北へ 1
屋敷に戻りサラマンダーを従え、レオンは時間通り街の北門にやって来た。
ミハイルはレオンを見つけると、大きく手を振り声を掛ける。
「レオンさん!」
ミハイルに答えるように、レオンも片手を軽く上げた。
そして、近くにいる数頭の馬を見て眉を顰めた。
ポーターは荷物を馬に括り付け、ミハイルの傍でも馬が嘶いている。
明らかに馬での移動を示唆していた。
「ミハイル、馬で移動するのか?」
「はい。今回は街道だけを通ります。それに、急いだ方が良さそうですから……」
(急いだ方がいい?今回の依頼は何か訳ありか?)
「急いだ方がよいとはどういうことだ?」
「不穏な噂が流れた理由がちょっと……」
ミハイルの歯切れの悪い言葉に、レオンが首を傾げた。
「理由だと?」
「はい……。北の国境にある城塞都市、ベルカナンとこの街は、定期的に兵士が行き交い、連絡を取り合っていたのですが、ベルカナンから兵士が戻らないとのことなんです。それで、先週も騎兵を向かわせたらしいのですが、その騎兵も未だ戻らないと……」
「なるほどな。それで北にある獣人の国が、何かしているのではと噂が流れたわけか」
「その通りです。元々、獣人と人間は昔から仲が悪く、事あるごとに争ってきました。彼らは人間を食料としか見ていませんし、人間も彼らを魔物としか見ていません。そのため、大きな争いが起こることも度々あります」
(獣人は人間を食べるのか?俺の想像していた獣人と随分違うな……)
「急いだ方が良いとは、その城塞都市が落とされているかもしれないという事か?」
「城塞都市ベルカナンは、堅牢な造りで有名です。簡単に落ちるとは思えないのですが、万が一も考えられます。早急に調べる必要があるでしょう」
「まぁ、そうだろうな」
「もし、獣人の手に落ちているなら、僕たちは直ぐに撤退をします。何よりも情報を持ち帰ることが優先です。間違っても戦おうなんて思わないでください」
「当然だな。城塞都市を落とすとなると、それなりの戦力と見て間違いない。数人で戦うのは馬鹿のすることだ。それにしても、この国は随分と悠長だな?連絡の兵士が戻らない時点で、十中八九城塞都市は落ちているだろ?何を呑気に調査をしているのだ。私なら直ぐに軍を動かすぞ?」
ミハイルもそれには同意であった。
だが、この国で軍を動かすには、国王のみならず、国を支える有力貴族も納得させなければならない。
その有力貴族の中には、寧ろ今回のことで、国王の力を削ごうとする者までいる。
多少なりとも貴族の事情を知るミハイルは、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「この国も一枚岩ではないのです。確たる証拠がなければ軍は動きません。それに、戻らない兵士たちは、道半ばで、魔物に殺されているだけかもしれませんから」
「そうか、魔物に殺されている可能性もあるのか……」
「その通りです。軍を動かして何もなかったでは、扇動した貴族も詰め腹を切ることになります。だから、しっかりとした調査が必要なんです」
「面倒なことだな……」
レオンの言葉に同意するように、ミハイルは頷いてみせる。
そして、馬の手綱を引き、レオンの前に一頭の馬を指し出した。
「レオンさんとフィーアさんは、二人でこの馬を使ってください。サラマンダーには乗りづらいでしょうから」
(確かに。うちのゆたんぽは、背中が丸くて掴むところがないからな。後で鞍でもつけてやらないと……)
「うむ。分かった」
思わず頷いてしまったが、レオンは実際に馬に乗ったことがない。
ゲームの中では幾度となく乗ってきたが、所詮はゲームである。
実際の馬のように暴れることもなければ、言葉を理解して思い通りに動いてくれる。
しかし、いま目の前にいるのは、自らの意思を持った馬である。
馬はレオンと目が合うと、さも嫌そうに顔を背けた。
(乗れる気がしねぇえええ!何だこの無愛想な馬は……)
一向に馬に跨らないレオンを見て、ミハイルが心配そうに話し掛ける。
「レオンさん、どうかされましたか?」
「いや、何でもない」
レオンは助けを求めるようにフィーアに視線を移す。
「フィーア、お前は馬に乗れるか?」
「問題ございません」
(おお!乗れるのか!流石は優秀なフィーアさんだ)
「フィーア、お前が先に乗れ。私はお前の後ろに乗る」
「畏まりました」
しかし、フィーアが近づくと、馬は突如暴れだした。
余程近づかれたくないのか、後ろ足を何度も蹴り上げる。
気分を害したフィーアは舌打ちをすると、馬の手綱を強引に引き寄せた。
「ちっ!大人しく言うことを聞きなさい![支配]」
突然の力技にレオンも呆気に取られる。
(まさかの力尽くだと!支配の魔法は気付かれていないだろうな?)
