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第五章

結局、俺はヒラリィちゃんの家に図々しく居座るような真似はせず、この機会に町の大叔父さんに家の相場や給料の仕組みについて聞いてみることにした。

この世界はやはり俺の想像どおり、土地税という概念がまだ存在していない。税金は主に人頭税と、生産や取引の段階で課されるもので、中世の多くの国と同じやり方だ。

だからこそ、家の値段はほとんど人件費と材料費だけで決まる。二つを合わせても――だいたい金貨百枚、つまりこの世界でいう紫金貨一枚ほどあれば、立派な家が手に入るらしい。

すでに建っていて誰も住んでいない家を買うか、それとも自分の好きな場所を選んで職人を雇い、材料を運んで建ててもらうか。値段の差はほとんどないが、時間の都合を考えると前者のほうが楽だ。

俺は頭の中で計算を繰り返し、今から倹約していけば、数年のうちに石造りのしっかりした家が買えると見積もった。

……とはいえ、こういうことにまでベールナに頼るのは違うと思う。今日の宿代だって、彼女が働いて稼いだお金なんだし。

そう考えながら、俺とベールナはヒラリィちゃんと大叔父さんに別れを告げ、昨日泊まった宿へ戻った。

――そのころ、世界の中心にある「ジエン神聖皇国」と呼ばれる国の首都では、異世界から勇者を召喚し、力を授けるという儀式がちょうど終わったところだった。

小柄ながら豪華な衣装をまとった少女が、この国の新しい教皇である。隣の侍女が彼女の汗を拭っているあいだ、目の前では紫の光がゆっくりと晴れていく。

光の中に現れたのは――まだ制服姿のままの黒髪の女子高生だった。

「この世界へようこそ、我らが勇者よ」

教皇の少女は、自分の年齢に似つかわしくないほど落ち着いた口調で言葉をかけた。

(……さっきまで女神様と話してたのに、今度は本当に勇者になっちゃったの?)

黒髪の少女――高橋玲奈は、目を見開いたまま呟く。

「あなたは……女神――」

そう言いかけた瞬間、教皇が手を上げて制し、周囲の衛兵たちが一斉に剣を抜いた。

「ここは無神論と唯物主義を礎として築かれた国だ。私はこの国の最高指導者にして教皇でもある。あなたを召喚したのは私だ。これからは“教皇陛下”と呼びなさい。」

高橋玲奈は周囲を見回し、剣を構える兵士たちの緊迫した空気を感じ取ると、静かに頷いた。

「ひざまずけ!」

兵士の怒号に従い、彼女は片膝をつく。兵士たちはようやく剣を収めた。

(唯物主義……どこかで聞いたことがあるような……)

思い出せないまま、玲奈は余計な衝突を避けるため、慎重に口を閉ざした。

幼い見た目の教皇――中学生ほどの年齢にしか見えないその少女は、静かに頷いて再び口を開いた。

「この世界には、いまだに封建的で迷信を誇りとする小国が多い。私はそれらを変えるため、あなたを召喚した。科学と技術の力で、この世界を改革するために。」

その声は氷のように冷たかったが、語られた理念はまるで時代を飛び越えたように進歩的で、玲奈には不思議な違和感があった。

「この世界はいまだに男尊女卑の時代に取り残されている。だが我が国は“女性も天を支える”と掲げ、他国へも先進的な文化を伝えている。上品な衣装、貴重な香料、整った食文化――。

そして私は、この世界中に示したい。女は男よりも優れているのだと。あなたを勇者として召喚したのも、そのためよ。」

教皇がそう語ると、周囲の侍女や兵士たちの目には涙があふれた。

(こんなに幼い見た目なのに……ずいぶん壮大な理想を持ってるんだな)

