硝子瓶
かわりはてた状態と書くと「何からかわりはてたのか」「何から」の根源が追っかけてくるよね。僕はさっきから考えているけれども行き当たらなさになんだか不安
、だってさ、
不退転
みたいなきもちで臨んだ訳ではないからね、
あるいは根源というのは常にこころを不安にさすものかもね、エロスであるとか。
てか、そもそも言語には限界があるので、あまり文語や書きことばをあつかうと不安になるのかも知れない。
なのになぜ文章を書いているかというとやはり一応は条理がすきなんだろうかでも
、
世界はぜんぶ不条理だし僕はおんなを抱かないとやってられない
まじ騙してでも抱きたい
とか書くと正直だがそれも不安
、
条理から外れると不安だし、らんぼうに条理に嵌めすぎていても不安、ゆらめきまくるね何かね。などと益体もないことを書きながら十二月二十二日がはじまるね。
たましいを硝子瓶にいれておこうかな。こうして。
ゴシック感覚でいうと
、不可視な剃刀の刃の貯金箱、
そういうのなんて言うんだっけ、シノニムじゃないよね。とにかく僕はおもう、ことばは硝子瓶で、なまの感覚や刺激を遮蔽しつつ透かし眺める、
にんげんの道具、
ああ僕もにんげんなんだね。了。