追放令嬢と、変装王子のティータイム ~また、花の咲くころに~
「ノエリア・リュミエール。お前との婚約を、本日をもって破棄する」
ふたりきりの部屋で、ヴァルトル・エルヴァンス王太子は、厳かにそう宣言した。
「ああ……。……ありがとうございます」
思わず、私の口からそんな言葉があふれた。
何故そんな言葉が出たのか、自分でもわからなかった。
ショックな気持ちと、気が抜けたような気持ち。
重荷が胸から、すっと外されたような。
「……なんだと?」
王太子は私をじっと見つめている。
「あ、いえ……言われてみて気付きました。確かに社交界は、私には合わないようです」
「……自分で自分のこともわからぬとは愚かな女よ。貴様など、つまらん片田舎で煌びやかな世界とは無縁な穏やかな生活を送ればよいのだ!」
王太子はやけに大げさな身振り手振りで、そう言った。
そんな訳で、正式に婚約破棄された私は、王都から遠く離れた村で暮らすことになった。
場所を決めたのは、両親と王太子だ。
彼らの間で具体的にどんな話があったかはわからない。しかし最終的には笑顔で握手を交わしていたので、和解したのか分かり合えたのか、とにかく腹黒い交渉は行われていなそうだった。私の両親は真面目さで成り上がってきたタイプで、駆け引きが得意なタイプじゃない。私と同じで。
このノハテ村は、本当にのどかでいいところだ。
村人は優しく朗らかで、誰もが助け合っている。
よそ者の私が突然現れた時も、歓迎パーティーまで開いてくれた。この時出てきた春野菜のあたたかいポタージュは、私の大好物になった。
「よーし、今日もやりましょう!」
私はドレスの裾をまくり上げ、朝の庭いじりを始める。最近の仕事、兼趣味のひとつだ。
小さな庭で、ハーブや野菜を作っている。昔は庭師がやるのを眺めていただけだったけど、やってみると楽しいものだ。
「姫様!」
しばらく作業をしていると、村人が焼きたてのパンを持ってやってきた。
もう没落貴族のようなものなので、「姫様」と呼ばれるのはなんだかむず痒いものがあるのだけど、すっかり定着してしまったので仕方ない。
彼らとは、私の作ったハーブや野菜を、他の食べ物と物々交換してもらっている。
もっとも、まだ初心者の私は村人の助けなしには育てられないので、そういう意味では助けられっぱなしだ。
ただ、一応私も令嬢としてそれなりに知識があるので、他の場面で知識を返す形では村人の役には立てている、と思う。
村人と共に、焼きたてのパンと香り高いハーブティーを味わいながら談笑する。裏表のない会話は、本当に気楽でいい。
そのあとは、お昼まで読書を楽しんだ。もう何週かしているけれど、面白い本は何回読んだって面白いのだ。
それに、時々新しい本を届けてくれる人もいる。
昼食後は、村の子供達に勉強を教える。子供は正直なので、読み書きよりは物語を語って聞かせるほうが好評だ。
「それじゃ、今日はここまでです」
なんとなくひと段落ついたところで、今日の授業はおしまいにした。
私はそわりそわりと、窓の外、太陽の高さを見て時刻を確かめる。
「なんだよ姫様先生、またアイビキー?」
「ひゅーひゅー」
「そ、そういうのじゃありません! もう……」
子供はそういうところがある。
私はただ、3時のおやつを持ってお気に入りの場所に散歩にいくだけだ。
私は一度家に戻り、ピクニックセットを持って足取り軽く歩き始めた。
思わず、鼻歌交じりに。
これだけ天気がよければ、上機嫌になるほうが自然だろう、うん。
目的地にはすぐ辿り着いた。村から少し外れた場所、花の咲き誇る丘の上、大きな木の下で、ウールの敷物を広げ、座る。
かぐわかしい花の香りが、穏やかな風に乗って鼻をくすぐる。
私がしばらく本を読んでいると、聞き慣れた足音が遠くから聞こえてきた。
私は気付かないフリをする。胸はドキドキ高鳴っている。
私はこっそり、乾燥したカモミールとリンゴの入ったティーポットに、お湯を2人分注ぐ。
