第24話 「発表」~拍手が手を離すとき~
描いた線が、また誰かの心を動かすと信じて。
「眼鏡」で見えないものを捉え、
「ペン」で見たい未来を描いていく。
物語は新たな段階へ。創作と戦闘が融け合う様に、現実と仮想の境界も融けていく。
『描線眼鏡』シリーズ本編第2部
前作同様に水・日曜の午後9時半に投稿の予定です。
桜の季節を過ぎ、街角は新年度の華やぎと、年初から燻る予言の“黒い影”に包まれていた。
そんなある日、スタジオAstationに黒い封筒が、いつもの請求書や見本誌の間に、ひっそりと紛れ込み届いていた。
紙の手触りだけ、他と違ってやたらと滑らかだ。
表には、上品すぎる箔押しの文字。
──『魔法少女サイファル*エリカ』制作委員会。
(栗原さんの作品だ……)
キズナは何となく胸騒ぎを感じつつも、封を切った。中から出てきたのは、よくある挨拶文だ。
「制作決定」「アニメ企画進行」「劇場版企画進行」。
文章自体は祝祭の言葉で埋まっているのに、行間は妙に体温が低い。
そして一行、心臓だけをピンで留めるみたいな文言が続いた。
“関係者向けプレゼン上映(パイロット+ティザー)開催へのご招待”
同封されていたプラスチックカードを取り上げる。銀色の縁取りの中に、印字された三つの名前。
『戸隠キズナ』様。
『Astation スタッフ』殿。
『文潮社嘱託(集談館退職者)エリック・フクハラ』君。
最後の一行を見た瞬間、キズナは思わず吹き出した。
「……丁寧な嫌味って、ここまで行くと芸だよね」
キズナはカードの角を指で弾いた。軽いはずなのに、やけに重く感じる。
*
GWを前にした週末。プレゼン上映の指定日。キズナとフクハラ、そしてアツは都内神保町に来ていた。
「都内だし、アツくんが行ったら~」
スタッフ枠で届いた一枚は、何時ものランの空気を決める発言で、アツに回った。(さらに後で、サチハがすごく見たかった事も発覚するのだが)
「なんかまた、場違いというか……」
「“関係者”って札さえぶら下げれば、誰でも関係者。そういう魔法だよ」
キズナが苦い冗談を返すと、フクハラが、
「そうそう、札なんてどうでも付けようがあるんだから、“場”に馴染むのが大事」
と、古巣から自分に付けられた札をものともせず言いきった。
大手映画会社急映系のミニシアターは、集談館本社から徒歩圏内の裏通りにあった。
外観だけは、ちゃんとした映画館らしく華やかだ。入口には等身大スタンディと巨大ポスター、壁一面に制作委員会のロゴが並ぶバックボード。集談館・急映を押しのけてキー局東洋テレビが筆頭を飾る。
漂っている空気は祭りではなく、仕事だ。
歓声の代わりに聞こえるのは、名刺入れの開け閉めと、低い笑い声。香水と印刷インクの匂いが混じった、テレビ局独特の匂いが鼻につく。
入口横だけ、柵で区切られたスペースがあった。記者向けのフォトセッション用だろう。腕章をつけたカメラマンが数人、バックボードの前に陣取っている。
その列の端で、地味なスーツの男が、ロゴの列だけを静かに目で追っていた。写真を撮るでもなく、何かを数えるみたいな視線。
(あの目だ……)
野田だ、とキズナは直感した。
彼の視線が、一瞬こちらのパスに向きかける。だがキズナはあえて目を逸らして、そのまま関係者入口へ足を速めた。
コミックバンゴの瑞沢編集長や春原局長、文潮社の幹部が守ってくれるはずではあるが……、生活が“記事の素材”にされる感覚は拭えない。
背後でシャッター音が連続して鳴る。そのリズムもまた、どこかで何かが切り取られていく音に聞こえた。
*
館内のスクリーンは、こぢんまりとしているぶん、席と席が近い。暗くなる前の薄明かりの中、招待客たちがそれぞれの“関係者札”を揺らしながら席を埋めていく。
前方のステージに、栗原アンナが立った。
淡い色のワンピースに、控えめなメイク。笑顔の角度も、頭を下げるタイミングも完璧だ。
……なのに、キズナの目には別のものが引っかかる。
マイクを握る指先が、少し冷たそうな色をしている。瞬きの回数が、普段より確実に多い。肩が、ごくわずかに上がったまま戻らない。
戦闘服を脱ぎ、その場に相応しい装いに着替えたCYPhARチームの面々も、戸惑いを隠せていない。
アンナの横に立ったプロデューサーがマイクを受け取る。
「栗原先生の世界観を最大限に尊重しつつ、映像としての最適化を図り……世界へ届けていきたいと考えております」
