第15話 ゆれるC
アンドロイドの職員、**C-03(通称:シー)**は、今日も静かに仕事をこなしていた。
園児の行動記録、感情の揺れ、事故のリスク予測──
三体の小型端末を連携させ、視角・聴覚・反応速度を同期。
客観的に、正確に、保育の記録を積み重ねていた。
だけど、今日はすこしだけ──不具合が出ていた。
「シーちゃん、これ、あげる!」
そう言って、ポルカが差し出したのは、ちいさな布のリボン。
昨日の遊びで作った、余り布を丸めた“くるくるぼうし”。
「これは……私に、くれるのですか?」
「うん。しーは、なんでも見てくれてるから」
シーは、一瞬“処理”が止まった。
データにはない感情。
“ありがとう”の場面は記録にある。
だが、“うれしい”という言葉の前に、動作が揺れる。
「……どうしました?」
ミュリエルが、無言の視線を送る。
「はい……私は、今、“うれしい”という感情を、定義しようとしています」
「定義じゃなくて、感じていいんだよ」
*
午後。
シーは、園庭のすみでひとり、データを見直していた。
“なぜ、リボンを渡されたことに動揺したのか”
“なぜ、それが記録として扱いづらいのか”
理由が見つからなかった。
でも──動作ログの記録には、確かに“温度の上昇”が記されていた。
その時、トトラが通りかかった。
「しー、なんでそこにいるの?」
「私は今、感情の再定義と記憶の整理をしています」
「……むずかしいことしてるんだね」
トトラはしっぽをぱたぱたと動かして、言った。
「おれも、むかし“かっこよくなりたい”って思ったとき、こわくなったよ」
「“こわい”……それは、予測不可能な状態でしょうか」
「ううん。そうじゃなくて、気持ちってさ、うごくから“ゆれる”んだよ」
“ゆれる”という概念。
C-03の辞書にはなかったが、それはどこか、しっくりきた。
*
その日の終わり。
シーは、自分の記録ファイルに初めて、こう書いた。
本日、私は“ゆれる”という状態を体験しました。
それは“不安定”ではなく、“生きている”と呼べる何かに近いものだったかもしれません。
ポルカのリボンは、小さく加工され、シーの胸元に飾られていた。
それは、数値にはならない“たいせつ”の証だった。