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第4話 「兆候」~揺らぐ空と震える眼鏡~

描いた線が、また誰かの心を動かすと信じて。


「眼鏡」で見えないものを捉え、

「ペン」で見たい未来を描いていく。

打ち切り、謹慎、揺れる仲間たち。

それでも——線を描く理由は、まだここにある。


『描線眼鏡』シリーズ本編第2部始動

 前作同様に水・日曜の午後9時半に投稿の予定です。

 夜が明けきらぬ頃、街には鈍い薄明かりが滲んでいた。


 仏間の障子越しに差し込む光は、まだ色を帯びていない。わずかに湿った夏の気配が、畳の匂いと混ざり合って漂っていた。


 戸隠キズナは正座していた。足の感覚が徐々に薄れていくのを感じながら、手元の模造紙に描いた「線」を見つめている。まだ名前もない武器。何に使えるかもわからない。ただの即興の試作だった。


 隣に座る祖母、荻野清香(サヤカ)が、ふと眼鏡を拭く手を止めた。


「……今朝は妙に、静かね」


 その声には、何かを探るような響きがあった。清香の指先は、旧型の描線眼鏡のフレームをなぞり、鼻当ての位置を微調整する。


 キズナは微笑を浮かべながら、模造紙にちらと目を戻した。


「描いてたの、夜中の三時だから。みんなまだ寝てるよ」


 清香は少し笑い、眼鏡の端をトントンと指で弾く。


「……気のせいかもしれないけどね。揺らいでるのよ、“気配”が。遠くで、ざわざわと」


 仏壇の蝋燭に火が灯され、線香の香りがじわりと空間に広がった。甘さの奥に、わずかな苦味と湿気。


「備えは、過剰なくらいでちょうどいいのよ」


 清香は、模造紙の武器を指差して言った。


「“魔”にとっても、人生にとってもね」


 キズナは軽く目を伏せる。その言葉が、ただの戒めではなく、なにか予兆めいたものに思えた。


 やがて母の声が、廊下の向こうから届いた。


「そろそろ出るわよ。おばあちゃん、キズナ。支度して」


 仏間の障子がゆっくりと開き、薄曇りの朝の光が、線香の煙と交差した。


 キズナは模造紙を丁寧に巻き、鞄に収める。「備え」は足りるのだろうか?


