新しい世界にようこそ
気が向いたら続けます
私は今、とてもうれしい。
私は今、とても悲しい。
私は今、とても懐かしい。
そして今私は、とても幸せだ。
焚火を前にし、旧友と懐かしい昔話をしている。
その中で、喜怒哀楽、いろんな気持ちが湧き出ている。
青い空、そして桜が舞い、鳥が歌っていた頃の話をすると懐かしくあり、悲しくもある。
そして、たまに腹立たしくなる。
あの頃の私は、本当に一途だった。
青い空に桜が舞い散る季節を本気で走った。
だが、永遠にその天気が続くことは決してあり得ない。
そのような季節が終わりなく続いていたらどんなに幸せだっただろうか。
時には雷鳴響く大雨の中を本気で走り、時には沼の中を必死に出ようとした。
恐る恐る濃ゆい霧がかっている道を目の前に希望の光があると信じて一心不乱に突き進んだ。
そんな人生だった。そんな青春だった。
時には寂しく、時にはうれしい。山があり、谷がある。それが人生というものだ。
これを見て、誰でも同じように経験することだとだと思うかもしれない。
だが、私はこれは、特別な体験だと思う。
人生の谷はいつ来るかわからない。人生の山もいつ来るかわからない。
山は山でも広さや高さは様々だ。谷もそうだ。
一人ひとり、同じ人生は歩まない。似たような人生の人はいるかもしれないが、細部まで目を凝らしてみれば、あなただけの独自の人生が見えてくる。一つとして同じものはない。
私の体験した山と谷は、辛かった時もあった、楽しい時もあったと思う。
人によって感じ方の度合いは違うと思うが、私は少なくとも精神が崩壊しそうなほど落ち込んだ。
それと同時に一生風化することのない思い出もできた。
今の私は昔の私を決して否定をしない。
昔あこがれた人物に近づいていないかもしれないが、私は、今幸せだ。
過去の自分の判断は正解ではなかったとしても、今を形作っているのは、過去の判断だから決して攻めようとは思わない。否定しようとも思わない。
私は、過去に囚われない。私は未来にも囚われない。
私は今この瞬間をがむしゃらに生きているからだ。
過去に囚われ、未来にも囚われている人は可哀そうだと思う。
過去を嘆き、未来のことを考えても意味がないからだ。
今この瞬間を変えなければ意味がないと私は考えている。
気が向いたら続けます。