北へ 2
レオンは炎魔人の吐息を見て「はぁ?」と、呟いていた。
(ゆたんぽぉおおお!!お前ほんとにサラマンダーか?それ魔神クラスの魔物が使うスキルだぞ……。あとステータスちょっとおかしいだろ?明らかにレベル32の強さじゃないからな。もしかしてノエルが何かしたのか?後でちゃんと話を聞かないと駄目だな……)
だが、サラマンダーの強さに驚いていたのはレオンだけではない。
焼かれる獣人たちを見ながら、ミハイルとシェリーは口をぽかんと開けていた。
魔法や弓矢で援護?もはや援護の必要性など微塵も感じられない。ミハイルは何の冗談だと苦笑したくなる。
抑、あのサラマンダーに襲われるのではないかと気が気ではない。
「レオンさん、僕たちは森から出ても大丈夫なんでしょうか?」
「後は村に残る獣人だけだ。ここから見る限りでは、物見櫓に数人と、村の入口に数人、数はそれ程多くないように見える。森から出て、村の制圧をした方がよいだろうな」
レオンの言葉にミハイルは顔を顰めた。
聞きたいのはそういう事ではない。あのサラマンダーは襲ってこないのかを聞きたいのだ。
レオンはゆっくりと立ち上がり、草原に足を踏み入れる。ミハイルとシェリーも、サラマンダーに警戒をしながら後に続いた。
周囲には焼け焦げた獣人の死体が散乱し、熱せられた大地からは湯気が立ち込めている。
寒い時期だというのに大気は熱を帯び、立っているだけでも汗が滲むほど熱い。
サラマンダーはレオンが近づくと、炎を収めて何時もの形態に戻っていた。
まだ獣人がいると教えたいのだろう。嬉しそうにレオンに近づいては、村の入口に視線を向けて鳴いている。
レオンはサラマンダーの頭を撫でると労いの言葉を掛けた。
「ゆたんぽ、ご苦労だったな。後は私たちに任せろ」
「きゅう」
レオンに従うサラマンダーを見て、ミハイルとシェリーは、ほっと胸を撫で下ろした。
万が一にも襲われようものなら、助かる見込みは皆無である。
「レオンさん、この村は出入り口が一つしかありません。簡単には逃げられないでしょうから、先ずは降伏を呼びかけては如何でしょうか?」
「うむ。聞きたいことも――ん?どうやらその必要はなさそうだな」
レオンの視線の先にいたのは、両手を上げて投降する獣人たちの姿であった。
サラマンダーがレオンに従っているのを見て、助けてもらえると思ったのかもしれない。
実際、多くの仲間が焼き殺され、獣人たちの戦意は既に失われていた。
その瞳は縋るようにミハイルに向けられている。
「降伏する!殺さないでくれ!」
代表と思しき獣人が声を張り上げた。
数は全部で九人、全員武器は持っていない。
獣人たちはサラマンダーに警戒しながらも、両手を上げてレオンたちに近づいてきた。
「止まれ!」
ミハイルの声に獣人たちは動きをピタリと止めた。
獣人は武器を持っていなくとも、牙や爪で十分に戦える。
不用意に近づければ何があるか分からない。
ミハイルは安全な距離を保ちながら、獣人たちに質問を投げ掛けた。
「残っている獣人はこれだけか?」
「そうだ。降伏するから命だけは助けてくれ」
レオンは獣人たちの言葉に怪訝そうな顔をする。
領域探査の魔法では、村の中にはまだ生きている獣人、若しくは人間が存在していた。
しかも、それは村の中を自由に動き回っている。もし捕らえられた人間であれば、助けを求めて村から出てきそうなものだ。
レオンは真意を問うため口を開く。
「一つ聞きたい。村の人間はどうした?」
「村の奥に生かして閉じ込めている」
それを聞いたミハイルとシェリーの表情が少し和らいだ。
だが、レオンの表情は逆に険しくなる。村の奥に生命反応はない。
「ミハイル、こいつらの言うことを間に受けるな。私が中に入り確かめる」
「レオンさん?どういうことですか?」
「恐らく罠だ。ゆたんぽ、この獣人が妙な動きをしたら殺せ」
「きゅう」
レオンはそれだけ告げると、村の入口に向けて歩き出した。
すれ違いざまに数人の獣人がレオンを睨みつける。それは投降する者の目ではない。明らかに敵意を持っていた。
