第20話 発見
最悪だ…。
紗香は呟く。降雪が激しくなり、フォグも出て視界が閉ざされる。シュプールも足跡も消えてしまう。こんな状況じゃ、一度手掛かりを見逃すと二度と見つけられない。小刻みにターンをして雪原をくまなく探そうとしているが、最早、遭難者の探索のように、一歩ずつ探すしかないのか。真っ白な視界の中を、紗香は慎重に滑る。自分が見逃したらあの子の命はないかも知れないのだ。今は私が母親、あの子の命に責任がある。紗香は必死に目を凝らす。
あ? 板?
紗香は雪の中にスキー板のお尻が出ているのに気がついた。シールもついていない底面がこちらを向いている。
おっと、クラックになってる…。
紗香はその手前で慎重に止まった。板に手を掛け、雪を払って覗き込む。このグラフィック…、ユキのショートスキーだ。紗香はたった今降りて来た斜面を振り返った。ユキはこのどこかで転倒している。それで板が外れて滑り落ちて来たんだ。動けなくなっているに違いない。紗香はユキの板を引き抜くと、ビンディングにロープを巻き付け、ロープの反対側を輪にしてバックパックのカラビナに結わえた。
紗香は一歩一歩斜面を登る。板が刺さっていた向きから凡その方向は推測できる。一歩登ってはその左右を凝視する。既に雪に覆われている可能性だってあるし、ユキ自身がクラックに落ちている可能性もある。紗香はフェイスマスクの下にレスキューホイッスルを咥え、息を吹き込んだ。ユキ、この音に反応して…。
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ユキは目を瞑っていた。降り積もる雪も、今は何故か温かい。まだカラフルな幻想は見えないけど、だんだんと見える気がしてくる。やっぱり目を開けなきゃ見えないのかな。ユキは瞼を開いた。まつ毛に付いた雪粒がちょっと気になり、空いた手で払おうと腕を動かそうとした。
その時、ユキの耳に微かにホイッスルの音が聞こえた。 あ、あの音、覚えてる。ママ? もう? 幻想の前に? これが幻想なの? ううん、本当に聞こえている。以前、フォグの中で聞いたあの音が。これは現実だ。
助かる? きっとママだ! ユキは文字通り現実に目覚めた。
腕をしっかり動かす。ポールを握り直し、穴から突き出して、ユキは思い切り振り回した。
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ん? 目の隅に動くものが見えた。右手の奥、コブの手前だ。紗香は見失わないよう止まったままで目を凝らす。
見つけた。ポールの先っぽ。揺れている。とにかく無事だ。紗香は一歩ずつ近づいた。どうやらコブに乗り上げて転んだようだ。新雪に埋もれ身動きできなくなったんだ。
「ゆきっ! そのまま待ってて」
紗香は叫んで足場を確保する。ミイラ取りがミイラになったら話にならない。板を外し、シャベルを取り出す。幸いユキの顔の周囲は空洞になっているようで窒息の心配はなさそうだが、これ以上雪の壁が崩れるとそう言うことも有り得る。紗香はまずユキのスキー板を外した。そしてシャベルで穴を拡げてゆく。素早くラッセルし、隙間を大きくする。
「ユキ、身体を回せるかな」
「う、うん」
ユキも必死だ。紗香はユキのリュックを抱えて身体の向きを変え、ユキは手で何とか身体を押し上げ、雪の中に沈みつつも起き上がることが出来た。紗香はユキの上半身を抱きかかえゆっくりと引っ張る。ユキも足を踏ん張れるようになり、ようやく脱出に成功、雪原に二人して座り込む。
「ごめんなさい」
ユキは気持ちも落ち込んでいた。
「いいから、とにかくここを脱出しよう。足とか手とか動くよね」
「うん」
紗香は引っ張って来たユキの板を差し出し、ユキは何とか踏ん張って板を履く。紗香はユキの身体中の雪を払った。降雪の中ではキリがないのだが、それでも圧雪がウェアやヘルメットの中に入り込むと身体を冷やしてしまう。少し落ち着いたところで、紗香はユキに保温ボトルを渡す。ユキが温かいミルクティーを飲んでいる間に、紗香もスキーを履き、支度を整えた。
「さて、どうやってゲレンデに戻るか…だ」
幸い雪の向こうの雲が薄くなり、太陽がうっすらと顔を覗かせている。見通しも良くなってきた。
「多分、こっち」
「判るんだ」
「うん。お日様の向き、覚えてるから」
「え?」
「ううん」
それ以上は口をつぐんだユキを紗香は深追いしなかった。今でも十分ショックを受けている。
紗香はユキに続いて林間を滑る。次第にゲレンデの音楽が聞こえてきて、林からの短い急坂を降りると迂回用林道に出た。
シーズンが始まったばかりの平日に、迂回用林道を滑る人はいない。先を行くユキが、広いゲレンデの手前、建物の陰に入り込んで止まった。ポールを雪面に刺している。
「どうしたの?」
紗香も続いてユキの傍らに止まる。ゴーグルを取り、しゃがみ込んだユキの目は涙で溢れていた。