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1章

赤い髪を持つ者は、災いをもたらす。

それが、この女神の加護を受けるバシレイアの古い言い伝えだった。


1 運命の歯車は突然回りだす



燃え上がる炎のように赤い髪を靡かせて、シェリルは城の廊下を走る。ドレスをたくし上げて走る姿は一国の王女がするような行為ではない。

普通なら、近衛兵や侍女たちが注意するのだろうが、彼らはシェリルに目もくれずに自分たちの仕事をしていた。

そのことに微かな痛みを感じながらも、シェリルは走る。

(早く、早く!)

どうして、この城は無駄に広いのだろう。いつもより長く感じる廊下にうんざりしたが、目指していた部屋のドアが見えてそんな気持ちも吹き飛ぶ

シェリルは、ドアの前で止まり大きく息を吸い込んだ。ドキドキと高鳴る胸を押さえながら、コンコンとノックをした。

「どうぞ」

聞こえてきた声にシェリルは、ゆっくりとドアを開く。

中には、多くの兵士に囲まれて書類を手に何やら指示をしている騎士がいた。彼は、難しそうな顔で何かを話していたが、その視線がシェリルに向けられた。

「ああ、姫様でしたか」

優しい微笑みを向けられて、シェリルの胸がトクンと高鳴る。

「エリク、お帰りなさい」

エリクと呼ばれた青年は、シェリルのその言葉に手を胸に当てて小さく頭を下げた。

「ありがとうございます。姫様

エリク、無事に帰還いたしました」

「どこか怪我とかない? エリクがエトニーア国との国境に行くと聞いて心配していたんだから」

「はい、大丈夫ですよ。今回の任務は、オズワルド殿下も一緒でしたので」

「ああ、兄様も一緒だったわね」

エリクの言葉に兄である第一王子も一緒に今回の任務に行っていたことを思い出し、シェリルは頬を膨らませた。

(兄様は、ずるいわ)

10日間も、エリクを独占していた兄。エリクは、兄の側近なのだから仕方ないといえば仕方ないが、羨ましくて仕方ない。

ぷくっと頬を膨らませて、拗ねているとエリクが困ったような視線を向けた。

「すみません、姫様。あなたの大好きな殿下を長い間借りてしまって。殿下なら、部屋にいらしゃると思いますが」

「ち、違うわ!」

オズワルドの部屋にシェリルを連れて行こうとするエリクの服の裾をシェリルは慌てて引っ張る。

「兄様なんて、どうでもいいの。私は・・・」

そこで言葉を切り、胸に当てている手をぎゅっと握った。

エリクに会いたかったの。

そう言葉にしたくても、羞恥心で中々口に出来ずにシェリルは、頬を赤く染めてエリクを見上げた。

「姫様?」

心配そうにシェリルを見つめる蜂蜜色の瞳。

幼い頃から、シェリルを真っ直ぐと見つめるこの瞳がシェリルはたまらなく好きだった。

血のように赤い髪。この赤い髪のせいで両親から疎まれ続けてきたシェリル。兄のオズワルドは、そんな彼女を可愛がってくれたが、この広い城の中1人でいる時間が多くシェリルは、毎日のように庭にある薔薇園で泣いていた。

そう、エリクに初めて会った日も、シェリルは1人泣いていた。





『・・・っう・・・』

1人うずくまり、声を押し殺してシェリルは溢れる涙を流していた。

―どうして、私の髪は兄様のように綺麗な金色の髪ではないのだろう。

太陽に反射して、いつもよりも赤く見える自分の髪を引っ張った。

こんな髪なんていらない。いっそのこと全て切り落としてしまえば両親たちが、自分を見てくれるだろうか。

王家の恥ではなく、家族の一員として愛してくれるかもしれない。

いないものとして、扱われるのはもう限界だった。オズワルドのように皆から愛されたい。必要とされたい。

ふと、シェリルは護身用としてオズワルドに持たされていたナイフを懐から取り出した。

それを震える手で自分の髪に当てる。このまま少しでも手を動かせば髪の毛は切れるだろう。

ナイフで、何かを切ることをしたことがないので、恐怖心はあったが両親に愛されたい一心で震える手に力を込める。

覚悟を決めて、動かそうとした時に

『いけません!!』

厳しい声が耳に入り、驚いたシェリルは手に持っていたナイフをその場に落とした。

シェリルは、恐る恐る声がした方を向くと、そこには息を荒らげ真っ直ぐにこちらを見る少年がいた。

『あなたは、ナイフなど持って何をしているのですか!』

怒りを含んだ瞳で、こちらを見つめる少年にシェリルは身体を震わせる。

誰かにこんな風に厳しい口調で何かを言われたのは初めてで、シェリルは恐怖心でパッチリとした大きな瞳に涙を浮かべながら、消え入りそうな声で答えた。

『・・・髪、を切ろうと思って・・・』

『髪を?』

シェリルの言葉に少年は眉を顰める。

『なぜ、そんなことを?』

『・・・私の髪は、赤いから・・・。

母様も父様も城にいるみんな、まるで血のようで・・・魔族のように穢らわしいって言う。

だから、この髪さえなくなれば、私のことを愛してくれるかもしれない・・・っ』

言い終わった後で、シェリルの瞳に溜まっていた涙が零れ落ち彼女の白すぎる頬を濡らしていく。

嗚咽を溢さないように唇を噛み締めて、シェリルはその場にうずくまった。

涙を見せると、皆が氷のような冷たい視線でシェリルを見る。そして傷つくような言葉を浴びせてくる。

だから、シェリルはこうして誰にも見つからないところで涙を流していた。

目の前にいる少年にも、そんな言葉を浴びせられると思うとシェリルの胸は、ナイフで刺されたように痛む。

シェリルは、放たれる言葉に目をぎゅっと瞑る。

しかし、いくら待ってもそれは彼の口から放たれない。それどころか、自分の髪を掬い上げる指の感覚がして驚いて顔を上げた。

『あ、やっと顔を上げてくれましたね』

先程の怖い顔ではなく、太陽のように暖かい笑みを浮かべてこちらを見つめる少年にシェリルは、どうしていいか分からずに固まっていると

『俺は、この色好きですよ。まるで、ここに咲く薔薇のように綺麗です』

と優しい声で、言われシェリルは驚愕した。

『う、嘘はやめてっ。』

『嘘じゃ、ありません。本心です。姫様の髪はとても綺麗ですよ。綺麗な薔薇のような髪です』

今まで、オズワルド以外に向けられたことのない優しい笑顔に、シェリルは目を伏せる。

(こんな髪が、綺麗なわけない。きっと嘘だわ)

そう思っていても、少年の言葉が本当であってほしいと頭の片隅で思ってしまう。

期待、してしまう。

『本当に、そう思う・・?』

小さな声で、そう尋ねると少年はゆっくりと片膝を立ててシェリルの手を両手で握りしめた。

オズワルドと乳母であるばあや以外の体温に触れるのは、初めてだ。驚きでピクリと身体を強張らせるシェリルに少年は、小さく笑みを零す。

『姫様、顔を上げて下さい』

少年の言葉にシェリルは、ゆっくりと顔を上げた。

少年の蜂蜜色の瞳が、真っ直ぐにシェリルを見つめている。その視線は、今まで向けられたことのないまるで宝物を見るかのようで、シェリルの胸が音を立てた。

『俺は、騎士です。騎士は、決して嘘をつきません。

姫様に言った言葉、全てが本当です。姫様の髪は、太陽に反射して宝石のように輝いていてとても綺麗で俺は大好きです。

だから、この髪を切ろうとしないでください』

その言葉に、シェリルは空色の瞳をこぼれんばかりに見開いた。

(私は・・・っ)

嬉しかった。この髪を綺麗と言ってくれて。

ありがとう、そう言葉にしたくても胸が詰まって声が出ない。ただ、温かいものが頬を伝う感覚がして

気付いたら、声を上げて泣いていた。流れてくる涙は今まで流してきた悲しい涙ではない。

(嬉しい時も、人は泣くのね)

大声で、泣くシェリルの手を少年はずっと握っていてくれた。

『落ち着きましたか?』

『うん・・』

あんな風に泣いたのは、初めてで急に恥ずかしくなったシェリルは少年の顔を見ることが出来ない。

そんなシェリルの気持ちに気付いているのか、少年は無理やりに顔を上げさせようとはしなかった。

『それならよかったです』

少年は、そう言ってポケットからチェーンがついた懐中時計を取り出した。時計の針が指し示す時間に少年は、困ったように眉を下げる。

横目で、そんな彼の様子を見ていたシェリル。

(きっと、何か用事があるんだわ)

自分に気を使って、それに行くことが出来ないのだろう。本当は、もう少し一緒に居たかったが、そんな気持ちを振り払うようにシェリルは口を開いた。

『用事があるのでしょ? 私はもう大丈夫だから、早く行った方がいいわ』

『しかし・・・』

心配そうに見つめてくる少年にシェリルは、笑顔を向けた。

『本当に大丈夫。ありがとう、側にいてくれて』

私の髪を綺麗と言ってくれて

最後の言葉は、なんだか照れ臭くて声には出来なかった。

シェリルの言葉に少年は、安心したように息を吐きだし小さく頭を下げる。

『それでは、失礼します』

そう言って、背中を向け歩き出した少年に向かって

『あなたの名前は?』


そう問いかけた。


その言葉に、少年は立ち止まりシェリルの方を向くと今日見てきた中で、一番の笑顔を浮かべる。


『俺の名前は、エリクです。シェリル姫』

『エリク・・・』

シェリルは、大事な宝物のように、その名前を口にする。

『また、会える?』

『はい。きっと会えます』

エリクは、そう言い残してその場から歩き出した。エリクの姿が見えなくなるとシェリルは、大きく音を鳴らす胸を両手で抑える。


『エリク』


彼の名前を口ずさむだけで、シェリルの胸に温かいものが宿る。

きっと、自分はこの時にエリクに恋をした。



「・・・様、姫様?」


エリクと出逢った時のことを思い出していたシェリルは、自分を呼ぶエリクの声に現実に戻される。


「ごめんなさい。少し考えごとをしていたわ」

「お疲れのようなら、部屋に戻りますか?」


出逢った時よりも、身長も伸びて声も低くなり少年から大人へとなったエリク。

それでも、シェリルを見つめる穏やかな泉のような優しい瞳は変わらない。

(好きよ、エリク)