玲奈はそう思いながら、もう一度片膝をつき、深く頭を下げた。

「……わかりました。私は、あなたの剣になります」

その言葉には、心の底から生まれた忠誠の色が宿っていた。

ただ、その胸の奥には言いようのない不安が小さく灯り、それは冷たい空気の中へと溶けていった。

――その頃、俺とベールナは宿の女将さんが作ってくれた夕食を楽しんでいた。

ハーブと塩を振って焼いた肉に、クリームマッシュルームスープとパン。

教会で食べたものとは比べものにならないほど旨い。

やっぱり人間って、基本的に肉食寄りの生き物なんだよな。

脂と焼きの香ばしさに惹かれるのは、数千万年の進化で染みついた本能だ。

肉や卵、乳製品をまったく摂らないと健康を害する――そんな研究結果はいくらでもある。

だから俺には、他人にまで菜食を強制する極端な“ビーガン教”みたいな連中が理解できない。

まるで宗教のように「肉を食べる=殺人」と決めつけるその姿勢は、どう見ても異常だ。

もちろん、淡白な味を好むのは個人の自由だ。

丸ごとの動物の死体を見ると残酷に感じる人も多いだろう。

正直、俺だって生まれも育ちも日本人だ。目の前に一匹まるごとの魚がドンと置かれたら、やっぱり怖いし、食欲も失せる。

でもそれは“命の重さを思う心”であって、人に肉を食うなと押しつける理由にはならない。

西洋では「七つの大罪」のひとつに“暴食”があるが、俺に言わせりゃ罪でも何でもない。

東洋の考え方で言えば、それは「七情六欲」の一つにすぎない。

最近は“ヘルシー”“ライトフード”なんて嘘の看板を掲げて、安い野菜を高値で売りつける商売まで出てきた。

スーパーなら百円で買えるものを、どこかの店では二千円。

指摘されると「これが正しい生き方だ」とマウントを取る。……ああいうの、ほんと品がない。

ベールナも肉料理をとても美味しそうに食べていた。

女神である彼女も、人間と同じように、料理が運ばれてくると心から「いただきます」と感謝の気持ちを込め、そしてきれいに食べ終える。

――俺は思う。これこそが食材と料理人への、いちばん正しい敬意の示し方だ。

そんなことを考えていたら、ベールナに軽く頭をぺしっと叩かれた。

すまない……考えごとをしていたせいで、食事に集中していなかった。

目の前の料理と、それを作ってくれた女将さんに対して、なんて失礼なことをしてしまったんだろう。

それからは余計なことを考えず、一口ずつしっかり味わって食べた。

皿に残った肉汁も、スープの最後の一滴も、パンで丁寧に拭って口に運ぶ。

一粒たりとも無駄にしない――俺は昔のことを思い出した。

子どもの頃、茶碗に米粒が少しでも残っていると、母がよく「ちゃんとすくいなさい」と言っていた。

スプーンや箸でこそげ取るようにして食べきるのが当たり前だった。

礼儀やマナーって、結局は親の姿を見て学ぶものなんだろう。

素行の悪い人間の多くは、親も同じようにだらしない。

昔の言葉で言えば「養わずして教えぬは父の過ち、教えて厳しくせぬは師の怠り」――まさにその通りだ。

食後、俺とベールナは昨日の部屋に戻った。

布団とシーツはすでに新しいものに取り替えられ、机の上には花瓶と一輪の花が飾られていた。

その下に一枚の紙――

「この花の香りには……“気分を盛り上げる”効果があるよ♡」

……間違いなく女将さんの置き手紙だ。

きっと俺たちの関係をますます誤解している。

まあ、正確に言えば誤解でもない。

だって、俺たちの身分証には“夫婦”と書かれているし、ベールナは今、妊娠中でもある。

――とはいえ、俺はこの状況でとても潔白だ。

だって俺、もう三十近いのに、まだ童貞なんだぞ!?

