《一章》二
階段を駆け上がり、小さく悲鳴を上げた女性の身を案じた天狗は勢いよく扉を開いた。
「桜姫!!」
一階の店よりも少し狭いその部屋で、崩れて山になった本の傍にへたり込む女性が一人。
「あいたた……いやあ、この本を棚に戻そうとしたんだけど、躓いちゃって……」
どうやら本棚にぶつかった拍子に、棚に並んだ本が彼女に降り注いだようだ。
天狗は余程心配なのか、急いで彼女に駆け寄り、怪我は無いかと腕を掴んでまじまじと確認する。幸い腕や顔に怪我は無いようだ。他も同様に確認しようと、青いショートパンツから伸びる白い足に手をかけたその時……
「ひぃっ!!」
桜姫と呼ばれた女性は全身に悪寒が走り、思わず足で天狗にアッパーカットを喰らわせてしまった。
天狗は顎を押さえて痛みに耐えている。中々良い蹴りだ。勿論、天狗はただ純粋に彼女を心配しただけで、彼に非は無い。
「あ……ごめん。思わず……」
「い、いや。こっちこそ……済まない。」
暫し気不味い空気が流れ、それを払拭するかのように、どちらからともなく散らばった本を棚に戻し始めた。
棚の上段は、玉兎よりも少し高い背の天狗が自ずと受け持つ。本を拾い上げる度に、高く結い上げられた濡れ羽色の長髪がサラサラと流れるように揺れた。
「踏み台を買おう。手が届かないのは危ない。」
本を丁寧に棚に戻しながら天狗が言う。
「天狗は心配性だなあ。」
桜姫と呼ばれた女性は、天狗よりも頭一つ分と少し背が低い。しかし、わざわざそんな物を買う必要は無いと笑った。
「では、手の届かない物は置いておけ。私が片す。」
「い、いいよ。本棚に本を戻すだけなんだし……手伸ばせば届くし……」
天狗のあまりの頑固さと異常な程の心配性にただただ困惑していると、扉をコンコンと叩く音が二人の会話を遮った。
「オーナー、宜しいですか?」
扉の向こうの声は玉兎だ。玉兎はこの女性を指して“オーナー”と呼んだ。
この女性こそ、心癒茶荘の女店主。名を唐崎里桜と言う。
「処方をご希望のお客様がお見えです。」
「どうぞ。入って。」
本が散らばったままの部屋で、里桜は明るく軽い口で返したが、天狗はそれに不服のようでこう言う。
「桜姫、店はもう閉店だ。私が玉兎に……」
そこまで口に出したところで扉が開き、玉兎が一人の女性を部屋に招き入れた。
齢は二十代後半くらいだろうか?里桜よりも幾分年上に見える。女性客は俯きながら様子を探るように部屋の中をチラチラと見回している。壁に掛けられた刀が視界に入り、慌てて更に深く俯いた。
天狗は散らかった本棚を隠すように立ち、それ以上話さなかった。
「どうぞ。お掛け下さい。」
里桜は笑顔で椅子を勧めて、丸いテーブルを挟んで向かいの椅子に掛けた。里桜の座る椅子はこぢんまりとした玉座のようで、煌びやかであるが品のある装飾が施されたそれは、昔話に出てくるような中国の皇帝を連想させる。
見るからに気の弱そうなその女性客は、無表情でじっと見つめる天狗を見て、益々おどおどとした。それに気づいたのか、玉兎は女性客を安心させる為に天狗の隣にスッと立ち、笑みを崩さず誰にも気づかれないように小声で言う。
「少しは笑ってみては如何です? 」
「何か楽しい事でもあるのか?」
だが、天狗から返ってくる言葉は可愛くない。