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第7話 「合宿」~霧の中に潜む目~

描いた線が、また誰かの心を動かすと信じて。


「眼鏡」で見えないものを捉え、

「ペン」で見たい未来を描いていく。

打ち切り、謹慎、揺れる仲間たち。

それでも——線を描く理由は、まだここにある。


『描線眼鏡』シリーズ本編第2部始動

 前作同様に水・日曜の午後9時半に投稿の予定です。

 眼鏡とペンがキズナ達の手元に返ってきた週末。午後のスタジオには、静かな集中と、淡い高揚が漂っていた。


 いまだに残暑厳しい太陽が窓辺を照らし、ホワイトボードには《創刊号:カラー5P=今夜中ラフ提出!》と赤字で囲まれた文字。キズナは資料の山に囲まれながら、ペンタブに手を滑らせる音に耳を澄ませていた。


「……ようやく戻ってきた感じ、するね」


 ランが小さく呟いた。


「ほんとにな。今週入ってから、ペンも眼鏡も返ってきて……オレ、なんかやっと、"線"の中にいるって思えたっつーかさ」


 アツが笑う。


 隣でサチハが頷く。ほんの少し頬が赤いのは気のせいだろうか?


 実際に“魔”との戦いが再開されるのは、数日の研修合宿を経てからの事となるらしい。 


 その日程・内容の通知が、まだ知らされていない事に一抹の不安を抱えながらも、チームは新連載に向けて一丸となって創作に励んでいた。



 そんな穏やかな午後――


 ピコン、と、全員の端末が一斉に鳴った。すわ“魔”に対する警報であるかと皆が身構え、一瞬で空気が変わる。アツとサチハは顔を見合わせ、サキはすでに立ち上がって協会アプリの通知を開いていた。


「……あら」


 サキが呟く。警報かと思い身構えた通知は


「協会の正式通達です。件名が“再研修兼秋季特別強化合宿”……」


「このタイミングで合宿か~」


「……え?  待って! 合宿って2~3日の話じゃないの……?」


 読み上げられた日程に、全員が固まる。


「9月17日から26日まで、山梨県本栖研修所にて全10日間」


「え、10日!? ……それ創刊号の締切日25日含んでるじゃん!? 死ぬって! 絶対無理だって!」


 マナセが悲鳴のように叫び、ランが顔を覆う。

 サキはタブレットを操作しながら低く言った。


「創刊号の入稿と完全に被りますね……合宿の終盤と。フクハラさん編集部対応は?」


「……あー……あああああ!!!」


 怒声と共に、背後の壁が揺れた。フクハラが両手で壁を殴りつけるようにして叫んだ。


「これ絶対、誰かの陰謀だろ!?  あげく今日13日の金曜日じゃねえか! こんな通達出してくんの!?  狙ってやってんじゃねえの!?」


「しかも秘密裏メシ計画だしな」


「マナセさん、それ何?」


「誰だ!? 責任者出てこい!! これ絶対、協会に性格糞悪い陰険ヤロウがいるだろ!!」


 フクハラが再び壁ドン。空気が、ぴたりと凍り、スタジオの全員が顔を曇らせた。



 キズナは正月のあの"儀式"の夜の事を思い出していた。アツもサチハもスタジオに来ていない頃。日月たちもり理事と協会の教育・研修担当柚木理事が、密かに話していた事を。


