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第三章

「お二人は昨夜泊まったお客さんですね。一泊は七枚の銅貨で、朝食を付けるなら二人分で二枚になりますよ。」

おじさんはそう言いながら、こちらを見て勝手に話を進めていく。

だが今の俺は、ジャージ姿以外、身につけているものが何もない。

ポケットを探ってみると、出てきたのは百円玉が二枚だけ。

……たぶん、昨日三百円の物を買ったときのお釣りだろう。

それが俺の全財産だった。

俺は隣に立つベルナの方を振り向いた。女神なら、お金くらい出せるんじゃないか?

「すみません、私たちはお金を持っていません。でも、三日以内には必ずお返しします。」

ベルナはおじさんに丁寧に説明した。

「ツケですか? 今週中に返してくれれば構いませんよ。ただし、払わずに街を出ようなんて思わないでくださいね。それは犯罪行為ですから。」

おじさんが手を振ると、奥からおばさんが駆け寄ってきた。

「今日の分はタダでいいのよ!」

おばさんはおじさんの肩を軽く叩いた。

「昨晩、この子をうっかり気絶させちゃったのは私なの。それで泊めることにしたのよ。」

おじさんは俺の方を見て、申し訳なさそうな顔をする。

いやいや、やめてください。俺、いくらニートでもそんなことで気にしたりしませんから。

「それで、ご飯はどうします? 朝食はうちの奥さんが作ったんです。大したものじゃありませんが、この町ではそこそこ評判なんですよ。」

おじさんがそう言うと、おばさんの頬がみるみる赤くなった。

……幸せで明るい夫婦だな。羨ましい。

いつか俺も、こんな温かい家庭を持てるのだろうか。

そう思った瞬間、胸がぎゅっと締めつけられ、目頭が熱くなった。

思わず、隣のベルナを見る。

「ありがとうございます。」

ベルナはそう言って、二人に丁寧にお辞儀をした。

その所作は自然でありながら気品があり、やっぱり女神なんだと感じさせる。

彼女はふとこちらを振り返り、何かを察したように俺のそばへ駆け寄ってきた。

そして、あの純粋な瞳で上目遣いに俺を見上げ、首を少しかしげながら言った。

「どうしたの? 目が赤いよ。昨日あんなに優しく慰めてくれたのに、今度はあなたがホームシック?」

ベルナは微笑みながらそう言った。

別にホームシックってわけじゃない。

けれど彼女のその一言は、きっとからかいながらも俺を気遣ってくれているのだろう。

今の彼女は本当に優しく見えた。

そして自然に、俺の手をそっと握ってきた。

俺たちは隣の食堂へ入った。

すでに十人ほどが朝食をとっており、ほとんどが冒険者らしい装備に身を包んでいる。

中には、昨夜見た衛兵と同じ鎧を着た三人組の姿も。

……あれ、見覚えあるぞ?