よく磨かれたフレーズが、つるつると口から転がり落ちる。言葉は軽く、床だけがいやに硬い。
照明が落ち、スクリーンが光を帯びた。
*
流れ始めたパイロット映像は、一目で“分かりやすい”映像美に溢れてはいた。
しかしキズナはすぐ異変に気付く。
漫画では母を失い遠くの町に越して、ぎこちない愛想笑いを解くことの無かったはずの主人公が、画面の上では眩しいほど笑って走り回っている。
静かに積み上げられていたはずの時空編集能力は、キラキラした光線となって空を飛び交い、爆ぜる。
客席から、素直な感嘆の息が漏れた。映像としては、たしかに派手で楽しい。
隣でアツが、小さく息を飲む。
「……すごい……。面白い、です。けど……」
その先の言葉は、喉の奥でほどけて消えた。言葉にしてしまえば、どこかに失礼になる気がしたのだろう。
キズナはスクリーンではなく、アンナの横顔だけを見ていた。
光に照らされたその顔は、笑っているようにも、固まっているようにも見える。拍手の波の中で、作品だけが先に走り出し、作者の足だけが少し遅れている。
拍手の音だけが、作者の手から離れた作品を正当化していった。
*
ロビーの光は明るい。けれど、栗原アンナの目には薄い膜が一枚かかったみたいに滲んで見えた。
祝福の言葉が飛ぶたび、胸の奥で契約書の紙の音がする。
拍手が引いていくと同時に、血の気も少し引いていく気がした。
関係者ロビーのソファに腰を下ろしても、まだ耳の奥ではさっきのBGMが鳴っている。自分の描いた線とは違う、眩しすぎる音だ。
(漫画の見せ方とアニメの見せ方は違う──。わかっていたし、だからお任せしますと言ったのだけれど……止めるならもっと前だった)
今はもう止まれない。
契約書には何枚もサインをした。番組表の表に載る日付はとっくに決まっていて、宣伝用の特番も進行している。玩具会社とのタイアップ企画書には、主人公の笑顔が何パターンも刷られていた。
ここで「やっぱり違います」と言えば、真っ先に「わがままな原作者」にされてしまう……
「……顔、固まってるよ。アンナ」
招待客の一人として来ていた星野トシロウはアンナの手元を一度だけ見た。
「呼吸、浅い」
それだけ言って、紙コップを置く。
アンナは笑顔のまま「大丈夫です」と返そうとして、舌の先が乾いていることに気づいた。
星野は続けない。続けないから、言葉が残る。
「すみません。緊張しすぎてて」
「緊張だけなら、もう少し目が輝いてるさ」
からかうように言ってから、星野は声を落とした。
「線は、誰のために引くのかい?」
胸の奥を、細い針でつままれたみたいだった。
頷いてみせるたびに、胸骨のどこかがきしむ。ここで「いやです」と言えたら、どれだけ楽だろう。
「でも、今止めたら、みんなに迷惑かけちゃいますから」
「迷惑を恐れすぎると、自分の作品に一番迷惑をかけるよ」
星野の言葉は相変わらずやわらかくて、なのに逃げ場をくれない。
「相変わらず厳しいこと言ってるのね、トシさん」
明るい声が割り込んできた。振り向けば、上青石モネがグラス片手に立っている。相変わらずステージ衣装みたいな私服だ。
「アンナ、お疲れさま……、ここまで持ってきたんだね」
「……ありがとうございます」
上青石は笑ったまま、グラスの氷を一度だけ鳴らした。軽い音なのに、妙に背筋が伸びる。
「ねえ。これ、“止める”んじゃなくて……“差し戻す”って言い方もあるの、知ってる?」
「……そんなの、できるんですか」
「できるとこまで持ってきた人間には、できる範囲の交渉があるのよ。作者の線を、作者の手に戻す手順は——業界にも、一応ある」
「でも……迷惑が」
「迷惑は出る。愛ってのは、責任だから。綺麗事の顔をしてない。……それでも守る価値がある線なら、守りな」
そこまで言って、上青石はくるりと視線を横に流した。
そこには紙皿を両手で持ったまま固まっている少年――アツがいた。
「久しぶりねえ、可愛い少年……恋愛で悩んでいるのが顔に出てるよ」
「えっ!?」
「恋と愛を描いてきたアタシにはわかる。答えを先延ばしにしていると、線って勝手に別の形になるのよ。彼女の気持ちが分かってるなら、どこかで言葉にしなさい」
アツは真っ赤になってフリーズし、横でキズナがわざとらしく咳払いをした。
その小さなコメディに、ロビーの空気も一瞬だけゆるむ。まだアンナの背中を締め付けているものは、ほどけないまま、息だけが一拍ぶん戻った。
