従者は市場で盗賊を逃す
お給料日の翌日のお休みです。
楽しい一日になるといいのですが・・・・・・・・。
「まぁ、義孝君がそんなことを?」
「そうなのよ」
「確かに、前からいたずら好きの子だったけど・・・・・」
茉莉香は更衣室で、女性二人の会話を耳にした。
由里とそのママ友が、店の閉店後、情報交換を兼ねたおしゃべりをしている。
いわゆる井戸端会議だ。
義孝とは、試飲会に強引に押しかけてきた岩下“カラボス”の小学6年生の息子である。
試飲会での出来事を思い出すと、どんよりと嫌な気分になる。
会話は部分的にしか聞き取れないが、どうやら彼が授業中に教師に質問を繰り返すらしい。それ自体は問題がないのだが、レベルが高すぎて教師が対応できないらしい。
「あの子、英修学院の特待生でしょ?」
英修学院とは、チェーン展開されている進学塾である。進学塾にとっては合格実績が何よりも重要なため、難関校に合格が確実な生徒には、授業料の免除、減額のほか、さまざまな特典が設けられている。
「頭が良すぎるのも考えものよねぇ」
「でも、そんな子だったかしらねぇ?」
「でも、あそこはお母さんがあんな風だし。蛙の子は蛙ってね」
カラボスはママ友の間で“難しい人”で通っているようだ。
「ああ、そういえばね、この前駅前に美味しいイタリアンのお店ができたのよ」
話題は、来週のランチの店決めに移っていった。
「お先に失礼します」
茉莉香が更衣室から出てくる。
「お疲れ様!あっ、ちょっと待ってね」
茶封筒を渡される。
「今月のお給料よ。よく頑張ってくれたわね」
初めての給料に茉莉香は胸を躍らせ、さっそく使い道を考え始めた。母親から貰ったお小遣いを合わせれば洋服ぐらい買えそうだ。あと、お茶やお食事もしたい。
だが……茉莉香の顔が曇った。
今まで一人で外出などはしたことがなかった。放課後毎日のように街を歩いた友だちが今はいない。
由里はすかさず、茉莉香の表情を読み取った。
「ちょっと待っててね」
携帯を手にした。
「亘さん。今日はよろしくお願いします!」
「ああ。こちらこそ」
茉莉香に不満をぶつけてもしかたがない。亘は観念した。なぜか由里の頼み事は断れない彼だった。買い物に付き合うのは、多少面倒だが、まぁいいだろう。
問題は場所だ。
茉莉香が行きたがっているのが原宿だと言う。
亘は、近隣の代々木や、表参道には足を運ぶが、あの竹下通りは、その気になれない。人混み、行列、無目的に歩く人間たち……。
げんなりするだけではなく鳥肌が立ちそうな気さえする。
原宿駅を降り、竹下通りを歩く。茉莉香は気の向くまま店に入っては、出るということを嬉々として繰り返している。
いちいち立ち寄らないで、目的を果たしてさっさと帰れないものかと亘は思った。
やがて、カラフルな外観のおもちゃのような店で、細かいフリルの付いた大きな襟のブラウスを買った。今履いている寒色系のチェックのスカートに合いそうだ。
そのあと、雑貨やお菓子が置いてある店に入った。
茉莉香は楽しそうに、いろいろなものを手にしていることが亘には理解できなかった。
目がチカチカするほどの、品物の多さ。そして、恐ろしいほどの飴の色の鮮やかさが、果たして安全に食べられるのかが危ぶまれるほどだった。
しばらく見歩いた後、細い通路の奥にある、人の少ない一角に気づいた。
一息つきたいと言う願いは聞き入れられ、商品棚に沿って奥に入っていく、先を歩く茉莉香の足が突然止まる。
ぶつかりそうになった亘が
「あのねぇ、狭いところで急に止まると……」
訴えかけ、茉莉香の目線の先を見る。
茉莉香と同じ年頃の少女が、キャンディーを手にした。そして、それをカバンの中に入れようとしている。
背後に、視線を感じる
(ガードマンか?)
「知佳・・・・・」
茉莉香の知り合いのようだ。
ガードマンが二人のすぐ背後まで来た。
「知佳ちゃん!ダメじゃないか!お会計はあっちだよ!」
亘は少女に近づき、なにやら耳物でささやいた。少女がキャンディーを棚に戻すとき、はじめて茉莉香の存在に気付いたようだ。バツの悪さや、羞恥心は微塵も感じられない敵意に満ちた目で睨みつけ、ガードマンと二人の間をすり抜けてざまに、
「このぐらいなによ!あいつのしたことに比べたら!」
と言い放った。
茉莉香は青い顔をして立ちすくんでいた。
「ちょっと場所を変えようか?」
落ち込んでいる茉莉香に声をかける。場所と共に気持ちを変えなくてはいけない。
茉莉香はかすかに震えているようだった。
表参道まで歩き、駅の近くのカフェに入り、ハンバーガーセットを注文する。
「知佳があんなことするなんて」
「もともと、ああいう子なの?」
いじめの主犯格ならありうるかもしれない。
「いえ。それに、さっき様子がおかしかったわ」
知佳は明るく、頭の良い子で、その上話がうまいため人気者だという。
そういう少女にネガティブキャンペーンをされたら、茉莉香ではひとたまりもないだろう。
「私、怖くて知佳を止められなかったわ」
いじめられていたことを思い出すと、心も体も凍りつくような気がすると茉莉香は言った。
カウンセリングに通っていても、彼女の心の傷が癒されるまではまだ時間がかかりそうだ。
一方、亘は知佳のようすを思い起こす。
許されないことだが、万引きは何かの病気でないなら、いわゆる”ゲーム”みたいなものなのだろう。あんな悲壮な顔でするものではないはずだ。捕まったときに支払う高い代償を考えていたのかもしれないが、そもそも、そんなことを考えならやらないはずだ。
「ところで、“あいつ”って、なにか心当たりある?」
茉莉香は首を横に振った。
だが、なにかいじめの理由になることがあるはずだろう。
「もうちょっと歩ける?代々木に焼菓子の美味しい店があるんだ。由里さんにお土産を買っていこう」
ふたりは代々木に向かって歩き始めた。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。