「よう、昨夜はよく眠れたかい? それとも、もう赤ちゃんの準備かい?」

おばさんが厨房から出てきて、二皿の料理を運びながら笑った。

「好きなところに座って、うちの味を試してみな。」

「私たちはそういう関係ではありません。まだ結婚もしていません。」

ベルナが軽く説明すると、おばさんは俺をじろりと睨んだ。

……なんだ、その目は。

「男なら責任を取りなさいよ。」

……は? どんな責任だよ。

たぶん昨日の誤解のせいだろう。女神様にあんな無礼なことをしてしまったのは、本当に申し訳ない。

……それに俺、金も地位もない、ただのニートなんだよな。

「えっと、この街で何か簡単な仕事ってありますか?」

俺が尋ねると、さっきの衛兵たちが小さな手帳を取り出し、何かを書き始めた。見たことのない文字だ。

まあ、異世界だし仕方ないか。

おばさんが俺を上から下まで眺めた。

「仕事なら冒険者ギルドがいいわよ。この街のギルドは、依頼だけじゃなくて身分証の発行や能力測定もしてくれるの。」

なるほど、便利そうだ。

「ついでに言うと、ギルドは街の中心にあるの。この通りをまっすぐ行って最初の交差点を曲がればすぐよ。この街、商店街は一本しかないの。」

そんなに小さいのか……。

どことなく、昔のヨーロッパみたいだ。

百人もいない石造りの町並み。日本じゃ、そんな山村でも考えられない。

東京の七坪にも満たない部屋で暮らしていた自分を思い出し、なんだか複雑な気分になる。

実家に戻っても結局は東京の中心。アパート暮らしばかりで、こういう生活とは無縁だった。

たぶんこれが「ぬるま湯の幸せ」ってやつなんだろう。

でも、人口が少ないなら家は広く住めるんじゃ……? それも悪くない。

俺は生まれてからニートになるまで、ずっとアパート暮らし。

一人部屋が、俺の世界のすべてだった。

ベルナは俺を連れて、この街にただ一つしかない商業通りへと向かった。

ざっと見渡してみると、生活必需品を扱う店のほかは、冒険者向けの装備屋や、教会、軍関係のギルド支部くらいしかないようだ。

――おそらく、この街は国境近くの武装都市なのだろう。

中心の市庁舎も質素な三階建てで、入口には気だるそうに数人の兵士が立っている。

冒険者ギルドの建物の前を通ると、壁に「身分証発行」「資格認定」などの張り紙がしてあった。

もちろん、それらの意味はベルナが教えてくれたものだ。俺はこの世界の言葉がまるで分からない。

**大きな扉をくぐるや否や、**ベルナは勢いよく俺の腕を引っ張り、受付カウンターへと直行した。

「すみません! 私たち、冒険者登録をしたいんです!」

彼女は勢いそのままに、バンッと机を叩く。

ちょ、ちょっと待てって!

俺なんか、ずっと家に引きこもってた超インドア人間なんだぞ? 

いきなり冒険者登録とか、難易度高すぎるって……。

受付カウンターの向こうにいた髪留めを付けた少女が、ぽかんとした顔をしたあと、慌てて立ち上がった。

――可愛い子だ。年は十五、六くらいか。ギルドの受付嬢かな?

「異国からの旅人さんですか?」

その声は透き通るように可愛らしく、まるで十歳くらいの少女のような無邪気さが混じっている。

日本で言えば、有名声優みたいな癒やしボイス。そりゃ受付に立つのも納得だ。

でもここ、冒険者ギルドだよな?

毎日荒っぽい冒険者たちと接してるはずなのに、よくそんな純粋さを保てるな。

俺は彼女の横顔を見つめながら、ついぼんやりしてしまった――。

「……っ!」

痛っ!? ベルナの素足が俺の右足の小指を思い切り踏みつけてきた。

電車の中でハイヒールのOLに踏まれたかのような衝撃だ。

な、なんでいきなり!?

振り返ると、ベルナはそっぽを向いて天井を見上げ、窓の方までチラチラ視線をそらしている。

口元もぷくっと尖っていて、明らかに怒ってる。

ごめんなさい、女神様……。

俺は心の中でそう念じた。悪いことしたのは分かってる。

すると、まるで心を読んだかのように、ベルナの機嫌が一気に良くなった。

そして右側に寄り添ってきて、俺の腕に両手を絡ませる。

な、なにこれ!?

でも……正直、人生で初めて女の子に腕を抱かれた。

ありがとう、女神様。

「ええ、そんなところです。よろしくお願いします。」

ベルナは笑顔でそう言った。

だが俺の位置から見ると、その笑みはどこか勝ち誇ったような――冷たい笑みに見える。

受付の子、怖がらないかな……?

どうしてベルナは、初対面の女の子にこんな敵意むき出しなんだ。

「では、少々お待ちくださいね。」

少女はにっこりと微笑んだ。

その笑顔はまるで春の陽だまりのように優しく、癒しそのものだった。

ベルナの冷笑に気づいていないようで、本当に良かった。

この子は、心に浮かんだことがそのまま顔に出るような、素直で純粋な女の子なんだろう。

「新規居住者の証明は、会長の確認が必要なんです。」

そう言って、彼女はカウンターの奥の扉へ向かった。

その背中――腰の少し上あたりに、丸いふくらみのようなものが見えた。

……何だ、あれ? しかも、ぴくぴく動いてる!?

まさか尻尾? いやいや、そんなはず――

だって、あんなに天真爛漫で可愛い子が……。

そう思っていると、ベルナに顔をぐいっと掴まれた。

そのままにっこりと笑う――けれど、その笑みから寒気が走る。

さっきと同じ、あの“攻撃的な笑み”だ。女神様の、恐ろしい冷笑。

「ご、ごめんなさいごめんなさい……!」

俺は心の中で連呼しながら、目をつぶって首を振った。

今日のベルナ、いつにも増して情緒不安定だ。

これがあの高貴な女神様なのか……?

