の場所は分かるのだろ?案内を頼む」
「分かりました。こちらです」
ミハイルを使用人のように使うレオンに、ベティらが冷ややかな視線を向けるも、誰も何も言えなかった。
レオンの力を知った今となっては、この偉そうな態度も頷けるというもの。
唯々溜息を漏らすことしかできなかった。
ベティらの様子に気付くこともなく、レオンはベルカナンの町並みを感慨深げに眺めていた。
(城塞都市といっても、街並みはメチルの街と変わらないな。兵士ばかりかと思ったら、子供や女性も大勢いるのか……)
周囲を見渡すレオンが気になるのか、ミハイルがその様子を見つめている。
「何か珍しいものでもありましたか?」
「いや、その逆だ。城塞都市と言うから、もっと物々しいかと思ったのだが――子供や女性も大勢いて、メチルの街と大して変わらないと思ってな」
「この街には駐屯している兵士の家族も住んでいます。それに娼館も多いですから」
「ほう。娼館か……」
娼館という言葉にレオンの顔が僅かに綻ぶ。
(是非行きたい。でも一人で行く度胸もないしな……。ミハイルは女性に慣れてそうだし、後でこっそり誘ってみようかな?)
そんなことを考え、レオンは不意に女性たちの目がきになった。
レオンの表向きは既婚者である。
それが妻のいる前で娼館の話は不味いに決まっている。
話を聞かれているのではと、肩越しに僅かに振り返り、レオンの背中に冷や汗が流れた。
案の定というべきか、そこではベティらが冷たい視線を向けていた。
(怖っ!なんなんだよ……。そんなに睨まなくてもいいだろ。まだ未遂だぞ?大体何で俺は冷や汗が流れてるんだ?恐怖無効じゃなかったのかよ!いや、今のは緊張の汗なのか?まったくこの体は訳が分からん)
「レオンさん、宿はこちらです」
レオンはミハイルの言葉で我に返る。
ミハイルの視線の先には四階建ての大きな建物が見えた。
奥行もあり、部屋数だけなら三百を超えてもおかしくない。これなら街に宿が一つしかないのも頷けると言うものだ。
両開きの扉を開け宿に入ると、ホテルのようなラウンジが広がっている。
簡素なテーブルセットが幾つも置かれ、ちょっとした休憩が出来るようになっていた。
その正面には長いカウンターテーブルが置かれており、宿の女性が椅子に腰を落とし退屈そうに頬杖をついている。
ミハイルがカウンターに歩み寄ると、女性は不思議そうに首を傾げ、客と知ると驚きの声を上げた。
「え?お客さん?獣人たちが街を包囲してるはずじゃ……」
「獣人ならもういませんよ。安心してください」
「ほんとに?やっとどっか行ったのね。ほんと良かったわ。あっ、ごめんなさい。宿泊よね?」
「はい。二人部屋と三人部屋、それから四人部屋を――」
幸い厩舎も空いているということで、サラマンダーの寝る場所も確保することができた。
部屋はレオンとフィーアの二人部屋と、ミハイルのパーティーの四人部屋、ポーターの三人部屋の計三部屋に分かれることになった。
ミハイルとの二人部屋だと思っていたレオンは軽くショックを受ける。
当然、ミハイルと娼館に行くこともできず、レオンは唯々リア充爆発しろと、一晩中、心の中で念仏のように唱えていた。
翌朝レオンが部屋を出ると、隣の部屋から出て来たミハイルと偶然遭遇した。
三人の女性と楽しそうに会話をするミハイルを見て、レオンがリア充爆発しろと心の中で呟いたのは言うまでもない。
とは言え、レオンにもフィーアがいる。傍から見れば女性に困っているようには見えないのだが、レオンの場合は少し違っていた。
何せ寝室ではフィーアとヒュンフが椅子に座り、人形のようにずっと身動き一つしないのだから。
瞳だけがレオンの姿をずっと追っているため、まるで囚人を見張る看守である。
しかも、野営の狭いテントの中でも同じような状態のため、レオンにとってはたまったものではない。
当然、レオンが期待するようなことは何もなく、最近は精神が削られるだけの日々を過ごしていた。
(おのれリア充め!毎晩三人相手とは何て羨ましい!俺は一晩中見張られて何もできないと言うのに……)
レオンが密かに毒を吐いていると、ミハイルがにこやかな笑みを見せる。
「レオンさん、おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
(眠れねぇよ!!睡眠不要のアイテムを装備しているからな!)
