流浪の女武者と囚われの将軍
陽慶南方に位置する眞城は、元々バルチャーの居城である。
北鑑軍との前哨戦では、この城に大虎全軍が集結し、軍議を開く拠点として活用された。
続く本戦では出番に恵まれず、大敗した大虎軍を猛追する北鑑連合軍の侵攻に遭い、組織的抵抗を見せる事もなく呆気ない落城に終わった。
その最たる原因は、城主たるバルチャーが城への退路を連合軍に断たれた為に帰還できず、東路を進んで丘霜に退くしかできなかった事だろう。
そして現在、かの城は北鑑の名将にして「禽武将軍」の異名を持つ于雲夏と、彼の軍勢四万が駐屯し、先の本戦で捕えた大虎軍の捕虜を収容する拠点となっていた。
眞城々内 于雲夏の執務室
「失礼します。于雲夏殿、少々お話したき儀がございます」
「おぉ、経清殿か。どうぞ入られい」
この于雲夏軍に、一人の女武者が参陣していた。
名を藤原経清。中央大陸東方に名を馳せる一大貴族勢力・奥州藤原氏の一門に連なる女傑だ。
腰には業物の太刀を帯び、短く端正に整えられた漆黒の髪と凛々しい顔立ちが、どことなく男装の麗人を思わせる。
「……丘霜侵攻軍に遣わした使者が未だ戻らぬ件ですが、私が思うにそれも、李嶷軍を殲滅したという “大虎の牙” が関わっているのではないでしょうか? 于雲夏殿が宜しければ、私が両軍の許へ赴いて状況を把握して来ましょう。あわよくば、そこで“大虎の牙” を討ち取ってご覧にいれる」
「ふむ……“大虎の牙” か。たった一騎で李嶷軍を破ったという男なら、丘霜侵攻軍に何かあったとしても不思議ではないかもしれん。……客将の貴女に使い走りを頼むのは気が引けるが、李嶷軍が全滅して儂がここを離れられぬ以上、普通の将兵では心許ない。すまぬが宜しく頼む」
「承りました。準備はできている故、今より発ちます」
「いやいや、もう夜中だ。出るにしても明朝で構わぬ。それに土地勘の無い貴方では、夜の道は危なかろう。……昨日もどうやら、城内を迷われたとか」
「あ、あれはっ! ……いえ、言い訳は致しません。不覚にも迷子となりました。今夜はそうならぬよう、気を付けます」
凛々しい顔に朱が混じり、数秒に亘って動揺を見せた経清。于雲夏も表情を和ませる。
「我が軍の兵を幾人か供につけようか? 僅かだが、女の兵士もおりますぞ」
「お気遣い、痛み入ります。されど私は、さように遇してもらえる程の身分ではございません。何しろ戦しか能がなく、藤原一門を勘当された身ゆえ」
「……一族間での争い。心境を察しますぞ」
「そのような事まで気を遣っていただき、感謝の念に堪えませぬ。……それでは明日の早朝、まずは李嶷軍の陣地跡へ向かいます。その次は丘霜侵攻軍の許へ」
「うむ。宜しくお願い致す」
折り目正しい一礼を見せた後、経清は于雲夏の執務室を出た。
洗練された彼女の言動を見て于雲夏は、彼女が客将ではなく自分の部下であったらどれほど頼もしいか、と贅沢な望みを抱いた。
経清は自室へと戻る前に、捕虜収容所に足を運んだ。
そこで彼女は、酒に酔った数人の北鑑兵が、捕虜をいたぶっている光景に出くわす。
高潔な将軍に率いられる于雲夏軍は、他の軍に比べてこういった場面が少ないものの、戦場をくぐり抜けて血に酔った兵士の中には、自制が効かなくなる者がいて当然だった。
「そこまでだ。于雲夏殿の名に泥を塗り、路頭に迷いたくなければ、捕虜を痛めつける事は止めろ。敵だったとは言え、彼等も大虎の名に恥じぬ立派な武人達だ」
「…………客将、藤原経清。……他所者のあんたに何がわかるんだ。戦争を仕掛けてきたこいつ等のせいで……俺は唯一無二の戦友を失ったんだぞ。あいつとは新兵の時から助け合って……今回の戦でも……それなのに……! ……侵略の負け犬がどんな風に虐待されようが、自業自得だろ!」
「……友を想う気持ちは立派だ。自棄に陥るのも無理はない。……しかし」
経清は腰を屈めるや、太刀に手を掛けた。
北鑑兵がビクリ! とした次の瞬間、光の如き一閃が鞘から放たれる。
「捕虜をいたぶる竹刀の一振りごとに、己が良心を切り削がれていると知れ。悪鬼が寄りつく前に今一度想い直すのだ」
経清に食って掛かった北鑑兵が、ゆっくりと地面に倒れ伏した。一緒になって暴行を振るっていた北鑑兵達も、目の前で仲間が誅殺されたと思って肝を冷やす。
「な、なんて奴だ……殺しやが――」
「殺してはいない。昂った憎悪を切り捨てたまで。気を失ったのは、憎悪に満たされた心が一時的に空になったからだ」
「へぇっ!? 憎悪を……切り捨てた? 目に見えないものをどうやって……」
「それが我が剣術。直接切られなかったお前達にも、近くにいた事で等しい効果は出ている筈だ。……義を知る于雲夏殿の兵であるお前達に、悪鬼が宿る姿は相応しくなかろう。気絶したこの者を連れて、今夜は大人しく眠るのだ」
「へ、へぇ……。……なら、そういたします」