ずっと、胸に宿っている想い。言葉にする勇気はまだ持てないけれど、いつか伝えられたらいい。

そんなことを思いながら、シェリルはエリクへ笑顔を向ける。


「大丈夫よ。心配性なんだから」

「心配しますよ。大切な姫様のことですから」

「・・・っ、エリクの馬鹿!」


エリクの言葉にシェリルは、赤くなった顔を隠すようにそっぽを向いた。

シェリルの気持ちに実は気づいているのではないかと疑うぐらい、エリクはこうして甘い言葉を口にする。

そのため、毎回死んでしまうのではないかと思うぐらい胸を高鳴らせるはめになる。

(エリクは、ずるい)

頬を膨らませて、背を向ける※エリクの苦笑が聞こえてくる。

きっと、眉毛をハの字にして困った顔して自分を見ているのだろう。

(エリクなんて、困ればいいんだわ)

エリクに対する、いたずら心と彼が自分のことで悩んでいることが嬉しい気持ちがシェリルの中で混ざり合う。エリクにバレないように口元を緩ませていると


「全く、10日ぶりに帰って来た兄を出迎えずに、エリクのところにいるなんて。お兄様は悲しいぞ」


聞きなれた声がして、シェリルは嫌そうに歪む顔を隠そうともせずにそちらを向く。

騎士の間のドアに寄りかかり、シェリルと同じ空色の瞳で真っ直ぐに見つめ腕組みをしている人物

シェリルの兄、オズワルドがシェリルたちを見ていた。


「・・・お帰りなさいませ、兄様」


不機嫌さを含んだシェリルの声にオズワルドは、面白そうに瞳を細めた。


「エリクとの時間を邪魔されて、ご機嫌斜めかな? 私のプリンセス」


靴音を鳴らしながら、シェリルに近づき彼女の手に唇を落とす。シェリルの目の前で、王家特有の金色の髪の毛が揺れた。

自分とは、違うその色にシェリルの胸に鈍い痛みが走る。


「分かっているなら、邪魔しないでください」


痛みを隠すように、笑顔でオズワルドにそう言えば彼は満面の笑みを浮かべた。


「邪魔するよ。可愛いシェリルがエリクと仲良くしているのは気に食わないからね」

「もう、兄様の意地悪」

「拗ねているのかい? 私の妹は本当に可愛いな」


シェリルが嫌そうにしているのもお構いなしで、オズワルドはシェリルを抱きしめた。

オズワルドは、まるで恋人を見るように甘い瞳で、彼女を見つめる。シェリルは、慣れているがこんな彼の姿を貴婦人が見たら、失神してしまうだろう。

オズワルドは、女性からの人気が高く赤薔薇の王子様と呼ばれている。しかし、彼は特定の恋人を作らずに婚姻の話が出ても断り続けている。

そんなオズワルドの行動にシェリルは、内心安心していた。両親に邪気にされている彼女にとってオズワルドだけが、家族と呼べる存在。

幼い頃から、家族としての愛情をオズワルドは与えてくれた。だからこそ、もう少しだけオズワルドを独占していたいのだ。

本人に言ったら、調子に乗るので口が裂けても話すつもりはないが。


「兄様、離してください。痛いです」

「嫌だ」


駄々っ子のように頭を左右に振り、そう口にする兄にシェリルはため息を零す。

オズワルドは、王子でありながらも総督の位についている。この地位にいるのは、王族だからと他国には思われているが、それは違う。彼の剣の腕前はこの国で1番と言っても良いだろう。

幼い頃から、当時の騎士団長であるエリクの父に剣を習っていたオズワルドは、毎日鍛錬を欠かさなかった。

それは、もはや習慣となり、今でも早朝から鍛錬をしている。そのお蔭か、オズワルドはその細身から想像できないほどに筋肉がある。

それに毎回抱き締められるシェリルは、痛い思いをするのだ。自分に会えたことが嬉しいのか力いっぱい抱きしめてくるせいで。

(うう、痛い)

身体を捻っても、背中を叩いても、オズワルドは全く離そうとしない。それどころか、さらに力を籠め頬擦りまでしてくる。

(鬱陶しい・・・)

今すぐにでも離してほしいシェリルは、オズワルドの足をヒールで踏みつけようと、足を動かそうとした瞬間、シェリルを抱きしめていた腕が離れていく。

「オズワルド様、姫様が苦しそうですよ」

「おい、エリク。私たち兄妹の10日ぶりのハグを邪魔するのか」

「姫様が、オズワルド様から離れたいようでしたので」

「そんなことない。なぁ、シェリル」

にっこりと笑顔をエリクに向ければ、オズワルドは子どものように頬を膨らませた。

その姿にエリクは苦笑を漏らす。

「オズワルド様、拗ねないでください」

「せっかく、明日のシェリルの精霊召喚儀式に間に合うように急いで帰って来たというのに」

「・・・・・・・」

不貞腐れながらそう話すオズワルドの言葉にシェリルの胸に重いものが伸し掛かる。

この国、バシレイアの王族は、かつて繁栄をもたらした女神の血を受け継いでいる。

その女神は、多くの精霊と契約を交わしていた。

王族の人間は、女神が契約を交わした精霊を召喚し自らも契約を交わす。それが、17歳誕生日の日に行われる。

兄であるオズワルドも、7年前に召喚の儀式をした。彼が呼び出したのは、知恵の精霊。

オズワルドは、それと契約を交わし今では、精霊が騎士団の参謀になっている。

召喚には、大量の魔力が必要とされているが果たして自分は上手く召喚が出来るのだろうか。

儀式が近づくにつれて、シェリルはそんなことばかり考えていた。

オズワルドは、幼い頃から魔力の使い方について王族直属家庭教師から学んでいた。

しかし、シェリルはそれらを学ばせてはもらえなかった。

両親に魔力を使うことを禁じられてきたのだ。しかし、明日は王族にとっての伝統。

今回のみということで、魔力を使うことを許されたが、生まれてからずっと使ってこなかった自分が明日精霊を召喚できるのか不安だった。

それに、この髪の毛を多くの人に見せることも嫌で仕方なかった。この色を見た時のあの瞳。

考えるだけでも、胸が痛くなる。

今までのように、オズワルドとエリクの2人に祝ってもらえるだけでいいのに。

「・・・儀式をしないと駄目、よね」

ぽつりと呟かれたシェリルの言葉に、何か言い争っていた2人は黙り込んだ。そして、彼らは顔を見合わせる

そんな2人にシェリルは、顔を覆ってしまいたくなる。いつも、自分のことを気にしてくれている彼らだからこそ、こんなことを言ってしまったら心配をかけてしまう。分かっていたことなのに、つい口から零れてしまった本音。

3人の間に流れる沈黙は、重いもので

シェリルは、この沈黙を何とかしなくてはと口を開こうとしたが、先に口を開いたのはエリクだった。

「儀式を欠席することは出来ませんが、今回は俺が護衛を担当します。だから、姫様」

そこで、エリクは言葉を止めて足を曲げて、シェリルの目線の高さにまでしゃがみ込むと、彼女の瞳を真っ直ぐ見た。

エリクに映る自分が少し頬を赤らめていて、シェリルは少しだけ彼から視線を外す。自分の鼓動がうるさいぐらい高鳴っていて、その音しか耳には届かないぐらいだ。

それでも、エリクの言葉を聞き逃したくはなくて、シェリルはエリクの言葉に耳を傾ける。

「何があっても、俺が守ります。あなたを傷つける全てのものから。

だから、安心してください」

「エリク・・・っ」

エリクの言葉にシェリルの瞳から涙が零れ落ちた。

こんな風に言ってくれたことが、たまらなく嬉しくて。今すぐにでも、エリクのその胸に飛び込んでしまいたい衝動に駆られるが、オズワルドからの視線を感じてそれを抑え込む。


「ありがとう・・・」

「当然ですよ

それに、当日はオズワルド様が仲介人をするので安心してください」

「えっ、兄様が!?」


その言葉に驚いてまだ涙が滲んでいる瞳で、オズワルドに視線を向ける。


「本当なの?」


首を傾げ、オズワルドにそう尋ねれば彼はこくりと頷いた。そして、シェリルの頭に手を載せて優しい手つきで撫でる。


「本当だよ。父上にお願いしてね。

だから、当日は何も心配することはないよ。私がお前の魔力を支えるから

だから、そろそろ可愛い笑顔を見せておくれ」

「ありがとう、兄様。私、頑張ります」

「シェリルなら、無事に儀式を追えることが出来る。なぁ、エリク」

「はい。俺もそう思います」


自分のことをここまで大切に想ってくれる2人にシェリルの胸は温かくなる。

たとえ、この国にとって自分は疎まれる存在だとしても


(私には、このエリクと兄様がいる)


この2人が自分の側にいてくれればそれでいい。


(私は、幸せなの)


そう思うと、チクッとかすかに痛む胸に気付かないフリをしてシェリルは笑顔を2人に向けた。




◆◇◆


儀式の日の朝は、やはり気の重いものだった。

いつもは、静かな城の中も今日ばかりは、大勢の人の声が聞こえてくる。

シェリルは、溜め息を吐きベッドから起き上がらせる。そして、両手を上に上げておもいっきり体を伸ばす。

昨夜は緊張して中々寝付くことが出来なかったせいか、身体が重く感じた。

このまま、もう一度眠りたい。そんな考えが一瞬頭をよぎるが、もうそろそろ儀式の用意をしにばあやが来る頃。


(気持ちを切り替えなくちゃ)


両手で、頬をパシッと叩く。

眠気と一緒に重い気持ちが吹き飛べばいい。そんな思いを込めて強く叩いたせいか少しジンジンと痛んだが、少しだけそれらが無くなった気がした。


「頑張ろう」


小さな声で呟いたと同時に扉が叩かれた。

シェリルは、深く息を吸い込みゆっくり吐き出した。そして、にっこりと顔に笑顔を浮かべた。


「どうぞ」


「失礼します。姫様」


扉を開け、入ってきたのはシェリルが幼い頃から、身の回りの世話をしてくれているばあや。

今年で70歳になり、本来ならば仕事を辞めて残りの時間を城の外で過ごすはずだったのだが、彼女の方から、もう少しシェリルの側で働きたいと言ってくれたのだ。



「おはよう、ばあや」


朝の挨拶をすると、ばあやはシェリルの顔を見て溜め息を吐く。


「しっかりお休みくださいとあれ程・・・」


ばあやの呆れたような視線から逃れるために、自らベッドの横のドレッサーに行き鏡で顔を見た。


(あ、酷い)


