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第16話 「宣言」~描くことをやめない者たち~

描いた線が、また誰かの心を動かすと信じて。


「眼鏡」で見えないものを捉え、

「ペン」で見たい未来を描いていく。


物語は新たな段階へ。創作と戦闘が融け合う様に、現実と仮想の境界も融けていく。


『描線眼鏡』シリーズ本編第2部

前作同様に水・日曜の午後9時半に投稿の予定です。

 秋の夜、風が山の稜線をなぞるように流れ、神岡から山を下った富山の谷保邸には微かに乾いた木の香りが漂っていた。


 書斎の明かりは抑えめで、年季の入った本棚と機材棚が静かにその空間を満たしている。古い論文の束や、調整用の小型工具が無造作に散らばる机に向かって、谷保五郎は何かしら書き物をしていた。


 眼鏡のレンズを磨く布、古びたドライバーセット、そしてかつて子供の頃に使っていた測定器。今ではその役目を、曾祖父である三郎から手ほどきを受けている息子・六郎が担い始めていた。


「お父さん、バンゴ持ってっていい?」


 廊下から顔を出した六郎が、手にしていたのは『コミック・バンゴ』の最新号だった。表紙には今週号も眼鏡のヒロインが、ペンを構えて佇んでいる。


「いいよ。今週も巻頭カラーだね」


 六郎の無邪気な声に、五郎はわずかに笑った。気温はすでに10度を切っている。北陸の夜は早く冬の気配を連れてくる。


 そのとき、壁際の端末が軽く震えた。スクリーンに映し出されたのは、NASA理論物理部門長、マイケル・"P.S."・ヘイズ博士の顔だった。


「ゴロー、急で悪いが、すぐに来てくれ。共鳴線現象の波形がJWSTの観測データと同期した。……ペンタゴンも騒いでいる」


 五郎は息をのんだ。共鳴線が、宇宙規模の現象と相関を持っている。


「場所は?」


「ラングレーのセンターで。NASA本部とペンタゴンの連中も来る」


「了解。すぐに準備する」


 通話が終わると、今度はスマートフォンが振動した。表示された名前は、YAHO社の社長、すなわち父・四郎だった。


「五郎、聞いたと思うが、アメリカに飛んでくれ。……共鳴線の利用は、もう止めようも無い」

「技術者としては、不本意だ、……だが経営者としては、引き返せんのだ」


 四郎の声には葛藤が滲んでいた。彼が珍しく、息子に判断を委ねている。


「……わかった。人の感情は技術じゃ制御できない。でも、境界は科学で守れる」



 五郎には予感があった。


 事前に旅支度をある程度整えていたスーツケースの中身を確認して、最後に机上に置いてあったファイルを収めた。それは、ダークエネルギー観測の進行記録だった。


 その夜遅く、フクハラとのテレミーティングを繋いだ。


「エリック覚えているかい? あのマイケル・"フリーバード"・ヘイズが今NASA理論物理部門長なんだぜ。ついさっきヤツにラングレーまで来て、共鳴線の説明をして、ペンタゴンを押さえるのに一役買ってくれっていわれたよ」


「あのジャパニメーションナードがね。……五郎、僕が思うに数日中に協会で動きがあると思うよ」


「だろうな。エリック、ギリギリのタイミングで協会アプリのメモリ《PenLog》の独立バックアップを確保しておいてくれないか? 君のスキルなら痕跡残さずにバックアップを取れるだろう」


「保守派が掌握に動く可能性、考慮しておかないとな……」


「……誰かが線を引き直そうとしている。なら、記録を残す者が必要だ」


 映像越しのフクハラは、やや陰のある表情を浮かべていた。


「五郎、まだ協会内部の事はそんなにわからないが、もし理事会が制度改革に踏み込んだら、現場は混乱すると思うよ」


「……少し話変わるんだけどさ、ダークエネルギーの相対量が変化してるって観測があるんだ。僕の妄想ベースの仮説だけど、人間の“感情”が、宇宙の揺らぎと関係しているかもしれない。宇宙が“加速している”のは、何かの意思の表れかもしれない。そんな気がしている」


