《序章》六
神の狂気は更に増した。
兎の薬師を呼びつけて、ある薬を作らせたのだ。それは全身の筋肉を萎縮、硬化させ、心の臓まで止めてしまう毒薬。神に従属する程の魔物でなければ、どんな生命であろうとその一滴で死んでしまうだろう。不老長生の魔物であっても、一時的にその鼓動は息を潜めてしまう恐ろしい薬だ。
そして兎に命じた。
「これを犬と虎に与えよ。決して気取られるな。」
もはや正気の沙汰ではない。
兎はその命を厭うたが、これに逆らえない兎に選択肢は無い。
兎は何度も自分自身に言い聞かせた。
「犬と虎は強き気高き魔獣。体の自由を失い、心音が聞こえなくなったとしても、それは一時的なもの。彼らなら死なぬ。」と。
兎は心を痛めて神の命を忠実に遂行したのだが、神の最大の思惑は、犬と虎を亡き者にする事ではなかった。その生死は関係無く、一番重要な事は、“千罪姫に己と同じ思いを味わわせる”という事だったのだ。
己が愛した者の死を味わえ。永遠に失う恐怖をその目に焼き付けて、葛藤し続けた憎しみの炎に焼かれてしまえばいいと。
「お前は産まれるべきではなかった。」
その生命を産み出した神までも、狂気故の不条理 で千罪姫を罪人とした。
毒を盛られた犬と虎の動きは次第次第に鈍くなり、これぞ好機と先王の妹君一派はその悪意を暴力に換え、愉快愉快と痛めつけた。
虎の美しい白銀の毛は赤く染まり、犬の艶やかな黒い毛はじっとりと血を吸った。
千罪姫が駆けつけた頃には、犬と虎はぐったりとし、その心音が響くことはなかった。千罪姫は泣き狂い、今度こそ怒りの業火にその身を捧げた。
「おのれ憎き人々よ。
愛を知らぬ心貧しき人々よ。
搾取と悪意しか持ち合わせぬ人々よ。
この怒りは最初にして最期のものとなる。私が抱いた深い憎しみを、人々が忘るる時、私はこの地に再び舞い戻るだろう。その時こそ、私がこの地を真に支配するのだ。」
宮廷に最期の言葉を轟かせ、絶望的悲しみを抱えて、彼女は己の心臓に剣を深く突き刺した。
嗚呼……なんと哀れな娘か。この世に生まれ落ちたときから、味方は母だけであった悲しき娘よ。最後の心の支えであった愛する獣達をも奪われて。不合理に着せられた罪は千をも越えたのではなかろうか。
かくして、悲しき神の子は、内包し続けた怒りと憎しみと悲しみに負け、自らその命を絶ったのである。さても、見事思惑を果たした神に一体何が残ったろうか。
この後、王都は天災と疫病に見舞われ壊滅したという。それは千罪姫の呪いであったのか、神が禁忌を冒した故の災いであったのか、その真相を知る者は誰一人居なかった。
これはまだ、【倭華創改新】以前の大昔の話。
旧倭華の話である。