レオンは村に歩きながら、通話機能でヒュンフに命令を下す。
『ヒュンフ、傍にいるか?』
『はっ!傍に控えております』
『村にいる生存者を探して報告せよ』
『はっ!暫しお待ちを』
レオンはゆっくりと村の入口まで歩き、慎重に中へと足を踏み入れた。
村の中は一見すると、それほど荒らされていないようにも見える。
だが、所々に血痕が付着し、この村が襲われたことを物語っていた。
『レオン様、生存者は三名、全て獣人でございます。家屋に油を巻いて回っているようです』
『全員捕らえて連れて来い』
『はっ!』
それからは早かった。一分もしないうちに、獣人たちがレオンの前に差し出される。
獣人たちは体を麻痺させられ、言葉も話せない状態になっていた。
「ヒュンフ、ご苦労だったな。もう下がってよいぞ」
「はっ!」
姿を消すヒュンフを確認し、レオンは獣人たちに視線を移した。
体が動かない獣人たちは、牙を剥き出し、威嚇するのがやっとの状態である。
レオンは身動きできない獣人の手を掴むと、勢いよくミハイルがいる場所に放り投げた。そして全員投げ終わると、自らも後を追うように村を飛び出る。
突如空から降ってきた獣人を見て、ミハイルは困惑し、獣人たちは動揺する。
いつの間に戻っていたのか、両手を上げる獣人たちの背後にはレオンが佇んでいた。
「ミハイル、人間の生存者はいない。こいつらが村の中に油を撒いていた。私たちを村の奥に誘き寄せ、火を放って殺すのが目的だろう」
レオンの言葉を聞いて、ミハイルが信じられないと声を上げる。
「人間の生存者がいない?そんな馬鹿な!この村には千人以上の村人が暮らしていたんですよ!」
だが、レオンの言葉を肯定するかのように、獣人たちが動き出す。
工作兵を失い、もはや獣人に抗う術は残されていない。
だが、如何に戦意が失われようと、餌である人間に屈することは出来なかった。
獣人たちは目配せをすると、近くにいたレオンへ一斉に襲い掛かる。
だが、その牙がレオンに届くことなはい。
それより早く、サラマンダーの長い尻尾が獣人たちの体を吹き飛ばしていた。
倒れた獣人に追い討ちをかけるように、サラマンダーの牙や爪が突き刺さる。
獣人たちは内蔵を潰され口から血を吐き出し、怨嗟の声を上げながら次々と息絶えていった。
レオンが獣人たちの死を確認する中、ミハイルとシェリーは村の中に駆け出していた。
生存者がいないと聞かされ、居ても立っても居られないのだろう。その表情は悲痛で歪んでいる。
だが、どんなに探したところで生存者が見つかるわけもない。
それはレオンの探知魔法が示していた。
恐らくミハイルとシェリーが目にするのは、凄惨な村の様子であると。
もしミハイルの言った通り、村に千人以上が暮らしていたなら、そこには千体の死体があることを意味するのだから……
レオンが遅れて村に入ると、至る所で家屋の扉が開け放たれていた。
ミハイルが家屋の中を見て回ったのだろう。その一軒の扉の前では、シュリーが膝から崩れ落ちていた。
レオンも家屋を覗き込むと、そこには物言わぬ幼い子供の死体が山積みにされ、光を失った瞳は恨めしそうに虚空を見つめている。
手足は獣人に食べられたのだろう。死体は全て四肢を失い、噛まれたような後が残されている。
シェリーは何も出来ず、ただ壊れた人形のように、呆然とその死体を見つめていた。
レオンは深い溜息を漏らす。
(死体を見ても何も感じないのに、他人の心の痛みには共感できるのか……。何て不条理な体なんだ――まったく胸糞悪い……)
レオンはその場を離れて他の家屋も覗いて見る。
幾つかの家屋には死体が山積みにされ、同じように手足は食い千切られていた。
中には腐敗が進行している死体もあるため、襲われてから数日は経過していることが分かる。
村の中心では大量の木が焼べられ、まだ僅かに煙が上がっていた。
中には焼かれた人の手足と思しきものも見える。
(俺たちが見た煙はこれだな。人間を焼いて食べようとしていたのか……)
