第23話 「試験」~落とさない線を引くために~
描いた線が、また誰かの心を動かすと信じて。
「眼鏡」で見えないものを捉え、
「ペン」で見たい未来を描いていく。
物語は新たな段階へ。創作と戦闘が融け合う様に、現実と仮想の境界も融けていく。
『描線眼鏡』シリーズ本編第2部
前作同様に水・日曜の午後9時半に投稿の予定です。
締切日とは違う種類の、張りつめた空気だった。
春分の日の朝、休日の虎ノ門の交差点はリュックの列で埋まっていた。日本科学漫画協会ビルの前で、アツはごくりと喉を鳴らす。
「……ここで合ってますよね」
「合ってるよ。“ライセンス試験会場”って書いてあるでしょ。何のライセンスか書いて無いけど」
キズナは笑ってみせるが、指先は少し冷たい。
「おはよう~。……胃が、すでに戦闘不能なんだけどさ」
ケンがお腹を押さえながら現れ、フクハラとサチハも小走りで合流した。
「全員いるね? 今日から4日間。初日が筆記、明日が講義、土日が実技。ここで全部見られて、合格したら──正式に“眼鏡持ち”」
キズナが四本の指を折ると、アツの顔がさらにこわばる。
「4日……長い……」
「一問くらい間違えても死なないから」
「一問どころで済まない気しかしないんですが……」
そんな会話のまま自動ドアをくぐる。広いロビーには、ざっくり百人程の受験者が集まっていた。スーツの社会人、制服の高校生、がっしりした体格の人──全国から来た“候補者”たちのざわめきが白い天井に反響している。
「受験票、確認しておいてくださいね」
フクハラが言いかけて、ロビー隅のラックで足を止めた。
「……あれ、『週刊文潮』」
黄色い帯の表紙に、太い文字が踊る。
《予言された災禍? 「黒い影」を描く漫画家》
《7月、大災難は本当に舞い降りる?》
「また大災難の記事か」
フクハラが手に取り、目次の片隅に小さく〈文潮編集部・野田〉の署名を見つける。
「野田記者の記事なんだ……」
「前にワタシ達の記事を書いた?」
「僕らの事はバンゴの春原局長が守ってくれるはずだけど……、でも漫画家の人の予言を追いかけてるんだね」
見開きには、ペンで描かれた黒い影と震災写真。本文の一節がアツの視界に飛び込む。
──「漫画家の一部は、近い将来訪れる“黒い影”を『魔』と呼び、作品の中に描き込んでいるという」(某協会関係者)
「“魔”って……」
つぶやいたアツに、キズナが眉をひそめる。
「この記者の人が何処まで調べたのか? 取材用の言葉なんだとは思うけれど……某協会って匂わせてるのは正直ちょっと」
「その予言、本当に根拠あるんですかね……」
「予言なんて、当たったら怖いし、外れたら笑い話だよ。──ほら、受付、列できてる」
雑誌をラックに戻し、受付へ向かう。その途中、アツはふと周囲を見た。
柱の陰で、小柄な女の子が受験票を両手で握りしめている。中学生くらい。制服のスカートの裾を緊張でつまんだまま、視線だけが落ち着かない。
(……あの人が戸隠先生のところの加藤さん。ほんとに“普通っぽい”顔してる)
少女は遠巻きにアツたちを見やり、キズナの顔に気付いた瞬間、慌てて視線をそらした。
受験番号のホルダーを首から下げ、エレベーターで試験階へ。大教室の扉には「能力者ライセンス試験・筆記」の紙。
「うわ、本番って感じ……」
「席、番号順か。……じゃ、また後で」
四人はそれぞれの席へ散る。前には時計、横には監督役の職員。ざわめきがしぼみ、問題冊子が配られる。
「時間になりました。始めてください」
紙の擦れる音が一斉に鳴った。
アツは一問目から眉間にしわを寄せる。
(協会設立の年号……座学でやったよな、やったけど……)
「トキワ荘」「公益社団法人」「オッペンハイマー博士」──言葉は浮かぶのに、数字が霧の向こうにある。
(ここ落ちたら、スタジオに戻れない気がする……)
自然に額に汗が滲む。
隣の列ではケンが淡々とペンを走らせていた。
(規約ちゃんと読んどいて正解……でもこれ、現場で役に立つのかな)
と、内心でぼやきながらも手は止まらない。
フクハラの答案は、法律、災害史、協会制度の設問がノンストップで埋まっていく。原稿と資料にまみれてきた年月が、そのまま点数に変わっていく感覚だ。
サチハは慎重にページを進めていたが、「魔との遭遇時に見られる視覚・感情の乖離について、自身の体験を踏まえて記述せよ」でペン先が止まった。
(……自分のこと、どこまで“書いていい”んだろう)
