三話
僕はその万年筆に惹かれた。胴体は黒いが光沢があり、ペン先は黄金色に光っている。キャップは外されてすぐ横に置かれている。
「すみません。」
「はい?」
次の一言には、僕自身驚いた。
「これ、売ってください。」
おじさんはポカンとしている。奥歯には金歯が二本入っているのが見える。
「キミには手が届かないくらいの額だよ。」
「どれくらいですか。」
おじさんはじっと見つめてきている。まるで、宇宙人を見ているかのようだ。
「お客さん。その万年筆は、どなたが持っていたものか知っていますか?」
「誰ですか。」
「夏目漱石ですよ。」
ああ、そうか――。
惹かれた理由はそれだったのか。
僕は夏目漱石の曾孫だ。苗字こそ「鹿峰」だが、母の旧姓は「夏目」だった。僕は曾祖父の本をほとんど読んでいる。「坊ちゃん」や「明暗」、「虞美人草」も読んだことがある。しかし、僕は夏目漱石の本に、なぜか物足りなさを感じていた。理由は分からないが、もしかしたら僕が夏目漱石の曾孫だからかもしれない。「僕のひいじいちゃんだったら、もっとすごい文章のはずだ」と思ったのかもしれない。
あんなに完成された文章だったのにも関わらず、だ。
その漱石のペンが、ここにある。僕は心から欲しいと思っている。
「おじさん。」
「…………。」
「お願いします、売ってください。」
「……分かった。但し、条件がある。」
え?どういう事だ?
「ここでアルバイトしてくれ、三カ月ほど。勿論給料は払う。」
「…………。」
願ってもない話だ。僕は丁度アルバイトを探していたし、万年筆ももらえるのだ。こんなにいい話はないと思いつつ、僕はその条件を承諾した。