 幼少の頃に星野の手ほどきを受けた以外は、模造紙に武器を描いた事など無い。祖母、清香に相談する事は何となくためらわれた。そう、結局自分の線で戦うしか無いのだ。 


 静寂の中に、ほんの僅かな“何か”が、確かに潜んでいた。



 夏草の匂いが微かに漂っていた。

山沿いの寺は、町の喧噪から切り離された静謐の中にあり、蝉の声さえ遠慮がちだった。

 墓石の前に、三人の影が並んでいた。


 母が合掌し、祖母・清香が目を閉じ、キズナが静かに線香を捧げていた。石の冷たさと湿気が、指先からじわじわと肌に沁みてくる。


 そのときだった。

 キズナのポケットで、スマートフォンが短く振動した。


 予期せぬタイミングで、身構える余裕もなく画面を確認する。


【協会アプリ】

《Priority Alert/警戒レベル:SR級》

《発生地点:熊本県玉名郡/ターゲット半径300m±20m》

《予測時間:+00.05.00±02.30s》


 眼鏡と遮断されていても、強力な魔に対する警報システムは生きていた。


 SR級 強い。地方で発現する事はほとんど無いだろう。むしろ自分と祖母の接触こそが招いた? 瞬時にそんな事を考えていると、


「……来た」


 キズナの気配に、清香の眼鏡が光を反射した。彼女もすでに、気配を感じ取っていたようだった。


「こっちじゃないわ。山の向こう、でも――近い」


「お母さん、こっちへ来て」


 キズナは、母の手を取って寺の本堂の裏へ導いた。


「しばらくここにいて。絶対に動かないで」


 その声は、淡々としているのに強くて、抗えないものがあった。


 境内の表に戻るキズナの手が、無意識に旧型眼鏡に伸びる。フレームに触れると、現行モデルの様なバイブ通知は無いはずなのに震えを感じる。


 影のようなものが、風に逆らって動いていた。見えないはずの空間に、わずかなひび割れのような歪みが走り、複数の点が揺らめき始める。


「いる……けど、まだ完全じゃない」


 キズナは模造紙を取り出し、仏間で描いた線の武器を展開しかけた。


 しかしそれは、まだ“意味”を持っていない。かろうじて線がかたちを保っているだけだ。


 清香は細い筆で、境内の石畳に円を描く。


「今のうちに……結界を張る」


 墨ではない。線で描かれたのは、まるで空間そのものに直接“効力”を与えるような、異質な円陣だった。輪郭が光を吸い込み、空気が微かに震えた。


「……これは、本物。やってくるわよ」


 キズナは黙って頷いた。風が変わった。山肌から流れる気配が、徐々に形を持ち始める。まるで、大きな“何か”が、山の端から這い出してくるようだった。


 空は依然として薄曇り。だが、その下に広がる空気の層が、どこか裂けて見えた。


「おばあちゃん……これは強いよ……」


「――二人で何とか出来るかしらね」


 そのとき、遠くの山際で、空気が“鳴った”。



 木々のざわめきが突如止み、蝉の声が切れる。

  一瞬、世界全体が息を潜めたように感じた。

 

 次の瞬間、空気が裂ける音がした。


 境内の裏手——キズナと清香が立つその先に、黒い塊が滲み出すように出現した。


 “魔”——それはまだ完全な形を持たず、影の集合体のようだった。

 だが、見る者の想像力を食らい、即座に獣の形を模していく。


 禍々しく伸びる角、異様なほど多くの手足。背中には破れた翼のような残骸が揺れていた。


「来た……!」


 キズナが息を呑む間にも、“魔”は瞬きひとつの間に十メートル以上跳躍してきた。

 清香が、もう片手で線を走らせていた。墨ではなく、眼鏡の指令線によって空間に直接刻まれるような描線だ。


「この紙じゃ、もたない……!」


 彼女が引いた結界は既に焼け始め、パリパリと紙の繊維が焦げて崩れていく。


 熱気が頬をなぞり、匂いが鼻を刺す。


 キズナは模造紙を取り出す。

 昨日、仏間で夜を徹して描いたもの。が、使える武器となるのか? その線には迷いもあり完成に至ったとは言えなかった。


 装飾も形状も、まだ“未確定”。

  それでも——


 模造紙が揺れた。描かれた線が、光を帯びて浮かび上がる。


 輪郭だけの武器が、仮想空間の内側でかすかに立ち上がった。


 だが、それは刃の三分の一だけが浮かび、グリッドが透けて、霧のように消えかけ白紙に戻ろうとしている。柄はあっても重さがない。


(だめ……まだ“意味”を与えられてない)


 “魔”が接近する。地面を爪で削り、結界を跳び越えようとした瞬間——


 ギュ────ン、キュン

 光りと共に亜音速の衝撃波が境内を貫いた。


 空から、

 ズン——!

 という破裂音と共に、鋭い描線の弾がヤリの様に落ちてくる。

 魔の肩部が抉られ、黒い影が舞い上がる。


「え……?」


 上空から、ヘルメット姿のライダーがバイクごと降下してくる。

 スピードを殺さず、境内の土の上を滑走。

 その手には、銃——否、描線で描かれた仮想銃器。


 右手でそれを速射しながら、バイザーの隙間から見える口元に瞬時に細身のスタイラスを咥えた。


 すかさず左手のスマホに口元のスタイラスを走らせると、その描線が、魔との距離に応じて右手のペンに転送され、突如として槍となり、ブレードとなって現実に躍り出る。


 次の瞬間には近接して、魔を一刀で斬り伏せた。


 ライダーは地面に足を着け、ヘルメットを外す。


 出てきたのは、短く切り揃えた黒髪と、焼けたような鋭い眼を持つ妙齢の女。


「おおっと、やってたのかい。……ま、間に合ってよかったじゃん?」


「……久しぶりね、アケ……」


 清香の声が震える。


「……それが出来るのは、あなただけ」


 キズナの喉が、乾いたまま言葉を吐き出す。


「アケって……村田アケミ先生。

  あれが、“本物”の戦士……」


 “魔”は、銃と槍による連撃に混乱し、既に崩壊寸前だ。


 キズナの中で、何かが静かに点火し始めていた。

(わたしの線は……まだ未完成だけど。

でも……戦える)