胸の奥がざわつく。けれど、常磐の説明──「低レベル視覚はON/高次認識はOFF」──を思い出し、震える手で少しずつ文字を並べていく。
時計の針がじりじりと進む。アツは最後の数分で空白を埋めるだけ埋め、「……部分点、頼む」と心の中で手を合わせた。
「そこまで。筆記試験を終了します」
鉛筆が机に置かれる音と、ほっとした吐息が重なる。
廊下に出たところで、アツはぐったり壁にもたれた。
「……死んだ」
「まだ一日目だぞ。ここで死んでたまるか」
ケンが笑いながら背中を叩く。フクハラは時計を見上げた。
「採点結果は後日だけど、いきなり即落ちにはならないはず。――明日は講義。頭、切り替えましょう」
ロビーに戻ると、外の光はわずかに傾き、ラックの『文潮』はそのまま残って、黒い影と予言の見出しだけが、ガラス越しの空の青さと噛み合わないまま、その日の筆記試験は終わっていった。
*
二日目は、睡眠不足と緊張が混ざった、妙なだるさで始まった。
協会ビルの大講堂。段差のついた座席に受験者がずらりと並び、前方のステージには長机とマイク、その後ろのスクリーンに〈能力者ライセンス試験・講義〉の文字が映っている。
「すご……人、多い」
やがて照明が少し落ち、司会の声が響く。
「それでは、協会教育担当・柚木理事よりお話しします」
細身のスーツ姿の男が登壇した。落ち着いた声で名乗り、リモコンを押す。スクリーンに、グラフと波形が並ぶスライドが現れた。
「皆さんは、強い力を持つ側に足を踏み入れようとしています。その力は、本人だけでなく周囲の人間も傷付け得る。だからこそ、私たちには“安全装置”が必要です」
柚木は、事故前後のEMOログのグラフを指し示す。
「これは、過去の対魔案件でのデータです。感情の高ぶりがピークに達する前に、撤退判断ができていれば防げた事例もある。EMOwatcherは諸君の安全を担保する仕組みです」
淡々とした口調だが、言葉は鋭い。
「ログの提出と管理は、能力者と社会との“契約”です。ライセンスを得るとは、その契約を受け入れるということでもある」
後ろの席で誰かが小さく舌打ちした。前列では真面目にメモを取る受験者が多いが、後ろの方では、腕を組んであくびをかみ殺す若者の姿もある。
(……言ってることは分かるんだけど、重いな)
アツはノートにペンを走らせながら、胸の中で小さくうめいた。
講義が一段落すると、今度は別の名前が呼ばれる。
「続いて、認可担当協会理事・武内先生」
年季の入ったジャケット姿の男が、ゆっくりとマイクの前に立った。スライドはほとんど使わないらしい。最初の一枚だけ、漫画のコマと、そこに引かれた一本の線が大きく映し出される。
「……まあ、便利な時代になりましたねえ」
武内は、肩をすくめるように笑う。
「先ほどのEMOwatcher、否定するつもりはありません。私も、暴走した線で人を傷付けたくはない。しかしね」
スクリーンの線を指でなぞる。
「漫画家にとって、感情の揺れは“燃料”でもあります。数字で平らにならした感情からは、面白い線はなかなか生まれない」
会場が、すこしざわつく。
「ログを“評価の物差し”にし始めた瞬間、線は静かに縛られていく。最近、予言だなんだと騒ぐ記事も出ていますが……」
ちらりと、昨日ロビーで見た雑誌の見出しが頭をよぎる。
「数字と物語。どちらを信じるかを手放してはいけない。判断を装置に預けすぎると、線も心も、他人のものになってしまう」
ケンは、その言葉に妙に納得してしまい、心の中でうんうんと頷いた。
(そりゃ、ルールだけで線を引かされても、つまんないよな)
フクハラは、前のめりで聞きながら、胃のあたりがきゅっと縮むのを感じていた。編集者としては、どちらの論理も痛いほど分かる。
質疑応答が軽く終わると、休憩時間になった。ロビーに人の流れが溢れ出す。
「ふぅ……頭から煙出そうだ」
「でも、どっちも正しいって感じですね」
ケンとアツが紙コップのコーヒーを持って壁際に立っていると、別の方向から声が飛んだ。
「お~ケンちゃん。今年は再挑戦する気になったんだね」
振り返ると、さきほどの武内が立っていた。
「ハ、ハイ。師匠ご無沙汰してます」
ケンが気まずそうに頭をかく。
「いや何となく今年は見える気がして……」
「ケンちゃんなら見えるはずなんだよ。きっかけ一つで、想像力の跳び方からしてさ」
短い会話の中に、“師匠と弟子”の距離感が滲む。
「だと思ってるんですが……ほら、アツ! 先生に挨拶しろ」
アツは一瞬きょとんとしてから、慌てて頭を下げた。
