第38話 ことばのないけんか
その日、朝の準備中。
棚の上にあったシェムの石板ノートが、床に落ちていた。
細かく描かれていた魔法図形が、こすれて消えてしまっていた。
「これ……!」
シェムの眉がきゅっと寄った。
近くにいたのは、トトラだった。
「べつに、さわってないし」
「でも、ここにいたの、トトラだけ」
「……なんだよ、疑うの?」
声のトーンが、ふたりのあいだで、すれちがう。
シェムは無言で棚を直しはじめ、
トトラはふてくされて部屋を出ていった。
*
そのあとも、ふたりの間には会話がなかった。
昼の時間も、あそびの時間も。
周囲も気にしていたが、
ふたりともそれぞれ「言いすぎない」ようにしているようにも見えた。
「なんだか、ふたり、けんか……?」
ポルカがそっと聞くと、ミィナがつぶやいた。
「けんかって、ことばがなくてもするんだね」
午後。園庭のはしで、ひとりで穴を掘っていたトトラに、ゆかりが声をかける。
「おおきな穴だね。なに作ってるの?」
「……すてるばしょ。わるいことしたかもしれないから」
「すてたい?」
「もやもや。こころが、ぐちゃってなってて。うまく言えない」
同じ頃、室内で石板を修復していたシェムにも、ミュリエルが声をかけていた。
「図形、きれいに戻ってきたね」
「でも、もとには戻らない。だから、トトラには何も言わない。……ほんとは、言えない」
「言葉にならないときもあるよ。
でも、伝えたいって思ってるなら──それは、もう“半分は伝わってる”の」
*
夕方。
園庭のベンチの上に、小さな紙の箱が置かれていた。
中には、石ころと草の実、そして一言。
「これ、もやもやすてたあと、ひろったやつ。
なんとなく、きみにわたしたいやつ。 ──トトラ」
それを受け取ったシェムは、しばらく黙ってから、
箱の中に自分の拾ったきれいな小枝を足して、ベンチに置き直した。
「これも、なんとなく。──シェム」
それだけのやりとりだったけれど、
ふたりはそのあと、図形ブロックの片づけを一緒に始めていた。
*
その日の記録にはこう記された。
子どものけんかは、言葉だけで始まるわけじゃない。
“伝えられないこと”を、どうにか伝えようとする過程のなかで、
子どもたちは、自分の気持ちの形を知っていく。
言葉にならないときも、“わかろうとする”ことが、和解のはじまり。