支配は生きとし生ける者を、意のままに操る上級魔法。
そんな魔法を使えると知れたら、面倒に巻き込まれるのは目に見えていた。
制限時間はあるが、その気になれば、一国の王でさえも操ることが出来るのだから。
レオンは魔法が気付かれていないか、周囲を大きく見渡した。
だが、不幸中の幸いと言うべきか、馬が死角となり、誰も魔法には気付いていない。
そのため、魔法のことに触れる者は誰もいなかった。
レオンが安堵のため息を漏らしていると、馬が暴れたことで、ミハイルが心配そうに口を開いた。
「フィーアさん大丈夫ですか?」
「問題ありません」
「しっかりと訓練された馬を用意したんですが、申し訳ありません」
「お気になさらず」
フィーアは頭を下げるミハイルを一瞥すると、颯爽と馬に跨り、レオンに手を差し伸べた。
「レオン様、お手をどうぞ」
「うむ」
レオンはフィーアの手を取り、見よう見まねで馬に飛び乗った。
フィーアが絶妙な力で引き上げたこともあり、レオンは難なく馬に跨ることができた。
ミハイルは馬が暴れないことに胸を撫で下ろすと、自らも馬に跨り指示を出す。
「では出発します!僕が先導しますので、みなさんは後を付いてきてください」
その言葉を皮切りに、一行は北へ向けて進路を取った。
先頭はミハイルのパーティーが努め、その後ろにレオンやポーターが続き、最後尾をサラマンダーが、地面を滑るように移動している。
街道を駆ける馬の足音を聞きながら、レオンはまだ見ぬ獣人に思いを馳せていた。
(獣人なら、ふさふさの尻尾が生えた、可愛い女の子は外せないよな……)
期待に胸を膨らませながら、レオンの新たな旅が始まろうとしていた。
街を出てから既に二日、幾つかの村に立ち寄りながら、レオンたちは城塞都市ベルカナンに着実に近づいていた。
ミハイルの話では、このまま順調に行けば、明日にもベルカナンにつくとのこと。
最初に連絡が取れなくなってから、優に半月は経つ。
もし、ベルカナンが落ちているなら、いつ獣人と出くわしてもおかしくはない。
自ずと周囲への警戒心も高まっていた。
尤も、レオンは探知系の魔法で、周囲に敵がいないことを知っている為、呑気なものである。
レオンが退屈そうに何度も欠伸をしていると、ベティがレオンの隣に馬を並べ、、これみよがしに「やれやれ」と、肩を竦めてみせた。
「もう少し緊張感を持て!襲って来るのは獣人だけじゃないんだぞ?魔物だっているんだからな」
「注意はしている。問題はない」
そう言いながらも欠伸が出てしまい、レオンは慌てて口を手で覆った。
その態度に呆れたのか、ベティは深い溜息を漏らすと、レオンに警告をする。
