リナムの慈愛と大人たちの余裕
敵将捕縛について、靖破とシュラと祝覧が会話している最中。リナムは夜食の準備に取り掛かっていたが、ふと張侍達の様子が気になり、ちらりと余所見する。
張侍と彼の副官は、見るも無惨な状態で酷く項垂れていた。
シュラの暴力の跡が凄まじく、所々にできた痣はすべてが紫色に変色しており、身を守る防具類は使い物にならないほど変形・破損。張侍に至っては精魂尽き果てたように自信を喪失し、生きる事に絶望すらしていた。
「あの……大丈夫ですか? 手当てをしますので、じっとしていて下さいね」
「あっ!? ……は、はっ……おぅ……すみません」
敵ながら、憐れみの心を抱かずにはいられない。リナムは救いの手を差し伸べた。
(えぇ……! なにこの子……めっちゃ天使! 見た目 少女な格闘家と同じ生き物とは全然思えないっ! 張侍感動! 生きる……これは生きれるぞ! よーし!)
頭の中まで筋肉か、張侍はいとも簡単に生気を取り戻し、リナムを天使と崇拝した。
方や、敵である上にゴリラ呼ばわりされ、もう一発ぶん殴ってやりたい衝動を必死に抑えていたシュラは、当然リナムの行動に対して不貞腐れる。
『ぶぅぅーー! リナム、うちの飯は? お腹へったぁーー!』
「は、はい。手当てを終えたらすぐに取り掛かりますので、少々お待ちを」
『待てん! そいつ等は後でいいから何か作って!』
「……魔女よ、無理を言ってやるな。リナムの体は一つしかないのだ。大人しくアサギでも食っていろ」
『靖破は嫌じゃねぇのかよ。お前にとって、皆殺しにしたいほど憎い北鑑の将軍だぞ。リナムがボコボコにされた姿を見兼ねたとしても、今すぐ死ぬ訳でもねぇ奴を最優先に手当てする必要はあるのかって思うのが普通だろ』
靖破の心情を借りて、冷淡な八つ当たりをするシュラに、皆が口を閉ざした。
確かに、馴れ合いをすべき相手ではない。リナムも出過ぎた真似をしてしまったと、表情を曇らせて僅かに手を止めた。
靖破もやはり、面白くなさそうな表情を俄に浮かべているのだ。
「…………確かに気にいらん。請われなければ一太刀で殺している」
(……私の自己満足で……靖破様の御心を……)
「だがな、この子が馳せ参じた時 “リナムのやりたいようにさせてやれば良い”。そう言ったのはお前だ、魔女よ」
「!!」
最初の言葉は紛れもない本心だ。しかしその本心以上に、靖破はリナム加入時にシュラが放った言葉を、強く覚えていた。
リナムは思わず目を見開き、そして嬉しくなった。
「“アサギ好きは愚かな事はしねぇ” ……とも言っていたぞ。そうであれば、リナムのこの行動は愚かではない筈だ。何かの為になるのなら、好きにさせるといい」
『……ちっ、こういう時だけそういう事言いやがる。……つまんねぇ……』
「破壊しかできない俺が、リナムの行動に口を挟むのは愚かな事だ。魔女も、同じアサギ好きならリナムの気持ちを尊重してやれ。……ロキ、祝覧。お前達もそう思うだろ」
「あぁ、靖破殿に同じく。魔女様、今しばらく妹の勝手をお許し下さい」
「俺は大将である靖破殿に従うまでだが……小さな恩でも、売るのは悪くないと思う」
心は子供なシュラより、身も心も成熟した大人達は、リナムの想いやりに寛大だった。リナムはつい、目頭が熱くなる。
「という訳だリナム。俺と魔女は気にせず続けたまえ」『……ぶぅぅーーー』
「……はいっ! ありがとうございます!」
靖破が見せた大人の余裕に、リナムは爽やかな笑顔を浮かべて応えた。
そんな彼等のやり取りを一歩離れた場所から見ていた張侍は、天使の笑みと大将たる靖破の器を前に、不思議と感動を覚える。
(…………翼を生やした破壊の猛虎。“大虎の牙” の報告を聞いて、真っ先にそう思った。……だが、実物は違うじゃねぇか。無気力に感じるが愚かじゃない。人の言葉に耳を貸せる度量の広さは、こんな良い娘が慕うほどに底知れない。部下任せとも言えるかもしれないが……大将として人を使う術に長けてらぁ)
「失礼します。ちょっとヒリヒリしますが、辛抱して下さいね」
「…………完敗だ」
「はい?」
「いや、何も。気にしないでくれ」
ボコボコにされた張侍の顔色が、俄に晴れ渡ったように見えた。
リナムは捕虜二人に丁寧かつ適切な手当てを行い、感謝を言われた後、一礼して夜食の準備に取り掛かる。
用意する食材が多いのはいつもの事だが、今回は大人二人分ほど多いように感じたのは、彼女が嬉しさに顔を綻ばせているからだろう。
「……さて、では色々と聞かせてもらおう。まずは北鑑軍の布陣からだ」
リナムから場を受け継いだ祝覧は、早速尋問を開始した。
和やかな空気が漂っていたものの、両者の関係が敵同士である事に変わりはない。
捕虜から聞き出せるだけの情報を聞き出し、その為なら拷問すら厭わないのも、古来から変わらない軍のやり方だ。リナムもこれに関しては口を出せないだろう。
