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第12話 「入稿」~君へ届く、一本の線~

描いた線が、また誰かの心を動かすと信じて。


「眼鏡」で見えないものを捉え、

「ペン」で見たい未来を描いていく。

打ち切り、謹慎、揺れる仲間たち。

それでも——線を描く理由は、まだここにある。


『描線眼鏡』シリーズ本編第2部始動

 前作同様に水・日曜の午後9時半に投稿の予定です。

 気温は穏やかだったが、乾いた風が頬を撫でるたび、目の奥に砂粒のような疲労が疼いた。


 9月24日、昼下がり。一晩の行軍訓練を終えたチームが車中で僅かな休息を取り、東富士演習場から本栖研修所へ戻ったのは、午後1時を回った頃だった。


 夜間行軍へ同行しなかったケンは、昨夜は黙々と“アナログ進行”を進めていた。ケンもケンで夜通し歩き続けていたのだ。


 その進行状況は既に七割を越えていた。コマ枠のペン入れ、台詞の書き写し、背景の墨入れ――全てが手作業。


 それでも「残り三割」が遥かに険しい。トーンの指定、集中線の追加、効果音の書体まで、普段はPCの一括処理で済ませていた工程を、今日に限っては己の手と目で完遂せねばならない。


 明日25日が「コミックバンゴ」創刊号の入稿締切日。

 

 本来は夜間演習明けの休息時間に当てられていた時間帯。

 研修所の作業室に仮設の原稿台を並べ、疲労を孕んだ仲間たちの動きは、粘り気を含んだ静けさを帯びていたが、必ず再生の証を世に送り届ける決意に変わりは無かった。


 誰も言葉を交わさないが、擦れる紙の音、インク瓶の蓋を開ける音、ケント紙のわずかなきしみが、空間を満たす唯一のリズムだった。


 アナログ作業で手も汚れ、カッターにほんの少しの歪みも許されない。それでも彼らは、久々の作業も慣れない作業もひたすらにこなしていった。



 さらに一夜が明け、交代で少しずつ休憩を取りながらも、作業を進めた彼らの努力がようやく実を結ぶ時が来た。


 後は如何にこのアナログ原稿を入稿するかだ。


 各自には、合宿での進捗・成果・反省・感想などのレポートが義務付けられていた。これに関してはタブレット・PCなどでの作業も認められている。


 試みにメールや画像の送付を行ってみたが、協会アプリのインストールされたタブレットは、AIが“現実外の線”と判断した時、それは即座にシャットアウトされた。


 ――通信遮断、継続中。


 それでも、フクハラとの連絡だけは、かろうじて生きていた。


 懐かしい3GガラケーのSMS――限界160文字。


 サキとフクハラは文字数を削っては送り、誤変換を修正し、数分のラグを耐えながら、断片的に情報をやり取りしていた。


 〈アナログ残:23枚/トーン 14種必要〉

 〈回線状況変わらず。VPN旧ポート確認中〉

 〈画像転送可?〉

 〈圧縮か変換、要ルート確保〉


 サキは自分の眼鏡を一度外し、膝上に置いたタブレットへ視線を落とす。


 そして、すぐに眼鏡をかけ直した。プロトコル層を透過的に表示する“描線眼鏡”の機能を拡張するため、仮想化層にコードを書き加え始めた。


「……ルーティング層を、バイパスして……旧防衛網のVPNへ……」


 声に出すことで集中力を保ち、思考を整理する。ペンではなく、意識で“線”を描くように、サキの視線は仮想空間の構造をなぞっていく。眼鏡の表示領域に青白い接続線が浮かび上がり、点滅するノードがひとつ、またひとつと繋がっていく。


 その頃、東京・文潮社の一室で、フクハラもまた旧世代の管理ソフトを立ち上げていた。


「こいつ……まだ生きてんのか。2008年製だぞ」


 呆れ笑いを漏らしつつ、フクハラは演習参加者の管理サーバから、あるバックドアを探し当てる。そこはかつて、旧VPNに繋がっていた管理者専用の裏口。認証ポートが未更新のまま残されていた。