レオンはその後も家屋の中を見て回り、一番奥の家屋でミハイルを発見する。
ミハイルは悔しそうに拳を握り締め、中年男性の死体をじっと見つめていた。
レオンは声を掛けることも出来ず、暫くそのまま見守っていると、不意にミハイルが肩越しに振り返った。
「レオンさん、来ていたんですか。声を掛けて下さいよ」
「そんな雰囲気ではなかったからな。その男性は知り合いなのか?」
ミハイルは男性の死体に視線を移すと、首を縦に振り、懐かしむように口を開いた。
「昔、この辺りで魔物討伐の依頼を受けた時、この村でお世話になったことがあるんです。その時に親しくなった人です……」
ミハイルは悔しさの余り、体を小刻みに震わせ戦慄いていた。
(親しくなった人、友人か……)
レオンとてその気持ちは分からなくもない。
だからこそ嘗ての仲間を探しているのだから。
傍から大切な人がいなくなるのは誰だって寂しいに決まっている。
ましてや誰かに殺されようものなら、今のレオンであれば、間違いなく相手に復讐をしているだろう。
それを考えれば、ミハイルも自らの手で、獣人たちを地獄に送ってやりたかったのかもしれない。
「ミハイル、村ごと死体を焼くことも出来るが――どうする?」
「……いえ、畑もありますし、村には何れ新たな住民が越してくるでしょう。その時に村がなくては困ります」
「そうか……」
「僕とシェリーでみんなを呼んできます。レオンさんはこの村で、新たな獣人が来ないか見張っていただけませんか?」
「構わんとも。ミハイルも気を付けて行ってくれ」
「はい。では留守をお願いします」
凄惨な場面を幾度となく見てきたミハイルとて、直ぐには気持ちの整理はつかない。
それでも無理やり自分に言い聞かせ、気持ちを奮い立たせる。
立ち止まっていても何も変わりはしないのだから。
ミハイルは気持ちを切り替えると、その場から立ち去っていった。
ミハイルを見送ったレオンは物見櫓に登り、遠くの景色を見渡していた。
屍で溢れた凄惨な村とは打って変わり、空は晴れ渡り何処までも青空が続いている。
遠くの街道に視線を向けるも人影は見えず、長閑な風景が広がっていた。
そんな景色を眺めてどれだけ時間が経つだろうか。陽も暮れ始めたころ、ようやくミハイルたちが街道を通ってやって来た。
村に入るのは抵抗があるのだろう。ポーターが外で野営の準備をするのを見て、レオンも下に降りて合流する。
「レオンさん、お待たせしました。こちらは変わりありませんか?」
「うむ。変わりない」
「それは何よりです。それと今後のことですが――このままベルカナンに向かいたいと思っています」
「それは構わんが、報告はよいのか?」
「はい。少し気になることがあるので……」
「気になること?」
「この村には千人以上が暮らしていたはずなのに、死体の数が少ないんです」
「食べられたのではないか?」
「ですが、死体を見る限り、手足しか食べられていません。それに全身を食べたとしても、骨は残るでしょうから」
「では、何処かに連れ去られたという事か……」
「はい。もしかしたら助けられるかもしれません。戦闘はレオンさんの騎乗魔獣に頼ることになりますが……」
「まぁ、問題ないだろ。なぁ、ゆたんぽ」
「きゅう」
レオンがサラマンダーに視線を向けると、サラマンダーは任せろと言わんばかりに鳴き声を上げた。
「そのサラマンダーは、本当に言葉が分かるんですね」
「当然だ。うちのゆたんぽは賢いからな」
「頼もしい限りです」
ミハイルが笑みを浮かべるのを見て、レオンは少しホッとしていた。
張り詰めたままでは長くは持たない。村の惨劇は暫くは忘れられないだろうが、時には心の片隅に追いやることも必要である。
そう言う意味で一番心配なのはシェリーであった。
あれからずっと伏せ目がちで、表情には暗い影を落としている。
ミハイルやベティも気になるのだろう。幾度となく話しかけてはいるが、シェリーは上の空で空返事を繰り返すばかりである。
レオンは三人のやり取りを見守ることしかできなかった。
