11話 約束
【アルケーの町 老夫婦の家】
応急処置のおかげだったのだろう。
「う……うぅぅん?」
「えっ? あ……あああっ!?」
なんと“彼女”は目を開いた。
数分前はまだ息をするだけでも精一杯。厳しい表現を用いるなら、いつ事切れてもおかしくないような危篤状態だったというのに。
「ばばば……ばあさん?」
「あ、あれ? わたしはいったい?」
彼女、農家の老婦は意識を取り戻した。
「ば……ばあさん! ばあさんや!」
「あらあら、おじいさん。これはいったい? それにいつの間にわたしは寝て……ゲホッ!」
「おおっと! 無理しちゃあいけねぇ! そのままでいい。その寝たままで安静にしておくんじゃ! ただでさえ悪いのにさらに悪化しちまう」
「うううう……ど、どうして? 体がまるで言う事を……それに酷くボーっとして。まるで質の悪い風邪にかかったような感じ……です。わたしの身に……ハアハア……いったいなにが?」
「ええっと。まずどこから、どの部分から話せば良いんじゃろうか。うむむむむ……難しい」
「ゲホゲホ……そんなに難しく考えなくても良いですよ、おじいさん。簡単で構いませんから」
「わ、分かった! じゃあ簡単に話すぞい」
ただし、いくら意識を取り戻したとはいえ原因は自然治癒しない凶毒。彼女を未だに蝕み続けているのか熱が下がっている様子もなく、体も一切動かせないといった油断を許さぬ状態につき、
「――――と、いうわけなんだ」
「そ、そうでしたか。あの時に噛まれた蛇さんの毒で……やはりそのままにしておいたのはマズかったんですね。ゴホゴホ……自然に治ると思っていたら、まさかこんなことになるなんて」
どうやら意識が戻ったのに伴い、体温も認識し始めたらしく。目覚めから少しの間はまだ穏やかだったが、夫から事情を聞いて高温の理由および自身が置かれている状況を理解した。
「そ、それで。応急処置のやり方は教えてもらったんだけども……肝心の毒はやっぱりミラちゃん達でも治せなくて、それも普通の毒じゃないからそこらで売っとる薬草じゃあ意味ないって」
「そう、ミラちゃんも来てくれたの?」
自分の無力さに涙ぐみながら震えて話す夫の言葉に、いつも嫌な顔一つせずに農作業を手伝ってくれる熱心なミラの姿がよぎる。きっと心配をかけさせてしまっているのだろうと、そして。
「でも。それでもワシは……ワシは」
「おじいさん?」
「だ、誰が何と言おうとワシは絶対に諦めない……諦めたくない。そんな得体のしれん毒なんかに大切な婆さんを殺させたくなんかないんじゃ」
「おじいさんってば」
「だ、だけんども。保存しておった薬草も塗り薬にしても一向に腫れが治まらんし、婆さんは苦しんだまま。他も出来る範囲で色んな手を尽くしたがどれも効かなくて……本当に効かなくて」
「んもお……おじいさん」
「ワ、ワシはどうすりゃええんじゃ!!」
抑えていた不安が限界を超えてしまい、老夫はついにそれらを吐き出すように涙を流しながら悲痛な声で告げた。手を力いっぱい握りしめ、涙溢れる目元を隠すように俯きつつ絶望に苛まれる。
けれども、そんな優しい夫の姿に彼女は。
「おじいさん」
「す、すまん……ワシが無力なばかりに」
「おじいさん、もう良いんですよ。ですからそんな顔をしないでくださいな。あなたはわたしなんかには勿体ないくらい良き旦那様でした」
「うう……婆さん、ばあさん!」
「さあ、こちらへいらっしゃい」
事情を聴き、己の死を覚悟したのか。
彼女はそんな子供のように泣きじゃくる伴侶に優しい言葉をかけ、その頭を優しく撫でた。貴方は悪くない、試せる手を全て施してダメだったのならなおさら。これはもう運命なんだと。
「すまない、ほんとうに……本当にすまない」
「大丈夫ですよ、あなたはこれまで本当によく頑張ってきました。なにしろ50年以上の付き合いですからね。どれだけ勤勉に働いて、どれほど尽くしてくれたかわたしはよく分かっています」
遺言……と呼ぶにはあまりに不謹慎だが。
しかし、少なくともそれにかなり近い内容を彼女は傍らで涙を流す大切な人に告げてゆく。
「ゴホッゴホッ……1人ならば寂しいですが、こうしてあなたに見守られたまま逝けるのならわたしは幸せです。今日ほど大好きな人が傍にいる事を嬉しく思った日はありません。本当にわたしの夫でいてくれてありがとうございました」
「ううう……ばあさん。ばあさん!」
彼女自身の持ち前の優しさ。
その慈悲深さからくる言動なのか。
「ゲホッ……ただ唯一気掛かりなのはミラちゃんです、あの子にはずっと苦労をかけっぱなしでしたから。わたし達の野菜がたくさん売れればあの子にももっと良い生活をさせられたのに」
「そ、それは――」
「だって、本来ならあの子は世界の英雄として……ゲホッ……皆から慕われるはずだった。けれども世間の冷たい流れのせいで、そうはならなかった……わたしはただそれが不憫で不憫で」
こんな状態であろうとも自分のことを優先したりはせず、ぎりぎりまで誰かの身を案じて慮る。そんな愛情深さや母性を象徴するように彼女は元勇者ミラの行く末を案じて、
「なので……ゲホッ……もしもわたしがこのまま病に斃れるような事になれば……頼みましたよ? 決して……あの子を1人にしてはいけません。世間がどんな目で見ても、わたし達からすれば英雄である事に変わりないのですから」
「ああ……分かった! ばあさんの分までミラちゃんはワシが面倒を見る! だから……絶対に考えたくはないけど……その時は任せてくれ」
「ゲホ……それを聞けて安心しました」
これからもミラを支えるように。
そう老婦は気掛かりだった最後の頼みを夫に託すと、どこか安らいだ表情を浮かべる。もうこれで心残りはない。あとはどうなって……も?
「――――ですが」
「ひぐっ……ひぐっ……ばあさん」
「まだです。まだ諦めてはいませんよ?」
「ひっくひっく………………へえっ?」
強い目だった。
顔色も悪く、全身だってまともに動かせず悟りきった発言こそすれども、彼女のその目だけはまだ死んでいなかった。むしろ“なにか”に期待しているような光が灯った力強い目をしており。
「コホコホ……そりゃあ、わたしだってこのまま死にたくはないですよ。おじいさんと最後まで添い遂げたい、こんな志半ばではなく互いに天寿を全うして逝きたいんです。ケホ……だから!」
「だ、だけんども治す手段が……もう」
「ええ、それは分かっています。その時はその時と腹をくくりましょう。ですがあの人……あのお方ならばもしや“奇跡”を起こしてくれるかもしれません。それがわたしの最後の希望です」
「ま……待つ? だ、誰を? あのお方?」
「ええ、ですから今は大人しく待ちましょう。あのお方が約束を果たして下さるのを祈って」
あのお方を待つ、と。
夫には心当たりがなく、妻がなにを言っているのかイマイチ理解できなかったが、当人は待つのだった。ときどき喘鳴の息を漏らしつつも。
「ヒューヒュー……信じましょう。奇跡を!」
ある“一縷の望み”に己が命を懸けて。
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次話は明日を予定しています。