「分かっているのか?今回の依頼は命懸けだ。もしベルカナンが落ちているなら、近づくだけでも命に関わる」
「大げさな……」
「はぁ~。お前は知らないようだが、ベルカナンには魔導砲が備え付けられている。獣人共に奪われていたら、それだけでも脅威になるんだぞ?」
「魔導砲だと?」
魔導砲。その言葉にレオンは反応する。
レジェンド・オブ・ダークにおいても魔導砲は存在していた。
対ギルド戦専用防衛兵器、魔導砲、破壊の根源。
それは、究極の攻撃魔法の一つ、破壊の根源を放てる課金アイテムであった。
これにも勿論、冷却時間という名の再詠唱時間が備わってはいるが、その一撃の破壊力は、今のレオンにでさえダメージを与えかねない。
(もし、ゲームの魔導砲と同じなら、放たれる魔法は究極の攻撃魔法。俺やフィーアはなんとかなるが――他の奴らは全員死ぬぞ……)
ベティはレオンと初めて視線が合うと、「ふん」と鼻を鳴らした。
「何だ?興味があるのか?」
「ああ、出来れば詳しく教えて欲しい」
「いいぞ。魔導砲は強力な魔法を撃ち出す兵器だ。何でも炎を撃ち出すと聞いたことがある」
(炎だと?俺の知ってる魔導砲と違うな。この世界独自の魔導砲なのか?)
レオンが怪訝そうに悩んでいると、一頭の馬が下がってきた。
馬に乗っていたのは、ミハイルの取り巻きの女性。狩人のシェリーと、魔術師のウィズである。
二人の話を聞いていたのだろう。ベティの言葉をウィズが否定した。
「ベティ、炎じゃないわよ。前にも教えたでしょ?突風火球よ」
「そうだったか?まぁ、どっちにしろ炎を出すことに変わりないだろ?ウィズは細かいんだよ」
「ベティが大雑把過ぎるのよ!」
項垂れるウィズであったが、レオンの視線に気付いて更に嫌な顔をする。
「何よ?」
(うわぁ、不機嫌そうだ……。冒険者ギルドで舌打ちしたのも、確かこの子だよな……)
レオンは話しかけるのを躊躇するも、ウィズが話していた突風火球が気になった。
恐らく名前から、突風と火球を掛け合わせた魔法なのだろうが、ゲームの時には存在しない魔法である。
しかも、それが魔導砲から放たれると聞かされては、尋ねないわけにはいかない。
「その突風火球とは何だ?突風の魔法と、火球の魔法を同時に放つのか?」
レオンが尋ねると、ウィズは渋々口を開いた。
その如何にも嫌そうな暗い声に、手綱を握るシェリーが苦笑いを浮かべる。
「魔導砲に魔力を充填すると、火球が突風で撃ち出されるのよ。通常の火球より射程も長いし威力もあるわ。纏めて数十人吹き飛ばすこともできるのよ」
(なんだ……。所詮は火球か。聞いた限りだと、威力自体は大したことはないな。それよりも魔導砲だ。魔力を充填するとはどういう事だ?)
