第45話 薪割り
春休み以降、ユキはバックカントリーのあの聖地を一度も訪れていない。自分で決めたことを忠実に守っているユキに、また冬がやって来た。
冬を迎えるに当たって、晴樹は薪を割っていた。薪はホームセンターでも売っているのだが、結構割高である。かと言って原木からと言う訳にも行かず、晴樹は月の父、圭介に相談し、ホテルで買い付ける原木の一部を分けてもらう事にしたのだ。予め玉切り状態なので運搬も簡単で、後は縦に割るだけである。晴樹は庭の切り株に載せた原木に向かって、朝から斧を振り下ろしていた。
コンッ!
実は薪割りも紗香の方が上手なのだが、晴樹も何とかサマになっている。音に誘われてか、ユキが出て来た。
「ユキもやってみるかい?」
「うーん」
ユキは躊躇いがちに周囲をウロウロする。
「まあ一回やってみろよ。寒さは吹っ飛ぶよ」
「う、うん…」
ユキは渡された斧を両手で構える。下手に…なんて出来ないや。危ないもの。ユキは腹を括る。
コンッ!
「うわ!上手いな、ユキ。一発できれいに割れた」
晴樹が目を丸くしている。
「当てるべきところへきちんと当てるときれいに割れる」
ユキはボソッと言う。
「よし。じゃ、今度はパパがやるわ。レディーの仕事じゃないもんなぁ。よーし、うぉっ! ・・・ あ」
いいところを見せようと、晴樹が振り下ろした斧は、変に力が入ったのか木に食い込んで止まってしまった。晴樹が引き抜こうとするがなかなか抜けない。ユキは躊躇いがちに声を掛けた。
「ハルキ、それ、ひっくり返して打ちつけたらいい」
「え?」
ユキは理解できていない父親から玉切り原木を取り上げると、逆さまにして持ち上げ、斧の背が真っすぐ切り株に当たるように落とした。
パコッ
原木はきれいに二つに割れる。
「へぇー。ユキ、よく知ってるなぁ。ママに教わったの?」
ユキはそれに答えず、ログハウスの背後に見える山並みを眺めた。既に山々は真っ白だ。
『パパに教えて貰った、なんてハルキには言えないよ』
何も答えず山を見る娘の背中に、晴樹は張裂けそうな孤独を感じた。薪割りだってスキーと一緒で、きっと元から上手なんだ。実の父親に仕込まれたのだろう。しかしそれを俺には言わない。現在の父親である俺を気遣ってのことだ。
そう、今でもユキは、パパを大切に思い続けていて、しかしそれを俺に感じさせるのが悪いことだと思っているのだろう。14歳になったばかりの少女には不要な、そんな気遣い。
晴樹もバックカントリーの神聖な場所の話と、その経緯を紗香から聞いていた。ユキの大切なパパの生きざまは、同じ父親として見ても、お見事と言うほかない。彼が命に代えて守った小さな生命が、今、俺たちに託されているのだ。しかしユキは過去を心の中にひっそりと納めて、このように健気に振舞っている。
ユキはまだじっと山を見つめている。晴樹は新しい原木を切り株に立て、じっと年輪を見つめた。
『健気だ』で本当にいいのだろうか。そんな大切な場所なんだったら、少なくともきれいにして、いつ行ってもユキがパパとの思い出に浸れるように、そういう環境を作ってあげる事こそ、養父母の務めではないのか。晴樹は年輪に問い掛けた。
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その夜、その思いを晴樹は紗香に打ち明けた。
「うん。晴樹の言う通りだと思う。本物のお父さんなんだから、封印する必要なんかない。幾ら代わりの親がいると言っても、あそこはユキにしてみたら、本当のお父さんとの思い出の場所、ただそれだけでいいと思うの。あの子、時々山の方をじっと見てるのよ。本当は行きたいんだと思う」
やはりそうなのか。今日だけじゃなかったんだ。晴樹は淋し気なユキの背中を思い出した。
「じゃあさ、俺が行けるような季節になったら家族で行かないか?」
「そうね。ユキに話してみる。有難う、晴樹」
紗香は吹っ切れたような笑顔で夫に凭れ掛かった。