そこには、疲れ果てた顔をしたシェリルが映っていた。

流石にこのままの顔はまずい。シェリルは、あらかじめ用意されていたお湯にタオルをつけた。

人肌程度に温まったのを見計らいタオルをお湯から取り出し、絞る。そして、それを顔に載せた。

載せたそれからじんわりと、心地よさが顔全体に広がる。目を閉じて、それを感じていると後ろでは、ばあやが動いている音が聞こえてくる。


「姫様、失礼しますね」


一言、ことわりが入りばあやの手がシェリルの髪に触れた。


「今日は、髪の毛を結い上げますね」

「うん、お願い」


かしこまりました、ばあやはそう言うとシェリルの髪の毛にブラシを通す。優しいその手つきにシェリルは、目を細めた。


「ばあやの手は、気持ちいわね」

「あら、こんな皺だらけの手が気持ちいいなんて、姫様も変わってらしゃいますね」

優しい声色にシェリルの頬が緩む。


「皺だらけなんて、私はこの優しい手が大好きよ」

「ありがとうございます。さぁ、出来ましたよ」


ばあやの声にシェリルは、すっかりとぬるくなったタオルを外した。

鏡に映るのは、先ほどとは違い顔色が良い自分。

それに安心して、ドレッサーの上にある化粧品を取り肌に載せていく。

あまり外に出ないシェリルの肌は白く、白粉は必要ない程。軽く唇と頬に色を載せる程度で化粧を終わらせれば、いつもとは違い少しだけ大人びた自分が鏡に映っているような気がした。


「変じゃない?」

震える声で問いかければ、ばあやはポケットから髪飾りを取り出してシェリルの髪に挿した。

赤い髪に挿された、白い薔薇の髪飾りはシェリルの髪によく映える。

指でそれに触れて、鏡越しにばあやを見れば懐かしそうに瞳を細めシェリルを見ていた。


「これは?」


シェリルの問いかけに、ばあやは口元に小さく笑みを浮かべ答える。


「これは、ある方から姫様への贈り物です。姫様が17歳の誕生日を迎えた時に渡してほしいと頼まれていました」


どこか悲しそうな声。

どうして、そんなにつらそうなの?

そう問いかけたかったが、シェリルの肩に置かれているばあやの手が震えていることに気付いた。


(ばあや・・・)


17年間、彼女と一緒に過ごしてきて一度も彼女のこんな表情見たことがなかった。

今にも泣き出しそうに、潤ませシェリルを鏡越しに見るその瞳に笑いかける。


「そう。その方にありがとうと伝えてもらえる?」

「・・・っ、はい。必ず」


ぽたり、とシェリルの髪に伝った雫に気付かないフリをした。

本当は、ばあやに聞きたい。この髪飾りは誰からの贈り物なのか。

シェリルはもう一度だけ、髪飾りに触れる。

なぜか分からない。分からないのに、この髪飾りを懐かしく思うのはなぜだろう。

見たことがないはずなのに。

そんな疑問が頭の中を埋め尽くしていたが、ゴーンと鳴る鐘の音にシェリルはハッとした。


(もう、時間なのね)


城中に今鳴り響いている鐘は、儀式の用意が出来た合図。

緊張でバクバクと音を立てている心臓を鎮めるためシェリルは瞳を閉じて、大きく息を吸った。

大丈夫、大丈夫

何度も心の中で己に言い聞かせる。

繰り返しそれを行っていると、少しだけ落ち着いてきた気がしてくる。

シェリルは覚悟を決めて、瞳をゆっくりと開いた。


「行きましょう。ばあや」

立ち上がり、背筋を伸ばし歩き出す。

不安げに震える身体を引きずりながら廊下出れば大勢の使用人がシェリルを待っていた。みな頭を下げ、自分と目を合わせないようにしている。

その姿にシェリルは、唇を強く噛んだ。そうでもしないと、泣いてしまいそうになる。

(こんな所で、泣きたくない)

これ以上、周りを見たくなくて視線を彷徨わせれば、見慣れた笑顔がシェリルの目に飛び込んできた。

シェリルを安心させるように笑う彼、エリクに先ほどまで感じていた痛みが少し吹き飛ん気がした。

(私には、エリクがいるわ)

大丈夫、1人ではない。

唇を噛むのをやめて、口元に小さく笑みを作りシェリルはエリクの方に足を向けた。

シェリルがこちらに来るのに気づいたエリクは、その場に片膝を立てる。


「姫様、お誕生日おめでとうございます。

そのドレスとても似合っていますよ」


後半は、シェリルにしか聞こえないほどの声で囁かれた言葉。


「・・・っ、ありがとう」


周りに赤くなった顔を見られないように俯いてお礼を言えば、目の前のエリクがクスっと笑う気配がした。

(エリクの馬鹿・・・。でも、ありがとう)


本心で、自分のことを可愛いと思ってくれているなら嬉しいけど。

シェリルがゆっくりと歩き出せば、その後をエリクたちが続く。城の長い廊下を歩き、外に出る。

儀式が行われる女神の間は、城の外の裏手にある小さな教会だ。

そこに続く道には、バシレイアの国民たちが集まり儀式を受けるものを見送るのが決まりとされている。

オズワルドの時は、溢れんばかりの歓声が聞こえてきたが、教会へ続く道にいる人々は黙ってシェリルを見ていた。

彼らの瞳に映るのは、この赤い髪に対しての軽蔑。無数の視線が刃となり、胸に突き刺さるのをシェリルは感じた。

本当は、今すぐにでも逃げ出してしまいたい。だけれど・・・

斜め後ろから感じる自分を気遣うようなエリクの視線。その視線にシェリルは心の中で言い聞かせる。

彼が、エリクがいるから大丈夫。教会にいけば、仲介人のオズワルドもいる。

もう少し、後少しだから。

シェリルは、まるで鎖を引きずっているように重い足を懸命に動かし前へ進む。何度も小さく息を吐きだしながら、ゆっくりと。

時間にしては、彼らの前を通るのは10分ほどだったのだろうが、シェリルには永遠に感じた。

目の前に見える小さな教会に彼女は、胸を撫で下ろす。

教会の扉の前まで行けば、そこからは今回の護衛の責任者でもあり、オズワルドの側近であるエリクと2人でこの中に入る。


「準備は出来ていますか?」


エリクの問いかけに、シェリルはゆっくりと頷いた。

それを合図に、エリクは教会の扉を開く。中には、オズワルドとシェリルの両親がいた。

シェリルの姿を見て、微笑むオズワルドとは対照的に冷ややかな瞳で自分を見つめる2人。

その視線にシェリルの足は、地面に張り付いてしまったように動かなくなる。

両親の姿を見るのは、何年ぶりだろう。優しく微笑んでくれるわけがない。分かっていたことなのに、嫌悪と蔑みが混じった視線に改めて、自分自身が疎むべき存在なのだと突き付けられているようで少しでも、期待を抱いていた自分が馬鹿らしく思えた。


「大丈夫ですか?」


気遣うようなエリクの声にシェリルは、作り笑いを返した。

このまま、ここで立ち止まっているわけもいかない。シェリルは、両手を強く握りしめて部屋の中に入っていく。

エリクも、シェリルの後に続いて入れば、扉は閉められた。

カツン、カツンとヒールの音を鳴らしながら、ゆっくりと召喚の陣が書かれた場所に足を動かし、そこに入ると事前にオズワルドに言われた通りその場所に座り込む。

シェリルは、していた白い手袋を外し陣に両手を置く。そして、瞳を閉じて自分の中に流れている魔力をイメージした。

今まで、練習をしてこなかったので正直、魔力を感じられるか不安だったが何か温かいモノが自分の内に駆け巡っているのを感じる。

(これが魔力?)

自分の中に流れるそれに神経を研ぎ澄ませば、身体が熱くなる。

ゆっくりと目を開ければ、陣が赤く光っていてシェリルは息を飲んだ。

これで、いいのか? 不安に思いオズワルドを見れば、目を見開いてシェリルを見ていた。

「兄様・・・?」

シェリルの問いかけに、オズワルドは急いで笑みを作る。

「大丈夫だよ、シェリル

ゆっくり呪文を唱えるんだ。出来るね?」

「はい」

オズワルドの言葉に頷き、シェリルは再び目を閉じた。そして、意識を自分の内にある魔力へ向ける。


「我、女神フレイの血脈を継ぎしモノ」


シェリルの声に反応して、陣の光が強くなる。


「シェリル・バシレイアの名において」


がくり、と自分の身体から力が抜けるのが分かった。

何かが、体の中の魔力を吸い取っている。気を抜くと意識を持っていかれそうになる。

途切れそうになる意識に唇を噛み締めて耐えた。

震える手で、横に置かれているナイフで自分の腕を切りつける。ポタリっと垂れてくる生温かい感覚。

それが腕を伝い、陣へと流れていく。


「・・・・っ、汝と契約を結ばん!」


声を張り上げて、そう言うとシェリルの周りに光が燃え上がり、たちまち彼女を飲み込んだ。


「シェリル・・・っ!!」


オズワルドの自分の名叫ぶ声がした。それに答えたくても、上手く声が出ない。

シェリルの目の前には、赤い光に包まれた彼が彼女を見ていたからだ。

彼は、精霊のように神秘の力を纏っているものではなかった。もっと違う強い力。

その力に驚いていたのもあるが、シェリルの目を奪ったのは彼の容姿だった。

黒曜石のような艶のある髪

すらりとした手足

兄のオズワルドに負けないぐらいの美貌

何より、シェリルの目を奪ったのは、自分の髪と同じ赤い色をした瞳。

その瞳が、真っ直ぐにシェリルを見つめていた。


「シェリル・・・なのか・・・?」


呟かれた言葉は、震えていた。

一瞬、なぜ名前を知っているのかと思ったが、すぐに思考は奪われる。

彼が、シェリルの頬に触れたから。彼の指先が、シェリルを確かめるように動かされる。

ひんやりとした指にシェリルの身体は、一瞬強張ったがすぐに力が抜けていく。

知らない人のはずなのに、嫌ではなかった。それどころか、もっと触れてほしいとさえ思ってしまう。


「シェリル、なんだな」


彼の問いかけに、シェリルは思わず頷く。


「そうか」


一言そう呟くと彼は、感に堪えないという面立ちでシェリルを凝視する。

その熱ぽい視線に耐え切れずに、シェリルが顔を背ければ


「こちらを見ろ」


強い口調ではないのに、彼の一言は魔法のようで自分の意志に逆らって彼と視線を合わせた。

頬に触れていた指が、唇に触れた。何度もなぞるしなやかな指先にシェリルの身体に甘い刺激が走る。


「再び契約は結ばれた」


彼は片手で、シェリルの細い腰を掴み引き寄せた。


「・・・っ」


いきなりの彼の行動にシェリルの頭は混乱する。


「離し、て」


震える声でそう言えば、彼の瞳が猫のように細められた。そして、口元に笑みを浮かべながら、シェリルの腰をさらに引き寄せる。

そのせいで、シェリルと彼の唇は数センチで届いてしまいそうな距離になった。

彼の熱い息が唇をしっとりと潤す。

羞恥心で瞳を潤ませて彼を見つめれば、彼は燃え上がる炎のような鮮やかな赤い瞳に欲望をちらつかせてシェリルを見ていた。


「シェリル・・・」


吐息交じりで呼ばれた名前。

それは、シェリルの鼓膜を甘く震わせた。


「あなたは・・・」


誰、なの? そう言おうとしたが、シェリルの言葉は重ねられた唇に掻き消された。

しっとりとした柔らかい感覚にシェリルは、目を見開く。

(何が、起こっているの・・・?)