人の心はレオンにはどうすることもできないのだから……
一行は夜明けと同時に、ベルカナンへと馬を走らせた。
途中の村にも立ち寄るが、既に襲われた後で生存者は一人もいない。
獣人たちも引き上げており、村には食べ残された死体だけが残されていた。
村に入るのは決まってミハイルとレオンの役目であったが、その表情を見て誰もが村の状況を察していた。
ミハイルやレオンも、村から戻っても誰に話すわけでもない。直ぐに馬へ跨り先を急いだ。
それが数回繰り返され、昼過ぎには、城塞都市ベルカナンの城壁が見える場所まで辿り着いていた。
街道から外れた小高い丘に移動すると、ベルカナンを見下ろし、ミハイルが驚きの声を上げる。
「なんだこの獣人の数は……」
ミハイルの瞳に映るのは、ベルカナンを囲む大勢の獣人たち。
その数は一万を優に越える。
獣人がベルカナンを包囲しているということは、つまりベルカナンはまだ落ちていないことを意味していた。
だが、獣人たちはやる気がないのか、寛いでいるようにしか見えない。
中には地面に寝そべっている獣人もいる。
レオンはミハイルの隣に並ぶと、獣人を眺めて口を開いた。
「なるほどな。攻め込む気がないとすると……。時間稼ぎか」
「時間稼ぎ?ですが、そんなことをして何の得が――」
「ミハイル、お前は言っていたではないか。村人の死体が少ないと」
「まさか!村人を攫うまでの時間稼ぎ!」
「こうしてベルカナンを取り囲んでいると言うことは、もしかしたら村を襲わせた別働隊を待っているのかもしれないな」
「僕たちが遭遇した狼族ですか?」
「うむ。もしかしたら他の村も襲い、人間を引き連れて戻る手筈になっていたのかもな。それに、あれ意外にも別働隊がいることも考えられる」
「他にも別働隊が……」
ミハイルは俯き唇を噛み締める。
ここに来るまでの間、幾つかの村に立ち寄ったが、全ての村を見てきたわけではない。
当然、街道から遠く離れた村も数多く存在する。寧ろ街道から離れた辺境の村の方が多い。
こうしている間にも、何処かの村が襲われている可能性は十分にあった。
レオンは獣人たちを見渡し人間の姿を探すも、捕らえられた村人の姿は見当たらない。
恐らく、今まで捕えた村人の移送は終わっているのだろう。レオンは肩を落として溜息を漏らす。
捕らえられた人間がどうなるか。生かして捕らえているなら、何か目的があるのだろうが、人間を食べる種族が考えること。
碌な事ではないのは分かりきっていた。
レオンは重い口を開いてミハイルに話し掛ける。
「見る限りでは、獣人たちの中に捕らえられた人間はいない。今まで捕らえた村人は、既に何処かに移送されているな」
「……やはり獣人の国でしょうか?」
「恐らくな」
レオンの言葉にミハイルは顔を顰める。
分かってはいても認めたくはないのだろう。如何に獣人の国と言えど、他国には簡単に攻め入ることは出来ない。
少なくとも、国王や有力な貴族が重い腰を上げる必要がある。
絶望的な状況に誰もが落胆していた。
そんな中で、ベルカナンにも動きが見られた。
城門が開け放たれ、大勢の兵士たちが弓矢を持って現れる。
だが、獣人はたちは落ち着きはらい動揺した様子もない。
恐らく何時もの事なのだろう。熊の姿をした獣人が盾を構えて身構え、その後ろでは獅子の姿の獣人が弓に矢を番える。
獣人たちの姿を見たレオンが眉間に皺を寄せた。
(あれはビッグベアとライカンスロープだな。あれも獣人なのか?どの種族も魔物と変わらないじゃないか……。獣っ娘は絶望的だな……)
レオンの表情を覗い、ミハイルは疑問に答えるように口を開いた。
「あれは獣人の熊族と獅子族です」
レオンは頷き返し、そのまま観察していると、兵士たちは魔導砲の射程内で足を止め、弓矢を一斉に放った。
しかし、放たれた矢は熊族の巨大な盾に阻まれ、その尽くが地面に落ちている。
そして、兵士たちの矢が届いていると言うことは、獅子族の矢も届くということ。