 空はさらに重たくなり、闘いの結末が、もうすぐ描かれるのを予感させていた。



 魔が断末魔の叫びを上げ、空間に亀裂を残しながら崩れ落ちる。

 その姿は煙となり、やがて境内の空気に溶けて消えていった。

静寂が戻る。


 だが、ただの“元通り”ではない。

 確かに何かが終わり、そして始まったあとの、張りつめた空気だった。

 キズナは荒い息を整えながら、すぐ傍に倒れ込んだ人影へと駆け寄る。


 清香だった。

 膝をつき、片手で胸元を押さえている。

 もう片方の手には、半ば燃え尽きた結界に張った描線紙。指先からは微かな煙が上がっていた。


「おばあちゃんっ!」


 キズナがしゃがみ込み、焦げた紙を払いのける。


「大丈夫。死んじゃいないわ」


 アケミの声が横から響いた。


 どこか軽い調子の中に、経験に裏打ちされた確信がある。


「ただ……力を使い果たしただけ」


 清香は微笑んだ。唇の端がかすかに震えている。


「……ちょっと……疲れちゃった。あとは任せるしか無いかしら……」


「そんなの、だめだよ!」


 キズナは唇を噛みしめ、必死に言葉を繋ぐ。


「終わりじゃないってば! これからでしょう? 私たち……」


清香の瞳に、わずかな光が戻る。


「……そうね。まだ伝えてないこと、山ほどあるし」


 彼女は目を閉じて深く息を吐いて、懐から一通の封書を取り出した。


古びた茶封筒には、手書きの文字でこう記されている:

「科学漫画協会会長 笹崎花子様」宛


「これ……?」


 キズナが手を伸ばすと、清香はそっとそれを預けた。


「これは、始まりなの」


 清香の声はかすれていたが、意志だけは濃く響いた。


「過去の清算じゃない。未来への布石……そう、伝えてちょうだい」


 キズナはその手をぎゅっと握った。


 その掌は、熱を失いつつも確かに、生きていた。


「わかった……必ず、届ける」


 二人を包む風が、境内の木立をやさしく撫でていく。


 仏堂の屋根の先、灰色にくすんだ雲の向こうには、夏の光が潜んでいた。

 その様子を少し離れて見ていた、アケミが声をかけてきた。


「サヤチョ……アタシもだけどアンタも年食ったんだね。東京でバリバリやっていたのが、もう何十年前になるのか……」


 その横顔には、懐かしさとも戸惑いともつかぬ表情が浮かんでいる。


(……お前も、そっちに行くのか)


