クリスマスまた饂飩
燐寸箱にひかりをつめて、その燐寸箱を開くときは来ない。
わたくしはアパートのドアを閉じたり開いたりしているけれど、それがいつか開かなくなるかもしれない。
まっしろに見える公園も此のように深更、よるには暗い。
そういえばポケットに虫が入っていた死んでいた。てんとうむしで翅はかわいていた。だけど、かわくまえはキラキラひかっていたろう。
それに動くてんとうむしは夥しく世界中の陰にいて、いっさんに色彩をはなつのだと思うとノウズイがいろで破裂しそうになるんです。
感情がさらさら曼荼羅いろの様様色色のかざりを付けていく。
クリスマスとか言うが、クリスマスというかざりを、
と書いて止す。もうそういうマインドゲームは良いし饂飩を茹でて食べるのがさきだと思うんですから。
マヨネーズを和えて。
マヨネーズもかざりとしたら味もかざり、においも、いろも、それよりわたくし自体が存在というカザリであるから、
結局はこうかんがえるよね、クリスマスツリーは神に配置されたにんげんらのメタファなんですから。
「りあじうではないわたくしの不在」
「不在という装飾を不在がまとう合せ鏡」
「合せ鏡をツリーにかざる神の季節」