第49話 シュプールは輝く
「ママーぁ、このままゲレンデに滑り降りようかー」
晴樹を引っ張りながらユキが紗香に向かって叫んだ。
「ユキはもういいの?」
「うん。することしたし、今日はもういい」
「そう? じゃあ、パパもユキにくっついていないで一人で滑って」
恥ずかしくなっていた晴樹はユキのポールを放す。紗香が叫んだ。
「ユキ! 思いっきり飛ばすよ!」
「はーい、ユキも飛ばすよ!」
三人が滑り出そうとしたその時、上から一人のスキーヤーが滑り降りて来た。スキーヤーはこちらをちらっと見ながら、あの聖地の林で止まる。紗香は気がついた。
「ユキ、あれって宗清君じゃない?」
「え?」
「ほら、あのウェア、覚えてない?」
「そう言えば、そうかも・・・」
紗香はにっこり笑った。
「ユキ、行っておいで。ママたちは先にゲレンデに降りてる。パパも限界だし、クアッド乗場で休んでるよ」
「う、うん」
ユキはスーッと聖地の林へと滑って行く。その光景をぼーっと見ていた晴樹を、紗香は突っついた。
「ほら、晴樹。こういうのは見て見ぬふりをするものよ」
「え? ああ…」
紗香と晴樹も滑り出し、少し離れた木の陰で止まる。養父母は娘の様子を遠くからそっと伺った。
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ユキが地面を指さし、何やら新に話しかけている。きっとスノードロップの花のことだろう。それに対して新が何か言っているが、ここからでは何を喋っているのかさっぱり判らない。
ユキが驚いたように口に手を当てる。新は手を後頭部に当てて照れているようだ。
ふふ、あの様子じゃ、まだ告白のリベンジには至っていないな。その成り行きを紗香は興味津々で見つめた。二人とも頑張れ。ユキのお父さんとお母さんがちゃんと見てるよ。
しかし、同じように様子を眺めていた夫が突然後ろを向いた。 晴樹?
晴樹は俯いて、クシャクシャの顔で自問する。
だめだ。俺、やっぱ泣いちゃうな。ちゃんとパパになったんだから仕方ねぇよ。晴樹は自分に言い訳をしながら目を逸らし、涙を誤魔化すように背後の山々を見た。その顔を面白そうに紗香が覗き込んで笑った。
「今からそれじゃ、将来もたないよー」
「いいんだよ、もたなくて。くそ」
晴樹の目から溢れた雫が雪の上に落ちる。紗香はそれを追う目で雪野原を眺め渡した。ユキが描いて行ったシュプールが目に入る。光り輝く春の軌跡が。
その周囲を覆いつくす雪粒たちは、これから春の陽を浴びて一粒ずつ雪の雫となり、やがて大地に浸みわたって行くのだろう。スノードロップはその雪の雫を吸い上げて蕾を作り、「お陰様で」とでも言うように、大地に向かって白い花をそっと見せる。
いつまでも、こんな繰り返しが続きますように。雪の雫のお花を毎年見られますように。紗香はそっと祈った。
聖地の木の下ではスノードロップに手を添えるユキの前で、新が気をつけをしている。
あ、始まったかな。紗香は瞼を閉じ、続いて祈る。
『二人の未来も、あのシュプールのように美しく輝きますように』
遅咲きのスノードロップが静かに咲く、山あいの春の断章である。
【おわり】
“雪女のシュプール”を最後までお読み頂き有難うございました。
スノードロップと同じく、まだ蕾の二人。始まってすらいない青春の歌。まだまだやきもきしそうですね。これから二人はどんなシュプールを描くのでしょうか。スーパーサブである月がまた活躍しそうですし、寝返った?由芽の動きにも目が離せません。バックカントリーのスノードロップもドキドキ見つめ続けるのでしょうね。
お察しのとおり、本編の舞台は日本屈指のゲレンデが集まり、オリンピック会場にもなったあの村です。夏場も高原リゾートとして多くの人が訪れる場所で、私自身も夏・冬ともに幾度も訪れています。思い出すのは夏のジャンプ台で、練習していたオリンピック出場の岩渕香里選手(引退されました)と同じエレベータに乗ったことです。本来は選手優先のエレベータなので遠慮していたら「いいですよーどうぞ」と同乗させて頂き、以来すっかりファンになりました。
なので本来はジャンプ競技をメインにと思っていたのですが、出来てみたらバックカントリーものになっていて、筋書きもK点越えで飛んで行ってしまったようです。
文中では地名を変えているほか、ゲレンデ、ゴンドラ、トレッキングコース等は実際とは異なります。
今年の冬こそ数年ぶりにゲレンデに行ってみたいなと思っています。転んで怪我をしないのが最大目標と言うレベルの低さですが。なお、バックカントリースキーは素人が簡単に出来るものではありません。本編中にもあります通り、知識・装備・技術・届出等必要になって来ます。遠藤圭介総支配人が仰るように、安易にお奨めするものではありませんので悪しからず。
この度は“雪女のシュプール”をお読み頂き、本当に有難うございました。
❆ Suzugranpa
【追伸】
2023年1月29日に白馬乗鞍で発生した雪崩につきましては、胸が痛む限りです。お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、負傷された方の早いご快癒を願っております。現場がまさに本編舞台の当該地であり、報道を聞いた時は血が引く思いでした。先にも記しました通り、自然は闘って勝てる相手ではありません。例えゲレンデ内であっても、ガイドやスタッフの注意に従った上で楽しんで頂きたいと思います。