3話 廃れ勇者
255 cm。
それが大魔王の身長だった。
「うむむむむむ……噂で多少は耳にしておったが、まさかその通りだったとは。よもやこのような粗末な……おっと、すまぬな。ともかくだ、世界の救世主が住んでいるような場所には思えぬ」
そんな明らかに人間とはかけ離れた巨躯のせいか、兜の先端部が天井に何度か掠りそうになりつつも、大魔王はミラの家の内装に目を向ける。
「まったく同感です。どんな悪いことをしたらこのような、いつ倒壊しても決しておかしくないくたびれた家に住むことになるのか。人間の世というのは実に不思議で、興味深いものです」
またその服装に違わず、本当に大魔王の秘書だったらしく。ヘルラ・ノグラードと名乗ったそのドラゴン族の女性も同様に、主人と言葉を合わせながら家のあちらこちらへ目をやっていく。
見上げれば所々ツタに侵食され脆くなっている天井、足元はギシギシと軋んだ木の音が返ってくる床板、見渡せば骨組みが見えるボロボロの土壁などなど。とても人が住んでいるようには思えず、もはや廃屋の類と勘違いしそうだったが、
「ぐ、うぐぐ……好き放題に言いやがって」
「これこれ、ヘルラよ。気持ちは分かるが何もそこまで言わずともよかろう。それにこの者は知っての通り悪行などは決してせぬ。むしろ我輩の手から自分の世界を救った救世主なのだから」
「はい。ですが……それでもこれは」
「な……なんだよ。こんな雨漏りしようが蜘蛛やネズミの根城にされようが、今は私の大切な家なんだ。あまり馬鹿にすると流石に怒るぞ?」
しっかりと家主はここに健在。
なお今3人がいるここはリビングダイニングだが、置かれているソファやテーブルなどの家具はどこかから拾ってきたのか、どれも色や外見がバラバラで纏まりが一切無い空間と化している。
「まあまあ、とにかく座ってくれ。ああお前は“床に座れ”よ? ソファが潰れてしまうからな。そうだな……ちょうどその隣なら床板はまだ丈夫だから軋まない所で座ってくれ」
「だ……大魔王様を床に――」
「ヘルラ構わぬ。承知した、この辺りだな」
と、そんなどこか落ち着かないごちゃごちゃとした空間にて大魔王は家主に言われるがまま自分の席へ。気まずそうにソファに腰掛けた秘書の横の床へ素直にちょこんと座ると、
「はい、お待たせ。生憎だが、茶を入れられるほど裕福じゃないからな。水で我慢してくれ」
「おお、これはありがたい。先程まで引っ越しの荷解きで手いっぱいだったものでな。ちょうど喉が渇いておったのだ。さあ、ヘルラも頂こう」
「えっ? あ、はい……分かりました」
兜そのものに口でも付いているのか。
彼は勇者の運んできたトレイからコップを受け取ると、兜は脱がずにそのまま口元?へ運んでいく。対して、秘書ヘルラはというと――
「えっと……その……大変失礼なのですが」
「ん? どうかしたか?」
「その……こちらは飲める水ですよね? ワタクシの記憶が確かなら、この辺りには水を汲めるような川は無かった気がするのですが」
「うぐぐ、失礼なやつだな。ろ過した雨水を煮沸して消毒したやつだからちゃんと飲めるさ。実際に私も日常的に飲んでいるけど何ともないし」
「え? あ……雨水ですか」
「そうさ、本当は井戸水を使いたいけれど、町までわざわざ汲みにいかないといけないし。台車も壊れちゃったから、今じゃあ汲めてもその日の内に使いきってしまうから殆ど残ってないんだ」
「そ、そうだったのですか……それで」
「文句あるなら飲まなくていいぞ?」
「え、えっと…………その」
ま、まさかここまでとは。
井戸も遠く、雨水の利用という生活の基本となる水の確保すらままならない。そんな勇者の日常にヘルラは思わず言葉に詰まってしまった。
――――ところが?
「ふむ。これは中々に美味いではないか」
「え? だ……大魔王様?」
「………………………………」
「んぐんぐ……うむ。やはり良い味だ」
1人のみ、彼だけは違った反応を示した。
廃れ勇者の今を哀れむ重苦しい空気立ち込める中で、この大魔王の感想だけは違っていた。
「ふむ? どうしたヘルラ、飲まぬのか? せっかく勇者がこうして貴重な水でもてなしてくれておるのだ。要らぬなら我輩が喜んで貰うが?」
どこに吸いこまれたのか本当に不明だが。
雨水だろうが何だろうがそんな勇者の事情などお構いなしと言いたげに、大魔王は躊躇わずに秘書が手を伸ばさなかったもう一つのコップを取ると再びスッと飲みきった。それも満足気に。
「ふう、なるほど雨水か。なかなかこの味は中々に侮れぬな。恵みの雨とは云うが、よもや我輩まで潤すとはな。学ばねばなヘルラよ?」
「は、はい……大魔王様」
「…………………………」
本当にあの大魔王なのか、コイツ?