「もう一つ聞きたい。魔力を充填とはどういう事だ?」
「う、煩いわね。そんなこと私も知らないわよ」
「何だ知らないのか……」
レオンが肩を落とすと、ウィズが目に見えてムッとする。
「知らなくて悪かったわね!抑、私はこんな依頼は反対だったのよ。下手したら、その魔導砲の標的になるのよ。冗談じゃないわ。本当はミハイルを説得して断るはずだったのに……」
(それで、俺が手伝うと聞いて舌打ちをしたのか……)
レオンが顔を顰めていると、シェリーがウィズを宥めていた。
「レオンさんが悪いわけじゃないだろ?それに、魔導砲の射程距離は分かっているんだから、射程距離に入らなければどうってことないよ」
「そうなんだけどさ……」
シェリーは貞腐れるウィズを尻目に、レオンに軽く頭を下げる。
「レオンさんもすみません。この子は冒険者になって、まだ日が浅いんです。許してください」
「別に構わんとも。私も冒険者になったばかりだ。不安に思うのも無理はない」
「ありがとうございます」
シェリーは一言そう告げると、ニコッと笑顔を見せた。
その笑顔を見ながらレオンは思う。
ベティは脳筋、ウィズは生意気、シェリーは良い子、何かあったらシェリーは守ってやろう、と。
途中で一度馬を休ませ、また街道を突き進む。
代わり映えのしない景色が続く中、不意にミハイルが馬を止めた。
一点をじっと見つめ険しい表情になる。
その視線の先では黒い煙が上がり、その煙を見て、ベティやシェリー、ポーターたちも表情を曇らせた。
レオンは領域探査の魔法を使い、頭の中に広がる敵影を見てほくそ笑む。
(いよいよ獣人とご対面かな?さて、どうなることやら……)
シェリーはミハイルの隣に馬を並べ、神妙な面持ちで話し掛けた。
「ミハイル、あの場所って確か……」
「ええ、村がある場所です」
ベティやポーターも知っていたのだろう。二人の会話に同意するように頷いている。
立ち上る黒煙は飯炊きに出るそれとは明らかに違う。家屋のような大きなものが燃えている証拠でもあった。
みなが表情に影を落とす中、話の流れが分からないのか、ウィズが首を傾げて尋ねる。
「なに?どういうことよ?」
ベティはウィズに近づくと、乱暴に頭をグシャグシャ撫で回す。
だが、その視線は黒煙を睨み決して目を逸らさない。
「ちょ、何よ?」
「あそこにある村が襲われている。いや、襲われた後かもしれねぇな」
「えっ?」
ウィズの顔が徐々に青褪めて行くのが見えた。
冒険者になり、まだ日の浅いウィズは、人の死に対し免疫が殆どない。
依頼の最中で魔物に食べられる人間を見たことはあるが、その時は何度も嘔吐を繰り返していた。
ウィズはその時の光景を思い出し、胃の底から酸っぱいものが込み上げてくる。
しかし、それをグッと堪えた。
普段はうざったいベティの大きな手が、今はウィズの心を落ち着かせてくれる。
ウィズはそれに感謝しながら、黒煙に視線を向けた。
あの下に人間がいる。そう思うと、いてもたってもいられなかった。
「ミハイル!生きてる人がいるかも知れない!直ぐに助けに行きましょ」
「ウィズ、落ち着いて。先ずは相手の戦力を確認しないと」
「なに呑気なこと言ってるの!今こうしてる間にも、誰かが殺されているかもしれないのに!」
「ウィズ、下手に動けば全滅だって有り得る。僕が言ってる意味、分かるよね?」
「分かるけど……」
ウィズもミハイルの言いたいことは理解している。
慎重に行動しなければ、仲間を危険に巻き込むと言いたいのだと。
だが、理性では理解しているが、感情では納得出来ないのだろう。
ウィズは何かを言いたそうに、口を開く真似事をしては俯いていた。
ミハイルもウィズの気持ちは痛いほど分かる。
誰だって助けられる命は、助けてやりたいと思うのが当たり前だ。
だが、そのために仲間を犠牲にすることは絶対にできない。
