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第21話 「位相」~ずれた世界が鳴り始める~

描いた線が、また誰かの心を動かすと信じて。


「眼鏡」で見えないものを捉え、

「ペン」で見たい未来を描いていく。


物語は新たな段階へ。創作と戦闘が融け合う様に、現実と仮想の境界も融けていく。


『描線眼鏡』シリーズ本編第2部

前作同様に水・日曜の午後9時半に投稿の予定です。

 南部の冬の陽ざしは、どこまでも平らだった。


 ルイジアナの湿った大地を、真っ直ぐに切り裂く白い線。リビングストン天文台の干渉計アームが、地平線のかなたへと消えていく。

 谷保五郎は、防寒ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、その線の向こうを眺めていた。微かにきしむ金属音と、遠くでうなる空調の低い唸り。風は弱いが、骨の芯まで冷える種類の寒さだ。


「この帯域です」


 案内役の研究者が、コンソール室のモニターを指で示した。

 画面には、時間とともに揺らぐノイズのグラフ。ぎざぎざとした線の上に、いくつか不自然に突き出た「山」が重なっている。


「地震波とも、典型的な機器トラブルとも違う。Advanced LIGO のO4d観測向け調整後に感度が上がった分ノイズも増えた……という説明も出来なくはないんですが」


「増え方が、少し“出来すぎて”いる」


 五郎が、画面に顔を近づけて目を細める。

 複雑な波形の中に、同じ高さのスパイクがいくつも並ぶ。まるで、誰かが定期的に、世界そのものの弦をつま弾いているかのように。


「地球自身の“物理的ストレス”だけで片付けるには、妙なリズムですね」


 彼は、グラフの隅を指先でなぞるようにしながら言った。


「人間社会が、情報で宇宙をかき混ぜているぶんも、どこかで足されているのかもしれない」


 研究者は冗談か本気か判断できず、曖昧に笑った。その横で、五郎の視線だけが、冷たく澄んだノイズの海の奥を見ていた。



「おお、ヤホー・ファイブ! ひさしぶりだね」


 NASAラングレー研究所の一室。ホワイトボード全面に書きなぐられた数式とポテンシャルのグラフ、その隅に小さく「dark photon ?」と丸で囲まれた文字。


 その前で白衣を羽織った長身の男が、両手を広げて五郎を迎えた。


「マイケル・ヘイズ。相変わらずボードの使い方が騒がしい」


「芸術だよ、これは。最近ようやく、日本のアニメでも“場の書き方”が分かってきた気がしてね。重力とか大気とか、ちゃんとキャラになってるんだ」


 ヘイズは、机の上のフィギュア──最新の宇宙モノらしいメカ──を指でつつきながら、早口でまくしたてる。


「ニュートリノも重力波も、もう“大漁”の時代だ。そろそろ次の幽霊を捕まえたい。で、これだ」


 彼はホワイトボードの「dark photon ?」をコン、とノックした。


「ダークマターが“弱い疑似電荷”を持ち得る、なんて話が、今や真顔で議論されててね。……主に、ボクが言ってるんだけどさ」


「自分で言うかね」


 五郎は苦笑しながらも、その言葉を頭の中で反芻する。


「もし本当に、そうした“疑似電荷”が位相転換で生まれるなら――」


 白板のグラフの谷の部分を、チョークで軽くなぞる。


「物質と直接“結合”する条件が整うことも、理屈の上では否定できない」


「つまりだね」


 ヘイズはマーカーをくるくる回しながら、指を鳴らした。


「得体の知れない“場の揺らぎ”が、車をすっ飛ばしたり、建物をえぐったりしても、不思議じゃない……と」


 何気ない風を装ったその例えに、五郎のまぶたが一瞬だけ動く。


「起きていないと良い、と思っていますよ。まだはっきりとした“傷跡”は、観測されていないはずだ」



 ワシントンD.C. ポトマック川とアーリントン墓地の間に建つ巨大な五角形のビル、ペンタゴンの一室。


「あなた方の“共鳴線”とやらは──」


 少人数のブリーフィングルーム。プロジェクターに映し出されたパワポのスライドには、

 coherent field control、emotion-linked resonance の文字が、軍人らしい無骨なフォントで並んでいる。


 ダークスーツの男が、レーザーポインターを握りしめたまま、五郎とヘイズの顔を交互に見た。


「敵のドローン群を、一気に無力化できる可能性がある。もしその原理が“場”レベルの制御なら、通常兵器の枠を越える抑止力になる」


「……その“場”を揺らしているのが、そもそも人類自身の感情と行動だとしたら?」


 五郎は、投影されたスライドの端、ざらついたノイズのような背景画像に目をやる。