昨日だって、せいぜいベールナの太ももに手を触れたくらいで……本当にそれだけだ。

うん、間違いなくそれだけ。

女神様にいやらしいことをするなんて、絶対地獄行きだろ。

もしこれが日本の電車だったら、間違いなく痴漢で捕まってる。

――ごめんなさい、本当にごめんなさい。

俺は心の中でこっそりベールナに謝った。

「……別に、触ってもいいけどね。」

唐突にベールナが顔を赤らめながらそう言った。

……え? まさか、心の声がバレた!?

そうだ、俺が考えてることは全部ベールナに筒抜けなんだった。

終わった……これはもう完全にセクハラだ。ごめんなさい本当にごめんなさい。

「……触りたいなら、触ってもいいよ。」

今度は少し小さな声で、でも確かに聞こえた。

そしてベールナは、分厚い白い上着をゆっくり脱いだ。

中には、昨日も見たあの青と白の部屋着のような服。

彼女は少し身をかがめ、スカートの裾をほんの少しだけ持ち上げる。

淡い乳白色の太ももが、照明の下で柔らかく光っていた。

耳まで真っ赤に染まっているのが見える。

(……いただきます)

心の中でそう呟きながら、俺はそっと彼女の太ももに触れた。

指先に伝わる感触は、まるで赤ん坊の肌のように柔らかい。

彼女の体温と俺の手の温度がほとんど同じなのに、胸の鼓動だけがどんどん大きくなっていく。

……なんだよ俺、ただ触っただけで気絶しそうって、情けなさすぎるだろ。

そのとき、ベールナの手が俺の胸にそっと触れた。

……心臓の鼓動を落ち着かせようとしてる?

いや、むしろ逆効果だ。余計にドキドキしてる。

「……私も、同じだから。」

ベールナは俺の手を取って、自分の胸の上に置いた。

柔らかな感触の奥から、俺と同じリズムの鼓動が伝わってくる。

そうか……俺たちの心臓、同じ速さで打ってるんだ。

しばらくのあいだ、俺たちはお互いの胸に手を当てて鼓動を感じ合っていた。

俺のもう片方の手は、彼女のスカートの中で太ももの内側をゆっくり撫で続けていた。

やがて、ベールナがぱっと身を離し、ベッドにどさっと腰を下ろした。

「……足、つかれちゃったの。」

顔を真っ赤にしながらそう言う。

……正直、俺もだ。

ずっと変な体勢だったせいで腕がしびれてる。

目が合って、二人同時に小さく笑った。

ベールナは布団をめくって中に潜り込み、手でポンポンと隣を叩いた。

――こうして一緒に寝るのは、もう二度目か。

俺が横になると、ベールナはそっと腕を回して俺の腕に抱きついた。

たぶん、現実の夫婦もこんな感じなんだろう。

ただ、彼女の腕が少し震えていたのがわかる。

……俺もだ。

出会ってからまだそんなに経ってないのに、もう“家族”なんて関係になっている。

すべてはあのスキルのせい……いや、“おかげ”か。

でも、俺は心の底から感謝していた。

あのスキルを授けてくれた岳父――創世神さまに。

昔の中国では、帝・堯が最も有能で正しい人物・舜を後継に選び、二人の娘を嫁がせたという。

そして今、創世神もまた、自分の娘をこんな俺に託した。

……だからこそ、俺はこの世界をより良くしなければならない。

この力を、無駄にはしない。

そして、隣で眠るベールナにも恥じないように。

俺が静かに誓いを立てると、ベールナはさらに身体を寄せてきて、微笑んだ。

「あなたが何をしても、私はずっとあなたの背中を見ているから。」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが温かく灯った。