 五郎の言葉に、通信の先でフクハラが微かに息を呑む気配があった。


「……その仮説、興味あるね、それを検証できるのはNASAでもなく僕らしかいない気がするな」


「マイケルが選挙に勝った新大統領閣下に戦々恐々としていたよ。彼は科学技術に興味も理解も無い、予算も人員もどうなることやらって」


「日本でもアメリカでも実利主義との戦いを強いられるわけだ。とにかく目の前の課題に取り組むしかない」



 五郎は翌朝、カナに送られ富山空港へ。


「身体だけは気を付けてね」

 

 妻としばしの別れを告げ、機上の人となり、トランジットで羽田に到着した。


 手荷物検査を終え、搭乗口へ向かう途中、二人の姿が目に入った。


 戸隠キズナと、フクハラが並んで立っていた。見送りに来たのだ。


「博士、アメリカの事情はわかりませんが、どうぞご無事で」


 キズナの言葉に、五郎は手を上げて応じた。


「向こうには慣れているから──、ただ君たちは描き続けるんだ。どんな形でもいい。描く者がいなければ、世界は定義されない」


 その声にキズナが頷き、口を引き結ぶ。短い別れのあと、五郎はゲートをくぐって消えた。


 残されたフクハラは、遠ざかる背中を見送りながら、小さく呟いた。


「……博士がいない間に、協会は変わる」


 その言葉は予感か、あるいは警告か。羽田の空に、淡い朝の光が滲んでいた。


 

 虎ノ門。秋風が高層ビルの壁面を叩きながら、絞り出すような金属音を奏でていた。


 日本科学漫画協会の理事会室。天井まで届く窓には、曇りがかった午後の陽が射し、机の上に長い影を落としている。空調の音すら消えたような静寂の中、笹崎花子会長の声が静かに響いた。


「……谷保理事は、米国からの渡航要請のため欠席。代理投票も保留とします」


 その一言が、会議の空気を決定づけた。


「では始めようか。今日の議題、第一──」


 椅子を引く音すら威圧的に感じさせる男が立ち上がった。日月たちもり武蔵、政策・戦略部門の理事。無駄のない黒縁眼鏡の奥から、冷たい視線を全体に投げかける。


「共鳴線現象の戦術的意義は、誰の目にも明らかだ。ゆえに本理事会は、村田アケミ顧問を正式に“戦術応用担当理事”として任命することを提案したい」


 椅子が軋み、複数の理事が目を見交わす。星野トシロウは沈黙を貫き、隣席の武内トオルが口を開こうとした瞬間――


「……議決を」


 日月の言葉にかぶせるように、書記官が拍子木を打つ。形式的な採決の挙手が進み、会長の票を含めても賛成多数。反対意見は口にされぬまま、決定事項として打ち下ろされた。


 だが、その重苦しい空気を破ったのは、当の村田アケミ本人だった。


「いやあ、ありがとさん。ま、理事なんて柄じゃないけど、そういうのも面白いかもね」


 黒革のバトルジャケットに身を包んだアケミが、背もたれに深く腰掛けながら笑った。

 続いて提出されたのは《描線技術管理要綱(案)》と記された厚みのある資料。


「《EMO-WATCHER》システムを含む、描線行為に対する感情波の常時モニタリング。全戦闘ログのリアルタイム記録と中央監査データベースへの送信。これが基本方針だ」