パ-ティーを束ねる者として、仲間の命が何よりも優先されるのだから……
「先ずは街道から外れて、近くの森に身を隠します。今後のことは、それから考えましょう」
ミハイルの言葉で隊列は動き出す。
街道から外れて近くの森を目指すが、近くといっても街道からは随分と離れている。
馬から降り、草木を掻き分けながらの移動の為、森の中に入る頃には、それなりに時間も費やしていた。
森の中に身を隠すと、直ぐに今後のことが話し合われた。
最初に口を開いたのはミハイルである。
「村を襲ったのが獣人か魔物かは分かりませんが、先ずは相手の戦力を確認する必要があります。僕とシェリーが偵察に出ますので、他のみなさんはここで待機してください」
ミハイルは小さいころから場数を踏んだAランクの冒険者、狩人のシェリーは気配を消すことに長けている。
大勢で動けば返って見つかりやすいため、少数精鋭で行くなら、この二人が誰よりも適任であった。
反論は出ないと思われたが、それにレオンが異を唱える。
「ミハイル、私も行こう」
「レオンさんも?ですが大変危険です。もし見つかったら、命の保証は出来ませんよ」
「安心しろ。私にはこれがある」
レオンが取り出したのは、いつぞやの暗殺者から奪った同化マント。
マントを羽織り、フードを被ると、レオンの姿は見る間に周囲に同化する。
多少の違和感はあるが、一見しただけでは直ぐには見つけられない。
その姿を見て誰もが目を丸くする。
「凄い!こんな魔道具を持っているなんて!」
レオンはフードを外して姿を見せると、ミハイルに視線を移した。
「これなら問題はないだろ?」
「いや、ですが……。レオンさん、それを僕かシェリーに貸してくれませんか?」
正論であった。素人と思われるレオンが使うより、ミハイルやシェリーが使った方が何倍も効率が良い。
もっと言えば、どちらか一人だけが姿を暗まし、一人で偵察に出た方が安全である。
だからこそレオンは貸すことができない。
そんなことをすれば、偵察に同行したいというレオンの願いは潰えてしまう。
「駄目だ。これはとても貴重な魔道具。誰にも貸すわけにはいかない」
「そうですよね……」
(すまんミハイル。本当は他にも三着持っているんだが――マントの下から魔道具をポンポン出したら、お前ら絶対突っ込むだろ?それ何処に持ってたんだよ!って……。それに、透明化は中級の魔法だから、見せるわけにはいかないしな)
肩を落とすミハイルを見て、ウィズがレオンを睨みつける。
「貸して上げなさいよ!あんたが使うより、ミハイルやシェリーが使った方が、何倍も役に立つわ!」
「貸してもよいが、私も同行するのが条件だ」
「はぁ?あんたみたいな素人なんか、そのマントがなければ、直ぐに見つかるに決まってるじゃない!死にたいの?」
「そんなつもりはない」
「わけ分かんないわ。頭がおかしいんじゃないかしら?」
流石に言い過ぎだと感じたのだろう。ミハイルはウィズに鋭い視線を送り嗜めた。
「ウィズ!誰だって貴重な魔道具は簡単には貸せない。僕が魔法銃を貸せないのと同じだよ。例え貸したとしても心配は尽きない。自分の目が届くように、魔道具の傍に居たいと思うのは仕方ないよ」
「……そうなんだ」
「分かったらレオンさんに謝って」
「ごめんなさい……」
ウィズも悪気があっての発言ではないが、思い返せば何も知らずに、随分と酷いことを言っている。ミハイルの言葉を受けて、ウィズは深々と頭を下げた。
そして、レオンもまた、ミハイルの言葉に感心していた。
(なるほど……。貴重な魔道具なら、ミハイルの言ったことも一理あるな。お陰で事が上手く運びそうだ)
「冒険者になったばかりでは仕方ないだろ?謝る必要はない。それより、私も付いて行っても構わないかな?魔道具で姿も隠せるし、邪魔になるようなことはしない」