 あのときの記憶が、冬の夜の冷気のように甦る。


 理知的だが冷ややかな声。白髪交じりの髪、眼鏡の奥の目は――あらゆる事象を「数字」と「秩序」に感じていた。


 理事会での逆転を許した協会保守派の意趣返し、そんな印象を持たざるを得ないが、キズナとチームにどうこう出来る訳も無い。


「“柚木”ってのが……その……そんなにヤベェ奴なんですか?」


 アツの問いに、キズナは静かに、しかしはっきりと頷いた。


「たぶん、今の協会の流れを……根底から動かしてる人」


 言葉の端がわずかに震えたのは、怒りか、恐れか。


 沈黙。


 その重さを打ち破ったのは、ケンの軽い口調だった。


「まーでもさ、なんかこう……イベント前に盛り上げてくる編集部みたいなノリだと思えばさ?  実質、合同修羅場合宿?」


「それ、絶対楽しくないヤツでしょ」


 ランが即座にツッコミを入れる。


 ギャグと怒声の嵐が過ぎ、スタジオはようやく現実を受け入れ始めていた。


 そんな中、キズナは、窓の外を見つめていた。


 ゆるやかに、夕陽が沈みかけている。赤く染まる空が不吉に見えるが、意を決して皆に語りかける。


「……行くよ、ワタシたち」


 その声には、静かな決意があった。



 デリカD:5のエンジン音が、まだ眠る住宅街を切り裂いていく。


 火曜日の朝――いや、まだ夜の気配が残る、午前6時前の空は、墨を滲ませたように濃く、うっすらと山の端が青白く光っていた。

 

 チームは世間の三連休の合間も必死に作業を進めたが、印刷会社も文潮社でさえも、昨今の働き方改革もあり、前週の三連休にはほとんど動きを止め、思った程入稿作業は進まなかった。


 入稿のデジタル管理を担当するサキは諦め、高性能ルーターを用意し現地での入稿を試みる。チームの皆も思い思いの制作用具をデリカに詰め込み現地作業に備えている。


「……出発、完了。カーナビOK、到着予定は……っと、09:32分か」


 運転席のケンが独りごち、

「今日は事前にガソリン満タンにしてきたよ」と隣のキズナに声をかけ、キズナはそれに苦笑いで答える。


 チームには常の7人乗りに加えて、現地で付きっきりで編集作業に備えると言って聞かないフクハラも同行していた。


 キズナは内心フクハラが合宿に参加する事は協会的に無理がある事は承知していたが、そのファシリテーション力で何かしらの突破が計れる可能性に賭け、同行に応じた。


 押し出されたランが、アツとサチハの後部座席に回り、デリカはそのシートをフル活用する。


「君たちの合宿がどんな形式だか知らないけど、多分原稿作業を平行で進行って、冷静に考えて正気じゃないよな……」


 画面を見たまま、フクハラがぼやく。


「予定表? まさか全部組んできたんですか?」


 キズナが小さく笑い、タブレットの画面を指でなぞる。


「一応ね。でも、どこで止まるか分かんないからね……連載班が山籠もりとか、完全にブラック漫画界伝説だよ」


「伝説の更新ってことですね」


 淡々と返すキズナに、ケンが吹き出す。


「つーかお前ら、今日が何日か分かってんの? 9月17日って、ちょうど三連休明け、しかも“火の曜日”だぜ? 火曜! 火曜はやばいって!」


「やばい曜日なんて初耳だよ」


 アツがぽつりとつぶやきながら、最後部の座席に座り、静かに窓の外を眺めていた。


 早朝の街並みから、早春の記憶が残る中央高速を駆け抜け、大月の分岐を越え富士山が近づくと空気が変わっていく。涼しさというより、軽さ。鼻腔に残る土と緑の匂い。


「……なんか、空が近いな」


 ぽつりと、誰にともなく呟いた。


 ランとサチハは三列目で寄り添うように座り、なにやらスマホを突き合わせて笑っていた。


「ねぇねぇサチハちゃん、これ見て~!専用SNSの“協会合宿あるある”の大喜利スレ!」


「“食堂のカレーが三日目でシチューになる”……なにこれ、怖い!」


「“教官の趣味で毎朝ラジオ体操第三”……マジで!? なにそれ聞いたことない!」


 二人の笑い声が車内に弾む。


「うるせえ寝かせろ……」


 マナセが口元にパーカーのフードを引き寄せ、モソモソと抗議する。が、その数秒後には再び爆睡モードに突入していた。


 朝の空気と眠気、緊張と緩さ。デリカの車内には、出発特有の微妙なバランスが漂っていた。


 その中で――助手席のキズナは、メモ帳を片手に、しばし遠くを見つめる。


 ふと頭をよぎったのは、かつての古巣、集談館と週刊コスモス。文潮社とは違う編集体制、旧いけれど大きな潮流。


(……週刊コスモス。栗原さんの連載、今月は丁度第4夜から第5夜への移行期間で休載って書いてあったっけ)