――ドンッ。

突然、何かが倒れる音。

視線を向けると、さっきのふくらみが“爆発”したみたいに跳ね上がっていた。

スカートがめくれ上がり、そこから見えたのは……白いパンツ。

小さなウサギの模様付きだった。

……人生で初めて現実で見た。

そう思った瞬間、俺の腹に鋭い一撃が飛んできた。


気がつくと、俺は椅子に縛り付けられていた。

両手は縄で固定され、前にはテレビもモニターもない。

俺の名前はメイソンじゃないが、目の前には、サングラスをかけていない“ハドソン”みたいなスキンヘッドの男が座っていた。

どこかで見たような光景だ。

……頼むから、「ノヴァ6はどこだ!」「あの数字の意味を言え!」とか言わないでくれよ。

腹の痛みがまだ残っている。

確か俺はギルドにいたはず……。ベルナに殴られて気絶したんだろう。

でも、なんで縛られてるんだ?

「お前が昨夜、城門をぶっ壊した奴だな?」

男はにこやかに笑った。だが、その笑みはベルナの冷笑よりも何倍も危険な匂いがする。

まさかCIAの潜入員とかじゃないよな……?

「兵士がすでに確認済みだ。言い逃れはできんぞ。」

男が白い歯を見せて笑う。

「そんな強力な力を持っているなら、大歓迎だ。ようこそ冒険者ギルドへ! 

 さあさあ、正義の道を歩み、民を救うのだ! 力ある者には、責任も伴う!」

黒光りする肌に、真っ白な歯。

身長はざっと一九〇センチはある。

まるで前の世界の某バスケット選手みたいで、思わず震え上がった。

「入らないという選択は、賢くないぞ。」

男は一枚の紙を取り出した。

「公共施設破壊の賠償金二十金貨と罰金三金貨――払えなければ、砂漠送りの終身労働刑だ。」

……うそだろ。こんな結末、前の世界より悲惨じゃないか。

「さあ、選べ! もっとも、君の力なら、そんな縄くらい簡単に切れるだろう?」

できるわけないだろ! 俺はただのニートだぞ!?

「そ、その……実は、それを壊したのは私です。」

横からベルナの声がした。

「娘さん、知ってるか? この国では犯罪者を庇う者も同罪だ。」

男が真剣な表情でベルナを見た。

「確かに、私がやりました。どうか彼を放してあげてください。」

ベルナは優しく俺の方を見つめた。

その眼差しは相変わらず温かく、胸が少し熱くなる。

……でも、これじゃベルナが罪を被ることになる。

女神様を荒野送りなんて、絶対にさせられない!

「俺がやったんだ! ベルナとは関係ない!」

俺は思わず叫んだ。

ベルナが驚いたように俺を見て、少女のような微笑みを浮かべた。

だが、すぐに首を横に振る。

「いいえ、やったのは私です。――その測定装置で能力を調べてみてください。」

彼女は凛とした表情で言い切った。

「ワタナベさんの体力は、この世界の五歳児にも及びません。

 一方、私の力は一瞬で一般人の千倍に達します。」

「せ、千倍だと!?」

おじさんの顎が外れそうなほど驚きの表情を見せた。

千倍? 世界最強の冒険者より強いってことか……?

いや、俺はむしろ落ち込むんだけど。五歳児並みってどんなだよ。

いくらニートでも、男としての尊厳が……。

「ヒラリィ! ギルドの鑑定書を持ってこい!」

ヒラリィ? さっきの受付の子の名前か?

――なんて綺麗な名前だ。聴くだけで癒やされるような幸福感がある。

そう思っていると、水色の髪をヘアピンで留めたあの少女が、慌ててこちらに走ってきた。

手には羊皮紙のようなものを持っている。

だが、俺の椅子の足に引っかかって――

「きゃっ!」

彼女はそのまま俺の方に倒れ込み、椅子ごと俺も後ろにひっくり返った。

後頭部を床に強打し、メガネが宙を舞う。

「ご、ごめんなさい! だ、大丈夫ですか、お兄さん!」

頭を打った衝撃で目の前がチカチカする。

うっすら目を開けると――もふもふしたウサギの耳が見えた。

……ウサギ? なんでウサギ?

混乱していると、次の瞬間、相手の額が俺の顔面に直撃した。

痛ぇぇぇ!