「うむ。良く眠れたとも」
レオンは内心突っ込みを入れながら、心にもないことを平然と告げた。
ミハイルらと合流して宿の一階に降りると、昨日の兵士がラウンジで大きな欠伸をして、眠そうに両目を擦っているのが見えた。
兵士はレオンたちを見るや、大きく手を振って呼び止める。
「レオンさん!魔導砲の件ですが許可が下りましたよ」
「本当か?では早速見に行こう」
「えっ?こんな朝早くからですか?」
「別に構わんのだろ?」
「まぁ、そうですが……。はぁ、仕方ないですね。朝食は少しの間我慢しますか……。では付いてきてください」
兵士は宿の食堂を恨めしそうに見つめて肩を落とす。
魔導砲のある場所までこの兵士が案内をするらしく、兵士は重い腰を上げて宿の外に歩き出した。
外はまだ薄暗く、微かに建物の輪郭だけが見える。
レオンの後ろにフィーアやミハイルたちが続いているのを見て、兵士は顔を顰めて口を開いた。
「えっと……、みなさん付いて来られるんですか?」
「私はレオン様の妻です。レオン様に付き添うのは当然です」
「僕たちも魔導砲に興味があります。ご一緒しても構いませんよね?」
兵士は深い溜息を漏らすと、困ったように頭を掻いた。
「この際、一人も六人も一緒か……。今回は特別ですよ」
「ありがとうございます」
ミハイルが笑顔で返答すると、兵士は気にするなと片手を上げて応えた。
向かった先は城壁に隣接する兵士の待機場所。
案内の兵士を見るや、見張りの兵士が敬礼をする。
「ケネス副隊長おはようございます。今日はどのようなご要件でいらしたのですか?」
「彼らに魔導砲を見せる。隊長の許可も取ってあるから通してくれ」
「民間人に魔導砲を?よろしいのですか?」
「例のサラマンダーの飼い主たちだ。恩は返さんとな」
「そういう事ですか。どうぞお通りください」
中に通されると幾つもの小部屋の他に、螺旋状の階段が遥か頭上まで続いていた。
明かり取りの窓はあるが、今はまだ薄暗い早朝である。
鎧戸も閉められ、階段には魔道具の僅かな光しかないため、足元は薄暗く見えづらい。
足を外して落ちようものなら、大怪我ではすまない高さである。
一行は階段を慎重に上りながら、レオンは気になることを尋ねてみた。
「お前は副隊長なのか?」
「そうですね。これでも、この街では二番目に偉いんですよ」
「全然偉そうに見えないな」
「まぁ、私は平民からの成り上がりですから。それより、そろそろ城壁に着きますよ」
ケネスが突き当たりの扉を開け放つと、早朝の冷たい空気が流れ込んできた。
ミハイルたちが身震いするのを尻目に、レオンは城壁に足を踏み入れ感嘆の声を上げる。
眼下には霞がかる草原が広がり、朝焼けの空がレオンらを出迎えてくた。
「綺麗な景色だな」
「本当に綺麗ですね」
「うわぁ、こりゃ最高の眺めだな」
みな口々に城壁からの眺めを絶賛する。
ケネスはそれを見て満足げに笑うと、早速魔導砲の元へと案内をしてくれた。
城壁にある魔導砲の数は全部で二十四門。ケネスは一番近い魔導砲の前で足を止めると、魔導砲に手を向けて自慢気に説明を始めた。
尤も、ケネスとて魔導砲の構造を理解しているわけではない。知っているのは魔導砲の使い方だけである。
「これが魔導砲です。この丸い石で魔力を供給し、このレバーを引くことで魔法が放たれます。台座は回転しますし、ある程度角度を変えることもできますよ」
視線の先にある魔導砲は、レオンが小さい頃、観光地で見掛けた大砲に酷似していた。
車輪が付いているような移動式ではなく、城壁の一部と化している固定式。
高さは一般的な成人男性ほどだろうか。その台座から長い筒が伸びていた。
大砲の手前には、手のひらですっぽり覆えそうな丸い石が置かれ、その近くには長いレバーが備え付けられている。
ケネスの説明によれば、この丸い石で魔力を供給し、レバーを引くことで魔法が出るらしいのだが、実際に確認しなくては話にならない。