 読み上げるのは朝倉理事。元防衛装備庁で新技術での開発に携わっていた。


 星野が目を伏せたまま、絞り出すように口を開いた。


「描くことが監視される社会は、創造の死です」


 武内がそれに続く。


「人を救うために引いた線が、国家の道具になるとは……私は、思っていませんでした」


「だがその線が国家を守るなら、それは人を救うことと同義だ」


 日月の返答は切り札のようだった。言葉の意味は巧妙にすり替えられ、反論を封じていく。


 広報の桐嶋理事が顔をしかめながら書類をめくる。彼の背後に立つ秘書の視線がちらりとこちらを伺っている。


「まあ……報道管理の観点からも、一定の規律は必要でしょうな」


 文科省文化庁を経た森山理事は場違いな空気に当惑しつつも、ためらいがちに頷いた。


「予算獲得のためには、こうした“透明性”も……いたしかたないんですかね」


 やや逡巡ののち、彼らは賛成へと票を投じた。


 次は描線武器の登録制が議題に上がった。


 ここでアケミが口を挟む。


「ふん。描線武器の登録制? 即興の武器は制限する? ……あたしの戦い方を否定されちゃ、理事なんてやってられないね」


 一瞬、会議室が凍りついたように静まり返る。日月は顎を引き、眉一つ動かさない。


「実戦では安定した出力が必要だ。“衝動的な想像力”に依存する即興武器は、戦術上のリスクだ」


 それに返すアケミの口元には、皮肉な笑みが浮かんでいた。


「けっ、戦場にリスクが無いと思ってるのが、一番のリスクだよ」


 結果、描線武器登録制については「再検討」として保留。保守派内にも、ほのかな分裂の兆しが垣間見えた。


 そして――資格者の管理制度の強化。仮ライセンス制度の廃止。


 キズナの身体が一瞬ぴくりと反応した。これは、アツやケン、拡大されればサチハや、アドバイザーに就いたばかりのフクハラまで排除する内容だ。


 声を上げそうになるが、彼女は立場上それが許されない。爪を食い込ませた指が膝に震える。


 その沈黙の中で、会長・笹崎がようやく声を発した。


「谷保理事の不在中に決を取ることには抵抗がありますが、時勢を考えねばなりません」


 言葉は中立の衣を纏っていたが、その視線はわずかに日月側に傾いていた。


 そして、ついに。


「現場代表、戸隠キズナさん。あなたの意見を」


 視線が一斉に彼女へと向けられた。


 キズナは立ち上がると、拳を握りしめてから一度だけ深呼吸をした。


「……もし“線”が誰かを守るために引かれるなら、それを止めることはできません。

 でも──誰かを傷つける線なら、描きたくない」


 会議室に、風の音だけが遠くから忍び込むような沈黙が落ちた。


 星野がわずかに目を伏せ、武内が小さく頷く。アケミは、いつもの皮肉めいた笑いを浮かべながらも、その目だけは真剣だった。


「描きたい描きたくないとか、ガキのくせに言うことは一人前だね。アタシが見てきた中じゃ、そういう奴から先に折れる。ただ……折れなきゃ、面白い」


 アケミの言葉にキズナは言い返す台詞を見つける事ができなかった。


「続いて栗原アンナさん。あなたの意見を」


「私は──戦うことも、また創作の一部だと思います」


 きりりとした視線をキズナに向けたまま、淡々と告げる。


 二人の視線が交錯する。


 キズナは言葉にしないまま、かすかに頷いた。


 わかってる。わたしも、あなたも。

 だからこそ──この場では、言うべきことを言うしかない。


 拍手が、薄く、均等に会議室を包んでいった。乾いた、しかし決定的な音。


 力が、倫理を越えた瞬間だった。



「……理想論だな」


 日月武蔵が低く唸るように言った。椅子に座ったまま、手元の資料を閉じる。


「だが君らの“感情”では世界は守れん。感情は不安定で、誤解を生み、暴走する。それを制御し、監視することが、技術倫理というものだ」


 それはもはや理屈ではなく、確信だった。


「ふん、感情が無い線で誰を救えるってのさ」


 アケミが肘をついたまま、肩をすくめる。


「線は武器だよ。芸術でも、戦いでも。使い方次第で人を救うし、ぶっ壊す。……問題は誰が握ってるかじゃなくて、どこに向けてるかだろ」


 誰もがその皮肉に答えかねていた。


 そんな中で、ふっと空気が変わった。


 星野トシロウが静かに立ち上がったのだ。


 スーツの上着は脱がれ、白いシャツの袖が肘まで折られていた。いつもより少し疲れた表情を浮かべたまま、彼女・・は前へと歩を進める。


 机に手を置き、全員の視線を受け止めると、静かに言った。


「……それでも、描くよ」


 その声は小さかった。けれど、理事会室の壁を震わせるような余韻を残した。


「線は、支配のためにあるんじゃない。

 誰かを繋ぎとめるためにあるんだ」

 