「踏み込み方を間違えると、火事の中にガソリンを撒くような真似になります」


「だからこそ、きちんと理解したいんだ」


 ヘイズが宥和的な笑みを浮かべて、間に割って入る。


「抑止にも転用にも、情報不足が一番危険だから。ね、ヤホー」


 五郎は小さく息を吐いた。

 場の揺らぎ、疑似電荷、共鳴。ホワイトボードの数式とは別の種類の「力」が、この部屋にも渦巻いているのを感じる。



 夜。ゲストルームの薄いカーテン越しに、東海岸の冷たい空気が忍び込んでくる。


 テレビでは、新大統領就任式のハイライトが何度目かのリピートを流していた。笑顔のアップ、華やかなパレード、割れんばかりの歓声。


「科学に予算を出さない政権ほど、有人宇宙飛行とか“目に見える結果”だけ欲しがる」


 紙コップのコーヒーを持ったヘイズが、どさりとソファに腰を下ろす。


「現実が手に負えなくなると、敵を作って勝つことに拘る。皮肉なもんだよね」


「“歪み”がなぜ生まれるのかにも、少しだけ興味を持ってくれると助かるんだけど」


 ヘイズが続ける愚痴めいた言葉を聴きながら、五郎は画面から目を離し、手元のスマートフォンに視線を落とした。

 震動がひとつ。新着メールの通知が、画面上部に小さく浮かび上がる。


 ──件名:HANEDA SR CASE – COLUMN DAMAGE REPORT


 英語と日本語が混じった、無骨な文字列。

 五郎はそれを一瞥し、テレビの中の祝祭と、掌の中の短い言葉の落差に、喉の奥がわずかに冷たくなるのを感じた。

 世界は今日も、目に見える「物語」と、誰も見ていない「歪み」を、同時に進めている。

 彼は紙コップをテーブルに置き、静かにメールの本文を開いた。



 四分割になった画面の中で、それぞれの部屋の空気が小さく揺れていた。

 左上には、A station のリビングでタブレットを操作するサキ。左下には、その隣でノートPCとプリントを広げているフクハラ。右上には、機材ラックの並ぶYAHO西東京R&Dセンターの一角で腕を組む黒部。右下には、ラングレーのゲストルームから参加している五郎の姿。


「では、先日の羽田でのSR級“魔”のログ整理から始めましょうか」


 黒部の声に、サキがタブレットの画面を共有に切り替える。

 駐車場の見取り図、火災跡の写真、スリップした車列、凍結路面の接写──最後に、例の柱のクローズアップが表示された。


「火災由来の焦げ、衝突による破断は、ここ、ここ……と典型的なパターンです」


 フクハラがペンで何箇所かを丸で囲む。


「問題は、この部分ですね」


 画面の中央に、なめらかに抉られた断面が拡大される。コンクリートなのに、まるで柔らかいチョークを刃物で撫でたような、妙な滑らかさ。


「ここは、火も衝撃も記録されていない。にもかかわらず、一定の厚みだけを“削いだ”痕があります」


 サキが別のウィンドウを立ち上げる。描線眼鏡のログと、協会の試験運用中だった EMOwatcher のログが、時系列で重ねて表示された。


「描線側のログだと、SR級の“核”から伸びた尾のような高密度領域が、この柱の周囲を一瞬だけかすめています」


「現場では、炎と衝突に注意が向いていて……わたしたちも見落としていました」


 五郎が、わずかに顎に手を当てる。


「……現時点での仮ラベルとして、“直接干渉事例”とみなして良いでしょう」


 画面の中で、彼の指が柱の断面を指す。


「通常なら、“魔”は仮想空間側の歪みとして扱う。だがこれは、歪みそのものが一瞬、物質に噛みついた形跡だ」


「触れる幽霊、ですか」


 フクハラが、苦く笑いながら呟く。


「ラングレーのヘイズが推している仮説があります」


 五郎は、言葉を選ぶように一拍置いた。


「ダークマターが、特定条件で“弱い疑似電荷”を持ち得る、というものです。もしそれが正しければ――」


 きれいに整えられた英文のグラフが、共有画面に追加される。ノイズ帯の中に、先にリビングストンで見たのと似たスパイクが並んでいた。


「人間の感情や情報流が“場”を揺らした結果、ダークマター側に微弱な“電磁気のなりそこない”が生じる。

 それが、こうしてコンクリートの柱を、火も衝撃もなく削り取ってしまう……ことも、完全には否定できない」


「つまり、“魔”そのものが、少しずつ“触れないもの”から“触れるもの”に、位相を変えつつあるかもしれない、と」


 フクハラのまとめに、黒部が小さく頷く。


「羽田SR戦は、協会側でも EMOwatcher 試験運用の“異常事例”としてフラグが立っていて、理事会の方からも、このケースの追跡を依頼されています。感情ログと“歪み”の揺らぎ、その両方が閾値を越えたケースとして」