――翌朝。

外は大雨だった。

朝食を済ませた俺たちは、宿の女将さんに傘を借りて外へ出る。

今日から、いよいよ俺の冒険者ギルドでの初仕事。

あの大叔父さんのもとで働く日だ。

……何としても頑張らなきゃな。

雨のせいで気温が下がり、傘も一つしかなかったから、俺はベールナの肩を抱き寄せて歩いた。

朝の街は人影もまばらで、東京で育った俺には信じられないほど静かだ。

この世界の傘は、厚い油紙を重ねたものらしく、重さは現代の三倍はある。

その重たい傘越しに、雨の向こうをなんとか見通す。

もしこれが東京の街だったら……きっと十回は人にぶつかってるな。

そんなことを考えていたとき、厚いマントを羽織った人影が、風のように俺の横をすり抜けた。

……何か急ぎの用でもあるのか。

俺はベールナを教会の奥の部屋まで送り届け、彼女と別れてギルドへ向かう。

外に出たとき、ふと見ると――神父が雨の中でさっきのマントの人物と話していた。

たぶん、通りで見かけたあの人だろう。

俺は傘を差し直し、ギルドへ向かって歩き出した。

雨脚はもう弱まり、もうすぐ止みそうだ。

きっとそのあとには、きれいな虹が見られる。

……どんなに急いでいても、最後はちゃんと晴れる。

――そんな気がした。

ギルドに入るとき、正直ちょっと躊躇した。

昨日は大叔父さんにすごい目でにらまれたし、うっかり彼の養娘にまで俺のスキルが発動してしまった。

もし日本で、ある日自分の娘が「妊娠した」なんて言い出して、その相手の男がポカンとした顔で目の前に立っていたら――俺だって殴りかかると思う。

だから大叔父さんの気持ちはわかる。もし殴られても、文句は言えない。

……が、その大広間に大叔父さんの姿はなかった。

代わりに、ヒラリィちゃんが満面の笑みで俺に飛びついてくる。

「会いたかったの!」

顔が一気に熱くなる。けど、これが彼女の内側から溢れる天真爛漫さなんだ。

「大叔父さんは?」と俺が尋ねると、

「パパ、ちょっと用事で出ちゃって。だから今は私ひとり。……でも、あなたが来てくれてよかった」

彼女は少し照れながら言った。

――ひとりは心細いのか。そう思った矢先、外がピカッと光り、

一拍置いて、ドン、と腹に響く雷鳴。

ヒラリィちゃんは目をぎゅっとつぶり、肩をすくめて俺にぴったりとしがみついた。

雷が怖い――それはごく普通の反応だ。大人だって驚くことはある。

でも雷鳴は、稲光のあと少し遅れてやってくる。来るとわかっていれば、身構えられる。

それに、どうして「稲妻」って言うか知ってるか?

雷が落ちたあとの自然の変化で作物の実りがよくなる――昔の人の経験が、言葉に残っているんだ。

そう思えば、雷の音だって、どこか祭り囃子の太鼓みたいに聞こえてくる。

ヒラリィちゃんは顔を上げ、まっすぐ俺を見た。

「さっき……旦那さん※の心の声が聞こえたの」

※(彼女は時々、嬉しそうに俺のことをこう呼ぶ)

決意の色を宿した表情で、降り続く雨の外を見やる。

「雷の音、克服してみせる。……ありがとう、旦那さん」

え? 本当に、俺の心の声が聞こえてる?

