ダージリンとブレンドティー
さて、新しいキャラクターの登場です。
優しい由里さんの悩みの種のひとつです。
「そろそろデザート・ティーを考えなくちゃね」
デザート・ティーという言葉があるのかどうかわからないが、
要は暑い夏に楽しめるよう、アイスティーに手を加えたものだ。
「まずは定番の“ティーフロート”ね。アッサムティーで作ってみたの」
「美味しいです!由里さん。アイスクリームと紅茶の味が合ってもう・・・・
美味しい〜」
茉莉香は嬉々として言う。
「それから、ピーチティーにシロップ漬けの白桃をいれた"アイス・ピーチ"」
「美味しいです!由里さん。統一感のある味ですね。バランスのいい甘酸っぱさがほんわりします」
よくわからない表現だが、美味しいことは確かなのだろう。
「今度は、ニルギリにカットした無花果、ミックスベリー、皮付きぶどうを入れた、“季節のフルーツティー”よ。グレナデンシロップ最後に加えるの」
「これも美味しいです!由里さん」
「それから、グレープフルーツの果肉と果汁を入れた・・・・・」
どんどん出てくる。茉莉香は夢中になってグラスを開ける。
だが、いくら美味しくても、冷たいものなのでもうそろそろ限界である。
「そうねぇ。どれか一つに選ぶか、日替わりにするか。迷うわ」
由里は首をかしげて考え込んだ。
そのときだ、
「こんにちは」
眼鏡をかけ、ポロシャツを着た青年がふらりと入ってきた。
特徴はないが物静かで知的な風貌の持ち主である。
この青年の名は岸田亘。このマンションの家主の息子で、最上階に住んでいる。亘は、大学院を出た後、研究室に数年在籍し、その後自宅で研究を続けたり研究会を主宰したりしている。由里の母親は亘の母親の姉で、二人は従弟同志である。子どものころから近くに住み姉弟のように仲が良い。
「あら、亘さん。今日は何にします?ダージリンのセカンドフラッシュが入りましたよ。それも、タルボ農園のが」
「うーん。せっかくだけどファーストフラッシュがいいかな?」
「でしたら、ナムリングアッパーが用意できるわよ。」
「じゃあそれで」
ダージリンは、ヒマラヤ山脈の麓に広がる山岳地帯の地名で、有名な紅茶の産地として知られる。昼夜の寒暖の差から生じる濃い霧の影響ですばらしい芳香を有する茶葉が生産される。希少な茶葉であるため、世に安価で出回っている中には、怪しいものが含まれるといわれるが、les quatre saisonsでは安心して飲める。
カップが白い無地であるために淡い金色の水色がいっそう映える。
茶の水色は美しいと思うが、茉莉香には味がよくわからない。渋みがあり、青臭いような気もする。
それを亘はゆっくりと確かめるように飲む。
茉莉香は以前、亘が言った言葉を思い出した。
『なんていうかなぁ。カップに注ぐ瞬間に立ち込める香りや、口を添えるときの鼻にふわっとくる・・・・味そのものよりも風味を楽しむ感じかな?渋みもね、こう心に染み入ってくるんだよ』
この説明で、茉莉香はいっそうダージリンの魅力が理解できなくなる。
一般に好まれるのは、ダージリン特有のマスカテルフレーバーが強く感じられるセカンド・フラッシュだが、今日の亘はファースト・フラッシュを飲んでいる。これはやや緑茶に近い、青々強い渋さが新鮮な逸品である。
「茉莉香ちゃん。仕事慣れた?」
「はい!なんとか」
「由里さん人使い荒くない?」
「そんなことありません。いろいろよくしてもらっています」
「そうよぉ。おかしなこと言わないでよ。それよりも、亘さん?お勉強の方は進んでいる?」
要らないことをいって風向きを変えてしまったことに亘は気づいた。
「うーん。きのうも会合に行きましたが……」
「前にもちょっと話したけど、どうかしら?」
由里の夫は、亘をアシスタントに望んでいる。彼の能力を高く買っている。
それと、亘の父親から
「何でもいいから仕事に就かせることはできないだろうか?」
と、泣きつかれたのだ。
仕事人間の彼には、いい年をした健康な男が昼間から茶など飲んでいるなんてことは、到底受け入れられなかった。
彼の研究は関係者の間では、一定の評価を得ている。職業として成立しているかどうかは別として……。
父親は、彼の息子がこのマンションに住むことになったとき、管理人業を任せようとしたが、亘はさっさと業者を見つけてきてしまった。