「今ならいける……サキちゃん、信じるぜ」


 再びSMSが届く。


 〈回線確保。入稿ファイル偽装可〉


 〈原稿、送信します〉


 数秒の空白。その後に、続けて短いメッセージが届いた。


 〈信じる事にします、あなたの言葉〉


 フクハラは思わずガラケーの画面を見つめたまま、しばし指を止めた。

 キーボードに手を戻すと、思案しながら返す。


 〈愛する事と信じる事の違いって、わかりますか?〉


 返事は遅れた。


 〈? ? どういう意味ですか?〉


 フクハラは少し笑って、こう打ち込んだ。


 〈自己で完結するか、相手を含むかさ。この場合、互いの関係だから愛する事になる〉


 今度の返信は、もっと時間がかかった。


 〈“信じる”ってことは……本当に、予測と違っても受け入れることですか?〉


 〈予測? 違うな……信じるってのは、賭けるってことさ。リターンがなくても、何かを。〉


 〈なら、愛するって?〉


 〈自分だけの賭けじゃない。相手もその線の先にいるって信じること。〉



 そして。


 〈……良く分かりませんが、……考えておきます〉


 画面の先にいるその人が、どんな表情でこの言葉を打ったのかを想像した。


 送信を終えた原稿ファイルは、フクハラの操作によって、業務用サーバに無事アップロードされる。


 数秒後――本栖研修所の作業室。

 サキがそっと眼鏡を外し、空を仰いだ。


「……成功、しました。入稿完了です」


 その声に、ケンが、ランが、マナセが、そしてアツが、ほんの少しだけ顔を上げる。


 無言のまま、指先にわずかな力がこもる――原稿の線に、筆圧に、静かなる達成感が宿った。



――9月25日夕刻、文潮社・第三編集局。


 会議室のドアが、苛立ったような音を立てて開いた。


「おい! 本当に『眼鏡の女の子』の原稿は大丈夫なんだろうなっ!」


 編集局長・春原泰蔵の怒声がフロアを震わせる。額に浮かぶ汗の粒が、室温ではなく焦燥を物語っていた。


「創刊号の巻頭が落ちたら、洒落にならんぞっ! そもそもフクハラは一体全体どこで何をやっているんだ!」


 会議机の向こうで、編集長・瑞沢ムロは腕を組んだまま目を細める。茶色がかったパーマと、落ち着きのある物腰が対照的だった。


「フクハラはクオリティの妥協はしませんが、必ず締切は守る男です。戸隠先生もまた、星野先生のスタジオ時代から意識が高くて……週刊コスモスでも、ギリギリになっても必ず入稿させたそうですよ」


 春原が口を開きかけたその時、モニターの表示が変わった。


 VPN経由でアップロードされた一件のファイル。その名に見覚えがある。


 《眼鏡の女の子_第1話_原稿_ver.final》


 フクハラからの回線が、僅かにラグを伴って繋がる。


「間に合ったのか……!?」


「信じていたけど……待ってはいたよ」


 瑞沢が問うように呟く。


 その向こう、カメラに映るフクハラは、乱れた髪に薄い笑みを浮かべていた。


「ええ、“線が繋がった”んです」


 フロアに一瞬、沈黙が落ちた。

 

 編集部の誰かが立ち上がりかけて、足音を止めた。


 そして、誰ともなく拍手が始まり、すぐに歓声と笑いが混じる。そこに“高揚”が確かにあった。


 ***


 その頃、本栖研修所の作業室では、入稿を終えたチームの面々が、静かに達成感を噛みしめていた。


 マナセがスリッパのつま先をトントンと床に打ちつけながら、ぽつりと呟く。


「これで俺たちも……また“外”に線を引けるんだな」


 サチハが、小さくガッツポーズを作ってみせる。どこかぎこちなく、それでも全身で「やった」と言っているようだった。


「すごい……みんな、やったよ……」


 キズナは、原稿台の周囲を見回していた。目元のクマは濃いが、その視線には光があった。今だけは“未来”が、ほんの少し先にある気がした。

 