俺が首をかしげると、彼女は小さくうなずいた。

――これも、俺の“目が合うと妊娠する”スキルに付随する力なのかもしれない。

創世神さまがこのスキルを与えたのには、きっと理由がある。

もうこれは“重荷”じゃない。むしろ、この力があったから、異世界に来ても俺は孤独じゃなくなった。

長年、親にも言えなかった本音を、ベールナはすぐに理解してくれて、導いてくれた。

創世神さまのおかげだ。

今ははっきりわかる。

――心を開いて話せば、物事はずっと簡単になって、良い方向へ転がっていく。

一歩踏み出して誤解を解けば、人は相手の立場にも立てる。

そうやって世界の悩みは少しずつ減っていく。

今もほら、ヒラリィちゃんは俺の心の声を聞いて、少しずつ互いを深く知っていってる。

短い時間で“通じ合える”のは、そのせいだ。

もう一度、稲光。すぐに雷鳴。

彼女の身体はまだ小さく震えているが、もう俺の胸に顔は埋めなかった。

「旦那さんの言うとおりだね。これを“豊作の合図”だと思えば、怖くない」

そして、頬を赤く染めたまま、彼女は俺の頬にちゅっと口づけた。

「私の初キスだよ。……ありがとう、旦那さん。慰めてくれて」

――実は、俺にとっても三十年近い人生で初めてのキスだ。

こんな素直な子と分け合えたのが、ただただ嬉しい。

……と、ここでベールナのことが頭に浮かぶ。そうだ、ベールナともキス、したい。

「私、ベールナお姉ちゃんのことも応援するから」

水色の髪の下、純粋で美しい笑顔が視界にも、胸の奥にも焼き付く。

この瞬間を、ずっと忘れずにいたい。

「でもね、今だけは――私のことだけ考えてて」

彼女はもう一度、今度はさっきより長く口づけた。

ほんのり甘い味がする。

「さっき、ホットココア飲んじゃって」

そう言ってさらに赤くなり、慌てて両手で顔を覆う。

指の隙間から、こっちをちらちら見ているのが可愛くて仕方がない。

――本当に、内も外も、まっすぐな女の子だ。

そんな温かな時間を破るように、ギルドの扉が勢いよく開いた。

大叔父さん――ヒラリィちゃんの養父が飛び込んでくる。

全身ずぶ濡れで、雫が床に落ちていく。

一緒なのは、さっきの神父と、通りで見たあの雨合羽の男だ。

ただ事じゃない。

ヒラリィちゃんは慌ててタオルを取り、父の顔の水を拭った。

「どうしたの、パパ?」

――本当は俺も聞きたい。けれど、来て間もないよそ者の俺が口を出す場面じゃない。

……そう思ったのを、ヒラリィちゃんが感じ取ったのだろう。

彼女は一歩前に出て、もう一度、はっきりと問いかけた。

「ジエン神聖帝国が……近隣のいくつもの国に同時侵攻を仕掛けた。

しかも、正体不明の強力な魔法で台風や洪水を呼び起こしたらしい。

俺たちも周辺の国々も、まったく備える暇がなかった。

氾濫した水で道が塞がれ、村人たちはこの町まで避難することすらできずにいる。」

大叔父さんの声は重く、誰も言葉を挟めなかった。

まるで――台風と津波が同時に押し寄せたような災害だ。

俺は現代日本人として、その恐ろしさを痛いほど理解している。

……ジオンみたいな名前の帝国が、まさか魔法災害を戦争の道具に使うなんて。

名前からして嫌な予感しかしない国だが、やはりやることも最悪だ。

問題は――どれだけの人が巻き込まれたかだ。

洪水は農地を破壊し、やがて飢饉を呼ぶ。

……胸の奥がずしんと重くなった。

そういえば――思い出す。

以前ベールナと出会った時、彼女が拳一つで吹き飛ばした、五つの頭と獣の手足を持つ化け物。

あれも確実に人を襲う存在だった。

どうして、この世界は最初からそんな怪物が出るんだ……?

「……幸運なのか、不運なのか、わからん。」

大叔父さんがぽつりとつぶやいた。

「他の国では、同じ規模の町が“ジエン神聖帝国”の新型合成獣に襲われたそうだ。

だが、この町だけは被害を免れた。

……たぶん、この若造と一緒にいたあの娘のおかげだろうな。

城門は壊されたがな。」

そう言って俺をじっと見る。

ヒラリィちゃんは神父の顔を拭きながら、静かに聞いていた。

「たぶん、そうです。

来る途中で、ベールナが五つの頭と獣の手足、それに尻尾まで生えた――十人分はある巨大な人型の魔物を殴り飛ばしました。」

「――間違いない。」

今まで黙っていたフードの男が外套を脱ぎ、濡れた羊皮紙を取り出す。

そこには、まさにあの化け物の絵が描かれていた。

「討伐したのは、あなた方ですね?

