第14章 アウステルリッツの太陽──皇帝、頂点へ(1805年・36歳)
1805年12月1日、モラヴィアの夜は深く、寒風が平野を吹き抜けていた。
帝国軍の宿営地では、兵士たちが焚き火を囲み、湿った野営地で眠りに就こうとしていた。
その中央、粗末な天幕の中でナポレオンは地図の上に手を置き、沈思していた。
ろうそくの火が揺れ、地図上に落ちる影が、明日の戦の激しさを予告しているかのようだった。
「敵は三十万の大軍だと喧伝しているが、実のところ十万もいまい。数に酔って、足元を見失っている」
幕僚たちの沈黙のなか、ナポレオンの声だけが明瞭に響いた。
「我々が引いたと見せれば、彼らは谷間へ降りる。その瞬間が勝機だ。中央を叩け。右翼は捨て石だ」
この戦いは、かつてない“演出”だった。
ナポレオンは自らを囮に見せ、敵の慢心を煽り、戦場全体を舞台装置として使おうとしていた。
翌朝、戦場は霧に包まれていた。
だがその霧の奥から、ひときわ鮮やかな光が射した。
太陽が、昇ったのだ。
ナポレオンは馬上でその光を見上げ、誰に言うともなく呟いた。
「アウステルリッツの太陽……この日を、歴史は決して忘れまい」
ナポレオンの帝国軍は、わずか7万3千。
対するロシア・オーストリア連合軍は、約9万。
戦場には「プラツェンの高地」と呼ばれる丘陵があり、そこを制した者が戦局を握ると誰もが信じていた。
ナポレオンは、あえてその高地を明け渡した。
敵将クトゥーゾフとアレクサンドル皇帝は、「フランス軍は退却しようとしている」と誤解した。
彼らは勢いに乗じて攻め込み、フランス右翼を一気に包囲殲滅しようとした。
だが、それがナポレオンの狙いだった。
午前8時、戦いが始まる。
連合軍が右翼へ雪崩れ込む。
その刹那、霧が晴れ、フランス中央部に隠されていた新たな部隊が現れる。
「今だ。スールト将軍、前進せよ! プラツェンの高地を奪え!」
ナポレオンの号令が飛ぶ。
待機していたフランスの歩兵師団が一斉に丘を駆け上がった。
虚を突かれたロシア兵は混乱し、砲台は奪われ、連合軍の戦列は中央から崩れ始めた。
「挟撃せよ。敵の中央を断て。片翼は我がものだ」
地形、霧、心理戦。
あらゆる要素を織り込んだ戦術は、まさに“戦場の芸術”だった。
正午には、戦局は決していた。
ロシア軍は潰走し、氷結した湖に逃れた兵たちは、砲撃によって氷ごと沈められた。
アレクサンドル皇帝は馬を駆って戦場を離脱し、敗北の報を携えてペテルブルクへ帰還する。
戦後、ナポレオンは兵士たちの前で演説した。
「兵士たちよ。わたしはお前たちに満足している。わたしたちは敵を撃破した。三皇帝の同盟など、砂上の楼閣にすぎなかったのだ」
兵たちは歓声を上げ、「皇帝万歳!」の声が戦場に木霊した。
その夜、ナポレオンは静かに報告書をしたためていた。
「本日、アウステルリッツの戦において、我が軍は敵を粉砕した。敵は五万を超える損失を出し、皇帝アレクサンドルは逃亡。オーストリア皇帝フランツは降伏の意向を示している」
その筆は、まるで皇帝自身が歴史を書き記しているようだった。
数日後、オーストリアは講和を申し入れた。
プレスブルク条約の締結によって、オーストリアは広大な領土を失い、神聖ローマ帝国は実質的に消滅した。
ヨーロッパの旧秩序は、音もなく崩れ去った。
ナポレオンは言った。
「わたしは帝国を築いたのではない。腐敗を清めたのだ」
しかしその勝利の陰に、ある予兆が潜んでいた。
敗れたロシア皇帝アレクサンドルは、静かに誓っていた。
「ナポレオンは……次は我らの土地に来る。ならば、我が大地で必ず倒す」
帝国の頂点に立ったナポレオンの背後に、すでに大陸の寒気が忍び寄っていた。
だが今はまだ、それを知る者はほとんどいない。
太陽は燦然と輝いていた。
「アウステルリッツの太陽(Le soleil d’Austerlitz)」という表現は、ナポレオン自身が発した言葉とされる。
※「太陽」という語は、国家の象徴的存在として印象づけるために用いたのかな。
アウステルリッツの所在地は、フランスの首都パリから見てほぼ真東にあたり、現在のチェコ共和国に位置する。陸路での距離はおよそ1,200〜1,300kmである。
当時、イギリス・ロシア・オーストリアが結成した第三次対仏大同盟に対して、ナポレオンは迅速に戦局を終結させる必要があり、この戦いはその戦略の一環として実行された。