倒れ込んできたのは、さっきの可愛い受付嬢。

ベルナは慌てて俺のメガネを拾い、俺にかけてくれた。

彼女はその子を起こしたかと思うと、今度は俺の襟を掴んで椅子ごと持ち上げた。

「……アンタ、今メガネなしでこの子を見たでしょ?」

ベルナが眉をひそめて言う。

「いや、俺はウサギの耳しか見てないけど……」

そう言って周りを見回すと、ヒラリィが髪を整えていた。

髪の間から、ぴょこんとウサギの耳がのぞいている。

「この子、ほんといつもドジでね。」

おじさんが少し気まずそうに言った。

「黙っててくれ。彼女は俺が拾った孤児なんだ。ウサ耳族の獣人でな。

 その種族は、何年も前にほとんど滅びたんだ。」

「問題はそこじゃない。」

ベルナがぼそっと呟いた。

「鑑定書を持ってきて。あなたも確認しなさい。」

そして、彼女はヒラリィに向き直る。

「この男には先天的なスキルがあるの。

 メガネを外して人を見ると、相手が――妊娠するのよ。」

その瞬間、部屋の空気が凍りついた。

おじさんは眉間にしわを寄せ、まるでゴミでも見るような目で俺を見た。

……頼む、そんな顔しないで。

これ、神様――いや、創世神様からの“祝福”なんだから!

ヒラリィは両手で顔を覆いながらも、指の隙間からちらりと俺を覗いていた。

その仕草まで可愛いとか、どうなってんだこの世界。

ベルナはヒラリィの手を掴み、鑑定書と呼ばれる羊皮紙に押し当てた。

たちまち、見たこともない文字がずらりと浮かび上がる。

だが奇妙なことに、彼女の名前の下の欄には――俺の名前が出ていた。

ベルナがぷりぷり怒りながら近づいてきて、俺の頭をぽかっと叩く。

「まったく……あのスケベ親父(=創世神)のせいに決まってるじゃない。

 あなたももう少し気をつけなさいよ!」

やっぱり創世神の仕業か……?

ベルナの表情には呆れと苛立ちが入り混じっていた。

そのとき、ヒラリィが地面にぺたりと座り込み、口を手で押さえながら呟いた。

「……赤ちゃんが、できちゃいました。」

次の瞬間、俺の頭にゴンッと拳が落ちた。

今度はおじさんだ。

「俺の可愛い娘に、何してくれたァ!!」

怒りの表情を浮かべ、笑っているのに目が全く笑っていない。殺気がヤバい。

……つまり、俺のスキルの被害者第一号は、目の前のウサ耳美少女ってことか。

もし本当なら、俺はちゃんと責任を取る。

たとえ三十年童貞ニートでも、男だ。

ベルナが何かに気づいたように、俺のメガネをコンコンと叩いた。

「このメガネには翻訳機能を内蔵したわ。」

彼女は冷たく言う。

ごめんなさい、女神様。

でも俺は……必ず責任を取る。

ヒラリィと、そのお腹の子を一生守る。

そして女神様が俺の寿命のあと天界へ戻れるように――俺は足を引っ張らない。

ベルナは冷たい笑みを浮かべながら、ヒラリィの鑑定書を俺の目の前に突き出した。

翻訳機能のおかげで、内容はすべて読める。

それはまるで住民票のようなもので、より詳しく個人情報が記載されていた。

名前の下には「配偶者:ワタナベ・ミナト」と書かれ、

その下には小さな文字で――

「状態:妊娠中 女の子」

……完全に言い逃れできない。

ベルナはさらにもう一枚の鑑定書を取り出し、勢いよく手を押し当てる。

次の瞬間、それを俺の顔に投げつけた。

広げてみると、そこにはベルナの情報が。

そして彼女の名前の下にも、小さく――

「状態:妊娠中 男の子」

「な、なんだよ……女神様まで……!」

驚きと恐怖が入り混じる中、胸の奥にわずかな喜びが芽生えていた。

ベルナの名前の下にも、はっきりと俺の名前が――「配偶者:ワタナベ・ミナト」と記されていたのだ。

なるほど……。

つまり、俺を直接見つめた相手は、自動的に「俺の妻」扱いになり、しかも妊娠状態になるってことか?

……確かに、下手すれば恐ろしいスキルだ。

これがもし悪人に与えられていたら、世界が終わるレベルだ。

でも――俺は人渣じゃない。

そうだろ、創世神様? 俺が選ばれたのは、そういう理由なんだろ?

そう考えると、これは史上最強のハーレムスキルじゃないか。

見つめるだけで、相手が俺の妻になり、女の子を身ごもる。

想像しただけで、妙な高揚感と満足感が湧いてくる。

俺はベルナの鑑定書をさらにめくった。

下にはRPGのステータス表のような欄があり、

彼女の全ステータスは上限をはるかに超えていた。

数値の代わりに「不可計測」と書かれている。

スキル欄も同様で、剣術も家事もすべてSSS級。

ただし料理だけはC級だった。

……ん? 下の方に妙な文字が見えるぞ。

「趣味・職業:性奴隷」――はぁっ!?