「感情波と物理的ストレスが重なった時にだけ、こうした“噛みつき”が起きるのかもしれませんね」


 五郎の声は穏やかだが、その奥に硬い芯があった。


「いずれにせよ、これは“始まり”にすぎません。今後、同様のケースが増えるのかどうか――その観測こそが重要です」


 サキは、眼鏡を取って丁寧に拭き直してから、画面の中の削れた柱を見つめて、小さく息を吸う。



 締め切り明けの金曜日の早い時間。

 A station の大きなテーブルの上に、紙の雪崩ができていた。

 協会公式テキスト、過去問コピー、キズナがまとめたノート。ペンも消しゴムも散らかり放題で、その真ん中にアツが突っ伏している。


「……文字、多っ」


 うめき声がテーブルの木目に吸い込まれていく。


「多くはないよ。大事なことが、ぎゅっと詰まってるだけ」


 キズナはホワイトボードにマーカーを走らせ、「能力者試験・筆記対策」とでかでか書いた。その下に箇条書きで《魔の定義》《仮想空間の構造》《描線眼鏡の安全プロトコル》と並べていく。


「はい、じゃあこの問題。仮想空間内における“魔”の密度と、現実側への影響の関係を説明しなさい。図示可」


 読み上げながら、プリントをアツとケンに配る。


「図示可って書いてあるけどさあ……何描けばいいかが、分かんねえんですよ……」


 アツは鉛筆をくるくる回しながら、問題文を睨みつけた。


「戦ってる時は、なんとなく分かるんだけどさ。ここ厚い、とか、ここ危ない、とか」


「それを言語化する訓練だよ。イメージだけで戦えてるうちはいいけど、指揮とか観測側に回ると絶対必要になるから」


 キズナはさらっと言いながら、自分のノートを開いて見せる。

 そこには、密度の高い部分を黒く塗った簡単な図と、「現実側の気圧変化」「電子機器への影響」といったメモが、きっちり矢印で結ばれていた。


「アツはイメージはあるんだから、そこから連想ゲームでいいの。“ここが黒いと、現実ではこうなる”って線で繋いでいく感じ」


「……連想ゲームで書いていい試験だったら、もっと人生楽なんだけどなあ」


「それが学問って事だよ少年」


 ケンが横からツッコミを入れつつ、自分の答案にシャッシャと式を書き込んでいく。

 数字と記号の羅列は、それなりに埋まっているように見えた。


「ケンさんはどう? 計算問題は、だいぶ慣れてきた?」


「理解はしてる。たぶん。……たぶんね」


 自信ありげなのは声だけで、表情は微妙に不安そうだ。


 キズナが答案用紙をひったくり、赤ペンでざっとチェックする。


「ここ、符号が逆。こっちは単位違う。で、なんでここだけ小数点一個ずれてるの?」


「頭の中では合ってたんだよ! ペンが悪い!」


「道具のせいにしない」


 即座に切り捨てられ、ケンは椅子の背にもたれて天井を仰いだ。


「俺さ、魔と戦う前に、ケアレスミスと戦わなきゃいけないんだよね……」


「それ克服したら普通に強いから。今のうちに潰しとこ」


 そんなやり取りの最中、スタジオのドアががちゃりと開いた。


「おじゃましまーす。……なんですかこの受験生の部屋みたいな空気は」


 コンビニ袋を提げたフクハラが入ってくる。袋の中身は、カフェインと糖分がたっぷり詰まった飲み物と甘い菓子だ。ケンの事も配慮し、塩飴が入っているのはさすがだ。


「救援物資だ。差し入れを持ってきた編集者には優しくしてくれていいよ」


「うわ、神。フクハラさんだけは信じる」


 アツが勢いよく起き上がり、スポーツドリンクを受け取る。


「ついでに、これもお願いします」


 キズナはすかさず、余っていた模擬問題の束をフクハラの手に乗せた。


「え、ちょっと待って。今の流れだと、僕も被験者コースなんですか」


「理論に強いタイプの答案サンプルが欲しくて」


 キズナがにっこり笑うと、フクハラは観念したようにため息をつき、テーブルの端に腰を下ろした。


 数分後。


「……はい、満点」


 キズナの赤ペンが、答案右上に丸を二重でつける。


「うわ」「キモ……いえ、頼りになります」


 アツとケンの素直なリアクションに、フクハラは半眼になった。


