七話
僕は「正岡律」がどんな人だったかを思い返した。確か、正岡子規の妹で、正岡子規が重度の病に倒れながらも活動を続けたその陰で、母親と二人で兄を支えていた人だ。結婚を二回したものの、二回とも兄が心配になったという理由で嫁ぎ先から飛び出している。
何故高級な筆を買いに来たのかは分からないが、一応お客だ。僕は店の奥にある一番上等な筆を渡した。とは言っても、その時代の人にはその時代の物しか渡せないので、高級とは言ってもかなり毛が抜けていたが。
しかし、どうやら商品はその人に渡された時点で、若返るらしい。前回の「内田百閒」の時はよく商品を見ていなかったが、改めて見ていると、筆に綺麗な穂先が蘇っているのが確認できた。
彼女をレジに連れて行きながら、話の内容を組み立てていた。うっかり現代の言葉は使えないため、慎重にならざるを得ない。
筆の値段(1800円)をレジに入力して、袋に包んだ。それを渡す前に「そういえば」と、自然に話を入れてからこう聞いた。
「正岡の子規さんは今、どういう状態ですかな。最近見かけないもので。」
勿論嘘だ。僕は正岡子規を実際に見たことなんてない。
「今…、ちょっと良くないんです。」
「良くないというと?」
「いや…、今、床に臥せっておりましてね。夜には『痛い、痛い』とすごい声で叫ぶんですよ。」
そうか…。恐らくそれは晩年の子規だ。子規は亡くなる前は病状がかなり進行していて、いつも支えてくれている母や妹に八つ当たりまでしていたらしい。
「そうですか…。ところで、子規さんには友達はいないのですか。」
「いますよ。門人も含めたらそりゃ沢山います。」
疲れた顔に微笑を浮かべながらそう言った。
「でも、兄が同等の付き合いをしていたのはあの人だけだと思います。」
「あの有名な、夏目さんですか?」
確か、ひいじいちゃんは松山に来たとき、「あの子規さんが、東京の学士(学者のこと)を連れて帰ってきたぞな」と、話題になったはずだ。
「ええ、あの人はすごい丁寧な人で。」
彼女は袋を手にとってそう言った。
「あの人だけです。うちの兄のことを全部心配しとる人は。」
そうなのか――。
少し気持ちが温まった。
「そういえば、あなたは夏目さんに似てますね。鼻とか―。」
「あっ。そ、そういえば、もう店じまいをしなくては!」
僕は慌てて彼女を促して、元の時代に帰ってもらった。
(ふ~~。)
これで少しでも感づかれたら、元も子もないしな。
そう思いながら、今度は現代のボールペンコーナーの整理に取り掛かった。
途中で伊予弁が消えていましたが、あまり気にしないでください…。伊予弁にあまり詳しくないので、間違いがあってはならないと思ってやめました。