俺が凝視していると、ベルナが顔を真っ赤にして鑑定書を奪い取り、

くしゃっと丸めて破こうとした。

「お、おい! 待て、待て! それ破ると二枚の銀貨を弁償しなきゃならん!」

おじさんが慌てて叫ぶ。

ベルナはピタリと動きを止めた。

「……非公開にしたい項目は、本人確認後に削除して再提出すればいい。」

おじさんが説明すると、ベルナはしぶしぶ鑑定書を広げ、何やら修正を始めた。

俺はその間、ヒラリィの個人情報を覗くのも気が引けて、

そっと彼女に鑑定書を返そうとした。

だが彼女は首を振った。

「お父さんが言ってました。夫婦は、お互いに隠し事がない方が幸せになれるって。」

ヒラリィは柔らかく微笑み、まるで心まで癒やされるような声で言った。

……やっぱり、いい子だ。

ふと見ると、おじさんがまだ怒った顔でこちらを睨んでいたが、

俺はそのままヒラリィの鑑定書に目を戻した。

彼女の基礎ステータスは全体的にBランク前後。

戦闘職ではないのだから、十分高い数値だろう。

ただ、幸運だけはE-。

どうりでさっき俺の椅子に足を引っかけたわけだ。

詳しく見ていくうちに、気づいたことがある。

この世界のステータスには「知力」「才能」などの項目がない。

代わりに、総合体力や技能の実績だけが記されている。

――それでいい。

もし「才能」や「IQ」なんて数値化されていたら、

低い者は努力をやめ、高い者は驕り、誰も成長しなくなるだろう。

エジソンも言ってたじゃないか。

「天才は1%のひらめきと99%の努力だ」って。

結局、努力なしに成功はない。

……天才として生まれても、学ばなければ何も成し遂げられない。

生まれた瞬間から全てを知っている存在なんて、天才じゃない。

ただの“記憶持ち転生者”だ。

ヒラリィのスキル欄には、戦闘系はほとんどなく、

計算、文書整理、掃除などの生活スキルがずらりと並んでいた。

そして――料理だけが輝くようなS+。

……愛妻弁当、期待していいのか?

さらに視線を下に移すと、

「出身:滅びた王国の王女」

と書かれていた。

王女……? そういえば、おじさんが「拾った孤児」って言ってたな。

つまり、実の娘ではなく養女……そして元・王族。

最後の一文にはこう記されていた。

「本日、運命を変える愛する人に出会い、不幸の呪いが解かれる。」

……俺のこと、か?

いや、俺だよな? 任せてくれ。必ず守る。

さて、次は俺の番だ。

別に隠すことなんてない。堂々といこう。

俺は空白の鑑定書に手を置いた。

ちなみに、さっきベルナが俺の拘束を解いてくれている。

手を触れた瞬間、鑑定書が七色に光った。

ベルナやヒラリィの時にはなかった現象だ。

創世神様の祝福……なのか?

だが、光が消えたあとに現れた数値は――絶望的だった。

運だけがSSS。

他はすべてF。

Eより下があるとは知らなかった。

不幸の呪い持ちのヒラリィですらE-なのに、俺はF……。

努力しても伸びる気配すらない。

一方、ベルナのステータスはすべて「測定不能」。

差がありすぎて笑うしかない。

……心が、折れそうだ。

ヒラリィが俺の隣に来て、そっと覗き込み、

やがて微笑んだ。

「旦那様……私、あなたのこと“旦那様”って呼んでもいいですか?」

俺は反射的にうなずいた。

「旦那様、見てください。あなたの“品行”の欄……“プラス無限大”って書いてあります。」

彼女が指差した場所だけ、文字が七色に輝いていた。

なるほど、これが光の理由か。

「だから、私は信じています。あなたはきっと優しい人。

 これからも、ずっと一緒にいたいです。」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。

三十年近い人生で、一度も女性に告白されたことのない俺が――

初めて、こんなにもまっすぐな“愛の告白”を受けた。

彼女の声は甘く、澄んでいて、

このまま死んでもいいと思えるほど美しかった。

ベルナはその横で、長いため息をついた。

怒っている様子はない。

……多分、もう呆れてるんだろう。

一方、おじさんだけは――

今にも俺を八つ裂きにしそうな顔で、ギリギリと歯を鳴らしていた。


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