 栗原アンナの『サイファル*エリカ』も、物語の大きな転機を迎えるのだろう。

 

(でも、私たちは……)


 視線を、車内に戻す。


 仲間たちが笑い、眠り、文句を言いながら前に進んでいる。


(この“線”を、どこまで引けるか)


 そのとき。

 全員の端末が、同時に微かに振動した。

 暗転したタブレット画面に、うっすらと表示される文字列。


 《演習モード:有効化開始》

 《対象区域:No.923-A/本栖湖特別演習区》

 《00:00より演算システム起動中》


「……なにこれ」


 キズナが思わずつぶやく。


「0時ちょうどに、起動してたみたいです。協会のアプリ。強制的な起動は協会アプリあるあるですが、演習モードにどういった意味があるのか……」


 サキが警戒感を出しながら言う。


「演習って……今回の合宿、訓練もあるのかよ」


 アツの声に、空気が少しだけ引き締まる。


 進む、時間。


 チームはまだ、それが“ただの旅”ではないことを、ぼんやりとした不安の中で感じ始めてていた。



 まだ朝靄の残る道を車はひた走っていた。フロントガラスの向こう、富士山の稜線は濃い霧に呑まれ、その輪郭すら怪しかった。


「本栖湖って、こんなに霧が出る場所だったっけ?」


 ランが窓越しに呟いた言葉に、ケンが助手席から即座に応じる。


「いや、出るんだよ。もともと競艇学校があったんだけどな、見通しの悪さと静けさが操縦訓練には最高だったらしい。……ま、実際はそっちの意味より“閉鎖性”重視だったかもな」


 アツが眉を上げた。


「閉鎖性って……?」


「外部通信、完全遮断。外出も正月1日だけ。色々伝説はあるさ。教官は“脱走”って単語を平気で使ってたからな」


 冗談めかした口調ではあったが、ケンの声の奥に残るわずかな緊張が、車内の空気をじわりと引き締める。


 やがて一行は本栖研修所のゲート前に到着した。


 木製の古びた看板には、新しい文字で《日本科学漫画協会 本栖研修所》と刻まれているが、良く見ると《全国モーターボート競走会連合会》の褪せた文字がうっすら読み取れる。


「ここは競艇学校だった後、一時宗教施設だったんだけど割りと最近協会が入手したらしい」


 とケンが、先ほどに続き大人の趣味の蘊蓄を会陳したが、チームの皆はその異様な雰囲気に呑まれていた。


 研修所の周囲には、深い樹林と湿気が支配している。視界は五十メートル先すら危うく、霧が肌にまとわりつくように重い。風は無く、木々のざわめきもない。まるで音まで濾過されているかのようだった。


 荷物を下ろす中、サチハがそっと呟いた。


「ここ……何か空気が違いますね……」


 キズナもまた、眼鏡越しに霧の先を見つめていた。  異様な静けさ。過去に体験したどの戦場よりも、何かが張り詰めている。そう感じさせる。


 フクハラはスマホを確認しようとしたが、圏外だった。慌ててポケットWi-Fiを起動しようとするが、画面には「使用禁止」の表示とともに、どこからともなく無機質な警告音声が響いた。


《本区域内では、未許可の通信行為は禁止されています。違反が確認された場合、研修権限の一部を制限します》


「うおっ……なんだよこれ……」


 マナセが横からヒョイとスマホを覗きこむ。

「監視、されてんね」


 誰もが視線を交わし、何か見えないものの気配に気づいていた。


 玄関脇にある金属製の小さなボックスに、暗号キーを入力すると、中からカードキーが一枚、無音で排出された。


 キズナがそれを手に取り、施設のドアにかざす。


 かすかな電子音とともに、施設全体の電気が一斉に通電し、館内の蛍光灯が点滅した。水道も同時に使用可能となったらしい。施設全体は古びているが最新のテクノロジーでリニューアルされているようだ。