必死に考えをまとめようとしても、うるさいぐらい音をたてる心臓と混乱した頭では何も考えることも出来ずに、彼のなすがままになる。

抵抗しないシェリルに彼の動きは激しさをましていく。

上手く息が出来ずに、唇を開けばそのタイミングを待っていたかのように彼のぬるりとした舌がシェリルの口内に入り込んで来た。

ねっとりと、舌を絡ませてくる彼。

苦しい。恥ずかしい。どうして・・・。様々な感情がシェリルの頭を駆け巡る。抵抗したくても、彼の荒々しい舌の動きに翻弄され完全に力が抜けた身体は彼に支えてもらっている状態。

(・・・だめ、これ以上は・・・)

感じたことのない刺激にシェリルの意識が朦朧としてくる。

(苦しいだけの口づけのはずなのに・・・どうして・・・)

そこで、彼女の視界が真っ暗に染まる。一瞬、視界に燃え上がる赤い色が映り、耳元で優しい声がした

気がするがシェリルの意識はそこで途切れた。











彼は、己の腕の中で気を失っているシェリルをみて、赤い瞳を細めた。

ずっと会いたくて仕方なかった存在が目の前にいる。その真実に彼は歓喜で身体を震わせた。

「もう、離さない絶対に」

腕の中のシェリルを強く抱き締めながら、彼は恍惚とした表情を浮かべているがその瞳は背筋が凍るほどの狂気を秘めていた。

本当は、このままシェリルを抱きしめていたい。しかし、彼にはやることがある。

彼は、シェリルを抱きしめたまま立ち上がる。そして、未だに光っている陣の魔法を解除した。

自分たちを包み込んでいた光の柱がなくなると、そこには殺気を放ちながら彼を見つめる男が2人。

彼は、くすりと笑い彼らに向かい言葉を放った。

「契約は、結ばれた。こいつは俺のものだ」と。


◇◆◇

「西の警備を固めておけ。王は、こちらに戦いを挑む気はないだろうがあの王子たちは違う。

本気でこいつを取り戻しにくるだろう」

朦朧とした意識の中で誰かの話声が聞こえてくる。

「二度とこいつを手放す気はない。シェリルは俺のものだ」

そう言って触れてくる手は壊れ物を扱うかのように優しい。瞼を上げて自分に触れているのが誰なのか知りたいのにシェリルの身体は鉛のように重く、指先ですら動かない。

自分の中にあった何かが、消耗しているのを感じた。おそらく召喚の儀で大量に使ったせいで魔力が足りていないのだろう。ぼんやりとした頭で、そんなことを考えていればまた声が聞こえてくる。

「承知しました。

ただ、こうなってしまっては王妃が黙ってはいません。今は、箝口令を出していますが王妃が知るのは時間の問題かと」

「・・・分かっている。だが、少しの間はシェリルを隠せるだろう。だが、王妃のことは見張っておけ。

王妃が、シェリルのことを知ったらすぐに知らせてほしい」

「はい。ただ、ギルバート様、くれぐれもシェリル姫に乱暴はなさらないで下さい。あなたが女性の扱いに慣れているとは思えません」

「失礼な。女の扱いぐらい心得ている。これでも女にはモテているからな!」

「・・・・私が側近になってから、あなたが女性を侍らせている姿は一度も見たことがありません。それどころか、女性には近づきもしなかったくせに」

「・・・俺が欲しいのは、今も昔もこいつだけだからな。他の女に興味はない」

そう口にして、声の持ち主がシェリルの唇を指でなぞった。その感覚にシェリルは微かに吐息を漏らす。

「魔力が消耗しているのか。俺を呼びだしたのだから、当たり前だが」

呟かれた後に感じたのは、唇に触れる温かい感触。

それは、シェリルを労わるようで優しいもの。枯れていた大地に水が注がれるように、触れた所から自分の中で消耗されていた魔力が注がれているのを本能的に感じ取った。

「・・・んっ」

もっと、欲しくて自分から求めるように唇を押し付ければ、彼が笑ったのが分かる。そして、すぐに仕方ないとばかりにシェリルとの求める物をくれた。

彼から、注がれている魔力のお蔭なのか、先ほどまで鉛のように重かった身体が嘘のように軽く感じる。

朦朧だった意識もはっきりしていて、シェリルはゆっくりと瞼を開いた。

光に慣れていないため視界は、ぼんやりとしていたが見慣れない天井が目に入った。

そっと視線を動かすと、自分がふかふかの寝台に横たわっていたことが分かる。

ここは、どこ? そんな疑問が頭によぎるが、ふと赤い瞳が心配そうに自分を見ているのに気づいた。

窓から差し込む淡い月光で、彼の赤い瞳が朝露に濡れた薔薇のように綺麗で

「きれい・・・」

無意識に口から溢して、その瞳に見惚れていれば彼がどこか照れたように目元を赤く染める。

「本当にお前は変わらないな。シェリル」

どこか嬉しそうな口調の彼にシェリルは首を傾げた。彼はシェリルを知っているようだけれど、シェリルには見覚えがなかった。

これだけの美貌ならば、一度見たら忘れるはずもない。

嬉しそうに自分を見つめる彼に罪悪感を覚えながらも、シェリルは恐る恐る口を開く。

「あなたは、誰ですか?」

シェリルの言葉に彼が固まる。赤い色の瞳は大きく見開かれ唇が震えている。

「なに、いって・・・」

ぎこちなく笑顔を作りシェリルを見てくるが、彼の視線から逃れるように瞳を伏せると彼の表情が強張っていく。

「・・・っ、俺を覚えていないのか!?」

肩を強く引っ張られ、痛みで顔を怯ませながらも彼を見上げると先ほどまでの優しい眼差しではなく、残酷なほどまでに冷たい眼差しで射貫かれ、ぞっと背筋が冷えた。

「もう一度聞く。俺を覚えていないのか?」

低い声で問いかけられ、シェリルは何度も頷いた。重苦しい雰囲気に心拍数は上がり息苦しさも感じるほどなのにシェリルの身体は彼の鋭い視線に縛られ動かない。

自分の答えに傷付いたように、顔を歪ませ何かに耐えるように唇を噛み締めている彼。

「そうか・・・覚えて、いないの、か・・・」

そう呟いて、彼はシェリルの肩を掴んでいた手を離した。そのまま、寝台の縁から立ち上がりシェリルを見降ろした。その瞳は、迷子の子どものようでなぜだか胸が痛くなる。

「・・・っ、俺はずっとお前を迎えに行くことだけを考えて生きて来たのに・・・お前は・・・」

俺のことなんて忘れていたのだな。そう言って俯く彼の言葉にシェリルは、無性に泣きたくなった。

胸が引きちぎられるかのように痛い。まるで、半身を亡くしたかのような喪失感が襲ってくる。

(なんなの、これは・・・)

どうして、こんなにも目の前の彼を抱きしめたいなんて思うのだろう。無意識に動くシェリルの手。しかし、それが彼に届くことはなかった。

「それでも、俺はお前を手放す気はない。お前があの約束を忘れていたとしても」

口にした言葉は、どこか彼自身に言い聞かせているようなのにシェリルを見つめる瞳は薄暗い色を灯している。

彼の様子にシェリルは本能的に危機を感じて、寝台から起き上がり逃げ出そうとしたが伸びて来た手に押さえつけられた。

「は、離して・・・っ」

震える声でそう言えば、彼がクスリと笑う。

「どこに行くというのだ。お前はもう俺と契約を交わしたのに」

「なに、言って・・・」

「呼んだだろ? 俺を召喚の儀式で」

彼の言葉にシェリルは、召喚の儀式でのことを思いだした。

そう、自分はたしかにこの男を召喚した。ならば

「主人は私よ。なら、あなたは私に従うはずでしょ? そこを退きなさい」

オズワルドが精霊に使うように言霊を使ってみたが、まるで効果がない。精霊は召喚者の命令には絶対服従なはずなのに。

シェリルの背中に汗が伝う。嫌な予感がして自分を押さえつける彼を睨みつければ彼はおもちゃで遊ぶ子どものように楽しげに瞳を細める。

「そうだな。普通なら契約者の命令には絶対服従だ。だけど、それは精霊の話だろ」

「・・・どういうこと?」

聞き返せば、彼は残酷なほど綺麗な笑みを浮かべた。

そして、シェリルの耳に唇を寄せて恋人に愛を囁くように甘い声で言う。

「俺は、精霊じゃない。エトニーア国第一王子ギルバート。魔族だ」

それは、シェリルにとって死刑判決を告げられたように感じた。

シェリルの国と対立しているエトニーア国の第一王子。彼の噂は聞いたことがある。

冷酷で、逆らうものには容赦はしない。先の大戦でも、バシレイアの多くの人を苦しめた。

それが、今シェリルの目の前にいる。恐怖で震えている身体を必死に押さえつけてギルバートを睨みつけた。

それでも、隠しきれない感情がギルバートには伝わっているようで、彼は面白そうに喉を鳴らした。

「虚勢だけはあるみたいだな。バシレイアのお姫様。安心しろ。お前を使ってバシレイアに何かする気はない。ただ、何度も言っているが俺はお前と契約を結んだ。

精霊ならば、主の命令に服従しその力を貸す。だが、魔族は違う。主従関係の契約で主の命令に従いさせたいなら、対価として魔力を渡す。それを受け取り魔族は力を貸す。つまり、お前が俺に命令したいなら相応の魔力を渡せばいい。だが、お前は俺を召喚するのに魔力を大量に使った。今のお前じゃ俺に命令することも出来ないだろう」