獅子族は盾の陰から出ると、一斉に矢を放ち、そしてまた盾の陰に隠れる。
熊族の巨大な盾を利用しながら、上手く兵士たちを射抜いていた。
兵士たちは一頻り矢を放つと、負傷した兵士を引きずりながら即座に撤退する。
恐らく獣人たちを挑発し、魔導砲の射程内に誘き寄せる作戦なのだろう。
しかし、それは初日から何度も見てきた光景である。獣人たちとて馬鹿ではない。後を追うことはせず、その場に止どまり包囲網を緩めようとはしない。
徹底して魔導砲の射程外から包囲し、兵士を外に出さないようにしているのが分かる。
「ミハイル、ベルカナンの兵士が何人か分かるか?」
「約三千人と聞いています。ですが、獣人があの数ではまともに戦えません。魔導砲の射程内に誘き出せるなら、まだ勝算はありますが……」
「無理だろうな。魔導砲の射程を見切られている。抑、獣人たちの目的はベルカナンを落とすことではない。村人を攫う間、ここで兵士を足止めするのが奴らの目的だからな」
「ですよね。一体どうすれば……」
もはやミハイルは情報を持ち帰ることより、如何に目の前の獣人に勝つかを考えていた。
そのミハイルの態度に、レオンは呆れたように話し掛ける。
「おいおい、何を戦おうとしている?情報を持ち帰ることが優先だろ?出発前に戦うなと言ったのは、お前ではなかったのか?」
「確かにそうですが……。今はサラマンダーの強さを知っていますから……」
ミハイルを擁護するように、シェリーも声を荒らげた。
「戦うべきよ!獣人は生かしておけない!私たちが街に戻る間も、犠牲者は出ているのよ!!」
「シェリー落ち着いて」
ミハイルがシェリーを宥めようとするも、シェリーは大声で喚き散らす。
「ミハイルやレオンは何でそんなに冷静なの!!二人とも村の様子を見たでしょ!あんなことが許されると思っているの!!」
獣人たちから距離が離れているとはいえ、両手を広げて喚き散らすシェリーに気付かないわけがない。
数人の獣人がシェリーを視界に捉える。
それは波紋のように瞬く間に広がり、数十人の獣人がシェリーらを逃すまいと走り出した。
中には足の速い狼族も混じっている。見る間に距離を縮める獣人を見て、ミハイルが声を上げた。
「見つかった!?みなさん戦闘準備を!レオンさんとフィーアさんは下がって!誰かが傷ついたら回復をお願いします!」
偵察に出ていただけで、誰もが戦闘になるとは思ってもみなかった。
そのため、馬やポーターは離れた森に隠れている。体の大きいサラマンダーは目立つこともあり、森の中でポーターの護衛をしていた。
森までは距離も離れているため、呼びに行っても、それなりに時間は掛かる。
もはや残された道はない、誰もがこの場で戦うことを覚悟した。
ミハイルは魔法銃で応戦し、シェリーが弓矢を放つ。
次々と倒れていく仲間を見て、更に多くの獣人が向かってくる。
数が多すぎて次第にミハイルの魔法銃でも捌ききれなくなり、遂には目と鼻の先まで迫ってきていた。
ベティが盾を構えて間に入るも、数が多すぎて、その全てを防ぐことはできない。
ウィズも魔法の矢を懸命に唱えるも、獣人の勢いは一向に止む気配はなかった。
矢が切れたシェリーは武器を短剣に切り替え、果敢に獣人に斬りかかる。
だが相手が悪かった。シェリーが斬りかかった獣人は熊族。その分厚い皮膚に短剣は阻まれ、致命傷を与えることはできない。
更には太い腕でシェリーの体が吹き飛ばされる。
シェリーは地面を跳ねるように転がりながら、レオンの足元でピタリと止まった。
「シェリー!」
堪らずウィズが声を上げてシェリーに駆け寄る。
何度も地面に叩きつけられたことで、シェリーの顔は血で真っ赤に染まり、意識も失いぐったりとしていた。
止めど無く流れる血を見て、レオンの瞳がすぅっと細くなる。
レオンは泣きじゃくるウィズの頭をポンポン叩くと、向かって来る熊族に手を翳した。
「少し調子に乗りすぎだ![死]」
眼前に迫っていた熊族の巨体が、突如地面に崩れ落ちる。
光を失った熊族の瞳を見て、ウィズが目を丸くして驚くが、そんなことはお構いなしに、レオンはフィーアに命令を下す。