「回復魔法が使えるレオンさんがいるのは正直助かります。こちらからもお願いします。僕とシェリーが先行しますので、レオンさんは後から付いてきてください」
「了解した」
「ベティ、後のことは頼んだよ」
「任せな!こっちはしっかり守ってやるよ」
ミハイルはベティの言葉に頷き返すと、シェリーとレオンに目配せをして動き出した。
魔物に注意を払いながら、三人は森の中を駆け抜ける。森は魔物の領域、戦えないポーターの安全を考慮するなら、長く留まるわけにはいかない。
あっという間に、村に近い森の端までやって来た。
ミハイルとシェリーは木の陰に身を隠し、レオンもフードを被り姿を暗ます。
村の周りには太い木の柱が打ち付けられ、壁のように村を取り囲んでいた。
遠目に見ても、容易に侵入できない作りになっている。
だが、その入口を閉ざす大きな門扉は打ち破られ、無残にも地面に倒れ伏していた。
それを目にしたミハイルは、悔しさの余り、強く下唇を噛み締める。
一方のレオンはと言えば、獣人の姿を追い求め、入口から微かに見える人影に注目していた。
視界に入ったのは、全身を毛で覆われた二足歩行の狼。
レオンの頭に思い浮かんだのは、ワーウルフと呼ばれる魔物であった。
しかし、ミハイルの言葉がそれを否定する。
「やはり獣人か……」
ミハイルの言葉を聞いて、レオンはもう一度その姿を観察した。
言われてみれば、レオンの知るワーウルフと少し違いがある。
ワーウルフは本来全裸であるが、ミハイルが獣人と呼ぶそれは、衣服を身に纏い、武器を手に持っている。
レオンは確認するようにミハイルに尋ねた。
「ミハイル、あれが獣人なのか?」
「ええ、そうです。外見はワーウルフとよく似ていますが、その知能は人間のそれと何ら変わりません。あれは獣人の狼族です」
ミハイルの言葉にレオンはがっくりと肩を落とす。
(人間を食べると言うから、ある程度の覚悟はしていたが……。あれはどっからどう見ても魔物だ……。獣人?巫山戯るな!!人の期待を裏切りやがって!可愛い獣っ娘とか期待しただろうが!!)
「ミハイル、あれを見て」
シェリーの視線の先にあるのは物見櫓、その上では数人の獣人が周囲の警戒に当たっていた。
しかも、村までは障害物のない草原や畑、黄金色の作物が穂を垂らしてはいるが、その中に身を隠しても、上からでは丸見えであった。
「これでは近づけない、どうすれば……」
ミハイルが難しい顔で、櫓の上の獣人をじっと見つめる。
この距離で仕留めるのは至難の業。
例え魔法銃で殺せても、もし死体が下に落ちたら、更に警戒されてしまう。
所々に大きな木が生えているなら、隙を見て移動することもできるが、身を隠せる場所は全く見当たらない。
シェリーが心配そうにミハイルに視線を向けた。
「無理することない。夜まで待った方がいいよ」
ミハイルは上空を見上げ、眉間に皺を寄せた。
太陽はまだ高い位置にあり、夜まで待つとなると、何時間も無駄にすることになる。
残してきたベティたちの身の安全も気になった。
ミハイルがどうするべきか悩んでいると、不意に背後から鳴き声が聞こえてきた。
「きゅう」
「えっ?」
三人が一斉に振り返ると、そこにはサラマンダーの巨体があり、レオンに頭を摺り寄せていた。
(ゆたんぽぉおおお!!お前何でここにいるんだよ!ちゃんとお留守番してないと駄目だろ?いや、そう言えば、ゆたんぽには何も指示を与えていないような……)
サラマンダーは体が大きい上に赤い。どう考えても目立つに決まっている。
三人が驚いているのと同様に、櫓の上の獣人も、同じように驚愕の表情でサラマンダーを凝視していた。
その様子にミハイルとシェリーが即座に気付く。
「気付かれた?獣人がこっちを見てる」
「いや、サラマンダーに目がいってる。僕らは気付かれていないと思う」
獣人たちはサラマンダーに警戒するも、誰も一人近づこうとはしない。