 彼女の心の中で、長く途切れていた線が、少しだけ繋がったような気がしていた。


 清香の眼鏡は、レンズの片方を失いながらも、まだ仏間の陽射しを拾っていた。


 燃えた紙の残り香が、どこか懐かしい墨の匂いと混ざり合い、境内にほのかに漂っていた。



 境内に静寂が戻った夕暮れ、空は薄い茜色に染まり、清香の家の縁側には夏の終わりの涼しさが漂っていた。

 一陣の風が、線香の煙をたゆたわせる。

 草の匂いと、どこか懐かしい墨の香りが混じり合い、キズナはぼんやりと空を見上げていた。


 その静けさを破るように、軋む足音と、微かに焦げたエンジンオイルの匂いが近づく。


「清香と一緒だって事は、アンタが戸隠キズナだね? 空港で派手にブッ放して、週刊誌飾って、謹慎中だってな。面白いじゃねえか。気に入ったよ」


  煙草の煙と共に現れたのは、村田アケミだった。


 革ジャンの裾を払って縁側に腰を下ろし、一本の煙草をくゆらせながら、遠くの空を眺めている。


「村田先生……祖母からも、協会でも聞いています。“本物”の戦士____だと」


 キズナが問いかけると、アケミは笑った。


「戦士だかどうだか知らないけど、アタシはやりたいようにやってるだけさ」


 ふっと、キズナの口元が緩む。

 あの激しい戦闘の中で見せた姿とは違う、拍子抜けするほど自然な口調だった。


「アンタ、いい目をしてるね」


 煙の向こうで、アケミの目が鋭く光った。


「つまんない漫画なんか描いてないで、アタシと組まないかい?」


 唐突すぎて、キズナは瞬きした。


「組織に居れば謹慎だ打切だ、下らない事にも巻き込まれる。偉い師匠センセイ様達が、都会で縛られてる所を、田舎を旅しながら“魔”を狩る。結構いい稼ぎにもなるんだぜ」


 キズナは遠い目をしたかと思うと、アケミに思いきって聞いてみた。


「……村田先生は、もう漫画を描かれ無いんですか?」


 アケミは一瞬固まったかと思うと、次の瞬間噴き出しながらこう答えた。


「アタシは締切ってやつがキライでね。やれ二言目にはPOSだアンケだ気にしろって編集の連中も気に入らない。アタシと組めば自由だよ。束縛も命令も、もちろん締切もない」


 アケミは煙草を指で弾くようにして灰を落とし、続ける。


「描きたい時に描き、戦いたい時に戦う。半ば見捨てられてる田舎のどさ回りのお陰で、協会からも黙認されて媚びる必要もない。アタシらの世界じゃ、実力だけがモノを言う」


 夕陽が、アケミの横顔を真紅に染めていた。


 その表情には、どこか痛みすら感じさせる翳りがあった。


 キズナは、少し考えるように目を伏せた。そして静かに、けれどはっきりと首を横に振る。


「……でも、私は仲間と描きたいんです」


 その言葉に、風鈴がチリンと鳴った。


「戦いも、漫画も、一人じゃ描けないから」


 キズナの声には、かすかな震えが混じっていたが、それは恐れではなく、決意の証だった。


「ったく、青春ねぇ……エイティーンエモーションってやつだ」


 アケミはふっと吹き出し、再び煙草に火をつけた。


「でも、そういうのも嫌いじゃないよ。……まあ、選ばなきゃ、始まらないわな」


 煙草の煙が、夕空に細く昇っていく。

 どこか、今にも消えそうな、けれど確かにあった一本の線。


 アケミは立ち上がる。


「ま、気が変わったら、いつでも来な。こっちの世界も、案外悪くないよ」


「……村田先生の漫画……子供のころからずっと、大好きでした」


 アケミは一瞬ワイルドな眉を動かしたかにも見えたが、キズナの願望だったのかもしれない。振り向き立ち去っていった。


 その背中は、まるで一枚の絵のように輪郭がくっきりしていて、夕暮れのなかに溶けていった。


 キズナはそっと、手の中の封書を見つめる。

 そして、空を見上げた。あの煙がどこへ消えたのかを追うように。


——夕陽の向こうで、何かが始まろうとしている。

 それはまだ小さな、名もなき兆候に過ぎなかったが。



しばらく本格的なバトルから遠ざかっていましたが、模造紙に描いた未完成の武器と、自由戦士・村田アケミの乱入を中心に描きました。


戦う事と眼鏡を捨て、愛を描く事に専念した漫画家・上青石萌音というキャラクターを描いたのですが、逆に漫画を描く事を捨て、魔と戦い賞金稼ぎに徹するキャラも、この物語世界であり得ると思い描きました。


モチーフモデル共々思い入れがあり、何処で投入するか自分でも楽しみにしていたキャラクター。皆さんにも魅力が伝わっていれば良いのですが。


敵か味方か? 「自由に戦う」アケミと、「皆で描く」キズナ。

その対比が今後の物語の一つの軸になっていきます。

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