私は本国直属の王子殿下の親衛隊の者です。……国を守ってくださり、感謝いたします。」

俺がうなずくと、男は深く頭を下げた。

「殿下の命で調査と報告に来たのですが……まさか、すでに解決していたとは。」

「いえ、やったのはベールナです。」

俺はあわてて手を振った。

「それよりも、この国も洪水で被害を受けているはずです。

すぐに、低地の村人たちに避難と食糧移動を!」

「……しまった、それを忘れていた!」

男はすぐさま外套を羽織り直す。

それを見た大叔父さんが叫んだ。

「お前は下流のほうの遠い村に行け! 俺の馬を使え!」

「俺は近くの村を回って知らせに行く!」

そう言って大叔父さんはタオルを放り出し、傘も差さずに玄関へ駆け出した。

「神父様はここに残ってくれ! おい若造、ヒラリィを頼んだぞ! ……まだお前を認めたわけじゃねぇからな!」

そう言い捨て、雨の中へと飛び出していった。

神父は空を仰ぎ、静かに祈りを捧げた。

「やはり……女神様が神使を遣わされたのですね。」

そう言って俺のほうへ歩み寄り、祈りの印を結ぼうとするので、俺は慌てて止めた。

「ちょ、ちょっと待ってください! 違います! 女神はベールナで、俺はただの人間です!」

だが神父は祈りをやめず、胸の前で手を組んで言った。

「私は人を見る目があるのです。あなたの身に宿る神聖な気配……あの娘と同じです。

きっと、創世神様が遣わした救世主なのでしょう。」

……まあ、確かに創世神様が俺に“見た相手を妊娠させるスキル”を授け、

そしてベールナ女神と共にこの世界へ導いたのは事実だ。

だから、今度は否定しなかった。

「やはりそうでしたか。

今回攻撃を仕掛けてきたのは、無神論を掲げ、創世神への反抗を宣言した国。

彼らは“科学こそ真理”を唱え、公式で説明できぬものをすべて否定してきた。

短期間で魔法の分野でも他国を凌ぐ力を得たが……

国民はまるで邪教に洗脳されたかのように思想が歪み、

神を否定しながら宗教を作り、教皇を立てる――そんな矛盾した国です。

そして最近、先代教皇が亡くなり、そのひとり娘が新たな教皇の座についた。

彼女が今回の侵略を指揮しているのです。」

……なるほど、そういうことか。

まさかそんな国が、女の教皇のもとで戦を始めるとは。

だが、俺とベールナがこの時代、この場所に来たのはきっと偶然じゃない。

これは創世神様の導きなのだろう。

俺は空を見上げ、神父のまねをして手を合わせた。

――創世神様、ありがとうございます。

俺はベールナと共に、この世界を守ります。

「……ところで、神使さま。

洪水を鎮めるような術をお持ちですか?」

神父が尋ねる。

「えっと……ベールナなら、もしかしたら。」

俺がそう言うやいなや、神父は教会へ駆け出していった。

「ベールナお姉ちゃん……女神だったんだね。」

神父が出ていったあと、ヒラリィちゃんが小さな声で言った。

……もう心の中まで読まれてるな。

でも、この子なら信じられる。

「うん、約束する。旦那さんとベールナお姉ちゃんのこと、誰にも言わない。

パパにも秘密だよ。」

――ほんと、気の利く子だ。

大叔父さんだって、もし知っても他人に言いふらすような人じゃない。

ぶっきらぼうだけど、信頼できる男だ。

……まあ、娘を妊娠させた相手にはそりゃ怒るけど。

でも今はそんなこと言ってる場合じゃない。

ベールナに相談しないと。

そう考えていると、ヒラリィちゃんが俺に傘を差し出した。

「行こう、旦那さん。」

その笑顔は雨空の下でも明るくて、

俺たちは一つの傘を差し、教会へと駆け出した。

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