 誰かが息を飲む音が聞こえた。


「目の前で怯えてる誰かを、遠くで泣いてる誰かを、崩れそうな誰かの心を、ただ一本の線で結ぶ。それが、わたしがこの仕事をしてきた理由です」


 日月が目を細めた。言葉を挟むでもなく、ただ彼女の言葉の行き先を見届けようとしていた。


「……だからたとえ、描いた線が監視されようと、奪われようと。

 描くことだけはやめない。わたしは、そういう人間だ」


 沈黙が、落ちた。


 だれも言葉を挟まなかった。いや、挟めなかった。


 武内が、隣の席で静かに頷く。肩の力が抜けたように、長く息を吐いていた。


 保守派の理事達の顔にも動揺の色が浮かぶ。さっきまでの賛成票に、迷いのしずくが落ちていく。


「……星野さん、それ、漫画家としての宣言ですね」


 笹崎会長が、静かに言った。口元にかすかな笑みと、深い疲労の影。


「では、これにて本日の理事会を閉じます。

 次回会議では、“倫理審査委員会”の設置を議題に」


 拍子木の音が乾いた午後に響き、閉会の宣言が下された。



「……今日の時点で、まだ正式には期日が定まったわけじゃないけど――」


 夕方のスタジオで、キズナが皆を前に立っていた。資料を畳んで、一息つく。

 マナセ、ラン、サチハ、それぞれの顔が曇る。アツが静かに頷くと、ケンが腕を組んでつぶやいた。


「でも、もうカウントダウンは始まってるってことか」


「資格者制度の強化、って聞こえはいいけど……

 あたしたち、ギリギリなんだよね」


 ランの言葉に、キズナは頷いた。


「だから、準備はしよう。アツとケンさんにも頑張って……、ちゃんとライセンスを取ってもらう。フクハラさんも支援してください」


 誰もが不安を抱えたまま、それでも目の奥に静かな火を灯していた。

 その時、サキがぽつりと呟いた。


「……星野先生、あの人はどこまで覚悟してるんでしょうか」


「描く覚悟って、たぶん、戦う覚悟よりずっと痛いよ」


 キズナの答えは、少しだけ笑って、でも涙をこらえるように真剣だった。



 夜の協会ビル。


 誰もいない理事会室の奥。ガラス張りの壁に囲まれた一角で、星野が一人、原稿用紙にペンを走らせていた。

 照明も落とされ、夜景の明かりだけが部屋を照らしている。


 インクの音が静かに紙を裂き、白い余白に線を刻んでいく。


 その線は、都市の光と交錯し――

 やがて、夜空の彼方、まだ誰も知らない“共鳴”へと続いていった。





いつもお読みいただきありがとうございます。


前回に続き「倫理」と「創造」の関係をテーマに描いています


物語の中では過度に監視される描線、感情波モニタリング、軍事転用の議論などが。

現実世界では生成AI・量子計算・ゲノム編集などが。人類の創造力は驚くほどの速度で前へ進み続けています。


その一方で「どう使うべきか」という倫理は、追いつくどころか置いてきぼりになりがちです。


作中で星野が語る「それでも描く」という言葉は、

“創作とは自身とそれと繋がる誰かを支えるための行為である”という信念の象徴として描きました。


そこに人間の意思があるからこそ、意味を持つ。


重いテーマですが、読者の皆さんにも何か一つ心に残るものがあれば嬉しいです。


次話からは空気を変えて、年末へ向かい各自が身近な人や家族と向き合う。そんな時間を描いていきます。

スタジオに恋の予感が……

登場人物たち本来の“日常”と“心”に焦点が戻っていきます。こちらもぜひお楽しみに。

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