「フィーア、シェリーの手当は任せる。それと――私はこれから少し遊ぶ。邪魔はするな」
「畏まりました」
フィーアは恭しく一礼すると、笑顔でレオンを見送った。
押し寄せる獣人たちを通すまいと、ミハイルとベティは前線で奮起する。
だが、どんなに頑張ろうが二人で抑えられる数ではない。もう既に何人のも獣人が横をすり抜けている。
絶望的な状況が続く中、それでも二人は諦めない。
背中合わせで敵の猛攻を凌ぎながら、確実に獣人を屠っている。
魔法銃のカートリッジは既に空。ミハイルは自らの魔法で応戦するも、長く持たないことはミハイル自身が誰よりも分かっていた。
絶え間なく押し寄せる獣人を前に、どれだけの時間戦ったのだろうか。僅か数分が数時間にも感じられる時の中で、ミハイルの疲労も限界に達しようとしていた。
ふらつくミハイルを背中越しに感じ取り、ベティは声を張り上げる。
「ミハイル!しっかりしろ!」
ベティの声にミハイルは、グッと足に力を込める。
だが、立っているのがやっと、魔法を放つ気力など残されてはいなかった。
迫り来る獣人の剣を前に、ミハイルは瞳を閉じて歯を食いしばる。
しかし、ミハイルを捉えていた剣は、いつまで経っても振り下ろされることはない。
恐る恐る瞳を開けると、そこには獣人の剣を素手で受け止めるレオンの姿があった。
ミハイルは訳も分からないまま呆然となる。
「レオンさん?」
「ミハイル、お前たちは下がっていろ。後は私がやる」
レオンはミハイルを一瞥すると、掴んだ剣をそのままに、周囲の獣人たちを見渡した。
剣を掴まれた獣人は力を込めるも、押しても引いても剣は少しも動かない。
レオンはそれを見て鼻で笑う。
「所詮は魔物だな。手を離せばよいものを――[炎の輪舞曲]」
レオンを中心に、炎が円を描くように渦を巻きながら拡散する。
炎はまるで意思があるかのように獣人だけに襲い掛かり、一瞬にして周囲を赤く染めた。
ミハイルとベティは自分たちを避ける炎を見て声も出ない。不思議な光景に、唯々周囲の獣人が焼かれていくのを呆然と眺めていた。
レオンは周囲の獣人を全て焼き尽くすと、掴んでいた剣を投げ捨て、満足そうに声を上げる。
「やはり獣人はよく燃えるな。毛があるせいか?最終的にはゆたんぽがやった事になるだろうしな。ここは炎の魔法で全て片付けるか。だが、その前に――」
レオンはベルカナンの街を見つめた。
「目撃者は最小限に止めなくてはな。[天候操作・濃霧]」
ベルカナンの街は見る間に霧に覆われ視界から消え失せる。
どれだけ深い霧なのか、城壁の一辺すら確認することができない。これではベルカナンの城壁からも外は全く見えないだろう。
ミハイルの下には、ウィズや傷の癒えたシェリーも合流し、みな一様に霧に覆われたベルカナンの街に驚愕の表情を見せていた。
だが驚くのも無理もない。朝に霧が出るならまだ分かるが、今は午後に入ったばかりで太陽は天高く昇っている。
しかも、霧が発生しているのはベルカナンの街のみ、その周りには霧一つないのだから。
全ての準備が整うと、レオンはミハイルたちを見渡した。
「お前たちはここから動くな」
「レオンさん?」
レオンはミハイルの問いに答えることなく、黙ってその場を立ち去っていった。
獣人たちは炎の魔法に足を竦める。
配下の不甲斐ない姿に、指揮官らしき獅子族が声を荒らげて激を飛ばした。
「相手は数人だぞ!何を手こずっている!遠吠えを上げろ!戦士たちの士気を高めるのだ!!」
近くの狼族が一斉に遠吠えを上げ、それを聞いた遠くの狼族も遠吠えを上げる。
遠吠えは連鎖していき、いつしかその場にいた全ての狼族が遠吠えを上げていた。
レオンは肩を落とし、小さく溜息を漏らす。
(はぁ、ワーウルフの戦意高揚スキルか。獣人ならもっと人間らしいスキルを使えよ……)
遠吠えで獣人たちの足が再び動き出す。
丘を下るレオンを見つけると、獣人たちは我先にと群がっていった。
その獣人たちを見下ろしながら、レオンは掌を下に向ける。