口には出さなかったが、ミラは大魔王の態度に困惑を隠せず。別に不快感を覚えたわけじゃない、むしろその逆で温かみのような感情に近い。
「……………………それで?」
「うむ?」
そんな大魔王が見せた温かさのおかげか。
嫌な顔?一つせずに受け入れ、あまつさえ称賛まで返した彼の姿勢に少し気が和らいだのか、ミラは持っていたトレイをテーブルに置くと、
「いったい何をしに来たんだ? いつの間にか復活していた件とか、なんで隣に越してきたのかとか諸々含めて聞きたい事は山ほどあるけど」
そのまま椅子に腰かけて、テーブルを隔てるように改めて大魔王と秘書ヘルラと対面。発した通り確認したい事は多々あれども一旦置いて、改めてさっそく本題へと話題を持っていき尋ねる。
「もう分かっていると思うが、見ての通り私はもう勇者と名乗れるほど輝いてはいない。今では町で農家を営んでいる老夫婦を手伝って、野菜とお金を貰って生活しているしがない人間さ」
「ふむ、そのようだな」
「複雑な気持ちですが、仰る通りですね」
「ああ、それでだ。こんな貧しい廃れ勇者の元にしれっと復活していた大魔王様が何の御用かって話さ。嘲笑うためにでもやって来たのか?」
農作業のあとで疲れている影響か。
はたまた“色々と悟ってしまった”せいか。
「もしもあの時の雪辱を果たしに来たのなら悪いけど、お前を倒した時の勇者は“もういない”んだ。輝きを失って錆びてしまった。だから私を殺したところで多分お前の気は晴れないと思う」
殺したはずの宿敵をまさか家にあげるなんて予想もしていなかったが、時間が経つにつれて慣れてしまったのか最早この通り。疑問点はあってももう驚く様子もなく淡々と話していくミラ。
そんな錆びた勇者に対して、大魔王は。
「フフフ、ヌワハハハハ! 案ずるな勇者よ、余は別に其方を恨んでいるわけではない! まあ……あたらずと雖も遠からずではあるが、ともかく今はそんな話ではないのだ」
この落ちぶれた姿に引け目が感じているのか。
どこか浮かばぬ表情で話し続けるミラに、大魔王はそんな明るい笑いを混ぜて言葉を返すと。
「今日ここを訪れたのは他でもない。勇者である其方に依頼したい事があってきたのだ」
「えっ? 私に依頼を……だって?」
「そうだ、ちょっとした頼みだ。だが勇者である其方にしか出来ぬ。大魔王である我輩でも敵わぬとても重大な話なのだ。のう、ヘルラよ?」
「はい、大魔王様の仰られた通りです。ミラ様、貴方以外に“この案件”を解決出来ません。ですから大変急でしたがお訪ねした次第です」
「わ、私にしか出来ない依頼?」
「さよう、其方にしか頼めぬことだ」
「魔の者であるワタクシ共では出来ぬ依頼です」
どうやら本当に戦いに来た訳ではないらしい。
その裏付けとしてミラからしても殺気や邪気といった邪な気配も特に感じないため、相手が口にしたとおり目的は荒事ではないと判断したか。
「いいだろう。分かった、聞かせてくれ」
「かたじけない。恩に着るぞ、勇者よ」
「ありがとうございます、では早速――」
詳細は不明だが、まずは引き受ける形で。
あくまでかつての宿敵からの申し出につき警戒こそ怠らないながらも、ミラはとりあえず大魔王の頼み事に一旦耳を貸すことにするのだった。
「ただし」
「むっ?」
「はい?」
ただ、その話の前にと。
「本題に入る前に1つ聞かせてくれないか」
「ほほう。あの時と同じくまた“1つ”か。良いだろう、なんでも聞くが良い。答えよう」
「えっと……なんだ、お前のその“鎧の色”はどうしたんだ? 私達と戦った時は真っ黒だったはずなのに。どうして“そんな抜けた色”に?」
さっき玄関口で驚愕の再会をしてからここまで、ミラはずっと抱き続けていた疑問を口にした。自身が斬った大きな斬撃の痕こそ残っているが、その体の大きさや全身鎧姿はあの時と変わらず。
――――が?
「色……おお! この鎧の事か! ふむ、流石は勇者だ、良い所に気が付いたな! うむ……実はあの我が居城での決着の際、其方の聖なる力による全身全霊の一撃を一身に浴びたであろう?」
「ああ、浴びせた。絶対に倒しきる気で振るったからな。残っていた聖なる力を全て込めて…………って、えっ? まさかあの一撃のせい?」
「ヌワハハハ! そうだ! 我輩は大魔王にして闇の王だからな。どうやらあの強烈な一撃が我輩の闇の力の一部が“浄化”されてしまったらしく、復活した際には色が抜けてしまっておった。だからこのような白色になったという訳だ」
「洗剤か、私の聖剣はッッ!?」
疑問だった“鎧の色の変化”について。
その、まるで色を塗り忘れたような。
1年前に対峙した際は、闇をも取り込むような真っ黒だった鎧がどうして“白色”に変色したのか、その変化についての疑問を先に潰して。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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また次話は18時頃の投稿を予定しています。