レオンは魔法で草原に人がいないことを確かめると、レバーをグイっと引いてみる。
砲口に魔法陣が浮かび上がり、「ボッ」と、音を立てながら、火球が勢いよく飛び出していった。
草原に着弾すると炎が周囲に広がり、その爆風で霧が霧散する。
(思ったより威力が弱いな。速度もそんなに早くない。これが突風火球なのか?期待外れもいいとこだな)
レオンががっかりしていると、ケネスが瞳を見開いて絶句していた。
ミハイルたちも、何を勝手に撃っているんだと呆れて言葉も出ない。
ケネスはレオンに詰め寄り声を荒らげる。
「レオンさん!勝手に魔導砲に触れないでください!もし人がいたらどうするんですか!」
「安心しろ。人がいないのは確認済みだ。それより一度撃つと魔法は撃てなくなるのか。少し不便だな」
レオンは魔導砲のレバーを何度も押したり引いたりするも、魔法が撃ち出されることはなかった。
それを見たケネスの顔が青褪める。
「ちょ、ちょっと!やめてくださいよ!壊れたらどうするんですか!魔導砲は一度撃ったら魔力を供給しないといけないんですよ!」
「なるほど、そうか」
レオンは丸い石に手を乗せると、僅かだが魔力が吸われている感じがした。
その様子を見てケネスが更に慌てふためくも、レオンは気にする様子もなく手を置き続ける。
そのまま一分ほど経過すると、石が一瞬だけ光輝き、魔力の吸収がなくなった。
恐らくこれが充填完了の合図なのだろう。ケネスの静止を振り切り、レオンは再度レバーを引いた。
先ほどと同じように、砲口に魔法陣が浮かび上がり、「ボッ」と、音を立てながら、火球が撃ち出される。
ケネスは処置なしとばかりに顔を手で覆い天を仰ぎ、ミハイルらは苦笑いを浮かべることしかできなかった。
レオンはと言えば、何度も頷き何かを考える素振りを見せる。
その様子を見て、どうせ碌でもないことだろうと、周囲の表情が途端に曇っていった。
(この丸い石は吸魔石だな。こんなに大きいのに吸収が遅いとは……。純度が低いのか?)
レオンはシェリーの手を掴むと吸魔石の上に乗せてみた。
シェリーは驚き、恥ずかしいのか見る間に顔が真っ赤になる。
レオンはその様子を怪訝そうに見つめて首を傾げた。
(手を掴まれたくらいで何を赤くなっているんだ?ミハイルともっと凄いことをしているだろ?)
「シェリー、どんな感じだ?」
「どど、どんな感じと言われても、恥ずかしいです」
「ん?いや、そうではない。魔力を吸われている感じはあるか?」
「へ?ああ、はい。何か吸われている感じはします」
「そうか」
程なくして石は光輝き、魔力が充填されたことを教えてくれた。
それと同時にケネスがレバーの前に立ちはだかり、レオンの魔の手から死守しようと動き出す。
しかし、レオンはそんなことには目も呉れず、シェリーの手を離すと再び考え込んでいた。
(魔力を吸収する時間は俺と一緒。吸収される側の魔力の大きさに影響されないのか。それに、魔法を使えない者でも魔力を持っていれば吸収できる。この世界の吸魔石も、ゲームのものと変わらないな。後はこれを魔法銃に応用できるかだ。持つだけで魔力を吸収し、トリガーを引くことで、特定の魔法が撃てるような……)
レオンが新たな魔法銃の構想を練ることで、知らず知らずの内に従者たちの負担が増加していた。
何せ作ることに関しては全て従者に丸投げである。
後日、無理難題を突きつけられ、従者たちが頭を悩ませたのは言うまでもない。
レオンらは城壁を降りると、ポーターやサラマンダーと合流し、メチルの街への帰路に着いた。
街道沿いの襲われた村には既に兵士が入っており、亡くなった村人の埋葬が厳かに進められていた。
そこには五体満足な遺体は一つもない。酷い殺され方に、作業をする兵士は悲痛に顔を歪ませている。