 サキはしばし放心状態だったが、一連の入稿やり取りを思い出していた。通信の先のフクハラの姿は見えない。だが、彼の言葉の輪郭だけが、ずっと胸の奥に残っていた。


「……あの人は、たぶん、“線”で人を測ってる」


 そんな不思議な確信だけが、サキの中に残った。


 アツが、傍らでペンを置いたまま、ぽつんと呟く。


「……なんか……描いた線が、誰かと繋がる感覚がした」


 誰もすぐには答えなかった。けれど、その言葉は空間に残った。


 ペンの音も、インクの匂いも、今はただ“その線”の余韻の中にあった。


 ***


 午後10時。都内某ホテルの一室。


 野田がノートPCを開き、ベッドサイドに腰を下ろしていた。画面には、複数のウィンドウが開かれている。


 ひとつは、演習場で撮影された映像。煙の立つ荒れ地に、アンナとそのチームが立つ。


 もうひとつは――

 「栗原アンナ」の過去映像。演壇に立ち、何かを訴える姿。記者会見、インタビュー、そして――例の受賞スピーチ。

 演壇での凛然とした視線と、演習場を見つめる瞳。その両方が、同じ線上にあった。


 モノローグのように、誰の声でもなく思考が流れる。


 《なぜ、君たちはそこまでして“描く”のか。

  それは世界のためか、それとも――自己のためか。》


 野田の眼差しは、その問いの奥に何かを探していた。


 ***


 一方、東京・協会本部。

 深夜の会議室に、柚木理事の声が静かに響く。


「谷保四郎社長との面会を、手配してくれ。……今回の事態も含めて……、“眼鏡と線の未来”を聞いてくる」


 受話器を置くと、彼はしばし天井を仰いだ。


 夜の静けさに、何か遠い記憶の音が混じる気がした。



 9月26日、早朝。


 濃い靄が本栖湖の湖面を薄く覆い、山裾にたなびく雲が朝陽に照らされてわずかに色づいている。湿った空気のなかで鳥の声だけが清らかに響き渡る。


 キズナたちのチームとアンナたちCYPhARチームは、それぞれ帰路につくための準備を終え、研修所の駐車場で顔を合わせていた。


 目の下にクマを浮かべながらも、全員がどこか名残惜しそうに互いを見つめている。戦闘の興奮が冷め、現実が少しずつ押し寄せてくる朝の空気の中で、それぞれが胸のうちに言葉を探していた。


「……ま、せいぜい頑張ろうよ、再デビュー組」


 アンナの隣に立つ黒髪の少女リンが、鼻を鳴らしながらも少し微笑んだ。マナセがすかさず肩をすくめる。


「ええ、そちらこそ。ちゃんと休みも取れるようにね。心が壊れたら、魔にも隙を突かれますよ」


「うわ、急に保健室の先生みたい」


 そう言ったのはランだった。ポニーテールを軽く揺らしながら、少し寂しそうにアンナたちを見送る表情に、普段の気まぐれな色が少し混じる。


 そんなやりとりの横で、キズナとアンナが静かに向き合った。


 互いに多くを語る必要はなかった。ただ、あの共鳴線が生まれた瞬間の記憶だけが、はっきりと心の中に残っていた。


「……あれって、偶然だったんですかね?」


 キズナがポツリと尋ねる。自分でも理由がわからないままに。


 アンナは一瞬、言葉を選ぶように視線を空にやった。


「偶然が重なって、“線”になることもあるよ。とくに、似たようなものを背負ってるとね」


「……背負ってる、ですか?」


「うん。たとえば――“ちゃんと意味のある線を描きたい”って気持ちとか」


 キズナは小さくうなずいた。


 その瞬間、どこかに確かな共鳴があったことを、彼女の中の“何か”が確信していた。


 それぞれ車に分乗し、帰途につく時間がきた。


 霧のなかをゆっくりと動き出す車列。運転席でハンドルを握るケンがバックミラー越しに仲間たちを見て、にやりと笑った。


「さて、また“毎週締切”との戦いが戻ってくるぞ。今度はデジタルの手も借りられるとは思うけどな~」


「勘弁してくださいよ、師匠。今日はとりあえず原稿の事は考えたく無いです……」

 