「褒め言葉として、ぎりぎり受け取っておくよ。理屈だけなら、ね。

 ただし実技に関しては、僕は皆さんの足を引っ張る自信しかないんだけど」


「そこも含めて練習するから大丈夫。というか、フクハラさんも受ける前提で協会に申し込んじゃったし」


「サラッと爆情報を出すのやめてくれる!? 僕、聞いてないんだけど!?」


「ライセンスないと、サポート枠からも外されるかもしれないって言いましたよね? ほら、見えるのはハッキリしてるんだから」


 キズナがさらっと言うと、フクハラは顔を青くしながらも、どこか観念したような笑い方をした。


「……まあ、締切よりはマシか。いや、どっちもどっちか……」


 その時、テーブルの端に伏せてあったスマホが一斉に震えた。一瞬皆“魔”の発生かと身構えたが、緊急地震速報のアラームだった。アラームが鳴ってからしばらくして揺れが来る。


 画面には「地震速報 関東地方で震度3〜4の揺れ」と、黄色い帯の通知。


「またか」


 ケンが眉をひそめる。


「いつかの年みたいに、多いね……」


スマホを手に取って眺め、

「また“7月大災難”タグが伸びてる」と呟いた。


 キズナは一瞬だけホワイトボードの「魔と現実の影響」の文字を見て、それから首を振った。


「はい、今は地震より試験。現実も魔も、まとめて点数にしてやろう」


「いや、そのまとめ方はどうなんだ」


 軽口とため息が、部屋の熱気に混じって天井へと上がっていく。

 アツが再び問題用紙に向き直ろうとした、その時だった。

 エアコンの音に混じって、場違いなベルが鳴った。


 ──リーン。


「……固定電話?」


 アツとケンが顔を見合わせる。スタジオの据え置きが鳴ることなんて、滅多にない。


「はい、こちらA station ですが」


 受話器を耳に当てたキズナの声が、少しだけ硬くなる。


『突然失礼します。日本科学漫画協会・科学部門、脳科学・心理学セクションの常磐ときわと申します』


 落ち着いた女性の声。けれど、どこか事務的な冷たさが混じっていた。


「……どういったご用件でしょうか?」


『先日の羽田での事案のログ解析について、こちらでもデータ共有を行いました』


 常磐は淡々と続ける。


『協会の EMOwatcher 試験運用で、いくつか“特徴的なログ”にフラグが立っています。その一つが、そちらのスタジオ所属の――』


 アツとケンが「協会?」と小声でつぶやく。


 ちょうどその時、廊下の方でドアが開き、コンビニ袋をさげたサチハが「ただいま戻りましたー」と言いかけて足を止めた。「協会」という単語が耳に引っかかったのだ。


『視覚ログ上は、“魔”のパターンが明瞭に捉えられている。

 しかし同じ瞬間の認識ログと行動ログは、“見えていない人”と同じ振る舞いを示している』


 キズナは、無意識に受話器を握る手に力を込めた。


「どういった……、チームのメンバーに関わる話でしょうか」


 一拍置いて、常磐は言う。


『現時点で“即停止”という判断ではありませんが、標準試験では測れない希少なケースとして、別枠で評価したいと考えています。安全性に関する疑義が拭えませんので』


 廊下の陰で、サチハが小さく喉を鳴らした。

 紙袋の中で、コンビニのおにぎりがかさりと鳴る。

 受話器の向こうから、静かな声が落ちてくる。


『村上サチハさんのログについて――気になる点がありまして』


 その一言とともに、スタジオの空気が、冬の夜気とは別の冷たさを帯びていった。




物語は一時日本から離れてアメリカへ。

南部・ルイジアナ州リビングストン天文台で、重力波と“歪み”を見つめる物理学者・谷保五郎博士の視点から始まります。NASAのバージニア州ラングレー研究所を経てワシントンD.C.へ。

静かに揺れる「波」と、人間の歴史・災厄・“魔”との関係が少しずつ語られていきます。


仮想空間を見るための「眼鏡」の世界に、“位相のずれ”という要素が重なり、仮想が現実を侵食しだしていく。そこに「線」は残るのか……

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