死神初めてのおつかい「虐殺ボコボコ編」
靖破軍を急襲した後、奚范と張侍は破壊された集落の跡地に入った。
「……将軍。想定より百名ほど、多くやられました」
「あっそう。……で、それが何か問題ですか? 百の犠牲は敵を甘く見れない事の確たる証明。百人程度が余分に死んだお陰で、万の犠牲を生む慢心を断ち切れるのなら、無駄な損失ではないでしょう。寧ろ良い事ですよ」
「…………そうかもしれません。……それで将軍は、この後どうするんですか?」
「私は先に戻って布陣を改めます。城を包囲している部隊から五千ほど、迎撃軍に回そうかと。張侍は敵と付かず離れずの距離を保ちながら、南西の道を使ってゆっくりと戻りなさい。敵がそれに力を割けば割くほど、本戦では我々が有利になりますからね」
そう言い残すと、奚范は自身の親衛隊を半数残して石岳へ戻っていった。建前上は張侍に預け、好きなように使えとの事だった。
やがて日が暮れると、張侍は潜伏先がバレないように明かりを灯す事を兵士達に禁じさせ、自らも薄暗い小屋の中で副官と軍議を開いた。
「……奚范将軍の理論も解らなくはねぇが……やはり情に乏しい人だ。惜しむべき精鋭を余分に失ったというのに、労いの言葉をかける気配がまるでない。所詮俺らは、将軍にとって盤上の駒でしかないんだろうな」
しかしそれは、軍議とは名ばかりの愚痴に過ぎなかった。
策士肌で人の情に疎く、出世の為なら他人の誹謗中傷から讒言まで平気で行う奚范は、一部の将校達からすこぶる評判が悪いのだ。
「張侍様の苦悩は痛いほどわかります。我等も本来なら奚范将軍の親衛隊と同格なのですが、奴等から格下のように振る舞われる事がしょっちゅうですから」
「出世頭直属の親衛隊として、奴等は天狗になってんだ。……忌々しいぜまったく」
地方の将軍からは、自分も同じように思われているという事を知る張侍は、余計腑に落ちなかった。彼は今の北鑑軍に、少なからず不満を抱いている様だった。
二人は今後の作戦を二の次に愚痴を続けた。彼等の居場所を、靖破とシュラが肉眼で捉えるほど近くまで来た事も知らずに。
「………………」
崖の上から沈黙の睨みを向ける靖破は、闇夜に溶け込んだ死神である。既に周囲の警備兵は訳もわからず惨殺され、何の意味も為さなかった。
「……行くぞ」
北鑑軍の侵攻に破壊された集落は、再び虐殺の舞台となった。
だが今回は仕返しする番である。北鑑兵に殺された領民達の復讐とばかりに、無に帰した静寂な戦場は靖破に味方した。死神は姿を見られることもなく暗躍する。
一方、進軍を再開した祝覧達は、石岳領の一歩手前で野営していた。
靖破とシュラを待つ上で、道なりに進むだけでわかるという点と、夜襲に備えて見通しの良い点を考慮した結果、彼等は街道に陣を敷いた。
「……リナム。何をそんなにソワソワしている。厠なら兄がついて行こうか?」
「…………兄様。それ他の女性には絶対に言わないで下さいね。妹の私でも、普通に気持ち悪いです。もし言ったら私は兄様の事を他人と言い張りますから」
「ムッチャムチャ君(※大虎で語り継がれる不潔にして不屈の妖精。ゴリラと同じで好きな異性に野糞を投げつける為、一部の変態から熱烈な支持を受けている)を見るような目で見るな……冗談だ。っていうかリナム、そんな目できたんだな」
「ムッチャムチャ君の方がまだ可愛いかなと」
「嘘だろ!? それは嘘だろ!? 風呂は三日に一回でも糞は投げねぇぞ!?」
「三日に一回になったんですか? せめて前みたいに、最低でも二日に一回入ってください。でないとルーベルズ家の名が汚れます」
「穢って…………いやいや、今は風呂も贅沢だからさ、リナムはともかく男の俺は三日に一回でもいいかなって……だからそんな目で見るな! 冗談だって!」
「ナマハハハ! 水浴びぐらいはしておけ。飛んだ鳳が糞臭くては士気に関わろう」
「そうだぞ、ロキ殿。心は清潔でも糞を投げるのは感心せんな」