シェリルは、唇を噛み締めた。ギルバートの言う通りだ。自分の中にある魔力が少ないことは気づいている。

「たとえ、あなたに命令できなかったとしても私はバシレイアの王女よ。王が黙っていないわ。今、戦いになればお互い困るはずでしょ」

ギルバートは、シェリルが両親に蔑ろにされていることを知らないはず。お互いの王族の情報が漏れないように注意していたことをオズワルドから聞いていた。

それに長い戦でお互いの国が疲弊しているだからこそ、オズワルドとエリクが停戦協定を結びにいったのだから。だから、こう言えばギルバートはシェリルを解放すると思っていた。

しかし、シェリルの言葉を聞いてもギルバートは掴んだ手を離す気配はない。それどころか、力を込めてくる。

「黙っていない、ね

お前の両親は俺がお前と契約したのを見てなんて言ったか分かるか?」

「わから、ないわ」

震える声で答えれば、氷のように冷たい笑みを浮かべ言葉を続けるギルバート。

これ以上聞いては駄目。そう心が警告しているのにシェリルの耳はギルバートの言葉を拾ってしまう。

「王と王妃は、俺を見てこういったんだよ。

お前のことを好きにしていい。その代わりバシレイアには手出ししないでくれって、な」

嘲笑うように吐き出された言葉にシェリルは、間の前が真っ暗になった。

つまり、シェリルは売られたのだ。

分かっていたことではないか。両親が自分を疎ましく思っていたのは。愛してくれるかもしれないなんて期待を抱いても何度もそれを打ち砕かれてきたことも。そう思うとシェリルは心の奥から何かが湧き上がっていくのを感じて目頭が熱くなる。頬を雫が伝う前にぎゅっと瞳を閉じた。

(それでも、この先バシレイアが平和なら)

シェリルの犠牲で誰も傷つかないのならば、それでいいじゃないか。

自分は売られたのではない。国のために、大切なオズワルドやばあや

そして、エリクのため。

胸の奥から、湧き出てくる何かを抑え込むようにシェリルは何度もそう言い聞かせた。

両親をバシレイアを恨んではいけない。悪いのはこの髪に生まれてしまったシェリル自身なのだから。

「そう、なの」

声が震えそうになるのを耐え、なんとかそう言う。

「それで、私はどうなるの?」

「どうとは?」

「その・・・私の処遇よ・・・」

(処刑にはならないでしょう。身分でも取り上げられて奴隷かしら・・・)

これからどうなるかなんて分からない。先の見えない暗闇がシェリルの目の前に広がっているようだ。

せめて、少しでもいい方向に進めばいい。そんな望みを胸に抱きギルバートを見れば彼は眉を顰めていた。

「お前、奴隷にでもなると思っているな?」

「ええ。仮にもバシレイアの王女なのだから、私を苦しめようとするならそうでしょ?」

何でもない様に言っているが身体は正直で震えている。それでもギルバートの赤い瞳を真っ直ぐに見ていれば、それが不機嫌そう細められた。

「奴隷にするつもりなどない」

苛立ちを含んだ声にシェリルはぴくりと肩を震わせた。

奴隷ではないということは、この男はシェリルを見せしめとして処刑するのだろう。

冷酷で、容赦がないと言われているギルバートだ。少しでも望みを持ったシェリルが馬鹿だったのだ。

「そう・・・。分かったわ。ただ、王と交わした約束は守って。私は何も言わずに受け入れるから、バシレイアには手を出さないでほしいの」

「・・・おい、何か勘違いしていないか?」

「勘違いって・・・、処刑されるのでしょ?」

「は?」

シェリルの言葉に驚愕したように固まるギルバート。眉間に刻まれた皺がどんどん濃くなっていく。

「俺は、お前を処刑するつもりはない」

言われた言葉に今度はシェリルが驚く番だった。

奴隷にもしない、処刑もするつもりもない。それなら、ギルバートはシェリルをどうしたいというのだろう。

空色の瞳を丸くさせていれば、ギルバートがため息を溢した。

「何度も言うが俺はお前と契約を結んだ。そんな相手を奴隷、ましてや処刑するはずないだろう。

お前には、俺の妃として俺の側にいてもらう」

「・・・・・・・え?」

今、さらりとギルバートの口から出た言葉で、シェリルの理解を超すような言葉があったような気がする。

妃、などと聞こえてのだが

(気のせい、よね・・・)

「気のせいではないぞ。お前には俺の妃になってもらう」

心を読んだかのような言葉。

シェリルの空色の瞳が零れんばかりに見開かれ、唇がわななく。

この男は、シェリルに自分と結婚しろと言っているのか。そして、バシレイアを苦しめている国の妃になれと。

エトニーアのせいで、バシレイアの農作物は枯れ国民が苦しんでいること。

先の大戦で多くの犠牲者が出たこと。

政務に携わることは出来ないが、エリクから聞いていた。そして、話ながら己の無力さを嘆いていたことも。

そんな国の王子との結婚なんて

「絶対に嫌よ」

ギルバートを睨みつけ、言い放つ。

「ほお・・・。俺に逆らうのか」

射貫くような視線に身体が竦みあがりそうになるのを抑え込む。

「ええ。あなたと結婚するなんて嫌よ」

「・・・・っ」

そう言うと、シェリルを見つめる赤い瞳が震えたように見えた。

「そうか・・・、それほどまでに・・・」

しかし、それは一瞬のことですぐに元の視線に戻った。

「お前が何と言おうとも、俺の妃になってもらう。お前は俺のモノだ。

どこにもやるつもりはない」

「なに、いって・・・っ、」

「離すつもりはない。お前は俺の側にいて俺に守られていればいいんだ」

ジリジリと詰め寄ってくるギルバート。逃げるようにベッドの奥に追い詰められていく。

「・・・・っ」

背中が壁にぶつかり、もう逃げ場がないことにシェリルの全身が震えた。

このまま、この男に乱暴なことをされるかもしれないという恐怖がシェリルに襲い掛かる。 伸びてくる手に瞳をぎゅっと瞑った。

しかし、シェリルが感じたのはまるで包み込まれているような感覚。

そして、それが微かに震えていること。

「・・・・俺はお前を絶対に傷付けない。だから・・・」

その先の言葉を聞くことは出来なかった。ゆっくりとそれが離れていく。

寝台の軋む音がして、ギルバートが自分から離れたことが分かる。

閉じていた瞼を開けば、ギルバートの後ろ姿が見えた。彼は扉まで行きドアノブに手をかけ

「今日はゆっくり休め。後で侍女を寄越す」

それだけ言うと、部屋を出て行った。

「・・・・はぁ・・・」

ギルバートがいなくなると、途端にシェリルの身体から力が抜けた。

早くここから出て行かないといけないのに、精神的にも肉体的にも疲労は限界でバシレイアの自室よりもふかふかなベッドに横たわる。

「あの人、最後何て言ったんだろう」

何を言われようともシェリルがギルバートと結婚するなんて絶対ないはずなのに、なぜだか、言葉の続きが気になった。

それはきっと、彼が

「傷付いたような顔、するからよ」

それだけ呟いて、シェリルは欠伸を溢した。

こんな状況で、睡魔を感じる自分に苦笑しながらも重くなる瞼に逆らうことも出来ずにシェリルは夢の世界へと落ちていく。

カーテンの隙間から見える夜空は、厚い雲に覆われている。月の明かりも届かない部屋は真っ暗で先の見えない暗闇に似ていた。






勿忘草が一面を埋め尽くし、甘い香りを漂わせている。側には、大きな川があり水の音が聞こえてきた。

これは、夢だとシェリルはすぐに分かった。

この景色にシェリルは、見覚えがあったのだ。ここは、城下の外れにある花畑。シェリルが幼い頃、何度か城からばあやがこっそりと連れ出してくれた時に訪れたことがある。

ばあやは、いつもここの花を摘んでどこかに行っていた。その時決まってシェリルはこの花畑で、ばあやの帰りを待っていた。

あの頃は、今と違ってシェリルに対する監視の目が緩かった。しかし、いつからか彼女はとこに行くのにも見張りをつけられ抜け出すことが出来なくなった。

ここは、変わらない。記憶の中にあるままだ。シェリルを優しい香りが包み込んでくれえる。

座り込んで、勿忘草を手に取った。昔は、これで花の冠を作っておみやげと言ってオズワルドに渡していた。

(兄様、喜んでいたわね)

その時のオズワルドの様子を思い出すと頬が緩む。

ふと、何かがシェリルの横を横切った。横目でそれをみると大きな蝶だった。それは、見たことがないほど綺麗で、白く光っているようだ。ひらひらと自分の周りを飛び回る蝶にそっと声をかけた。

「どうかしたの?」

言葉が通じるはずがないと分かっていても、問いかければそれはまるでシェリルに答えるように花畑の奥に進んでいく。

「ついておいで、といいたいの?」

その通りだと言うように、その場をクルクルと回る蝶。

シェリルは、勿忘草を手に持ったまま立ち上がり、それについて行く。

夢の中だからか、身体がふわふわとして違和感を覚える。それでも、懸命に足を動かしていると、花畑の中心に大きな木が見えてくる。よく目を凝らすと、その木の幹に少年がぐったりとしていた。

(大変だわ!)