「…………我が軍は、大きく分けて三つの塊で動いている。一つは石岳城を包囲する軍。二つはあんたらを迎撃する軍。三つは遊撃隊を兼ねる総大将 姜純の本隊だ。俺が捕まる前まで、包囲軍の数は七万、迎撃軍も七万、本隊が二万だった」
「……十六万とは……。予想より少し多かったか」
「奇襲を通してあんたらの先鋒が想定を上回る強さだと判明した後、奚范は布陣を改めると言って先に帰還した。五千ばかりの兵を包囲軍から迎撃軍に移動させるそうだ」
「ふむ……七万五千の迎撃軍か。……指揮する将軍と、その兵数の構成は?」
「まずは姜純の下からバラガスに回された一万。これは于雲夏上将の息子である于雲鮮殿の大隊でもある。次に奚范自らが率いる三万四千。副将には李勉、鯨罧。そして最後は于雲夏軍二万六千。于雲夏上将と、客将の藤原経清が率いている」
「むぅ……中々と骨の折れそうな陣容だな。……藤原経清は、確か眞城で靖破殿が戦ったという女傑か」
「あぁ、殺し損ねた。下手な得物では奴の太刀に敵わん。次に会った時は、刃を交える間もなく全力で屠ってやろう」
猛将のバラガスと勇将の于雲鮮。知勇に富んだ奚范と、それを支える若き良将の李勉と鯨罧。用兵家として名高い于雲夏と女剣豪 藤原経清。それらに率いられる七万五千の精鋭兵。一城を攻めるに充分とも思える戦力が、靖破軍の迎撃に配備されていた。
「包囲軍は姜純の軍から四万、奚范の軍が五千移動して二万五千といったところだ。姜純軍の将軍はルーグ、リグレイ、馬帯候。奚范軍は鐘鬼、ヒソン……それに加えて俺だ」
「鐘鬼と言えば、若くして優れた武人と噂の将軍だ。先の決戦でも軍の最先頭に立ち、こちらの将軍を討ち取っている。……それにしても傅磑殿は凄いな。よくこの面子を前に一ヶ月以上も耐えたものだ」
北鑑連合軍との本戦で、祝覧はある程度北鑑軍の陣容を知っていたつもりだが、改めて聞けば聞くほど、よく石岳城がもっているなと思える戦力だった。
祝覧がそれに関して独り言のように呟くと、張侍はまたもや平然と答える。
「城将の傅磑は徹底抗戦を主張して譲らないが、反対に虎忙の側近達は降伏を主張している。俺達はこの側近どもを買収して近づき、戦わずに開城させようと考えてた。今まで何度か仕掛けた攻撃も、すべて威嚇が目的で本気ではなかった。北鑑軍がその気で城を攻めれば、おそらく一日ともたずに落城しただろう」
「だがそれでは被害が出る上に、虎忙殿にも逃げられる恐れがある。この後に控える北部軍との戦いを視野に入れるなら、開城させて確実に捕虜とした方が得策か」
「そういう事だ。……他に聞くことはあるか」
「迎撃軍がどの様に待ち構えているのか、わかるだろうか?」
「俺は包囲軍の配置だったから、詳細な布陣までは知らねぇよ。わかっていても、帰還した奚范が改めているかもしれない。……一つだけ言える事は、あんたらが当てにしているバラガスは、普通に北鑑軍の許へ戻ったという事だ。内応するつもりはなく、そうと見せかけて裏を取るかもしれねぇぞ」
「…………そうか。やはり、簡単に事は謀れぬか」
承知の上である事を悟らせぬよう、祝覧は偽りの落胆ぶりを見せる。
リナムも起きうる事象の一つだと覚悟していたが、いざ自分がバラガスを助命した結果を聞くと、単純に敵を増やしただけという事実に酷く消沈した。
「……祝覧殿。次は俺が質問してもいいか? 一つだけ、こいつ個人に聞きたい事がある。……張侍とやら、何故そうもペラペラと味方の情報を喋る事ができるんだ。お前には義理というものがないのか?」
妹の失意を知ってか知らずか、ロキは張侍の鞍替えぶりを責めた。
張侍は僅かに押し黙った後、意を決した様に語りだす。
「…………詳細は省くが、俺の親父は腐敗した北鑑に殺されたようなもんだ。生きる為に仕方なく北鑑軍に入って、なし崩し的に将軍まで昇ったけどよ…………今の北鑑に、何かを尽くす義理はねぇ。王が幼く病弱である為、大臣達は好き勝手な政治を行い、下々の人間なんか気にしちゃいない。基本的に剣合国の言いなりだ。やれあれが欲しいあれをしろと言われれば、誰の反対も受けずに強行する。……総司令官フルバスディも独自の派閥を作り、横暴な態度で各国に威を唱えている。従わない国には軍事力をちらつかせ、そこに交渉の余地なんてない。北鑑はもう……根本から腐っているんだ。あんたら大虎も、それに嫌気がさして挙兵した……そうだろ」
張侍の言っている事はすべて事実だった。若く病弱な君主は政庁に立てず、臣民と接点すらない飾り物。宰相はじめ多くの大臣達は、君主不在をいいことに自分本意な政治しかしない。人間不信である総司令官フルバスディは、武力を背景に諸国を脅し、多くの無理を押し通していた。
そこに国としての威信は微塵もなく、尽くすべき忠義も存在しなかった。