「待てェェ!! 何か俺が変態みたいじゃねぇか! 単にリナムを心配しただけだぞ!!」
「して、リナム殿。そう心配せずとも、靖破殿なら難なく帰還されよう」
旗揚げ三人衆の一人だけに、リナムは靖破の頼もしさを誰よりも知っている。
だがそれでも、たった二人で敵軍に切り込むのは不安で仕方なかった。
かと言って自分が付き従ったところで足手まといにしかならず、武運を祈る以外に何も出来ない事が、リナムを余計に落ち着かせなかった。
(常に自分を護ってくれる英雄が居なくて不安なのかと思ったが……これは違うな。医療箱まで用意して健気なものだ)
「……嬢ちゃん、さては靖家の小倅を好いておるな?」
「ふぇっ!? 嶄條様、何を仰るのですか!? 私なんか……とても畏れ多い事です!」
「ロキ、祝覧。嬢ちゃんの反応を、お前さんらはどう見る?」
「青春」「古の恋歌に似た、微笑ましい主従と存ずる」
「もう! からかわないで下さい! リナムは真剣に、靖破様の身を案じているんです!」
北鑑軍の将校が愚痴り合っていれば、靖破軍の面々は一方的な恋バナに興じていた。
彼女ら(?)がピュアな心で論ずれば、うち三人が男である事など、ほんの些細な問題でしかないだろう。
「どうしたリナム。俺の身に何かあったのかね?」
「え? …………あっ! はっ、靖破様! シュラ様! お帰りなさいませ!」
『おぅ、腹へってただいまだぜ! リナム、何か作ってくれ!』
「は、はいっ! 夜食ですね! すぐに用意しますっ!」
凄まじいベストタイミングで帰還した靖破とシュラに、リナムは動転。用意していた医療箱を調理道具一式と勘違いして蓋を開け、顔を赤くして静かに閉じた。
「……ロキ、祝覧。リナムが俺の身を案じていたようだが、俺に何かあったのか?」
「朴念仁だ」「微笑ましい主従から、新しき恋歌が生まれると存ずる」
「そうか。よく解らんが、俺の体は無事なのだな」
靖破は意に介さないものの、リナムは自分の声が丸聞こえだった事を知って更に赤面した。彼女はまた医療箱を開けて、違う事に気付いてから静かに閉じる。
それを横目で見た嶄條は、おふざけもここまでにしようと、大将の帰還を機に真剣な軍議を再開する。
「ところで靖家の小倅。祝覧のお使いは果たせたのか?」
「……不本意だが、ここに連れてきた」
靖破がいつも以上にどうでもよさげな声で返事をすると、今しがた潜ってきた天幕入口の覆い布が捲られ、縛られた状態の張侍と彼の副官が引き出された。
「張侍様……大丈夫ですか……?」
「うぅ……見た目 少女な格闘家にボコられた……。鼻血止まらん……」
「張侍様、そんなこと言うとほら……また狙われてます。すっごい睨んでます……」
「もう勘弁して……いっそ殺して。心も体も崩壊寸前で血涙大放出」
逞しい筋肉を主本とする怪力に自信があった張侍は、ここに着くまで色々なものを散々に打ち砕かれたようで、真っ白とまではいかないが灰色になっていた。
言動ももはや別人であり、戦闘時の勇ましさなんて欠片もない。
彼が受けた精神的ダメージは、ボコボコにされた肉体以上の深手とわかる。無惨なり。
「ふむぅ……同情を買える程の悲嘆に暮れているが……なにはともあれ上々上々! 柄に似合わぬ手土産を所望されて苛立っているかと思ったが、杞憂で何より!」
「……そのあたりは魔女が上手くやった」
『そうだぜおっさん。靖破の奴、頼まれたの忘れて普通に切り殺そうとしやがって……うちが居なけりゃ手ぶらで帰る事になったんだからな』
「……シテ……イッソコロシテ……コノフガイナキ、スガタカラ……カイホウシテ……」
「張侍様……気を確かに。希望を捨ててはなりません……」
可哀想なまでにシュン……としてしまった張侍を、副官が慰めている。
どんな服従の仕方をすれば、勇敢に突撃してきた魔人がこうも惨めな姿になるのかと……ロキは刃を交えた者として憐れに思った。