「し、失礼しました……!」
少し離れた柱の影で、常磐がその様子を横目に見ながら、キズナとサチハに歩み寄ってきた。
「お二人とも、お疲れさまです」
きっちりとした口調だが、表情は先日より柔らかい。
「明日からの実技では、村上さんの“しのぎ方”も評価の対象に含めます。安全に戦えるかどうか、その一点を見ます」
サチハの肩が、びくりと揺れた。
「……この前の三本柱、覚えていますか?」
「視界の解像度を落とすモードと……一本だけ線を追うことと……時間を決めて、ちゃんと退くこと」
自分で言葉にすると、少しだけ呼吸が整っていく。
「そう。それができれば十分です。完璧を目指さないことも、大事な技術ですから」
常磐は穏やかに笑い、キズナの方を見る。
「師匠としては?」
「サチハは、退き方も含めて戦い方だって、ちゃんと分かってますから」
キズナがサチハの背中を軽く叩くと、サチハも小さく笑った。
少し離れたベンチから、その三人をじっと見ている制服の少女がいた。
昨日ロビーでアツたちを見ていた“謎の受験者”だ。
(……村上さん、か。戸隠先生のスタジオ、やっぱり空気が違う)
少女は胸の内でそうつぶやき、誰にも気付かれないように視線を外した。
こうして二日目の講義は終わり、残るは実技だけになった。
*
自衛隊習志野駐屯地
実技の舞台は千葉に残る広大かつ由緒正しき演習場だった。
バスを降りると、目の前に広い草地と土の斜面、その向こうに鉄骨の空挺団の降下塔がそびえている。遠くで空砲の音が乾いた風に混じり、地面の振動だけが足裏に残った。
「……ガチの自衛隊だ……」
アツが思わずつぶやくと、横でケンも苦笑する。
「ここでコケたくないなぁ、物理的にも比喩的にも」
ゲート前で身分確認を済ませ、迷彩服の隊員に誘導されて演習区画へ入る。集合地点には、既に他の受験者たちが整列していた。
「よーし、揃ったわね」
フィールドの向こうから、ジャージ姿の女が片手を上げて歩いてきた。髪をざっくりと後ろで結び、眼鏡を額に上げたまま、伸びをする。
「村田アケミ。今日明日の実技インストラクター。ってことになってるわ。
──最近の“魔”、手応えが重いからねぇ。あんたらもぼやぼやしてると、すぐケツの毛抜かれる事になるからさ」
軽口とも本音ともつかない一言に、周囲の空気が微かに揺れた。
続いて、柚木がマイクを持つ。
「小隊編成で、模擬“魔”との交戦を行います。眼鏡とEMOwatcherのログで、安全と適性を評価します。死亡判定・長時間の意識喪失は即失格です。質問は?」
誰も手を挙げない。
「では、持ち場につきなさい」
アツたちは四人一組で、低〜中強度ゾーンに配置された。頭上にはドローン、視界の端には〈SIM FIELD〉の表示。常磐が遠くからタブレット越しに見守っているのが分かる。
「サチハ、フィルター入ってる?」
「……はい。“輪郭だけモード”オンです」
眼鏡の端に、〈EDGE FILTER:ON〉の小さな文字。サチハは、基準線にと決めたアツの背中を一度見てから、前方の空間に視線を戻した。
「開始」
荒れ地の向こうに、黒い影がゆらりと生まれる。狼のような四足型──だが、細部は削られ、輪郭だけが白く浮かび上がっている。
「……見えてる。四足型、“狼”タイプ。接近速度、中」
サチハの声は、最初は落ち着いていた。アツはその横で、描線ペンを構えながら位置を合わせる。
「アツ、一旦あの岩陰まで。サポート線、私が」
「了解」
サチハが線を引く。岩陰を回り込むように、魔の進路を制限する細い線──まだ、崩れてはいない。
「じゃ、俺は後ろのカバーに回るわ」
ケンが一歩引いて周囲を観察し、フクハラは後方で状況を口に出して整理する。
「対象一体、味方四。魔の密度、低〜中。時間はまだ余裕あり」
《SIM FIELD:PHASE2移行》
場内放送に常磐の声が響く。
「エッジ情報、第二段階へ移行します。撤退判断を優先してください」
影の輪郭が一段だけ細かくなり、牙の形、脚の筋肉の線が増える。
「……大丈夫、大丈夫……」
サチハは息を整えながら、一本だけ、自分の槍の輪郭に視線を戻す。
(まだ見える……、一本だけ見る。全部見ようとしない)
しかし、魔が速度を上げると同時に、線が一段階増えた。毛並みのような細い線が、輪郭の内側を埋め始める。
「──っ」
視界の端で、線が雪崩を打つように増殖していく。どこが外側で、どこが中か分からなくなり、眼球だけが忙しく揺れた。