すぐに駆け寄ろうとしたが、まるで地面に足が張り付いてしまったかのように動かない。

どうして? 今すぐにでもあの子の元に行きたいのに

動かない足に苛立ちを感じていれば、視界の端にフードを被った女の子が彼に駆け寄っていくのが見えた。

彼女は、手に持っているハンカチで少年の顔を拭き始めた。その瞬間瞳を閉じてぐったりとしていた少年が顔をあげた。

ドクン、とシェリルの胸が音を立てる。

どこかぼんやりとしている彼の瞳がシェリルに向けられる。

「・・・・・・・」

少年が何か呟いたが、シェリルには届かない。

いきなり視界が真っ暗になりそこで意識が途切れたのだった。


窓から差し込む暖かい日差しに誘われるようにシェリルは、重い瞼をゆっくりと開いた。ぼやける視界に飛び込んできたのは、見覚えのない天蓋。何か夢を見ていた気がするが思い出せない。

重い身体を起こして、辺りを見渡した。シェリルの自室とは違う豪華な内装に、昨日の出来事を思い出し再び寝台に突っ伏した。

もぞもぞと動けばドレスの衣擦れの音が聞こえ、自分が未だにドレス姿であったことを思い出した。

儀式用の白いそれは、エリクが似合うと言ってくれたドレス。

この姿を見たときのエリクの笑顔を思い出し、シェリルは両手で顔を覆った。

もう二度とエリクに会えないこと。オズワルトやばあやに会えないことを実感した。耐えがたい悲しみが湧き出し目頭が熱くなる。

シェリルを唯一愛してくれた人たち。彼らを守るためならシェリル自身はどうなっても構わないと思っていたのに、溢れ出した感情を留めることは出来ずにバシレイアに居た頃のように嗚咽を噛み殺していれば、扉がコンコンとノックされた。

「シェリル様、お目覚めでしょうか?」

気遣うような声色にシェリルは慌てて乱暴に涙を両手でぬぐい返事をした。

「はい。起きています」

「失礼します」

開かれた扉から部屋に入ってきたのは、シェリルより少し年上の侍女だった。

栗色の髪を結い上げ、髪と同じ色の瞳に泣き腫らした顔をしたシェリルの姿を捉えると表情を曇らせる。

「今日からシェリル様付きの侍女になりましたユンです」

扉の前で、お辞儀をしながらユンとなのる彼女はチラチラとシェリルに視線を送ってくる。それは嫌悪感などではなく、シェリルを心配するようなものでシェリルは戸惑いを感じた。

「えっと、シェリル・バシレイアです。その・・・」

ばあや以外の同性と話す機会が少なかったため、こんな時どうしていいか分からずに言葉が詰まってしまう。

なんとか、よろしくと小さな声で言えばユンが返事をしてくれ、シェリルがいるベッドの近くまで近づいてきた。

「お食事の用意が出来ていますが、先にお湯をお使いになりますか?」

昨夜は、そのまま寝たせいで身体を洗い流していない。そう思うと今すぐにでも身体を清めたくなる。シェリルが小さく頷けばユンは小走りで浴室に行きお湯の準備を始めた。

バタバタと音が聞こえてくる。そして数分経つと、ユンが戻ってきてシェリルを浴室へと案内した。

バシレイアのシェリルの部屋にあった浴室と比べものにならない大きさにシェリルは、呆然とした。

大理石で出来た床の真ん中にあるシェリル1人で入っても、余裕があるぐらい大きな浴槽。そこには、薔薇が浮かべられていて、浴室に上品な匂いが広がっている。

「さぁ、シェリル様」

戸惑うシェリルに、ユンは笑いながら彼女のドレスを脱がせていく。全て脱がせ終えるとほぼ強制的にシェリルを温かいお湯の中へと引っ張り込んだ。

「温度はどうですか?」

「丁度いい、です」

彼女の行動に身体を強張らせていたが、お湯から香る薔薇の香りに張り詰めていた糸が緩んでいく。心地よい温度は、疲れた身体に染み渡りシェリルは瞼を閉じた。

このまま胸にある悲しみも洗い流せればいいのに。そんなことを心の中で思っていれば、いきなり髪に触れられシェリルは驚きで身体を小さく震わせた。

「髪を洗おうと思いまして。じっとしていてくださいね」

そのまま洗い出すユンにシェリルは、泣き出しそうになる。

バシレイアでは、シェリル付きの侍女はいなかった。両親が付けなかったのもあるが、赤い髪を持つシェリルを率先して世話したいと思う人は、あの城にはいなかったのだ。

そのため、他人の手を借りずにシェリルは自分で出来ることは1人でやっていた。もちろん身体を洗うことも普段自分でやっていたため、居心地の悪さを感じてしまう。

落ち着けずに視線を彷徨わせていれば、ユンに呼ばれシェリルは掠れた声で返事した。

「もしかして、お体の調子が優れないのですか?」

「え、い、いえ! 大丈夫です」

慌ててそう言えば、ユンが安心したように微笑んだ。その笑顔にシェリルは気まずそうに瞳を伏せる。

誰かに心配されることに慣れていないせいか、こういったときにどうしていいか分からない。それきり黙り込むシェリルにユンは何も言わずに手を動かした。

浴室から出ると、シェリルはそのまま用意されていたドレスに着替えさせる。

可愛らしいフリルのついたドレスは、どう見ても高価なもの。そんなものは着られないと断ったがそんな訴えが聞き入れられることはなく

ふんわりとしたドレスに綺麗に結い上げられた髪。鏡に映る自分が自分ではないように思えてシェリルは目を背けた。

「お似合いですわ。流石ギルバート様の見立てです」

うっとりとした顔で言うユン。

「さぁ、早く行きましょう。ギルバート様がお待ちですわ」

ギルバートという言葉にシェリルは眉を顰めた。

昨夜、ギルバートの言葉。あれを彼はどんな気持ちで言ったのだろうか。敵国王女のシェリルと婚姻するなんて正気の沙汰ではない。

機嫌が良さそうに前を歩くユンの後をついていく。長い廊下には、たくさんの人がいてみな忙しそうに走り回っていたが、シェリルが近くを通ると手を止めキラキラと輝いた眼差しを送ってくる。

「あの方が、うちの若様の心を掴んだ方ね!!」

「お美しいわ。あれなら、若様が夢中になるのが分かる」

小声で話しているのだろうが、シェリルの耳にはしっかりと届いた。どうやら、歓迎されているような雰囲気にシェリルは面喰らう。

侮蔑の混じった眼差しで見られ、心にもない言葉を投げつけられていることが当たり前だった。それなのに、この屋敷の人たちはそんなことはしてこない。

「どうして・・・?」

小さく呟かれた声。それはユンに聞こえたらしく彼女は立ち止まりシェリルと向き合った。まるで、プレゼントを貰った子どものような表情を浮かべるユン状況が把握出来ず幾度も瞬きを繰り返すシェリルに言った。

「シェリル様は、私たちの希望なのです!!」

「へ?」

「実は、ギルバート様は今年で24歳なのですが、未だに妃がおらず・・・大臣が何度も縁談を進めても断り続けていて困っていたのです」

片手を頬に当て、ふぅと溜め息交じりで話すユン。どうやらどこの王子も同じようだ。シェリルの脳裏にオズワルドが浮かぶ。

「それどころか、女性に一切興味を示さないので、このままではお世継ぎもできないと半ば諦めていたところに、現れたのがシェリル様です!!」

いきなり両手をつかまれシェリルの身体が強張った。しかし興奮しているせいか気付かないユンはそのまま言葉を続ける。

「あのギルバート様がようやく女性に興味を示したかと思えば、妃にすると昨夜皆の前で宣言なされて・・・ううっ・・・」

瞳に涙を浮かべているユンにシェリルは呆然とした。ユンはまだ何か言っていたがシェリルの耳には届かない。

(嘘でしょ?)

シェリルは承諾していないのに、独断でシェリルとの婚姻を宣言したというのか。

祝福に包まれた屋敷の空気にこのままでは、ギルバートとの婚姻が結ばれてしまうと確信した。やはり一度ギルバートと話さないといけない。そして、はっきりと断るのだ。

そう強く誓ったはずなのに早くもシェリルは挫けそうになっていた。

案内された食堂は、シェリルのバシレイアの自室ぐらい大きく部屋の真ん中には、長いテーブルが置かれていた。その上には、見たことがないぐらい豪華な料理が用意されている。

テーブルの奥の席に座って、書類を読んでいたギルバートはシェリルが入ってきたのに気付くと手に持っていたそれをテーブルに置いた。赤い瞳がシェリルに向けられる。

シェリルのドレス姿に一瞬目を大きく見開いたが、すぐに眩しいものを見るように目を細めた。

「思った通りだ。よく似合っている」

まじまじと見てくるギルバートになんだか気恥ずかしくなるシェリル。俯いていればギルバートが近づいてきて席にエスコートした。

てっきり向かいあって食べると思っていたのに、シェリルの席はギルバートの隣だった。

困惑した表情を浮かべているシェリルにお構いなしで、彼女を席に着かせると自分も隣に座る。

2人が席についたのを見計らって、並べられた料理が皿に取り分けられ、グラスには果汁の飲み物が注がれる。

目の前に置かれたそれらからは、食欲をかき立てるような匂いがしてシェリルのお腹が小さく鳴る。

シェリルは近くにあった焼きたてのパンを手に取り恐る恐る齧り付く。バターの香ばしい味にもちもちの食感にシェリルの強張っていた口元が緩んだ。

「おいしい」

小さく呟いて、他にも目の前にある料理に手をつけていく。どれも、ほっぺたが落ちそうなぐらいおいしい。

夢中になって食べていれば、隣から注がれる喜々とした眼差しに気付いた。もぐもぐと咀嚼しながら視線を向ければ、肘をつき柔らかい笑みを浮かべているギルバートと目があった。手元にある料理には手をつけていないようで、どうやらずっとシェリルを見ていたようだ。

「な、なに?」

「お前は、上手そうに食事するな。見ていて楽しい」

昨日とは違う穏やかな口調に調子が狂う。

「だって、こんなおいしいもの食べたことなくて」

「そうか。気に入ったのなら安心した」

甘い笑みを向けるギルバート。それ以上彼を直視出来なくなったシェリルは前を向いて黙り込んで食事を続けた。

口に運ぶ食事は先ほどと同じくおいしいはずなのに、味なんて全然分からなかった。

ただ無心に食べていれば、どんどんお腹が苦しくなってくる。流石にこれ以上は食べられずにシェリルの手が止まる。

「もういいのか?」

頷けば、テーブル上が片付けられる綺麗になると部屋からユンたちが出て行く。ギルバートと2人にされ、シェリルは緊張で胸が大きく音を鳴らし始めた。

(言わないと、婚姻するつもりはないって)