兵舎に戻る北鑑兵達からは、呆気に取られたかの様に怒気が消えていた。
憎悪を切ったついでに、心穏やかになれる「気」を放ったからだった。
「…………客将とやら……礼は言わんぞ」
「……言われる筋合いも無い。私は于雲夏殿の名誉を守っただけだ」
経清は解放された捕虜に対しても、馴れ馴れしく接するつもりはない。
ただ単純に、穴持たずとなった自分を迎えてくれた于雲夏に義理立てただけだ。
場を収めた経清は、改めて本来の用事がある特別牢に向かう。
そこには鎖で何重にも縛られた敗戦の将軍が、石壁に貼り付けられていた。
「どうだロキ殿。不自由はないか?」
「……嫌味か? 見てわかる通り不自由しかないぞ」
アサギ色の髪をした、眼光鋭き青年。リナムの兄 ロキだ。
彼は経清の挨拶に眉根を寄せ、実に下らなさそうに返した。
「あ、すまぬ。そういった意味ではなくてだな……」
「他にどんな意味がある。捕虜の魔人に自由を与えるつもりなんてないだろ」
「いや、腹は減っていないか……とか。牢番に拷問をされていないかとか」
「…………余計な気遣いだ。大虎の武人は、敵に情けを求めたりしない」
腹部に刻まれた新しい傷口を見ようとしたロキだが、武人の意地が視線を逸らさせた。
妙に鈍い経清は、ロキの機微を悟る事ができず、彼女は返された言葉をそのまま受ける。
「……捕虜となっても誇りは忘れず。さすがは音に聞く「雁技のロキ」。やはり于雲夏殿の言う通り、殺すには惜しい武人だ」
「投降はしない。俺を生かせば、次の戦でお前達の首が飛ぶだけだ」
「……私もそうだ。一族から厄介払いされてでも、誇りに生きる。だからこそ貴方を見捨てられない。……話は変わるが、ロキ殿の故郷には妹が残っているそうだな。どんな妹君なんだ? ロキ殿の故郷はきっと良い所だろうから、できれば話し合いで解決したいのだ」
「フッ、そうきたか。武人という評価以外にも、俺には生かす価値があるんだな。……俺が生きているとすれば、妹は判断を鈍らせるだろう。俺のせいでケトにも北鑑の旗が翻るようになれば……それは死に勝る屈辱だぜ」
「…………舌を噛み切って自害するように聞こえるな。させぬぞ。こう見えて私も、藤原流の交渉術を体得しているのだ。太刀を振るうだけが能ではなく、時には和平の使者にもなる。その為にも貴方には、是が非でも生きていただく」
「ただの独り言だ。それに自分の舌を噛み切ったぐらいでは、人は死ねない事ぐらい知ってるだろ?」
「そうなのか? 経験がないゆえ、知らなかったぞ」
「…………あってたまるか。変な気を起こすなよ。お前なら敵に捕まった時点でやりかねないからな。舌を噛み抜いても、単純に痛いだけだ。……昔、うちの領内で病気の母親の為に盗みを働いた罪人がいたが、自首した後に潔く自害しようとして、舌を噛み切った」
「ふむ。盗みは褒められぬが、中々に天晴な話だな。……それで」
「普通に無理だった。急いで治療した後に、母親も保護して更生させた」
「ふふ、そうか。自害するには手の自由がきくうちに、首を掻き切った方が確実だな」
「……お前も投降はしない質か」
「……一族を追い出されたとは言え、私も藤原一門に名を連ねる者だ。無様な最期は遂げられぬよ。それに、一応は女としての自覚がある。一般的な女人と比べて魅力的かどうかはわからぬが、捕虜になれば辱めを受ける恐れがある事も承知だ。故に、敵の手にかかる前に自害するつもりだ」
「……そうか。確かに、お前はその方が良いだろうな」
敵同士でありながら惹かれる所でもあったのか、二人はつい長話をしてしまった。
それに気づいたロキがこれ以上語る事はなく、経清も明日がある為に牢を出る。
両者の心には、惜しむらくは味方でないという思いがあった。
《奥州の華武者 藤原経清》
中央大陸の東方に勢力を張る名門貴族 藤原氏。その一門衆にして、剣術と義心に優れた若き女傑。23歳。
潤沢な砂金を産出する奥六郡を巡って、その地の豪族である安倍氏と藤原氏本家が争った際、かねてより親交のあった安倍氏につき、本家の不義を訴えた。
争いは最終的に藤原氏本家が勝利し、経清は命こそ許されたものの、愛用の太刀以外の全てを剥奪され、奥州の海から木船で追い出された(事実上の死刑宣告である)。
運良く北方大陸へ向かう交易船に助けられた後、故あって于雲夏の世話となり、以後は彼の客将として恩返しの為に太刀を振るう。
戦闘での動きやすさを重視する為、漆黒の髪は短く整えられ、装飾品の類いも一切身に付けない。しかし華がないと言えばそうではなく、彼女が着る服の細部には着物柄があしらわれ、何処となく気品を纏った装いを意識しているようだ。
現在の階級は無し。あくまでも一隊を任された客将である。一応藤原氏の下では、一地方の統治を任された中規模領主的な立場だったが、藤原氏自体が剣合国と違う階級制度を用いている為に、他の将軍達との比較は難しい模様。