「線が……増えて……もう、分かんな……」
呼吸が浅くなる。胸がきゅっと縮み、足元がふわりと浮いた気がした瞬間、アツの声が飛ぶ。
「サチハ! 基準線だ!」
彼の背中に走った一本の線──自分で決めた“アンカー”に、視線を無理やり戻す。
「……アツの線、確認できました。……時間もう10分以上過ぎてる……あと3分で交代します」
サチハは歯を食いしばり、自分でタイムリミットを告げた。
その間にアツは距離を詰め、魔の横合いへ滑り込む。
(一本でいい。結び目を断てれば)
狼型の胸のあたり、密度がわずかに濃い部分を狙い、呼吸と筆圧を合わせて線を走らせる。
「──っ!」
白い線が魔の中心を貫き、影が音もなく崩れ落ちた。タイマーがゼロを示す、一拍前。
「……クリア」
村田が遠くから手を叩いた。
「ぎりっぎりだね。もっと遊びが欲しいけど、まあ、初回にしてはこんなもんか」
サチハは自分から「交代希望」と手を挙げ、次のセクションで後方観測に回された。
常磐はタブレットにメモを打ち込む。
「“高密度前に自覚的交代。運用次第で実戦可”……」
別の区画では、ケンが観測寄りのポジションで支援線を引いていた。遠くの“魔”の動きと、地形の線の「偏り」を重ね合わせるように見て、味方の進路に細い誘導線を置いていく。
(夜景と同じだ。明るいところと暗いところ、線の密度が違う。歪んだところに、魔が滲む)
彼の線は敵を直接斬らないが、味方の被弾を確実に減らしていた。
フクハラはというと、実技ゾーンで一度だけ自前の武器を実体化しようとし、──そして見事なまでの画伯ぶりを晒し当然にfailとなった。
「……それで、銃、のつもりかね?」
「“概念としては”銃です」
村田が吹き出した。
その一方で、彼の状況整理と指示出しは的確だった。
夕方、演習がひと区切りついた頃には、四人とも泥と汗でぐったりしていた。
「……まだ、明日もあるんだよな」
「ある。けど、今日より少し“見えてる”はずだよ」
ケンが空を見上げると、薄曇りの向こうで、鉄塔のシルエットだけが黒く浮かんでいた。
*
試験最終日の日曜は実技の二日目。より高密度ゾーンで、アツたちはケンの観測線を頼りに前進する。昨日より呼吸は合っていた。
その日の夕方、簡易ステージのホワイトボードに、受験番号がずらりと貼り出された。
「……あった」
アツが自分の番号を見つけて、声にならない息を吐く。
「ありました……!」
サチハは膝から力が抜けそうになるのをこらえ、両手をぎゅっと握りしめた。
「ふぅ……胃薬、返してほしいくらいだな」
ケンは小さくガッツポーズ。
フクハラは眼鏡を外し、
「これで、キズナさんの前に胸張って立てる」
と静かに呟いた。
少し離れた列で、制服の少女も自分の番号を見つける。
(……戸隠先生。あたしも、そちら側に行きますから)
誰にも聞こえない声で、そう告げた。
「試験合格者の皆さん」
柚木がマイクを取り、受験者を見渡す。
「これで皆さんは、正式なライセンス保持者です。ログ提出と義務だけは、決して忘れないように」
続いて武内が前に出て、肩をすくめた。
「ログに囚われすぎて、線が死なないようにね。面白い作品と世界を守る戦い。あなた達なら両立できるはずです」
常磐は列から外れたところでサチハに近づく。
「“一本の線”、きちんと守れていました。自分で退く判断ができるなら、“魔”を見つめながらでも十分に戦えます」
サチハは涙目で何度も頷いた。
解散直前、地面がかすかに揺れた。
「ただの小さな地震です」
自衛官がそう言う一方で、眼鏡越しの空の隅で、線が一瞬だけ“裏側”にめくれたように見え、ごく薄い“影”が瞬いた気がした。
キズナは息を詰めて、それを見上げる。
(……まだ、始まりにすぎない)
*
翌日。スタジオでは、コンビニスイーツとキズナの手料理で、ささやかな打ち上げが開かれていた。
「改めて、合格おめでとう。これで全員、正式な“眼鏡持ち”だね」
アツはこっそり指先で眼鏡のフレームをなぞった。
(正式なライセンス……落とさない線を、これからも引けるだろうか)
胸の奥に、重さと高揚が同時に落ちてくる。
窓の外の空は、次の“揺れ”の気配を、まだ何も語ってはいなかった。
今回はチームの面々が能力者としての責任とスキルを問われる回。
「線」を引く技術だけでなく、“引き続けるための心”そのものが試される回です。
次話以降のうねりに向けて、いくつかの伏線と温度差も仕込んであります。
謎の中学生は一体何者!?