足音の主が来る頃が、飲み頃だ。
「や、やぁ! また偶然会ったな、お嬢さん!」
妙に上ずった声。
つばの広い麦わら帽子。似合わない丸眼鏡。上等すぎる商人服。
妙に大きな背負い袋。
本人は変装しているつもりだけど──背が高すぎるし、存在感がありすぎるし、何より隠しても美貌すぎる。
明らかに王太子だった。
こうして来てくれるのは、4度目だ。
私は慌てないように本を閉じ、ゆっくり顔を上げる。
張り裂けそうな胸の高鳴り。
口から出そうになる心臓をぐっと飲み込むようにしてから、私はふぅ、と息を吐き、言葉を返す。
「ええ、本当に偶然ですね、商人さん。また行商ですか?」
「ああ。この村の住人は、本当に純朴で心優しいものばかりだ。ここを選んでよかった……あ、商売の話だぞ!?」
「ふふ、わかっていますわ」
私は陶器のカップを木のトレイの上に2つ並べ、カモミールティーを注いだ。王太子のほうにだけ、ハチミツを入れて、優しく混ぜる。
お茶うけは、リンゴの薄焼きタルトだ。
「ちょうど2人分あります。よろしければ、どうぞ」
「……では、いただこう」
ちょっと威厳が出てますよ。
どうして私が2人分用意しているのか、王太子は聞かない。魔法が解けてしまうから。
「今朝は、ついにレタスを収穫したんです。頭を触って、固すぎないくらいが苦くないそうですよ」
「そうか……頭ってどこだ?」
「そうだ、売れ残ったこの本をやろう。王都で流行っている英雄譚ものだ。やや風刺的だが、読み応えがあるぞ」
「まぁ、ふふ……ありがとうございます。ゆっくり読ませていただきます」
取り留めのない会話を交わす。
こうした会話なら、王太子と楽しくおしゃべりができる。
田舎で過ごしていて、よくわかった。
私は社交界は向いていなかった。
頑張れるけど、疲れてしまう。
王太子のことが嫌いなわけではなかった。
でもあそこにずっといたら、王太子のことも、自分自身のことも、嫌いになってしまっていただろう。
今ならわかる。王太子は私のために、婚約破棄してくれたのだ。
たとえそれだけが理由でなくとも。
私の心を守ってくれた人を。
今も気にかけて、様子を見に来てくれる人を、どうして嫌いになれるだろう。
ふと風が吹いて、丘の花を散らした。
「わっ……」
私は髪を抑える。
「いい風だな。王都ではこうはいかん」
王太子は、優しい眼差しで私を見つめている。
そしてその手をゆっくりと、私の頬をかすめるよう伸ばして、髪に触れた。
「やはりお前は……シャンデリアの輝きよりも、このような場所でこそ映えるな」
私の髪についた花を指ですくって、見せながら。
穏やかな太陽の、温かな日差しの下。
王太子はほほ笑む。
「うぅ……」
他意はないのだろうけど。
私は何も言えなくなってしまう。
顔から火が出そう。
「繊細さも含めて、花の美しさと言える。今咲き誇っている、それが──ああ、嬉しいな」
お世辞からも、格調高さからも離れた、王太子の言葉。
私には、返せるものなんて、何ひとつないのに。
色んな感情がごちゃまぜになっている。
私から何かすることで、王太子を困らせてしまうことがわかっているのに。
抑えきれなくなってしまいそうになる。
私が強ければ。今もあなたのお側に──
「そんな顔をするな。困らせたかったわけではない。どうせ、通りすがりの商人の戯言……だぜ?」
取ってつけたような言葉を添えて、王太子は立ち上がる。
「楽しいティータイムだった。得難い時間をありがとな」
背負い袋を担ぎ直し、王太子はいそいそと歩き始める。
「あ、あの!」
私は咄嗟に呼び止めてしまった。
王太子はゆっくり振り返る。
「次は──いついらっしゃいますか?」
私は、ぎゅっと両手を握り、言葉を待つ。
王太子は、少し目を丸くしてから、空を見上げ、麦わら帽子の角度を直した。
そうしてまた、私に向き直って、ほほ笑みながら、答えた。
「そうだな──また、綺麗な花が見たくなったら」
ご清覧ありがとうございました。