助けてやれなかったことを悔いているのだろうか、それとも家族や友人を見つけたのだろうか、中には遺体の前で泣き崩れる兵士も大勢いた。
レオンたちは街道から村を遠目に見るだけで近づくことはない。
立ち寄っても辛い思いをするだけ、今のレオンたちには何もできないのだから。
一行は獣人や魔物と遭遇することもなく、予定通り三日の行程でメチルの街に戻ってきていた。
どうやらベルカナンからの早馬で、知らせは既に冒険者ギルドへ届いていたらしい。
レオンらが冒険者ギルドに入ると一斉に注目の的になった。
名も知らぬ大勢の冒険者がミハイルを取り囲み、口々にベルカナンでのことを訪ねてくる。
身動きできずにミハイルが困っていると、その様子にベティが大声を上げた。
「まだギルドへの報告が残ってんだ!邪魔すんじゃねぇよ!ぶっ飛ばされたいのか!!」
流石に格上の冒険者を怒らせては不味いと、ベティの声で冒険者が遠のいていく。
ミハイルはベティに一言礼を言うとカウンターへと足を向けた。そこでは満面の笑みを浮かべたエミーがミハイルを出迎える。
「ミハイルさん、お疲れ様です。ベルカナンから知らせは届いています。何でも街を包囲していた獣人たちを、全て追い払ったと伺いました。流石はAランクの冒険者ですね」
「僕がやったわけではありません。全てレオンさんの騎乗魔獣がやったことです。それに獣人は追い払ったのではなく、全滅させたんですよ」
「全滅?全て殺したということでしょうか?」
「そうです。サラマンダーは強いですね。僕も驚きましたよ」
「え?ですが獣人の数は一万以上と伺っておりますが……」
「そうですね。僕らが見たのもそのくらいの数でした」
「一万の獣人を全滅?」
「ええ、凄かったですよ」
エミーは外に視線を向けて、窓越しにサラマンダーを見る。
確かに大きい体ではあるが、一万もの軍勢を殺せるようには、とても思えなかった。
仮に殺せるにしても時間は掛かるだろうし、その間にいくらなんでも獣人たちも逃げるだろう。
エミーはミハイルの冗談かと苦笑する。
「知らせは届いているので報告は不要です。報酬はご用意していますのでお受け取り下さい。包囲していた獣人の件もございます。後日、追加報酬が支払われるかもしれません」
「分かりました。その時は連絡をください」
ミハイルは笑顔で告げると、カウンターの上に置かれた袋に手を伸ばした。
硬貨のぶつかり合う心地よい音が、レオンの耳にも聞こえてくる。
ギルドの片隅に移動すると、レオンはミハイルから半分の硬貨を受け取り眉間に皺を寄せた。
「命懸けと言う割に、報酬は思った程でもないな」
「えっ?そうですか?金貨10枚は高額だと思うのですが」
(まぁ、調査依頼ということだし、報酬もこんなものか……)
「確かに調査依頼では高いのかもな。では私は屋敷に戻る。世話になったなミハイル」
「こちらこそ。また何かあったら手を貸してください」
「うむ。暇だったらな」
レオンは踵を返し、フィーアと冒険者ギルドを後にした。
冒険者にはレオンが貴族であるとの噂が流れてるため、誰も話しかける者はいない。
貴族を怒らせると碌な事にならないのは、この国の人間であれば誰でも知っている常識である。
酷い時には冤罪で死刑になることだって有り得るのだから。
そのため、レオンとフィーアが立ち去る様子を、冒険者たちは冷ややかな視線で見送っていた。
その後、話を聞こうとミハイルの周りに冒険者が押し寄せたのは必然と言えよう。
詰め寄る冒険者にミハイルは深い溜息を漏らす。
(早く帰って休みたいのに……。なんで僕のところにだけ人が集まるんだ?いい加減にしてくれないかな……)
普段であれば愛想よく受け答えするのだが、今のミハイルは肉体的な疲れ以上に、精神的に参っていた。
山のような死体を見たこともあり、早く休んで何もかも忘れたいところに質問攻めである。
人に好かれるのも考えものだと、ミハイルはがっくりと肩を落としていた。