第19話 はじめてのけんか
朝から、なんとなく落ち着かない空気が流れていた。
トトラがちょっと荒っぽく走り回り、
ミィナがそれを目で追いながら、熱をじわりとにじませていた。
ゆかりは、それぞれの動きを静かに見守っていた。
(今日は……ぶつかるかもしれない)
*
午前の活動は「えをかこう」。
「“いまのきもち”を、すきな色で描いてみよう」とゆかりが提案した。
子どもたちは思い思いのクレヨンを手に取り、紙に向かう。
ミィナは、濃い赤を使って、ぐるぐると円を描いていた。
トトラは、茶色や黒をつかって、山のような形を塗りつぶしていた。
そのとき。
ミィナの手が少し揺れて、トトラの紙にクレヨンが当たった。
「あっ……」
「なにすんだよ!」
トトラが立ち上がり、ミィナの手を払いのける。
そのはずみに、ミィナの紙がびりりと破れた。
ミィナの体温が一気に上がる。
手元の赤が、石のように発光する。
「やだ、きらい……っ!」
ミュリエルがすぐに間に入り、サリアがトトラの前に立つ。
ゆかりは、ふたりを静かに離してから、まずミィナに声をかけた。
「ミィナちゃん、びっくりしたね。悔しかった?」
「……わたしの、せいじゃないのに……」
「うん、そう思ったんだね。今は、ちょっと気持ちを落ち着けようか」
トトラにも、サリアがゆっくり話す。
「大きな声を出すと、相手はもっとびっくりするよ」
「……だって、いきなりだったから……おれの絵が……」
「悔しいね。でも、言葉にできる?」
しばらくして、ゆかりはふたりを向かい合わせた。
「トトラくんも、ミィナちゃんも、“大事なもの”を壊された気がしたんだよね」
ふたりは黙って、でも小さくうなずいた。
「“気持ちがぶつかる”って、ほんとうに疲れるよね。でもね、ぶつかったあとに、お互いのこと、ちょっとだけわかるようになるんだよ」
*
その日の午後。
ミィナは、ちいさな紙に赤い丸を描いて、トトラの机の上に置いた。
トトラは、山の絵の隣に、ちいさな赤い石を貼った。
どちらも、ことばじゃない「ごめんね」と「だいじょうぶだよ」。
*
ゆかりは記録にこう記した。
衝突のない関係よりも、
衝突のあとに“なおしていける関係”が、ずっと深い。
子どもたちは、ぶつかりながら、仲間になる。