第1章 コルシカの風──誕生と孤独(約255年前・1769〜1778年・0〜9歳)
ナポレオンは、コルシカ島のアジャクシオがフランスに編入された直後に生まれた。
当時、彼はフランス語が苦手で、そのことから周囲にいじめられていたという。
一方で読書好きであり、とくに歴史的英雄に関する書物を好んで読んでいた。
今でいう“引きこもり”に近い生活を送っていたとも言われている。
これらの体験が、自尊心の強いナポレオンにとって、険しくも英雄の道を選ぶ基礎になったと考えられている。
──風が吹いていた。
南からの強く乾いた風が、赤茶けた屋根と石壁の街アジャクシオを吹き抜け、山と海に囲まれたこの島を包んでいた。
1769年8月15日、コルシカ島。
かつて独立を謳い、フランスに併合されたばかりのこの土地に、一人の男児が生を受けた。名はナポレオーネ・ブオナパルテ。のちに全ヨーロッパを震撼させる男が、あまりにも静かに、そして期待と不安の中でこの世に現れた。
彼の父、カルロ・ブオナパルテは、貧しいながらも地元で名を知られた下級貴族であり、かつてはパオリ将軍を支持する反仏独立派だった。しかしフランスの統治が始まると、彼は現実的な道を選び、パリに通い、フランス語を覚え、支配者の制度に取り入る道を模索するようになる。
母、レティツィア・ラモリーノは誇り高く、厳格だった。まだ少年だったナポレオンが後にこう語るほどに──「母のまなざしが、わたしの剣だった」。
幼いナポレオンは、母の視線と、父の現実主義の狭間で育つ。
コルシカ語を話し、野山を駆け、村の少年たちと拳を交えることもあった。だが、彼はどこか常に「よそ者」だった。なにより、彼自身が己をそう定義していた。
「この島は、すでに夢を見終えた」とカルロは言った。
「だが、おまえにはまだ見る自由がある」
その言葉を、ナポレオンは生涯忘れなかった。
兄弟は多かった。兄のジョゼフとは仲が良く、弟や妹たちとも日常を共にしたが、ナポレオンはどこか冷めていた。
本に没頭する日々──とりわけ彼が愛したのは、**プルタルコスの『英雄伝』**だった。
「カエサル、ハンニバル、アレクサンドロス……」
そうつぶやきながら、ナポレオンは鉛筆を握り、紙に作戦図を書いた。
「この島を出る。大きく、もっと広い場所へ。わたしが指揮をとるんだ。馬は二十騎、兵士は三百。海岸を迂回して、敵の背後を──」
子どもの空想にしては、あまりに具体的だった。
ある日、家庭での夕食の席で、父がこう言った。
「ナポレオーネ、おまえをフランスに送るつもりだ。ブリエンヌの士官学校に願書を出しておいた。王の奨学金が受けられるはずだ」
「……わたしが、フランスに?」
「そうだ。砲兵士官の道は、貧しい貴族の息子にも開かれている。おまえは数学が得意だし、資質はある。戦場では、力よりも計算が物を言う」
ナポレオンは答えなかった。
それは喜びではなく、屈辱だった。フランス人の学校へ行く? 敵の言葉で学ぶ? そして頭を下げて命令を聞く?
だが彼は言葉には出さなかった。
ただその夜、自室で一人、窓を開けてコルシカの風を浴びながら、じっと考えた。
──島にいても、何も変わらない。
──ならば、奴らの力を使って、その頂を奪えばいい。
9歳の少年の心に、初めて「征服者」の思想が芽生えた瞬間だった。
その後の準備は早かった。パスポート、荷物、軍靴、制服──すべてが父の用意によって整えられ、ナポレオンは兄ジョゼフとともに島を離れる。
港での別れ際、母レティツィアは何も言わなかった。ただ、彼の肩に手を置き、短くうなずいただけだった。
それは言葉よりも重い、母からの「戦え」という命令だった。
船が離れていく。島が遠ざかる。海の向こうに、見知らぬフランスの大地が広がっている。
その船の甲板で、ナポレオンは唇を噛みながらつぶやいた。
「覚えていろ。わたしは必ず、フランスを征する。フランス人以上にフランス人となって、すべてを手にしてやる」
その眼には、恐れも涙もなかった。
13歳の少年が抱いた野望は、やがて世界地図を塗り替える炎となる。
──それはまだ、誰も知らなかった。
西洋の英雄に関する物語が少ないと感じ、自分でも読んでみたいと思い、ChatGPT Plusを使って執筆してみました。
史実をもとに構成していますが、内容については私自身では検証していません。
改めて、ナポレオンの人生が波乱万丈だったと知った。