昨日は言えたのに、その言葉は中々シェリルの口から出てこない。

どうして言えないのだろう。ただ黙っていれば先に沈黙を破ったのはギルバートだった。

「昨日はすまなかった」

突然の謝罪に驚きシェリルがギルバートを見れば、彼はどこか気まずそうにしていた。

シェリルの視線に苦々しそうに顔を背ける。

「お前が俺を忘れてる可能性を考えていなかったわけじゃない。それでも信じたくなくてあんな態度をとってしまった。

お前だって、色々なことがあって混乱していたのに」

真剣な口調のギルバート。彼が本当に申し訳なく思っているのが伝わってくる。

「今日は、ちゃんとお前と話がしたい。だから、そんな怖がらないでくれ」

どこかさみしそうな声にシェリルの胸が小さく痛んだ。

確かに昨日は怖かった。ギルバートの威圧に圧倒され虚勢を張るのが精一杯だった。

しかし、今日のギルバートに恐怖は感じない。それでも、緊張して強張る身体にギルバートはシェリルが自分を恐れていると勘違いしたのだろう。

シェリルは、小さな声で呟く。

「今日は、怖くないわ。ただ、緊張してしまって・・・勘違いさせてごめんなさい。

私もちゃんと話したい」

シェリルの言葉にギルバートは安堵したようだった。シェリルと目を合わせてくれる。

「そう、か。よかった。

それで、お前から聞きたいことはあるか?」

ギルバートの問いかけにシェリルは、考えを整理しようと瞳を閉じた。

ギルバートに聞きたいことはたくさんある。なぜ、シェリルは精霊ではなくギルバートを召喚してしまったのか。

どうすれば、契約を切れるのか。

そして、どうしてシェリルと結婚するなんて言い出したのか。

シェリルは、閉じていた瞳を開けてゆっくりと彼に疑問をぶつける。何度か言葉が詰まる。それでも、無理に続きを聞き出そうとはせずにシェリルが話し終えるのを待っていてくれた。

「それだけか?」

「うん」

返事すれば、数秒の沈黙の後ギルバートは口を開きシェリルの疑問に答え始めた。

「まず、お前が俺を召喚した理由は言いたくない」

「は?」

予想もしていなかった答えにシェリルは目を丸くさせた。

「え、答えてくれるのではないの?」

「・・・これに関しては答えたくない」

どこか拗ねて口調で言うギルバート。

「どうしても知りたいなら、思い出すんだな」

そう一言呟くと彼は他の疑問に話題を変えた。

「契約の解除だが、これはお前の方からしか出来ない。ただ、昨日も言ったが残りの魔力が少なからな。契約解除は不可能だ。ただし、どうしても解除したい場合は方法がある」

「それはなに?」

「俺が消えればいい」

ギルバートの言葉にシェリルは、零れんばかりに空色の瞳を見開いた。

驚きで、固まっているシェリルにギルバートは言葉を続ける。

「俺がいなくなれば、契約は強制的に解除される。だから、今すぐにでも解除したいなら、この場で俺が消えればいい」

どこか試すような視線を向けてくるギルバートにシェリルは何度も首を横に振った。

そこまでして今すぐに解除したいとは思わない。

「そうか。

で、最後か・・・俺がお前と婚姻するなんて言い出したのかは契約したからというのが1番の理由だが、他にもある。

バシレイアとは、これ以上争う気はこちらにはない。一時的に休戦協定は結んでいるが、それがいつ破られるか分からない。俺にはこの国民を守る義務がある。これ以上の争いは無意味だ。そこで、こちらには争う気がないことを示すためにお前と結婚したい」

ギルバートの真剣な思いにシェリルは、言葉を失った。

彼は、心から国民を大事に思っている。それは嘘偽りのない彼の真っ直ぐな視線が物語っている。

それに彼の思いにシェリルも賛成だった。いつも傷だらけで帰還するオズワルドたちを見ればどれだけこの戦いが激しいものなのかシェリルでも分かる。

これ以上、彼らに危険な目にあってほしくない。

(本当は国民のことを思うのが普通なのだろうけど)

本当にそれが実現できるならば、シェリルはギルバートと結婚するべきなのだろう。

だが、シェリル自身にそんな価値があると思えない。王女といっても名だけの王女だ。

いざとなったら、切り捨てられるだろう。今回のように

なにより昨日のギルバートが頭から離れないのだ。怖いぐらい鋭い眼差し、冷たい声。

そして、シェリルに見せた薄暗い笑み。思い出すだけで恐怖がよみがえる。そんな男をシェルは信用できなかった。

「信用できないか?」

「・・・・・」

「それは、俺が魔族だからか?」

「・・・っ」

心の隅で思っていたことを言い当てられ肩を振るわせれば、ギルバートは複雑な表情を浮かべた。

「確かに俺は魔族だ。だけど、お前らと何が違う? 

同じように、母親の腹から生まれ歳を重ねていずれ死を迎える。人は自分にないものを持つものを恐れる。ただ容姿が違うから。自分たちにない力を持っているから。

そんな理由で俺たちはいつまで戦わないといけないんだ」

悲痛に満ちた声を出すギルバート。彼の赤い瞳が衝撃を受け固まっているシェリルに向けられる。

「シェリル」

彼の指がシェリルの赤い髪に触れた。

「お前も味わっただろう。この赤い髪のせいで」

シェリルの顔が真っ青になった。思い出されるのはバシレイアでの日々。

心に陰が落ち、反射的に身体が震えた。そんなシェリルの肩をギルバートは優しく抱き寄せる。温かい体温が触れ合ったところから伝わりシェリルはそっと息を吐き出した。

「同じだよ」

ぽつりと呟かれた言葉。

「お前が赤い髪だからって、あいつらと何が違う? 楽しいことがあれば笑い。悲しいことがあれば泣く。お前も俺もみんなそうやって生きているんだ。だから、お前は自分自身を否定しなくてもいいんだ」

その言葉にシェリルは大きく瞳を見開く。心の中で無数に刺さっている棘が1つ抜けた気がした。

視界が霞んできて、ギルバートの顔がよく見えなくなる。それでも、シェリルは彼から瞳を逸らさなかった。

「シェリル」

「はい」

「今すぐに答えを出さなくていい。お前が魔族である俺を信じてもいいと思った時に答えをきかせてくれ」

気遣うような優しい言葉にシェリルが頷けば、ギルバートは口元を緩めた。

そして、シェリルの額に軽く口づけを落とし椅子から立ち上がる。

「政務があるから、俺は行くが何か必要なものがあればすぐに言え」

返事をすれば、ギルバートが食堂から出て行く。すぐに入れ替わりでユンが入ってきた。

「シェリル様、お部屋に・・・まぁ」

ユンはシェリルの顔を見るなり満面の笑みを浮かべた。どうして、そんなに嬉しそうなのか分からずに首を傾げれば内緒話をするようにユンが小さな声で言う。

「ふふ、シェリル様のお顔が少し赤いからですわ」

シェリルは、自分の顔が赤くなっていることに今気付いた。

自覚すれば、心なしか鼓動も早くなる。

「あら、ますます赤くなりましたわ!」

これは、お世継ぎの誕生が楽しみです! そんな風に鼻歌を歌いながら喜ぶユンの言葉はシェリルには届かない。

火傷してしまったのではないかと思うぐらいギルバートの唇が触れたところが熱くて気持ちが落ち着かなかったのだ。




◆◇◆


ギルバートは、食堂のドアの前に座り込み熱くなった顔を隠すように両手で覆った。

自分の奥から湧き出る欲を吐き出すように息を吐き出す。

脳裏に浮かぶのは、潤んだ瞳でギルバートを見つめるシェリルの顔。

昨日は、シェリルが自分を忘れていることに傷つき、彼女を怖がらせるような態度を取ってしまった。

そのことに一晩中反省して、今日はできる限り優しく接した。怖がらせないように口調にも気を付けた。

食べている姿が小動物のようにかわいくて、まじまじと見つめてしまったり

ギルバートがシェリルのために選んだ服があまりにも似合っていて、それを着た彼女に我慢できずに額に口づけをしてしまったが。その辺りは許してほしい。

本当は、今すぐにでも彼女を抱きしめて部屋に閉じ込めて愛したいのを必死に押さえているのだ。

「シェリル・・・」

彼女を呼ぶ声に熱がこもっていることにギルバートは苦笑を浮かべた。

例え、あの時のことを忘れていたとしても、ギルバートの気持ちは揺るがなかった。

シェリルを守りたい。彼女が笑っていられる世界を作りたい。そのためにギルバートは今まで生きてきたのだから。

ふと、誰かがこちらに向かっている気配を感じた。ギルバートは立ち上がり未だに緩んでいる己の顔を引き締めた。

「ギルバート様」

名前を呼ばれ振り向けば、彼の側近のラウが立っていた。いつまで戻ってこないつもりだ、と文句を言いたそう瞳にギルバートは気付かないフリをして執務室に歩き出す。

ギルバートの後ろをついてくるラウの手には、書類が握られていた。それから顔を上げずにラウは言う。

「明日から開催の花祭りに関する書類が溜まっています。早くやってください」

幼い頃から、ギルバートに仕えているラウは、数少ない信頼できる存在。だからこそ、こんな風な刺々しい言い方も許していた。

「ああ。明日からか」

毎年春頃に行われる花祭りは、エオニーアにある大きな広場で行われる。

身分関係なく、酒を飲み踊り今年1年を健やかに過ごせるように願うのだ。

ギルバートは、王から警備を任されていた。

「警備に関しては、特に変更はないのだがな」

おそらく、執務室の机の上にあるのは、先日病で倒れた王が処理出来なかった書類だろう。

ディスクワークが苦手なギルバートは、その書類の山を想像するだけで頭が痛くなる。

三毛に皺を寄せて、嫌そうにするギルバートにラウはわざとらしく盛大な溜め息をはき出した。

「ギルバート様、しっかりやってください」

「分かっている」

そう言いながらも、歩くスピードを落とすギルバート。出来れば、やりたくないのだ。

このまま、逃げ出してしまおうか。そんなラウ泣かせのことを考えていたが、

「明日は、王妃様は祭りには不参加のようなので花祭りにシェリル様を誘ってみたらどうでしょうか?」

「・・・・・よし、早く終わらせよう」

そんなラウの言葉にギルバートは早く書類を片付けてシェリルを誘いに行こうと心に決めるのだった。












「花祭り?」

あの後、ご機嫌と一緒にシェリルは自室に戻っていた。

自室にあるテーブルの上には、なぜか大量のお菓子が置いてあった。どうやらギルバートが指示したものだそうだ。しかし、朝食をお腹いっぱい食べたシェリルは、一緒に用意されていた紅茶を飲んでいた。

