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第20章 運命のエルバ、そして百日天下(1815年・46歳)

1814年4月、フォンテーヌブロー宮殿。

ナポレオン・ボナパルトは、玉座の間にひとり立っていた。


椅子は空席。軍服の肩章も、かつての重みを失っている。


彼は書状を机に置くと、軍医を呼んだ。

服の袖からのぞく手首には、包帯が巻かれていた。


「……毒は効かんかったよ。神は、まだ私を生かしているらしい」


それは、敗北ののちに飲んだ自殺の毒だった。

だが命は助かり、彼は死に損なった皇帝となった。


その日、ナポレオンはフランス皇帝を退位し、わずか3隻の船とともに、地中海の小島――エルバ島へと送られた。


エルバ島。

わずか1万の住民と小さな山々に囲まれた、ひなびた島。


ナポレオンは、皇帝としてではなく、**「島の統治者」**として生きた。

道路を整備し、鉱山を開き、教育制度を導入し、農民の生活を改善した。


ある日、島の子供にこう訊かれる。


「ナポレオンさま、なんで、ここにいるの?」


彼は笑った。


「神さまが少し休めと言ったのさ。でも――きっとすぐまた働かせに来るよ」


誰もが忘れかけていた頃、フランス本土から風が吹いてきた。

ルイ18世の復古王政は不評で、民衆はかつての栄光に飢えていた。


そして1815年2月26日――

ナポレオンは密かにエルバ島を出発する。


彼が乗った小船には、わずか1000人の兵と、運命への執念だけが乗っていた。


3月1日、南仏に上陸。

道行く農民がナポレオンの顔に気づき、叫ぶ。


「皇帝陛下だ!」


瞬く間に噂は広まり、王政側の兵士が彼を迎え撃つ。


ナポレオンは、ただ前に歩み出て言った。


「兵士たちよ。お前たちの皇帝が戻った。私を撃て。――さもなくば、共にパリへ行こう」


銃声は鳴らなかった。

兵士たちは銃を捨て、「皇帝万歳!」の叫びとともに彼のもとへ駆け寄った。


それは奇跡の行軍であった。


誰一人殺さず、誰一人斬らず、ナポレオンはパリに到達する。


3月20日、パレ・デ・トュイルリーにて――

ナポレオンはふたたび皇帝となった。


それが、百日天下の始まりだった。


だが、諸国は待ってはくれなかった。

連合軍はただちに反応し、再びナポレオンを打倒すべく兵を挙げる。


皇帝はわかっていた。

「これが最後の戦いになる」


かつての大軍はもういない。新たな兵をかき集め、時間との競争のなかで、彼は戦陣を整えた。


そして1815年6月――

ワーテルロー。

ベルギーの野にて、フランス軍と英・プロイセン連合軍が激突する。


朝から降り続いた雨で、野はぬかるんでいた。砲の車輪は泥にはまり、進軍は遅れた。


ナポレオンは空を見上げる。


「天さえも、私に牙を剥くか」


戦闘は熾烈を極めた。

ネイ元帥の突撃、ラサールの騎兵突進、オールド・ガードの踏み止まり。

すべては勇猛だったが、敵はそれ以上だった。


夕刻、プロイセン軍が側面から出現し、戦局は崩壊する。


ナポレオンは最後まで馬に乗り、陣の後方から離れようとはしなかった。


「これが、終わりか……」


その二日後、ナポレオンはふたたび退位を宣言。

今度は、戻る場所も、期待する声もなかった。


彼はイギリス軍に引き渡され、セントヘレナ島へと送られた。

その名のとおり、世界の“果て”だった。


大西洋に浮かぶその孤島で、ナポレオンは余生を過ごす。

数人の従者と共に、かつての戦いを回想し、書き記していた。


時に、海を見つめながらこう呟く。


「フランスは私を捨てたかもしれん……だが、歴史は私を忘れまい」


1821年5月5日。

ナポレオン・ボナパルト、セントヘレナ島にて没。享年51歳。


その墓碑には、名前も称号も記されなかった。

ただ、荒れた風のなか、草が揺れていた。


エピローグ


やがて時代が流れ、彼の遺体はフランスに返還される。

セーヌ河岸のアンヴァリッド廟に眠るその姿を、人々は“皇帝”として迎えた。


歴史家が問う。

「彼は英雄か、暴君か」


人々は答える。

「彼は、夢だった。ひとつの時代が見た、炎のような夢だった」

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