 マナセが苦笑いで返し、その横ではランが既に丸くなって寝息を立てていた。


 サチハは窓の外に広がる山並みに視線を向けたまま、欠伸をかみ殺しながらぽつりと呟いた。


「……現実に戻るのも、悪くないですね」


 その横顔には、どこか凛とした穏やかさが宿っていた。



 その日、キズナはいつものように眼鏡をかけたまま、まだ冷めきらない陽射しの差し込む部屋で、机に向かっていた。


 ペン立てに刺さった愛用のGペンの先に、日光が反射してわずかに鋭く光る。カーテンの隙間から入り込む風が、机の上のノートをめくった。バサリという音と共に、鉛筆で乱雑に書き殴られた走り書きが視界に現れる。


 《左から来る! 連携!》

 《目の前の線を信じろ!》

 《リンク状態確認、Save your——》


 文字の隙間に、小さく描かれた街の風景。火花のような魔の気配。雲を裂く稲妻。誰かの笑顔。誰かの涙。


 キズナは手を止めたまま、そのページをじっと見つめた。


 あの日のことを、誰が言葉にできるだろう。誰が、絵にできるだろう。


 ただひとつ確かだったのは、自分の手が線を引いたということ。


 あの瞬間、誰かと心が重なり、交わったということ。


「何のために描くのかなんて……今もよく、わからないけどさ」


 独りごとのように呟いた声が、自室に静かに響く。電子音もテレビの声もない、紙とインクの匂いだけが漂う空間。


 でも、あの日——たしかに“線”は、誰かと響いた。


 彼女は、ゆっくりと立ち上がった。椅子が軽くきしむ音。Gペンを手に取り、インク瓶の蓋を開ける。その手が一瞬、止まる。迷いとも、恐れともつかぬ、名のない感情が、胸にさざ波のように広がる。


 ——ほんとに、描けるのかな。


 そう心のどこかで囁く声を、彼女は静かに押し返

す。


 ——違う。描くんじゃない。描きたい、から。


 ペンが紙に触れ、最初の一本の線を引いた。


 最初に描かれたのは、あの時、右手を差し出してくれた仲間の後ろ姿だった。躍動と緊張に満ちた一瞬。次のコマでは、眼鏡越しに見た魔の残光が、網点のトーンで淡く浮かび上がる。速度線。集中線。モノローグ。


 “Save your peace.”


 机の端に置かれた雑誌。


 それは、真新しい創刊号の見本誌だった。


 『コミックバンゴ』創刊号

 巻頭カラー——

 『眼鏡の女の子 ―Save your peace!―』


 その表紙には、空に向かって叫ぶ少女の姿があった。両手で眼鏡をかけ、その瞳がまっすぐに何かを見据えている。乱れた髪、荒れた背景。それでも、線は震えながらも確かに“未来”を描いている。


 ページが閉じられた部屋に、風がまた吹いた。






いつもお読みいただきありがとうございます。


今回は「入稿」というタイトル通り、戦場から戻ったチームが、原稿を完成させるまでの姿を描きました。疲労、通信障害、締切、そしてペン。戦う力と描く力、その両方を持つ者たちが、それでも「誰かに届く線」を信じて、ページを埋めていくお話です。


後半では、回想と共に静かに始まる“新しい日常”も描かれます。タイトルの「入稿」は、単なる物理的なデータ送信だけではなく、「未来への線を描く」行為そのものでもあります。


もしよければ、彼女たちの描いた“ひとコマ目”を覗いてみてください。


「合宿編」はこれにて終了です。


正直、自分なりに、ではありますが一定のクオリティを保ちつつ、週2回の更新を続けていくことに限界は感じています。


まずは来週一週間は連載をお休みさせて頂き、11/12(水)更新分から再開する予定です。


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