蒼髪の魔女との契約
時は今。世界五大陸の覇者たる剣合国の王に、待望の初孫が産まれた。
狂喜した王は世界各国に祝賀を命じたが、これが乱世到来の引き金となる。
「剣合国の王は長年の暴政を顧みもせず、この度も膨大な貢物を諸国に課した。一時の愉悦に甘んじる為、世界中の民が苦しんでおる。斯様な覇者は覇者たり得ず、覇者が覇者たり得ぬ時、諸侯もまた従う義理は無し! 今こそ我等が立ち上がり、諸国を代表して剣合国を批難すべき時ぞ!!
――上国の政道に正義を課す!! 大虎軍、出陣!!」
北方大陸の虎門と謳われる武人の國 大虎が、積もり積もった世界各国の不満や不信感を背負って挙兵した。
大虎軍は正義と信念をもとに進軍を始め、南の大国 北鑑に国道通過の認可を求めて使者を出す。
しかし、剣合国同様に腐敗した北鑑は上国側に付き、大虎軍を奸賊として批難するや、剣合国の威を借って周辺各国に援軍を要請。大連合軍を成して大虎軍に抵抗した。
そして大激戦の末に、北鑑諸国連合軍は強国一国分の総力をつぎ込んだ大火計を敢行。灼熱の炎が天と地と大虎軍を包み込み、この世の地獄が顕現する。
最早これまでと見た大虎王は、全軍に最期の号令を下す。
「立ち昇る爆炎が何するものぞ!! 火計! 爆撃!! 火炎旋風!!! それら全てが、大虎魂の演出に過ぎぬと思い知らせてやれッ!!
――紅蓮の業火を纏いて参る!! 大虎軍、突撃だァァァーーー!!!」
「「「オオオォォォォッ!!!!」」」
大虎王と彼に率いられる武人達は猛進した。死なば諸共前進あるのみ。世を憂いて火達磨も辞さぬ大虎軍は、上国の連合軍に倍以上の被害を出して玉砕した。
しかし、中には王命を帯びて戦場を離脱させられた者達もいた。
大虎軍の先陣を受け持っていた靖家の次期当主 靖破もその一人だ。彼は残党を率いて大虎の都 陽慶へと退いた。
白詰草の月 大虎の都 陽慶
北鑑諸国連合軍は、大虎軍を打ち破った勢いに乗じて首都陽慶へ侵攻。
死臭と血肉に酔いしれた各軍は進む先々で暴虐非道の限りを尽くし、城や街を始め、大虎の歴史の悉くを徹底的に破壊し尽くした。
奪える富は全て奪い、辛うじて値段が付けられる物であれば見境なく接収。人民は二足歩行の家畜と呼ばれ、労働力として連行された。
これら全てを、剣合国への朝貢の足しとする。即ち宗主国への忠誠の証だ。
「……お兄様、お父様……。留守を守れず……申し訳ありません……!」
大虎に仕える名門の靖家も、敗戦と破壊の連続に壊滅的な被害に遭った。
一族の者は殆どが斬殺されるか、若い女性は奴隷の身分に落とされて武将達の慰み物にされる。次期当主の靖破が溺愛する妹も、その中の一人として連行されていた……。
そして北鑑諸国連合軍の陽慶侵入を許してから早十日。
武門の都として堅固な護りを誇っていた陽慶も、初日の落花狼藉で半壊し、五日目の連合軍撤収で富の全てを失い、残党がゲリラ戦を繰り広げている現在では、まともな建物を探す方が難しい惨状にあった。
「ハァ……ハァ…………北鑑の蛆虫どもめ……よくも妹を……おのれ……蛆虫ども……」
「靖破隊長、気を確かに持ってください!」
「くっ……!? 右手奥から新手だ……! 十人続け! 俺達が時間を稼ぐぞ!」
「おおっ! お前達、後は任せたぞ! ……靖破隊長も、ご武運を!」
騒然とする城内の一角を、徒で逃げる一隊がいた。
靖家兵団の副隊長靖破と、それを守る靖家の残党兵達だ。
決戦の後、各地で敗走を重ねた彼等は勢力を大きく落とし、今や百名に満たぬ小隊である。陽慶に入ったのも北鑑諸国連合軍の侵入を許して三日後の事だった。
彼等は靖破の妹を始めとした、一族の生き残りが囚われている場所の情報を入手し、そこに奇襲を仕掛けて救出しようとしていた。
だが、それは大虎の残党を誘き出す為の罠であり、包囲殲滅の網にかかった靖破達は、ただの一人も助ける事ができずに、血路を開いて撤退する他なかった。
否。厳密に言えば、そこに助けられる人間が居なかったというべきだ。
「……くそ……くそ……。北鑑の蛆虫ども……蛆虫どもめ……」