「道を開けろ![炎の道]」
前方の地面から勢いよく炎が吹き出し、それは獣人たちを飲み込みながら、何処までも真っ直ぐに伸びていく。
軍勢を真っ二つに両断され、指揮官の獅子族は憎々し気にレオンを睨みつける。
多くの獣人が焼かれる中、横から回り込んでいた獣人たちは仲間の死には目も呉れず、剣を振り被りレオンへと襲い掛かっていた。
だが、その剣がレオンに届くことはない。
剣が届くより早くレオンの魔法が放たれる。
「[三重詠唱・火の矢]」
レオンから放たれた三本の火の矢は、閃光のように獣人を貫き遥か彼方へと消えた。
獣人たちは目の前で仲間が殺されようとも歩みを止めることはない。
魔法で焼け焦げ、熱を帯びた斜面をひたすら駆け上り、レオンの命を奪わんとする。
斜面を駆け上がる獣人に狙いを定め、レオンは魔法を発動させた。
「これでも登ってこれるのか?[火の嵐]」
炎を纏った巨大な竜巻が突如出現する。
獣人たちは瞬く間に竜巻に引き寄せられ、炎に焼かれながら息絶えていく。
その様子を見て指揮官の獣人は次の指示を出していた。
接近戦は無理だと判断したのだろう。盾を持ったクマ族が前面に出て、その後ろで獅子族が弓矢を構えた。
号令とともに一斉に矢が解き放たれ、レオン目掛けて雨のように降り注ぐ。
「無駄なことを……」
レオンは矢を避けることもなく悠然と歩き続ける。
数え切れない程の矢がレオンの体に命中するも、その全ての矢が弾かれ地面に落ちていった。
矢が効かないことに獣人たちは驚くが、決してその手を緩めはしない。
しかし、どんなに矢を放ってもレオンの歩みは止まらず、遂には盾を構えた熊族の眼前に迫っていた。
数人の熊族が盾を前に突進するも、レオンが軽く手を払っただけで盾は拉げ、熊族の巨体は遠くに吹き飛ばされる。
それならと、今度は狼族が横から喉元に食らいついた。
しかし、狼族の自慢の牙はレオンの体に突き刺さることはない。まるで鋼鉄の塊を噛んでいるかのように、牙を食い込ませることが出来ずにいた。
レオンは狼族の頭に触り、毛並みを確かめ眉間に皺を寄せる。
「犬は嫌いではないが――この毛並みではな……。何より臭い、早く離れろ」
レオンは狼族の額目掛けて、親指で人差し指を弾いた。
所謂デコピンであるが、その威力は計り知れない。
デコピンを受けた狼族の額は、まるでミサイルでも受けたかのように爆散して弾け飛んだ。
これには他の獣人も思わず後退る。
しかし、レオンを取り囲む獣人の数は一向に減る気配がない。
レオンは押し寄せる獣人の波を見て肩を竦めた。
「邪魔だな――[溶岩爆発]」
レオンを中心に爆発が起こり、それと共に溶岩が周囲に飛び散る。
爆風は広範囲に及び、数千体の獣人が爆風と溶岩に飲み込まれ、一瞬で屍に変わっていった。
徐々に近づくレオンを見て、指揮官らしき獣人が手当たり次第仲間を呼び集めている。
見る間に獣人の壁が出来上がり、それを見たレオンはうんざりする。
(はぁ……。あの指揮官らしい獣人から話を聞こうと思ったが――もう面倒だ……。街を包囲していた獣人も集まってきたことだし、そろそろ終わらせてもいいだろう)
レオンは天を仰いだ。澄み渡る空を見渡し、片手を掲げて魔法を発動させる。
「舞い落ちろ![神炎の翼]」
遥か天空に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
それは幾重にも重なり円柱状に姿を変えていった。
遠目から見れば巨大な大砲のようにも見える。
その間、僅か一秒にも満たない。
魔法陣は光を帯びると同時に、大地に神の鉄槌を下した。
轟音とともに夥しい光が大地に降り注ぎ、それは炎に形を変え、地上の全てを焼き尽くす。
光が消えたあとには、焼かれた獣人の亡骸が大地に転がり、融解した大地が魔法の威力を物語っていた。
レオンは自分の体を見て顔を顰める。
「少し汚れたな。[洗浄]」
体を清めて丘の上に戻ると、ミハイルたちが瞳を見開き呆然と立ち尽くしていた。