出来ることなら戦いたくはないのであろう。サラマンダーには何もせず、ただ遠巻きに見ているだけであった。
その様子を見る限り、レオンらに気付いている素振りはない。
ただ、集まってきている獣人の数が多い。視界に捉えただけでも、その数は優に百を越えている。
「やはり僕らには気付いていないようです。レオンさん、これからどうしますか?」
(どうしますかって言われても――どうすんのこれ?まぁ、うちの子が悪いんだけどさ……。ここは本人に責任を取ってもらうか……)
「そうだな。ゆたんぽに獣人たちを襲わせよう」
「サラマンダーにですか?」
「うむ。あの程度の獣人たちであれば、ゆたんぽが殺されることもないだろうからな」
「確かにサラマンダーは打たれ強い魔物ですが、あの数を相手にするのは無理があります」
「我々も何もしないわけではない。身を隠しながら、魔法や弓矢で援護をする。あれだけの数を相手にするなら、それしか方法はないだろうからな。それとも、戦わずに街に戻るのか?そんなことをすれば、次の村が襲われることになるぞ?」
情報を持ち帰ることが何より優先されるが、ミハイルには村人を見捨てることは出来なかった。
百人程度であれば倒せない数ではない。
それに、獣人を捕らえることが出来れば、より詳細な情報を入手することができるかもしれない。
ミハイルが頷くのを見て、シェリーも覚悟を決める。
「戦いましょう」
「了解した」
レオンは頷き返し、サラマンダーの瞳を覗き込む。
「ゆたんぽ、お前はあの獣人たちを襲え。あれは我々の敵だ。一匹たりとも逃すな。だが、村は燃やすなよ」
「きゅう」
サラマンダーはひと鳴きすると、森から出て獣人たちの元に迫る。
獣人たちが身構える中、サラマンダーは足を止め、突如「きゅるぅうう」と、唸り声を上げた。
途端にサラマンダーの皮膚が熱を帯びる。
頭の上には大きな炎の鶏冠が揺らめき、それは頭の先から尻尾の先まで、一本の線のように真っ直ぐに伸びた。
全ての鱗の間からは炎が溢れ出し、サラマンダーの体を炎が纏う。
呼吸をする度、口からは炎が漏れ出し、周囲の大地が焼け焦げていた。
本来の姿になったことにレオンが満足していると、隣でミハイルとシェリーが瞳を見開いていた。
「レ、レオンさん、あれは何ですか?」
「ゆたんぽだ」
「いえ、それは分かるのですが――あれはサラマンダーですよね?」
「その通り、サラマンダーだな」
「燃えているんですが……」
「当然だろ?サラマンダーは炎を操る魔物だからな」
「…………」
ミハイルは今まで自分が遭遇したサラマンダーを思い出す。
その記憶の中にあるのは、固い鱗に覆われただけの頑丈な魔物。
炎を身に纏う魔物は見たことがない。
だが、それは獣人たちも同じである。
唯々呆然とサラマンダーを眺め、目に見えて動揺していた。
サラマンダーは獣人の中に突撃すると、牙で噛み付き爪で薙ぎ払い、同時に全てを燃やす尽くす。
獣人たちが武器を構えて近づこうにも、炎が邪魔をして近づくことすらできない。
武器を投げつけるも、硬い鱗の前では、まるで歯が立たない。
仲間が燃やされるのを見て心が折れたのか、獣人たちは次々と蜘蛛の子を散らすように逃げ出して行く。
だが、それをサラマンダーが見逃すわけがない。
レオンから受けた命令は、一匹たりとも逃すなである。
サラマンダーは大きく息を吸い込んだ。
体からは激しく炎が溢れ出し、大気の温度が一気に上昇する。
体内に溜めた込んだ膨大な炎を圧縮し、サラマンダーは炎の吐息を地面に叩き込む。
それは、レオンが幾度となくゲームで見てきた魔物のスキル、炎魔人の吐息。
放射状に伸びた炎は、瞬く間に全てを飲み込み、視界は一瞬にして赤一色に染まっていった。
その炎の速度に比べれば、獣人の逃げ足など愚鈍な亀の如きである。
炎が消えた後に残されていたのは、赤く熱を帯びた不毛の大地だけであった。