靖破達が捕虜収容所に踏み込んだ時、そこには残酷な子供のおもちゃにされた蛙のような、無惨極まりない変死体となった妹や他の捕虜達が棄てられていた。
その周りには、彼女らを餌にして靖破を討ち取らんとした伏兵が蛆虫の様に這い回り、死体の隙間から異常な目と刃先と銃口を向けていた。
発狂した靖破の脳裏に焼き付いた光景がそれであると同時に、爆発した激情が一周回って放心状態とさせた今にあっても、それだけが口と体を動かせる原動力になっている事は、不幸中の幸いと言えるだろう。
「逃げられると思ったのか? まったくもって愚かな連中だよ、貴様ら」
敵兵を突破した先に、一人の男が立ち塞がった。
戦場の第一線で奮闘した靖破達には、その男に見覚えがあった。
「あ、あいつは北鑑の将軍 李嶷だ! まずい、先回りされたぞ!」
「北鑑……北鑑……北鑑の……将軍」
「くそっ……ここに来て魔人とは……! もはやこれまで! 全員一丸となって吶喊し、靖破様だけでも逃がすのだ!」
「北鑑の……将軍。……北鑑の、蛆虫……将軍、李嶷」
北鑑の将軍 李嶷。剣術・魔力・兵法に優れ、陽慶一番乗りを果たした勇将である。
手に入れた情報によれば、彼の部隊が靖破の屋敷を襲撃し、悉くを略奪あるいは虐殺したというのだ。
いわば靖破の妹を弄び、最終的にいたぶり殺したのも、彼だと言える。
「誉れ高き靖家の強兵団も、こうなったらざまぁない。まぁ頑張った方だと、国許には報告してや――」
「北鑑の……蛆虫将軍ッ……!! お前が、俺の妹に手を掛けたのか……!!」
「……下らないことを確認する余裕があるのなら、周りを見ておけよ」
「下らないだと……ふざけるのも大概に……」
「靖破様ッ! 危ない!」
次の瞬間、四方八方の瓦礫の山から、一斉に銃撃を浴びせられた。
靖破を庇った兵士は当然、他の者も瞬く間に蜂の巣にされる。
靖破本人も、二、三発の銃弾を体に受けた。
「がぁっ!? ……くそぉ……! 卑劣な手ばかり、仕込みやがって……」
「フン、最後まで守られたか。良い部下を持てて幸せだったなぁ。……んで、それだけ幸せならば未練もあるまい。さっさとくたばれっ!」
「ぐぅっ……がはぁっ!?」
李嶷の剣撃を方天戟で防いだ靖破だが、人外の力が彼を瓦礫の山に押し飛ばす。
血液とともに体内を巡り、人外の力の源となる “魔力”。これを扱える人間を “魔人” と呼び、この才能を開花させられる者は百万人に一人と言われる。
靖破もその魔人であるが、連戦の疲労や大火傷に負傷を加え、精神の不安定が影響した結果、李嶷の相手にならない程の弱体化を招いていた。
「……フッ。初手の侵攻で五人の将軍首をあげられたせいで、こっちは統率を欠いて更に多くの兵卒を失った。大虎には恐ろしい若武者がいると、早いうちに仕留めねばと思っていたが……これで漸く息をつける。じゃあな、愚かな反逆者よ」
「まだ……まだだ……! 俺はまだ……」
「諦めろ。貴様はもう手仕舞いだ。……ハァァッ!」
李嶷の持つ剣が妖しく光り、防ぎようのない斬撃となって振り下ろされた。
「……ガッ……!?」
靖破は最後の力を振り絞り、方天戟に魔力を纏わせたが、もはや全てが無駄だった。
銀色の火花を散らして方天戟は粉砕され、斬撃が靖破の体を切り裂くや、一瞬遅れた衝撃波が傷口を広めるとともに致命傷とした。
(……無念だ。……誰も救ってやれず……仇も討てず……生き恥を晒してまで、逃げ延びた結果が……こんな蛆虫どもに殺られるのか。……俺は……俺……は……)
靖破はただ、血塗れの斬死体となってその場に倒れ伏す。
(どうしようもなく……無力だ……!! 何の為に……皆を死なせたのか。……せめて皆の死に……意味を……。あと、もう一振りだけ……戟を…………)
最期の力を振り絞って手を伸ばすが、砕けた得物は柄しか残っていない。
それを掴む事もできなければ、彼の体は徐々に感覚を失い、深い失意は諦めの境地に達して感情をも消し去っていく。
武人として敗北した彼にできる事は、無念のうちに目を閉じて、止まる気配のない流血を大地に吸わせながら、己が無力を呪って静かに逝くだけだった。
『おぉーい。誰だ、うちの上で寝てる奴は。起きねぇと殴り飛ばすぞ』
(…………?)
