第6章 若き指揮官、イタリアへ進軍(1798〜1799年・28〜30歳)
1796年春、ナポレオン・ボナパルトは、ついに“軍の指揮官”として実戦の最前線へと歩を進めた。
司令官任命の知らせを受けたのは、ジョセフィーヌとの結婚からわずか数日後だった。
その喜びの余韻も冷めやらぬうちに、彼は南仏ニースの野営地へと向かった。
だが──彼を待っていたのは、栄光などではなく、飢え、疲労、絶望にまみれた数万の兵士たちだった。
「こんな若造が将軍だと?」
「帽子だけは立派だが、顔は死人みてぇだ」
野営地には、そんな声が飛び交っていた。
兵士たちは、給与の遅延、補給不足、感染症と敗戦続きにより、まるで生きる気力を失っていた。
前任の将軍たちの命令はことごとく無意味で、士気は地に落ちていた。
ナポレオンは、まず彼らの前に立ち、言葉を放った。
「兵士諸君。我々は飢えている。だが、敵もまたそうだ。
君たちは貧しいが、オーストリアの金庫は肥えている。
君たちは裸だが、ミラノの宮殿は絹と宝石で溢れている。
それを手に入れたとき、君たちはただの傭兵ではない。祖国の英雄となる」
沈黙が流れた。
だが、その沈黙の奥に、心のひだがわずかに動いた気配を、ナポレオンは感じ取った。
軍の再編は急ピッチで進められた。
重装備は最小限に抑え、代わりに行軍速度を徹底して上げた。
補給線は「現地調達」──つまり、勝って奪う。それを前提とした電撃戦だった。
そして4月、ナポレオン率いるイタリア方面軍は、一気に山岳地帯を越えて北イタリアへと雪崩れ込んだ。
敵は、サルデーニャ王国とオーストリア軍の連合だった。
だが、彼らは“来るはずのない道”からフランス軍が攻め込んできたことに、混乱した。
モンテノッテ、ミレジモ、ダゴンツォラ──
ナポレオンは連戦連勝した。
敵の隙を突き、各個撃破し、二週間で五度の戦闘すべてを勝利に導いた。
兵士たちは驚愕した。
「勝てる……」「あの将軍について行けば、生き残れる……!」
彼らの目が、少年のように輝きを取り戻していった。
そして、あの戦いがやって来る。
歴史に残る、ロディ橋の戦いである。
1796年5月。
オーストリア軍が撤退に使っていたロディ川の橋を巡り、激しい戦いが起こった。
敵は川の対岸に砲台を並べ、橋を渡るものを徹底的に撃ち落とす構えだった。
ナポレオンの幕僚たちは、一様に顔を曇らせた。
「将軍、あの橋を渡るのは自殺です」
だがナポレオンは、川の前に立ち、自ら地図をひらいた。
「撃たれる前に撃てばいい。
渡ってから砲を並べるのではない。渡る“途中”に撃てばいいのだ」
彼は砲兵隊を、川の手前ぎりぎりに配置し、撃ち下ろすように角度を調整させた。
そして、歩兵にこう言った。
「渡れ。恐れるな。私はここで見ているのではない、共に渡る」
そして、本当にナポレオンは、前線に立った。
弾雨の中、兵たちの先頭で、軍服をなびかせ、銃声と砲声の狭間を突き進んだ。
橋の上には、血が流れ、煙が立ち込め、叫びが響いた。
だが、兵士たちは崩れなかった。
彼が共にいたからだった。
数時間の戦闘の末、ロディ橋は奪われた。
敵は後退し、フランス軍は川を渡った。
ナポレオンは初めて、「地図を動かした」という実感を得た。
のちに、彼はこう回想する。
「ロディ橋を越えたとき、わたしはようやく、
自分が“何か特別な存在”であると信じるようになった」
その夜、ナポレオンはテントの中でジョセフィーヌへの手紙を書いた。
「君の姿を思い浮かべるたび、わたしの剣は迷いを失う。
君は来てはくれないだろうか。
戦場よりも、君の不在のほうが……よほど寒いのだ」
だが、返事は遅れた。
パリでのジョセフィーヌは、社交界に忙しく、返書は淡々としていた。
それでも、ナポレオンは書き続けた。
彼にとって、愛と戦は同じだった。奪い、繋ぎ止めるものだった。
イタリア遠征は、まさに“英雄の誕生”だった。
だがそれは、同時に“孤独な絶対者”の始まりでもあった。
兵士たちは彼を「神」と讃え始めた。
だが、彼の隣にいるはずの“最愛の妻”は、遠くにいた。
それでもナポレオンは歩を止めなかった。
ジョセフィーヌの愛を取り戻すために、
世界に名を刻むために、
己の力を信じる者たちに応えるために──
若き将軍は、戦場を征服しながら、
同時に自分自身の運命も切り拓いていた。
1796年5月、ナポレオンは北イタリア遠征の途中でロディ川に行き着いた。
川の向こうには、オーストリア軍が砲台を並べて待ち構えていた。
橋の長さは約80メートル、幅はわずか4メートルしかなく、ここを正面から進むなど誰も考えなかった。
しかし、ナポレオンはあえてその橋を強行突破するという決断を下した。
砲兵による支援射撃のもと、精鋭歩兵が橋を突撃し、多くの犠牲を払いながらも対岸に到達。さらに騎兵も橋を渡って突入した。
この予想外の突破に、オーストリア軍は動揺。背後を断たれることを恐れて、戦線の維持を断念し撤退した。
この戦いは「死中に活」そのものであり、ナポレオンの大胆さと現場判断が勝利を導いた。
兵士たちはこの戦いを通じて彼に絶対的な信頼を抱くようになった。
「渡れ。恐れるな。私はここで見ているのではない、共に渡る」はナポレオンの回想録。
しかし、兵の鼓舞には最適な言葉で、かなり危険な場所で指揮していたとは思われる。