表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無くした五円玉  作者: きんぐ
3/5

3、繋がり

 光……雄太にコロッケを作って食べさせたが、わたし自身何も手を付けずに雄太の部屋を出たわけだから、当然と言うべきか、腹が減った。


 あれほど一心不乱にコロッケを頬張るのを見た事は……無かったとは言えない。懐かしくもあり疎ましい過去。忘れたくても忘れられない昨日のような幼い日。逃げるように出た、決して逃げない家。母親と二人で笑いながら見た、コロッケを美味そうに頬張る父親。雄太が嚥下するように食らったコロッケは、一口毎に記憶の引き出しを一段づつ開けていくようだった。だから堪らず雄太の部屋を出た。


 わたしはポーチからスマートフォンを取り出した。家を飛び出した後に買った携帯電話には、自宅の電話番号を最初に登録した。その後、人間関係を精査するために機種変更を数回行ったが、自宅の番号だけは忘れずに登録した。一度もダイヤルした事は無かったが、それでも自宅番号だけは消さなかった。登録していなくても覚えているが、繋がりを絶ちたくないと思う最後の証であり、悔恨の表れでもあるかも知れない。


 幾年ぶりだろう。わたしは自宅に電話をした。この時ばかりは繋がってほしい、切にそう願った。


「武藤です」


 ああ、変わっていない。横で蒸かしたじゃがいもの皮剥きをしていた時と同じ声だ。決して怒ることのない、優しさのみが支配する柔らかい声だ。


「もしもし、わたし」


 一瞬だけ間が空いた。


「万里……なの?」


 その柔らかい声を聞いた途端、わたしは涙が込み上げてくるのを感じた。何故わたしだと分かるのか。家を飛び出た頃なんかはあまり話さなかったのに。どうして知らない番号なのにわたしだと分かるのか。少しは詐欺に警戒してよと思う。色んな事を言いたいのに、出てくるのは涙と鼻水だけで、息すら満足にできない。


 わたしは雄太にもらった五円玉を握り締めていた。


「うん」


 これが限界だった。母が何を言ったのか覚えていない。わたしが何を話したのか、そもそも話せていたのかすら覚えていない。元気なの?ご飯食べてるの?風邪は引いていない?そんな事ばかり聞く。どこで何をしているかなど聞いてこなかった。ひたすらわたしの身を案じているだけだった。しかし、父が脳梗塞一歩手前で片目が見えなくなり、来週手術だと聞かされた時は驚いた。


「回復するかは分からないけど、他の血管もあるし、手術することにしたの」


 わたしは何を言えばよいか分からず、つい十余年前に戻ってしまった。嘆かわしい事この上ない。


「意味ないんじゃないの?」


 言った後で後悔した。なんと馬鹿なのだろう。いい加減大人になって、元気だよ、の一言すら言えない自分を恥じた。


 泣き声を母に聞かれないようにするので精一杯だ。息を殺すのがこれほどまでに辛いこととは知らなかった。もしかしたら母は気付いているかも知れない。


「調布駅にある大きな大学病院。分かるわね?来週金曜日に手術だから」


 わたしは返事をせずにスマートフォンをポーチにしまった。


 まさか死ぬなんて事はないだろう。高を括らなくてもそれぐらいは分かる。しかし大病には変わりない。疎ましく思っていても、弱った姿など想像だに出来なかった。逆に今のわたしを見たら両親は何と言うのだろうか。夜の埃を全身に浴びたような汚れまみれの身体だ。大いに嘆くに違いない。生きていくための狡猾な手段なのだから仕方ないが、その武器は将来が短い。肌の張りなど昔に比べたら無いに等しいのだから。


 それでも腹は減る。久しぶりにコロッケを自分で食べてみようとわたしは思った。


 涙は乾いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