『せっかく封印が破壊されて自由になったと思ったら、次は上から蓋されんのかよ。勘弁しろよ。……おいお前、聞いてるかー? さっさと起きねぇと……って、お前ボロボロだなー。こりゃ起きれそうにねぇなぁ』
(……誰の……声だ。俺は……まだ生きてるのか……)
『生きてるな。つっても、もう死んでるのと大差ねぇけど』
(……死人と……大差ない……か。…………それならせめて……無情の屍でもいい。もう一度……得物を振るいたい……!)
『…………そうまでして戦いたいのか、お前。余程の戦闘狂か、はたまた大事なもんでも残してんのか?』
(…………大事なものなど……もはや何も無い。……ただこのままでは……死ぬに死にきれん。……腐った奴等を、一人残らず、皆殺しに……! そうしなければ、先に死んでいった者達が、報われん。……望む事は……それだけだ)
『へぇ……失うものがねぇのか。……好物件じゃねぇか。よっし! じゃあうちと契約しろ。代償は『時間』だ。これからずっと狂ったまま生きて、うちを裏切ったバカな人間どもの血肉を永遠に吸わせるんだ!』
(……契約……だと? ……何の話だ。お前は……いったい……)
『曲がりなりにも、うちを封印した奴等の子孫だろ。それなら知ってる筈だぜ。大虎の成立以前に、この地を治めてた蒼髪の魔女伝説をよ』
(蒼髪の魔女…………まさか、お前……!?)
『ウダウダ言ってないで殺るぞ。うちも数百年ぶりに力を出すんだ。足引っ張んなよ! アタッチャァーーー!!!』
途切れかかる意識の中、虚空に委ねた靖破の体が蒼い光を纏う。
そして次の瞬間には、膨大な量の魔力が渦となって巻き上がった。
靖破の体で生まれ流れる彼由来の魔力が、別のものの魔力に置き換わり、属性も火から風の上位種たる《旋風》へ。
靖破の体に流れる魔の血が、一瞬にして変わったのだ。
《武勇を以て正義を示す國 大虎》
北方大陸に名を馳せる武の名門國家。
数百年前の乱世に於いて、世界統一に大きく貢献した剣合国二十七将軍の一人、『第十四鎮鉄牙将 虎沖』を初代王とする。
臣従した北方諸国の監視を担う北鑑と同時期に建国され、武の面で支えてきた。
大陸の中心部から東側を国土とし、南は北鑑に広く隣接して、東は海に面する。北東には友好國の榲が控え、北に楽羅、西に白眉を隣国とする。
本来の大虎の役割は、北方諸国が反乱を起こした際、白眉とともに、宗主国たる剣合国が北鑑を経由して討伐軍を差し向けるまでの時間稼ぎである。
それ故に大虎の守りは、主に北側を重視して造られていた。(王都陽慶は大虎領内にあって北寄りに位置し、重鎮の靖家を始め、北部軍長官のアダオウ、ケトのルーベルズ家など、名だたる実力者が北側を領地としている)
それが北鑑諸国連合軍の逆侵攻では裏目となり、堅固とは言い難い南部の諸城は瞬く間に落城し、王都陽慶まで一気に攻め破られる結果となったのだ。
更に残念な点は、大虎は武門の誉れ高い國であると同時に、軍の上層部が、少数精鋭による伝統的な武芸を重んじる傾向にあるという事だった。
それは悪く言えば保守的な軍法であり、先の決戦では先進的な戦術を採用した連合軍に敗北する要因となってしまった。
軍隊の階級制度は “九品制” を採用。剣合国に連なる勢力は全てがこの制度を用いており、最高位の一品官から最下位の九品官まで分けられ、これを基準に軍が編成される。