「はい! エオニーアの春のお祭りで城下町にある広場で行われるんです。その準備もあって屋敷の中が騒がしくて」

「そう。お祭りが」

「はい。バシレイアにもありませんでしたか?」

ユンの質問にシェリルの顔が曇る。

「あったけど、私は一度も参加したことないから」

城の外に出ることを禁じられていたシェリルは、国の行事に参加したことがない。一度、エリクみ連れて行ってほしいと頼んだことがあった。いつもシェリルに甘いエリクだったがそれだけは許してくれなかった。

「シェリル様。俺は、あなたを危険な目には遭わせたくないのです。だから、外に出たいなんて言わないでください」

そう悲しげに言われてしまった。

今思えば、エリクはシェリルが心ない言葉で傷つくのを見たくなかったのだろう。それでも、幼いシェリルにはエリクの考えが分からずに。嫌われてしまったのではないかと本気で落ち込んだ。

「シェリル様・・・」

ユンが余計なことを聞いてしまった、と自分の質問に後悔しているのがシェリルに伝わってくる。そんな風に気遣わせてしまうのが申し訳なくてシェリルは急いで笑顔を取り繕った。

「それで、どんなお祭りなの?」

シェリルの質問にユンも笑顔を作り明るい声で答える。

「1年、健やかに過ごせるように願うお祭りです。建前は」

建前? 意味が分からず大きな瞳を幾度もパチパチと瞬きをすればユンが頬を赤らめながら続きを話し始める。

「このお祭りの時に男性が女性の髪に花を挿して、女性に永遠の愛を誓うのです!

とっても素敵ですよね! しかもこのお祭りで愛を誓った2人は離れることなく幸せになれるといわれていて。ああ、素敵です~!」

両手を頬に添えてうっとりしながら言うユンの言葉にシェリルの胸が高鳴る。

世間一般の女性はその手の話が大好きだ。もちろんシェリルも。

特にシェリルは城を出ることを禁じられていた。そのために彼女が時間を潰すものは本だった。その中でも恋愛小説をよく読んでいたので、そういったことに強い憧れを抱いていた。ばあやには、もっと教養が身につけられるような本を読むようにとしつこいぐらい注意されたが、シェリルの本棚には恋愛小説が大量にある。胸をときめかせ、自分もエリクとなんて夢想に耽っていたこともある。

(永遠の愛・・・なんて、ロマンチックなの!)

「そうですよね! シェリル様もそう思いますよね!」

「ええ! 思うわ!!」

「シェリル様っ!!」

2人できゃーと盛り上がり、どちらかともなく手を握り合った。

シェリルが思う存分自分の意見を言えば、ユンが頷き。ユンの言葉にシェリルが興奮気味で同意する。

我を忘れて、語り合っていれば来客を告げるノックの音がして

「失礼します。おや・・・」

入ってきた男に2人は羞恥に頬を赤らめた。

「これは、ずいぶん仲が良いようで安心しました」

男の視線が繋がれた手に注がれていることに気付き、シェリルの赤らんでいた頬がどんどん真っ青になった。少し乱暴気味に手をほどきユンに向かって頭を下げる。

「ごめんなさい!!」

「え、え? シェリル様!! 頭を上げてください!!」

いきなりどうかしたのですか? うろたえ戸惑うユンと、きょとんとした顔でシェリルを見る男。

シェリルは、2人に少し震えた声で話し始めた。

「手なんて握ってしまって、私今までこんな風に歳が近い同性の人と話したことなくて、つい我を忘れてしまったの。不愉快にさせてしまってごめん、なさい」

シェリルの脳裏に浮かぶのは、両親の顔。自分に向けられる瞳。

愛されたいと何度願っては、傷ついてこんな思いを抱くのは無駄だと思い知った。それでも、捨てられなかった。

シェリルがこの世で1番恐れていることは、自分が好意を抱いた相手に嫌われることだった。

「嫌いに、なら、ないで」

俯くシェリルにユンはふっと息を吐き出して、彼女の名前を呼んだ。 おずおずとシェリルが顔を上げれば、微かな怒りを宿したユンが瞳に映る。

ユンが、恐怖で震えているシェリルの手を握った。触れ合った体温にシェリルが手を離そうとするが、阻むように力を込められる。

「ご無礼を承知で申し上げます。

シェリル様は、お馬鹿です」

「こら、ユン」

流石に無礼だと思ったのか、ラウと呼ばれる男がユンをたしなめたが、彼女は言葉を止めなかった。

「シェリル様の境遇については、シェリル様付きの侍女に任命された時にギルバート様から聞きました。

とても、お辛い思いをしたことでしょう。正直同情しました」

同情という単語にシェリルは、苦笑いした。

別に同情してほしかったわけではない。哀れんでほしかったわけではないのだ。

シェリルの思っていることが分かるのか、ユンは慌てて言葉を付け足す。

「最初だけです。シェリル様に同情したのは。

初めて、シェリル様を見たときになんて悲しそうな顔をする人なんだろうと思いました。

髪を洗っている最中も、身体を震わせていたこと。

この屋敷の者にも、好意を向けられ戸惑っている様子に胸が痛くなりました。

だけど、いまシェリル様が私と話している時に心からの笑顔を見せてくれました」

いつの間にか強い力で握られていた手は、ほどかれユンの両手にシェリルの手が載せられていた。

「その笑顔を見て、私はシェリル様が好きになりました」

ユンの言葉にシェリルの頬を一筋の雫が伝った。

「私は、シェリル様が好きです。ですから、同情ではなくあなたに心からお使いしたい」

「・・・・っ」

真っ直ぐに向けられる好意にシェリルは嗚咽を漏らしながらその場に座り込む。

驚いたように、シェリルを見るユンにお礼を言いたい。そしてシェリルもユンが好きだと。

「わたし、と・・とも、だちに、なって、くれ、る?」

シェリルがずっと誰かに言いたかった言葉だった。

赤い髪を持つ自分が望むだけ無駄だと言い聞かせて、ずっと押し殺してきた。それでも、ずっとほしかった。

『お前は、自分の存在を否定しなくてもいい』

ギルバートの言葉がシェリルに勇気を与えてくれたのかもしれない。

自分も少しは、望んでもいいのではないか。そんな気持ちがシェリルの中に生まれた。

涙目で返事をまつシェリルの前で、ユンが確認を取るようにラウに視線を向けていた。ラウがしょうがない、と言いたそうな顔をしているのがシェリルの霞んだ視界の中で見える。そして頷いたことも。

ユンは、それ見てシェリルに向かい優しく微笑んだ。

「私の方こそ、シェリル様のお友達にしてください」

「・・・っ、うん」

「もー、泣き止んでくださいよ。どうせなら、笑顔を見せてください」

困ったように眉をハの字にするユンに涙が溢れている瞳を乱暴に拭いた。そしていま自分が出来る1番の笑顔を浮かる。

「ありがとう、ユン」

初めて、彼女の名前を呼べば嬉しそうにユンが返事をした。

笑い合い友情を確かめている2人の後ろでラウは、無表情だったが口元が少しだけ緩んでいた。

涙が乾いた時には、ユンに入れてもらった紅茶は冷めていた。

ユンが笑いながら、入れ直してくれた紅茶は最初飲んだものよりも、おいしく感じる。

きっと、大事な友達がいれてくれたものだから。

友達という単語にシェリルの胸が躍り、自然と笑みが浮かぶ。

そんなシェリルをユンも嬉しそうに見ていた。

2人の間には、まるで初々しいカップルのような甘い空気が流れていて、ラウは耐えきれずにわざとらしく咳払いをした。

「あの、機嫌がいいところ申し訳ないんですが、用件を話してもいいですか?」

「あ、ごめんなさい!」

ラウの存在を完全に忘れていたシェリルは、手に持っていたカップを置いて姿勢を正した。

その後ろで、ユンがラウを睨んでいる。しかし、彼は構わずにギルバートの伝言を話し始めた。

「我が君からの伝言です。明日の花祭りを是非案内したいと」

「まぁ!! それってデートですわ!!」

シェリルが反応するよりも先にユンが反応を示す。

「ギルバート様がデート、ああ。未来は明るいですわ」

「そうですね。我が君もやっと好きな人を見つけたみたいで。喜ばしいことです」

「ええ。本当に。

あ、もしかしてギルバート様にとっての初デートなんじゃ!!

シェリル様、明日は私の持っている最大限の力で可愛くしますわ!」

「それは、それは。我が君も喜びますね」

シェリルを置いて進む会話。彼女が承諾していないのに、ギルバートとの約束がユンとラウの間でいつの間にか取り付けられている。

「それじゃ、明日お迎えにあがります」

用件は話し終えたというばかりに、立ち上がるラウにぽかんとしていたシェリルが我に返った。慌ててラウを引き留めようとしたが、その前にラウがまるで釘を刺すようなことを言い始める。

「シェリル様。今我が君は、明日のデートのために必死に書類の山を片付けています。

それほど、楽しみにしている我が君の誘いをまさか断ろうだなんて考えていませんよね?」

笑顔を浮かべているはずなのに、冷や汗が背中を伝う。そして、考えるよりも先にシェリルは何度も頷いていた。

シェリルの勘が告げている。ラウに逆らってはいけないと。

そんなシェリルの反応に満足したのか、ラウは「それでは明日」と告げそそくさと部屋を出て行った。

それを見送り、シェリルは深い溜め息をつく

(ああ、どうしよう・・・)

今日話してみてもしかしたら、彼は優しいのかもしれないとは思ったが、正直彼と2人にはなりたくなかった。

ギルバートは、魔族も人間も同じだと言った。だけど、バシレイアとエオニーアの溝は深い。シェリルは、バシレイアの王女だ。そんな彼女がエオニーアの王子とデートだなんてオズワルドやばあや。そして、エリクに対する裏切りになるのではないか。

そんな想いが、シェリルの胸を占める。

しかし、今更断ることは出来ないだろう。シェリルの横では、ギルバートがシェリルにデートを申し込んだことに感激を露わにしているユンがいる。

しかも、明日着る服を既に選び始めているのだ。

(これは、腹をくくるしかないわ)

シェリルは、もう一度深く溜め息をつく。

そして頭の中で何度も繰り返し今回だけだからと自分に言い聞かせた。まるで、自分の中にある楽しみにしている気持ちをかき消すように。



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