テーブルの上には、制作委員会から配られた資料袋が積まれていた。何気なく自分の分を開いて、会社ロゴのページをめくる。
上青石の視線が、資料袋のロゴ列を一度だけ撫でた。
テレビ局、映画会社、広告代理店、玩具メーカー。見慣れた名前が並ぶ列の中に、一つだけ、見たことのある光学企業のマークが紛れていた。
(……YAHO)
喉の奥が、きゅっと鳴る。
協会でも戦場でも、何度も見てきたロゴだ。
「心強いスポンサーですね」と言うのが正解なのだろう。
アンナはただ、ページをそっと閉じて目を逸らした。自分の描いた線が、別の何かの装置に組み込まれていく気配がした。
「最近さあ、災害ものの企画、多くない?」
「通りやすいらしいよ。大災難の“予言”とかも流行ってるし。7月5日に海底火山が噴火して津波が起きるとか」
少し離れたところで、制作会社の誰かがそんな会話をしていた。軽口のはずなのに、耳に刺さる。
「福島の時もね」
星野が、ほとんど独り言みたいな声で続ける。
「予感が、どこかで走っていたんだ……。線を引く側の手の中に」
その一言で、背中の皮膚がひやりと冷えた。
祝福の言葉が飛び交うロビーで、アンナだけが、薄いガラスケースの中に立たされているようだった。外からは「成功」と呼ばれる光が差し込んでくるのに、足元にはじわじわと水位が上がっていく。
守りたかった芯は、善意の手袋でいちばん先に削られる。
*
週刊文潮編集部の一角にある野田の島は、相変わらずごちゃごちゃしていた。
ただの散らかりではない。机の上のペンもファイルも付箋も、本人にしか読めない「接続図」の一部になっている。
モニタの横には、協会ビルの外観写真。東富士演習場の俯瞰ショット。YAHOのロゴが入ったプレスリリース。防衛装備庁の説明会資料のコピー。
バラバラに見える紙片を、野田は視線で何度もなぞっていく。
(協会、YAHO、防衛省。ここまでは固い。ここから先は、まだ霧の向こうだ)
レポート用紙の中央に、三つの丸を描いて線で結ぶ。その先に、鉛筆の先が一瞬だけ迷う。
何となく“魔”という文字が、頭の隅から大きくなって、紙の手前で止まった。
野田は、ペン先をわざと別の場所に落とす。
「――ここから先は推測」
自分に聞こえるくらいの声でそう書き込み、ぐるりと線で囲った。そこに色ペンで大きなバツ印をつける。今はまだ、記事の領域ではない。
代わりに、別の言葉を並べていく。
「観測技術」「情動データ」「共同演習」「企業契約」――どれも公開情報と取材で裏が取れている、ギリギリの線だ。
(陰謀は書かない。けれど、この三者が同じものを見ようとしている“接続”だけは、はっきり描いておく必要がある)
「おーい野田さん、そろそろ会議行きますよ」
声をかけてきたのはデスクだ。野田は資料の束を抱え、編集会議室へ向かった。
長机の端で、編集長・古谷刻が腕を組んでいる。皺の刻まれた額に、既に見出しの文字が浮かんでいるのが分かる顔つきだ。
「で、例の科学漫画協会の“黒い影”続報。どこまでネタが伸びた?」
開口一番、古谷が言う。
古谷はホワイトボードに見出し案を殴り書きした。
『黒い影 自衛隊と接続』
『災厄予言 国家が動く』
野田は一枚だけ遅れて原稿を出す。見出し欄が空白のままの、本文だけのゲラ。
「踊らせろよ」古谷が言う。
「踊らせた瞬間に、外します」
野田は、ゲラの一行に赤を入れた。
『見えない敵』――取り消し線。
『予言』――取り消し線。
代わりに、鉛筆で書き足す。
『観測』『演習』『情動データ』
古谷が鼻で笑う。
「地味だな」
「地味で刺します。裏が取れてる言葉だけで」
古谷はしばらくゲラを眺めて、最後に一箇所だけ指で叩いた。
「……いい。なら見出しは俺が派手にする。本文でお前が殺せ」
野田は黙って頷いた。線引きは、もう終わっていた。
陰謀は書かない――だが“接続”だけで、人は充分に燃える。
*
野田は席に腰を下ろすと、古い取材ノートを開いた。〈Y社元技術者・佐藤談〉のページ。余白に、小さく丸で囲まれた名前がある。
――深水。
当時は「偉い技術者がいるらしい」程度のメモだった。今、その横に東富士演習場の写真と、関係者SNSから拾った集合ショットが並んでいる。端に写り込んだ横顔に、野田はペンで丸をつけた。
(やっぱり、同じ顔だ)