「あいつは、そういうところは本当に要領がいい」
これは誉め言葉ではないだろう。
「いつも心にかけて頂いてありがとうございます。研究会の人手がたりなくて・・・・目途がついてからでよろしいでしょうか?」
物腰は柔らかいが、意図はきちんと伝わってくる。
研究会が忙しいのは本当だろう。だが、亘の恵まれた境遇と人の良さを利用して押し付けてくる輩がいることは予想するに難くない。由里はそれが歯がゆい。
客の何人かが亘に声をかけていく。それに亘は穏やかに応える。とくに自分から話しかけることはないが、話しかけられればきちんと聞くし、何かを問われれば応える。受け身ではあるが、
「亘さんは礼儀正しいし、話がしやすい」
と、常連たちから評判がいい。
前川氏が亘を望むの、彼のこんな人当たりのよさもあるだろう。
「ごちそうさまでした。あ、クロック・ムシューをテイクアウトでお願いできますか?」
「さてと……」
部屋に戻った亘は適当に掴んだ何種類かの市販のティーバッグをポットに入れ、たっぷりのお湯を注ぐ。もっと丁寧に淹れたいが、これからやらなくてはいけないことが多すぎる。忙しいときは手っ取り早済ませたい。
袋からまだ温かいクロック・ムッシュをつまみながらパソコンを立ち上げる。資料をまとめなくてはいけない。
紅茶を飲みながら作業を続ける。何杯目かのお替りのときには、水色がすっかり濃くなってしまった。冷蔵庫から牛乳パックを持ってきてカップに注ぐ。
根を詰め過ぎたので、休憩にすることにした。ソファーの背もたれに深く座りYouTubeを見始める。
ある動画が目に留まる。
内容は歴史上の出来事、人物を三頭身のキャラクターが解説するものだ。充分な準備をなされているのがわかる。わかりやすく、これなら受験勉強中の学生も、学びなおしたい社会人も興味を持つだろう。
チャンネル登録数や再生回数はまだ低いが、ファンは徐々に定着し始めているようだ。
動画の作成者である荒木耕一はFランクの大学を出て、IT系の企業に就職した。ホワイト企業というよりは“優良”企業と言った方が適切だろう。規模は小さいが健全な経営体質で知られている。
荒木の運のよい人間だと考えたたあと、すぐにそれを打ち消した。
これは適切な表現ではない。正当な形で入社したのだからな。第一彼には、縁故さえなかった。
荒木は、誰の紹介もなく、ある日突然研究会に現れた。教養などなさそうなのに、向学心だけが妙に強かった。常にメモを取る姿が、会の中では浮いていた。
低姿勢に見えてあつかましい。それが亘の荒木に対する印象だった。
当の荒木は、会に顔を出さなくなった。あるいは出せないと言う言葉が適切かもしれない。
彼の経歴を揶揄する仲間は少なくなかった。現在は動画の内容が嘲笑の的になっている。あの程度の動画を配信して会の恥さらしだの、さんざん人を利用してあつかましいだの・・・・・・数え上げればきりがない。
亘の話を聞く時の荒木の熱のこもった眼差しを思い出した。
翌日もles quatre saisonsに行く。
「いらっしゃいませ」
茉莉香が明るく迎える。
「今日はダージリンのセカンドフラッシュにしようかな」
「はい!」
亘は由里から茉莉香の話はあらかた聞いている。
なぜ、こんな子が理由もわからずいじめられてしまうのか?亘でなくとも、疑問に思うであろう。精涼と言えば、裕福な家庭の少女たちが通う名門私立女子高校として知られる。
les quatre saisonsの客は、ほぼみな穏やかである。茉莉香はいつも彼らに明るく丁寧に接していた。茶葉について何度も同じことを聞いてくる女性にも、その都度親切に応えていた。むしろ、茉莉香と話がしたくて質問しているようにさえ見える。足の不自由な老人が来店すると、自然と手をとって席に案内する。彼は、茉莉香がいるから一人でも安心して店に来ることができると喜んでいた。
また、商品について覚えることにも熱心だ。いまでは、由里と一緒にスコーンを焼いたりしている。
茉莉香の辛い状況は、誰にでも容易に想像がつく。親元からも離れているのである。
状況がどうであれ、今できることをするということであろうかと亘は考えた。
荒木の動画に、メイド服の美少女を登場させてはどうだろうか?などと、ぼんやりと考えた。
ここまで読んでいただいた方にお礼を申し上げます。
次回も誰か登場させましょうか・・・・・・。