 フクハラがため息をつく。「……これ、なんかゲームの始まりみたいだな」


 玄関を抜けてロビーに入ろうとすると、大きな警告音声が鳴り響いた。


『登録外の人物は立ち入り禁止です! 登録外の人物は立ち入り禁止です! 警告を無視した場合強制的排除に移行します』


 フクハラには当然にID未登録者としての警告が出ている。キズナは現地で交渉の余地があると考えていたが、完全機械化監視の元では交渉する相手すら居ない。


「フクハラさん、ごめんなさい。やっぱりダメみたい……まだ指定入館時刻には間があるから、ケンさん、フクハラさんを交通機関のあるところまで送ってあげて」


 フクハラは思わず声を上げようとしたが、キズナの真剣な目付きを見て諦めた。


「……わかった。同行は出来ないが、最善の支援をする……連絡手段すらままならないが、現代日本何かしら方策はあるはずだ」


 終始誰かがこちらを見ているような――そんな錯覚が、誰の背中にも付きまとっていた。


 何も始まっていないはずなのに。  すでに、何かが動いている気がした。



 フクハラをケンが送り届けている間、黒金色のカードキーがカチリと鳴り、外門が潰れるような音をたてて開いた。


 しかし、その瞬間、誰かがそれを抑えるように虚空をさした。


「 何か……来る……」


 サチハだ。つぶやくように言った。


 最初に影の流れに気づいたのはキズナだった。


「待って……人がいる…この霧の向こう……」


 早朝から続く湿気を含んだ涼しさがよりそい、身体をピリリと縮ませた。

 

 その霧の向こうで、ぼんやりとした影が一つ……二つ……三つ……、数えると十人の影が、規則的な間隔で、正確な形を線のように描き、足音一つ立てずに向かって来る。


 皆が身構えた瞬間、霧の向こうからしたのは思いがけずも明るい声だった。


「わぁぁぁ、ちょっとまったー、ちょーっと。そんなカターくな顔しないでよー」


 おどけるような電気音とともに、クリアな女の声が別のオーラを引いた。  明るく笑う。


「大賞の時以来だよね~キズニャ~!」


 その声に似合ったように霧が縮んでいき、現れたのは……栗原アンナだった。キズナの先輩。昨年の科学漫画大賞の受賞者。そしてキズナと同じく協会の特別な師匠スペシャル・マイスター

 

 その胸元には『サイファル*エリカ』のロゴバッジが明るく光っている。


「……栗原さん、どうしてここに?」


 キズナが声をひそめいて聞く。


「言われてなかったの? あら、知らなかったのね。合同での合宿なんだよ」


 何も悪びれない顔で、アンナは笑った。ただし、その背後で控えているチームメンバーたちは、みな一様にペンホルダーを同じ位置に装着し、ただ止まっていた。眼鏡が光を反射して全員の目が見えない。


 キズナは、アンナの顔をみつめながら、週刊コスモスの連載スケジュールを思い返していた。『サイファル*エリカ』は予定の休載をしている。 アンナにとっては計画通りの行程なのだろう。


 それに比べ、私たちは……。協会内での立場の差を思い知らされ、キズナは言葉にしないまま、ひとつ息を吐いた。


「大丈夫。やるべきことをやるだけよ」


 マナセが、アツが、サキがその声に背筋を正した。

 

 キズナは静かな息づかいを挟み、呟く。


「来るべくして、来た場所ね……ここは」



再起したキズナたちに突きつけられたのは、

締切直前に告げられた「十日間の研修合宿」。

しかもその日は、13日の金曜日――。


舞台は霧深き本栖湖。

電波も絶たれ、監視AIが支配する閉鎖空間で、彼女たちは“もう一つの目”と対峙することになります。


「描線眼鏡シリーズ」本編第2部「描線眼鏡 または継承の情熱」は新章に入り、ここから大きく動き出します。

緊張と再会、そして次なる戦いの幕開けを、ぜひお楽しみください。


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