人事データベースで肩書きを確認する。〈防衛事業本部 観測システム部門〉。役職の重さに、小さく息が漏れた。
録音アプリのショートカットを弾き、ジャケットを羽織る。
*
西新宿のYAHO本社ロビー。
「週刊文潮の野田と申します。アポイント無しで恐縮ですが、防衛事業本部観測システム部門ディレクターの深水さんに一言だけ」
名刺を出すと、受付の目が一瞬だけ固まったが、ほどなくして、スーツ姿の広報担当が現れた。
「個別の取材にはアポイント無しに応じられません。ディレクターの深水には──」
「──ん、どうかしたかい?」
その時、通りがかった男が思わず声をかけた。写真よりわずかに丸みを帯びた頬。だが間違いなく、あの横顔だ。
「──深水さん、ちょっとだけお伺いしたい事が」
野田は平静を装って声をかけてみる。
「何かね? 何処の部署の──」
反応した男に畳み掛ける。
「単刀直入に伺います。東富士演習場での“新型観測システム実証”、ここにいらっしゃいますよね」
野田は写真を差し出した。ヘルメット姿の集団。その端に、深水の姿。
半秒の沈黙。視線が一度だけ揺れ、それから固まる。
「……ノーコメントです」
言葉は短いが、喉の奥に緊張が残っている。
「協会と自衛隊とYAHOが一緒にいる。何を観測していたんです?」
「公開されている以上のことを、お話しする立場にはありません」
「“何の”観測か、だけでも」
問いの形を少し変える。深水は逃げ道を探すように、言葉を選んだ。
「……“共鳴線”の話は、うちが答える領域じゃないですよ」
空調の唸りが、やけに大きく聞こえた。
(否定は、しなかった。“共鳴線”という単語を自分から出した)
野田の脳裏に、東富士の風が戻ってきた。
あの時、空気が“一本”で裂けた。
光だったのか、ノイズだったのか?
カメラのセンサーが白飛びして、周囲の顔が一瞬だけ同じ方向に固まった。
取材ノートの余白に残した走り書きが、指先に蘇る。
『線/同期/説明不能』
「今日はこれで結構です。ありがとうございました」
それ以上追わず、名刺をしまう。ここから先は取材ではなく尋問になる。
*
夜の編集部。
画面には原稿の最終稿。〈科学漫画家協会と防衛サイドをつなぐ“観測”の輪〉という見出しの下に、事実だけを積み上げた本文が続く。
カーソルが「送信」のボタンの上で止まる。
(送らなければ、ただのメモ。送れば、誰かの胃が確実に痛くなる)
それでも、指は止まらなかった。
「……行け」
クリック音が、静かに響く。端に「送信しました」の文字が灯った。
否定しない沈黙が、答えよりも大きな見出しになった。
*
数日後。スタジオのPCに、新着メールの通知が灯る。差出人は週刊文潮編集部。件名は〈取材のお願い〉。
戸隠先生のお名前は決してお出ししませんが~との注釈から始まるきれいな敬語で整えられた、簡潔な質問のリスト。
「協会での所属関係について」
「栗原アンナ先生とのご関係について」
「防災・防衛用途へのご見解」
「“共鳴線”の扱いに対するご見解」
「“感情データ”の扱いについて」。
キズナはマウスを握ったまま、スクロールを止める。
(答えなければ“沈黙”。答えれば、どこかで線を切り取られる)
最後の一文――〈◯日までにご回答を頂けますと幸いです〉が、静かな締め付けのように胸に残った。
取材の文面は丁寧だったからこそ、刃だった。
*
同じ頃、サキのスマホが短く震える。表示された名前は、谷保五郎。
〈干渉計のノイズが増えてる。偶然にしては周期が綺麗すぎる〉
サキは眼鏡を外し、目頭を指で押さえた。
窓の外には春の夕方の色。さっきまでやわらかかった空気が、一行の文字で少しだけ重くなった気がした。
「ノイズが増えてる」――その一行だけで、晩春の空気が冷えこんだ。
今回は、いわゆる“関係者試写”が舞台です。
物語でキズナとチームにとって背中を追う目標であり、同じ山を違うルートで登るライバルでもある栗原アンナ。
科学漫画大賞に輝くその作品『魔法少女サイファル*エリカ』は当然の様にアニメ化。制作委員会によるパイロット版上映は拍手喝采を浴びますが……。
小説・漫画・アニメ・映画・ゲーム・ドラマ・舞台・VR……。創作の表現は多種多様にあり、その線を越える時、たとえそこに悪意が存在しなくても“歪み”が生じる事はあります。
作者の線をどう守り、どう解釈するのか?
簡単には答えの出せる問題では無いですが、問い続けたいと思っています。




